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思いでラヂオ

作者: 十四年生

 少し疲れた顔をした女性がいる。

 髪には愛用の髪留めがついている。

 三日月に立った姿の合わせた兎の髪留め。

 銀色のそれはよく磨かれており、彼女の黒髪をきれいに見せている。


「行ってきます……」


 誰もいない部屋に向かって辛そうに寂しそうに一言告げる。

 ワンルームの部屋の奥、暗い部屋の奥、生活感の見える部屋は少し寂しい。

 奥にある机の上には伏せられた写真立て。


 ドアの閉まる音とともに、少しさしていた朝日が閉ざされ部屋は暗闇に包まれる。


 彼女の仕事内容は特に言わない。

 どこにでもあるどこにでもいる良く良く見る働く女性の姿。

 淡々と粛々と彼女の仕事は始まり終わる。


 周囲の他の者は其れなりに賑やかに、

 一部の者などは楽しさを浮かべながら仕事をしている。


 だが彼女は違う。仕事中も昼食中も休憩中も彼女は独りでいる。

 まるでその眼には誰も映っていない。


 たまに仕事の指示を受けたり報告をする際には相手を認識しているようだが、

 結果的には見えていない。会話もする、いや返答はする。だがその顔には表情がない。


 仕事の終わりを告げるチャイムが鳴る。

 定時であがれる者たちが足早に仕事場である部屋を出ていく。


 彼女も同じように部屋を出ていく。この場にいる時間は過ぎたのでまた部屋に戻る。

 そのために出ていく。


 部屋を出て会社を出ると周囲には、アフターをどう楽しむか笑いながら話している同僚たちがいる。そのうちの一人が女性に声をかける。


牧野(まきの)さん、どう?これからみんなでさ」

「ごめんなさいこれから用事があるので」


 爽やかな笑顔を魅せて彼女を誘う男性の誘いを断って、その場を足早に去る。


『だから言ったじゃないあの人は無理だって……』


 際りゆく彼女の耳に同僚の声が聞こえる。『あの人は無理……』彼女の中で咀嚼されていく。彼女にとっては楽しそうなものはすべて罪悪にしか思えないのだ。


 あの日から……。



「なあ、裕子(ゆうこ)。今度海行こうか、夏は海だろ海」

「そうね、でも水着着るんだよね?」

「ん? 気にしてるのか?」

「そりゃそうよ」


 男女が海に行こうと笑いながら話している。

 とっても楽しそうに嬉しそうに、笑みからも互いが互いを大事に

 愛おしく思っているのが伝わる。


 そんな笑顔。

 女性は彼女、男は、彼女の大事な人。

 今も昔も、ずっと……これからも……。


 彼女の額から汗が落ちていくのに気づき、そっとハンドタオルで汗をぬぐう。

 夏の強い日差し、蝉の鳴く声。目の前に見える景色が夏を感じる。


 今、一瞬だけ彼の顔と声が聞こえた。懐かしさと一緒に苦しみが戻る。


「あなたはもう……」


 無意識に髪の毛に手をやると、触れた衝撃からか愛用の髪留めが取れて、

 路地のほうに転がっていく。


「え?! 待って!」


 あれは裕子が男から最後にもらった大事な髪留め。失うわけにはいかない。

 これを失えばもう彼女には男のいた証が残らない。


 転がるはずのない髪留めが転がっていく。

 彼女の元を去るように。


 慌ててそれを追いかける。失えない失うわけにはいかない。

 必死に、表情もおぼろげだったはずの彼女に深い焦り。


 路地に入った瞬間、裕子と周囲を強い光が覆う。

 目も眩むほどの強い光。その光はやがて収束していく。

 そして彼女の目に景色が映り戻ってくる。


 古い家具や布、歴史を感じる匂いが鼻に香る。

 品物が乱雑に並んでいるようで無駄を感じない。

 見たことあるものもあればないものもある。


「ここは?」


 店らしきその場を見回す。

 何思うわけでもなく感じた。

 ここは不思議な場所だと。


「髪留め!」


 思わず声が出て足元をその先を探す。品物の奥にカウンターがあり、

 そこには目の細い長髪の年齢のわからない、まるで狐のような男がいる。


「あっ!」


 裕子は声をまた上げる。

