01.私は売られるみたいです
「あの……ごめんなさい……」
私――フリージアはいつも謝っている。いつも、いつも。
特に異母妹のアルティラ様はちょっとしたことですぐに怒って、私を叩く。この前は髪を掴まれ殴られた。
そんな私は家じゃない、豪華なふかふかのベッドの上で顔を伏せていた。
ベッドのそばにいる貴族様はじっとして動かない。嗅いだことのない淡い香水が私の鼻をくすぐる。見たことのない赤い花も優しい香りを放っていた。
「……何も謝る必要はない」
しっとりした声音が心に響く。私はゆっくりと顔を上げて、声の主を見た。
染みひとつない純白の肌、長く背中に垂れている黒髪、輝くような紅の瞳。ゆったりとした白と青のローブを着こなしている。
――本当に綺麗な人。
これまでに会った、どんな人よりも完璧で。瞳を見ていると吸い込まれそうだった。
「改めて聞こう、君の名前は?」
「……フリージアです」
「ふむ……俺の名前はウェルナークだ。これまで色々とつらかっただろう。しばらくここで休むといい」
「はい……。ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」
「気にする必要はない」
ウェルナーク様の表情はあまり動かない。でも嫌な感じはしなかった。むしろ、私が出会った人の中で一番落ち着く雰囲気をしている。
そんなウェルナーク様がベッドのそばにある机に目を向けた。そこには小さな、きらきらとした金属のコップが置かれている。コップの中には肌色の液体が揺れていた。
「リンゴとハチミツのジュースだ。身体が温まる」
「…………」
そこで私は首を少しだけ傾げる。
「どうしたんだ?」
「あの……すみません。リンゴとハチミツって、なんですか?」
♢
私は記憶をたぐり寄せる。
ああ、そうだ。すべては1週間前のことだ。
その朝は何も変わりはなかった。目が覚めると、狭苦しい部屋にいる。絵本とベッドと机とトイレと浴室……小さな開かない窓。それ以外には何もない。もちろん自由にこの小さな離れの建物から出ることもできない。この小さな離れだけが奴隷である私の世界だった。
家族は幼い頃に死んでしまい、私はベルダ伯爵家に引き取られた。私の本当の父親はベルダ伯爵なのだという。でも母の家系は奴隷で――だから私も奴隷なのだと父様は言った。最低限の衣食住だけでもありがたいと思え、ということだった。
小さな離れから外に出ることは許さない。余計なことはするな。ベルダ家の人間には逆らうな。特に異母妹のアルティラ様は怖い。いつも私を叩き、蹴るから。
アルティラ様が今日も甲高い声を上げる。背は私よりも小さいが、金髪で目を吊り上げたアルティラ様は何よりも怖い。
「なによ、このグズ! 窓に埃が残っているじゃない!」
そしてアルティラ様は私を平手打ちにする。
「いたい……っ!」
「いつも綺麗にしていろって言ったでしょ!」
「ご、ごめんなさい!」
窓に埃は残っていないはずだ。アルティラ様が毎日来るのだから。きちんと隅々まで確認していた。でもこんなのはいつものことだった。まず何かに言い掛かりをつけないとアルティラ様は気が済まない。
「まったく、こんな汚れた離れに来なきゃいけないなんて。この服はあなたよりも高価で貴重なのよ!」
「は、はい……ごめんなさい……」
「ふん、出来損ないのあなたは掃除もきちんとできないものね?」
素直に謝ったことでアルティラ様の怒りが和らぐ。謝るのが少しでも遅れると今度は魔法で私を虐める。魔法は平手打ちよりもずっと痛い。
アルティラ様がバッグから小石のような白い薬を出し、ぽいっと私に渡してくる。
私の大事な仕事は、色々な薬を飲むことだ。とてもとても大事で、私が毎日薬を飲むからこの離れに住んでいていいんだという。でも薬の中にはとびきり苦くて痛いのもある。ほんの少し薬を飲むのを躊躇していると、アルティラ様がすぐさま不機嫌になった。
「手間かけさせないでよ、馬鹿!」
アルティラ様の右腕に黒い魔力が満ちる。こうなると、私は逆らえない。アルティラ様が物凄い力で私の腕を掴み、薬を押し付ける。
わずかに開けた口から、薬が口の中に入る。薬はすぐに私の口の中で暴れ、舌を痛めつけた。
「んぐぅっ! ぐぅぅっ!」
涙を浮かべてもアルティラ様は絶対に許してはくれない。むせながらなんとか薬を飲み干し、アルティラ様を見上げる。
口の中が物凄く痛い。
「あ、うえっ……うぅ……」
「ふん、最初からそうしていればいいのよ」
できる限り、苦しそうに私はする。本当に苦しいけれど、さらに苦しがったほうがアルティラ様は上機嫌になる。私はそう、知っている。
「ああ、それと来週――お出かけだそうよ」
「お出かけ……? このお屋敷から、ですか?」
このお屋敷の離れから外に出たのは数回だけだ。それもなぜか私が眠っている間に誰かが私を移動させ、目が覚めた時には目的地に着いている。そしてまた眠っている間にこの私の部屋に戻ってくるのだ。
「そうよ、嬉しいでしょう?」
アルティラ様が笑みを浮かべる。私は身体に震えが走った。こういう時のアルティラ様は、とても危険だった。
「……は、はい」
「博士にも言われているの。お出かけがあるから、あなたをあまりいじめるなって」
これで……? 大していつもと変わらないように思えるけれど。でも、言葉にも表情にも出さない。出せば、アルティラ様はきっと、とても怒るから。
ベルダ伯爵家はとても偉い貴族様なのだという。彼女が自分で言っていた――『ベルダ伯爵家の御令嬢』、あまりに尊くて異母姉でも奴隷の私なんかが本来は話なんてできない、高貴な存在……らしい。
私はグズ、馬鹿、間抜け、世間知らず、化物、出来損ない。そんな風なことをいつもアルティラ様は口にする。
「それと、あなたともそろそろお別れになるわ」
「……え?」
「悲しくなるわね、フリージア。もう会えないのよ。一生のお別れだわ」
アルティラ様がきゅぅっと嬉しそうに口角を吊り上げて、目を細める。
「わからないの? 本当に何も知らないのね。いいわ、ちょっとだけ教えてあげる」
「は、はい……」
「あなた、オークションで売りに出されるの」
……。
私は頭の中で浮かんだ疑問を口には出さなかった。
オークションって、なんだろう?