 なんで? なんでか? それはその男が自分の髪留めを持っていたからだ。


 急いで男のそばに向かう。どう見ても怪しいこの店内をわき目も降らず、

 真っすぐに足早に、いや全力で。


 男のそばに向かう。


「あの! それ!!」


 全力を出せば当然息も切れる。

 息が切れれば呼吸は荒くなる。

 それでも、息を整えることもせず大きな声で、髪留めを指さして叫んだ。


 男はその細い目を裕子に向ける


「おや……お客様ですか?」


 細い目に似合う細い笑顔。にいぃという擬音がよく似合う細い笑顔。

 人懐っこいというよりは、妖艶で怪しい。

 手には裕子の髪留めを持っている。


「あ……あのそれ!!」


 この男がなんだか普通ではない気はしていた。でも、それでもそれは失えない。

 裕子は強がってでもそれを取り戻したい。


「おやおや……あぁ、そうですかこれはあなたのでしたか」

「で・す・か・ら!」


 裕子が何かを言おうとするたびにそれはさえぎられる。


「あ・の・で・す・ね!」


 何度目だろう。またさえぎられる。そろそろ疲れてきた。


「では、これは返しましょうか。早々折角ですからこれもどうぞ持って行って下さい」


 ふいに男はやり取りに飽きたような顔をすると、裕子に向けて髪留めと、

 併せて黒小さな四角い箱を投げてくる。


「ちょっとあなた!」


 慌てて髪留めと、反射的に小さな黒の四角い箱も受け取る。


「いいものを見せてくださったお礼です。それは思いでラヂオといいます。今日から毎晩十日間、深夜に聴いてみなさいな。きっと貴女にとって良いものになるでしょう」


 男がそういった瞬間。今までの何もかもを巻き戻すように世界が逆転していく。

 慌てた裕子が悲鳴をあげたが、それは巻き戻る波に飲み込まれるように消えていった。


「それでは……」


 波の中、男の最後の言葉が響く。



 気が付けばそこは路地。先ほど髪留めを追いかけた路地。

 路地の向こうは日も落ちかけた通り。手の中には髪留めと小さな黒い四角い箱。


「髪留め……よかった、ある。そしてこれは……」


 黒い箱をみると箱の横には小さなつまみと小さなダイヤル。


「ラジオ……ね。確かにラジオみたいだわ」


<今日から毎晩十日間、深夜に聴いてみなさいな>


 男はそう言っていた。


<貴女にとって良いもの……>



 裕子の住処、ドアが開く。

 玄関にあるスイッチを押すと部屋が明るくなる。

 ドアを閉めて一呼吸し、部屋の真ん中あたりを一瞬凝視する。


「ただいま……」


 誰もいない部屋に向かって、帰宅の報告をする。

 もちろん返事はない。


 食事を終え、風呂を終え、明日の用意を済ます。

 明日も仕事がある、いつも通り淡々と糧を得る必要があるからする仕事。


 死なないから食事を食べている、死なないから生きている。

 彼女の生活は其れの繰り返し。ただ繰り返している。


 テーブルの上に目を向ける。

 伏せられた写真立てと時計。

 写真立てはあの日以来伏せたまま。


 見るのが怖い、見れば思い出す。あの日を楽しかったあの日とそれを壊す日の苦しさ。

 だから写真立ては伏せたままにしてある。


「零時過ぎてたのね」


 ふとあの男の声が聞こえる。


<今日から毎晩十日間、深夜に聴いてみなさいな>


 小さな黒い箱。

 そう、『思いでラヂオ』と言っていた。それに触れる。


 横のつまみを上にあげる、ブツっと音がする。どうやらスイッチが入ったようだ。

 おそるおそるダイヤルを動かしてみる。

 ジジジ……ジジジ……ラジオからノイズが聞こえる。


 だんだんと声がしてくる。

 それがちょうどよい音量になると、女性が何かをしゃべっている声が聞こえた。


『お……思いで……』


「なにこれ……え?」


 慌てる女性の耳にゆっくりしっかりとはっきりと聞こえてくる。


「はい、こんばんは、この番組はあなたに届ける思いでラヂオ。辛い思いで? 楽しい思いで? 振り返りたくない? 振り返りたい? 今夜もパーソナリティーは私、夢が務めます。最後までどうぞよろしくおねがいしますね♪』


「ラジオ……」


 どうしても消せない。

 そのまま聞いてしまう。

 耳が離せない。


『はい今夜から十日間、あなたのためだけの特集。思いでとの回帰。この放送がすべて終わったときあなたは何を得て、何を……。さて始めましょう』


 不思議に思いながらも裕子はその放送を聞き続けた。


 一日目


 それは裕子と男の出会いの話だった。自分しか知らないはずの男との出会い。

 それがラジオから流れてくる。女性が語る思いで。時折ほんの一瞬、男の声が聞こえる時がある。


「嘘……」


 嘘ではない、裕子は今、思いでを、二人の思いでをパーソナリティーに語られている。


 男との出会いは職場だった。

 同期だった男は少し軽めな性格の男だった

 。

 反対に女性は固い真面目な性格。慎重といえば聞こえがいいが、奥手で怖がり。

 どうみても二人は正反対、対照的な性格だった。


 そんな二人の歩く先が交わったのは、仕事をしているときに、たまたま二人が組んだからだ。まじめな性格と軽めな性格の男。


 多少のぶつかりと理解、実は言うほど軽くもなく。まじめな部分もある男。

 ある日仕事内容で相手先に確認をしたいと呼ばれる。


 だが呼ばれた理由は裕子が目的だった。

 そんな時、機転を利かして裕子をうまく逃がしてくれた男。

 そんな男が裕子は気になっていった。


 あっさりだった単純と思わば思え。裕子は男に惹かれ、男も女性に惹かれた。

 そして二人の道が交わった。


 二日目は告白を、三日目は何度目かのデートで花火を見たとき。

 四日目は男と初めて夜を過ごした日のこと。


 これはかなり恥ずかしかったが、同時に懐かしくあたたかいものでもあった。


 5日目は同棲をすることを決めた日。とりあえず自分の借りている部屋で同棲。

 6日目は同棲していて喧嘩した日。7日目は仲直りをして笑いながらお酒を飲んだ日。


 8日目に彼の実家へ挨拶に行った日、9日目に海へ行こうといいあった日。



 女性はほんの少し毎日が楽しくなってきた。

 毎晩の放送で流れる温かい思いで。

 仕事をする意味、日にちを過ごす意味が生まれた。


「牧野さん、お疲れ様」


 たまたまだった、ふと目に入ってしまったため同僚も無視ができなかった。

 だから声をかけた。もちろん今まで通り返答なんてない。ないはず。


「お先に失礼します」


 一瞬同僚は耳を疑った、女性から彼女から返答があった。

 振り向いて確かめようとしたときにはすでに彼女はいなかった。


「お、おつかれ」


 同僚は聞こえていないだろうが声をもう一度かけた。



 女性はいつも通りに、でも少しワクワクとしながら、期待を持って帰宅後の時間を過ごした。準備を終え最後の夜になるその時間を迎える。


 いつもと同じように女性パーソナリティーが語り部となり、その日を語っていく。


 それは……。そうあの日最後の日。


「そう…そうなのね」


 女性の顔がゆがむ。ゆがんだ顔に苦しみが浮かぶ、あの日を残酷に繰り返すパーソナリティー。


「やめて…いやだ…」


 最後の日、涙、流れる涙。

 悲しみ渦、海、苦しみ、後悔。


 あの日は女性と男が待ち合わせをしていた。


 同じ家に住んでいるのに、同じ部屋に住んでいるのに。

 わざわざ前日に家を出て漫画喫茶にまで泊まって、男は待ち合わせをしようと言ってきた。

 二人は駅前で待ち合わせをした。何本もの駅が交差する大き目の駅の前。


 待ち合わせの時間が近づく、心が躍る。女性は男との初めてのデートの日を思い出す。