♢
1週間後、私は見たことのないきらびやかな服を着せられ、屋敷の外に出た。窓越しとは違う日光に目が慣れない――だけど、私は太陽が好きだった。
でも足取りが少しでも遅いとアルティラ様は怒り出す。
「さっさと歩きなさいよ、グズ」
「はい、ごめんなさい……っ」
あまりきょろきょろしてはいけない。
私はそのまま四つ足で動く茶色の動物(馬というらしい)が動かす大きな箱に乗って、街へと出かける。目が眩むほど人が多く、屋敷の外にはこんなに人がいるのかと驚いた。服装も皆、綺麗でいくら見ていても飽きない。
でも楽しい時間はすぐに終わってしまう。
箱が止まって降りるよう命令される。そこは薄暗い大理石の建物だった。
人の多かった通りから少し外れただけでこうも雰囲気が違うのかと驚く。
「こっちよ。早く来なさい」
アルティラ様に言われるまま、私は建物の裏側、屈強な人が守っている扉から入っていく。建物の中はさらに暗く、不気味だ。逃げ出したい気持ちに駆られたけれど、それは不可能だった。アルティラ様は魔法を使える。
私が些細な抵抗でもすれば、容赦なく黒い鞭の魔法で私を叩きのめし、連れていくだろう。仕方なく私は暗い廊下を歩いた。
廊下にはぽつりぽつりと人がいる。彼らは扉の前にいた人によく似ていた。静かで表情が読めず、とても楽しそうな感じじゃない。
やがて私たちは広間のような場所へと辿り着いた。
「うわっ……すごい」
そこには本で見たことがない動物や植物がいくつもあった。全身がふわふわ毛の丸い動物、にょろにょろと紫色の細長い動物、赤色の葉っぱや虹色の実がついた植木鉢。
建物とすれ違う人の雰囲気で憂鬱だったけど、少し気が紛れる。見ているだけで楽しい。
「ほら、そこに並びなさい。すぐにあなたの出番だから」
「えっと……あの、私はこれからどうなるんですか? オークションって?」
先週、オークションの意味を聞いてもアルティラ様は意地悪く笑うだけで答えてはくれなかった。だけど今日のアルティラ様は機嫌がいいので、教えてくれるかもしれない。
「あなたがどうなるかですって? 知るわけないわよ。どうせ太った変態貴族のところにでも行くんじゃない? あなたにはお似合いよね。清々するわ」
アルティラ様はそれだけ答えた。私がうろたえるのを、心底楽しんでいる顔だ。
そしていくつかの動物や植木鉢が連れていかれると、私の番がきた。執事服を着た男の人が取り囲み、歩くよう命令する。アルティラ様は私と一緒に来るわけではないらしい。私だけ移動するみたいだ。
少しだけ歩くと、大広間に着いた。大広間には数十人いて、登場した私をじっと見つめている。なんだかじろじろ見られて居心地が悪い。
私の隣にいた男の人が声を張り上げる。魔法を使っているようで、大広間にキンキン声が響き渡った。
「さぁ、本日の目玉商品です! 聖女ラニエスの正真正銘の末裔! 手塩にかけて育てた奴隷少女です! 詳細はお手元の冊子から――ガニエス金貨500枚からオークション開始します!」
何を言っているのかよくわからなかったけれど、ガニエス金貨500枚は相当な価値だ。アルティラ様が前に自慢していた綺麗な扇が金貨3枚だとかだったはず。
「俺は金貨700枚だ!」
「おっと、まずは金貨700枚!」
「850枚出す!」
「そちらからは金貨850枚!」
熱狂的な掛け声で大広間が満たされる。
「……怖い」
一体、自分はどうなってしまうのだろう?
不安で押し潰されそうになる。
そんな中、大広間の最前列に――私を厳しい目で見つめる男の人がいた。
(とっても綺麗……)
長い黒髪と引き締まった顔立ち、きりっとつり上がった眉、そして吸い込まれそうな紅い瞳。座って腕を組んでいるだけで絵になる、そんな男の人だった。
私がじっと彼を見ている間に、大広間の熱狂は高まっていく。
「金貨1500枚! 1500枚です!」
しかし熱狂とは裏腹に、その最前列の男の視線が冷えて怖くなっているのに私は気付いた。そういえば、この紅い瞳の人だけは少しも声を上げていない。
私を見つめ――そして周囲を警戒している。
「金貨2000枚! もういませんか!? 2000、2000で落札です!」
「待て」
透き通るような声で紅い瞳の人が立ち上がった。
熱狂の一瞬の間だった。誰もが動きを止め、紅い瞳の人を見る。
「茶番は終わりだ。私は王国審問官――この場の全員を逮捕する」
そして会場から同時に何人もの人間が大広間に突撃して、魔法を放つ。
それが紅い瞳の人の仲間と知ったのは、もう少し後のことだった。
大広間は大混乱に陥った。そこから先はよく覚えていない。
ただ、少しして私は紅い瞳の人――ウェルナーク様に保護されたのだ。
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