 頬が紅潮し、夏の暑さも相まってか、パタパタと顔を手で仰ぐようにする。


(さとし)、遅いな。あとで遅刻の罰に、美味しいものでも奢らせなくちゃね」


 遠くで救急車のサイレンの音がする。


「まさかね……」


 男は事故に巻き込まれていた。

 突然暴走した車が男を巻き込んだ。


 暴走者の運転手は違法薬物に手を出していた。そのままで運転をしていた。

 男以外にも何人も亡くなった。


 ガードレールがたまたまそこにはなかった。暴走者は男も、周囲の者も巻き込んで、

 その先に店に飛び込んでいた。


 彼女は見たのはほぼ原形をとどめていない智だった。

 ものを言わない。

 海に行く約束をすっぽかした男。

 あんなことしなければよかった。


 後悔、後悔、後悔、後悔……。


「なんで……なんで!!」


 女性が部屋の中叫ぶ。涙は止まらず流れてる。


 女性の叫びも慟哭もパーソナリティーには聞こえない。聞こえないのだから、

 話は続く。続いて続いて、最後を迎えた。


『十日間のお付き合いありがとうございました。どうでしたか? 思いでは取り戻せましたか? すべてがあなたの思いでです。忘れるも忘れないも貴女次第ですよ」


「だからなによ……」


『では最後に、この放送を聞いている貴女へお手紙のご紹介です。ラヂオネーム「ごめんな裕子さん」からです』


「え?!」


『「裕子ごめんな俺がつまらないこと言わなきゃあんなことにはならなかったんだろうな。俺さ本当さマジでさ裕子のこと愛しているよ。でもさ、俺はもうそばに居れないからさ、俺のことはもう……な忘れちまってくれよ。俺さ、お前がつらそうな顔をしているのがたまらなく辛いんだ。裕子愛しているよ、君に幸せが多くありますように……だからん、裕子さようなら、愛してる」「ごめんな裕子さん」ありがとうございます。裕子さんに届くといいですね』


「智?!」


『こほん、リスナーさんこんなお手紙をいただきましたがどうでしたでしょうか。十日間お付き合いいただいた『思いでラヂオ』は今日でお終いです。これから先、貴女がどう受け止めてどう生きるのかは、全部貴女次第です。でもね、最後のお手紙聞いたでしょ? 貴女に幸多くあらんことを……ね。それではお相手は夢がさせていただきました。またどこかでお会いしましょう。では……バイバイ』



 彼女の体の奥から忘れていた感情が戻ってくる。

 閉じ込めて封印してもしきれず漏れ出していた感情。

 それは涙になって彼女の体から溢れ出ていく。



「智―……。智の馬鹿!」


 彼の名前を呼ぶ裕子、最後に馬鹿とつける。それは男へか、自分にか。


 叫ぶ、泣く叫ぶ。


 今夜だけ、今夜だけは、近所迷惑も勘弁されるだろう。泣き疲れて眠ってしまった彼女の手にはただの四角い箱。泣き疲れて眠った彼女の手にある小さい箱。


 伏せられていた写真立てが起き上がると、男の姿が現れる。


「ごめんな……裕子。これ返してもらわないといけねえんだよ。遅刻するは、死んじまうは、本当俺って駄目な奴だよな。いまっもこっそり出しな……。裕子ちゃんと幸せになれよ」



 泣き疲れて寝ている彼女の髪をくしゃっとして、目元の涙をすくいあげる。


「本当ごめんな……じゃあな」


 男の手には小さく黒い四角い箱。

 男の手の上で、それは、ゆっくりと男と共に形を崩し溶けて消えていく。




 翌朝、女性は鏡で泣きはらした目を見て苦笑する。

 手の中にあったはずの小さな黒い箱はなくなっていた。


 伏せてあったはずの写真立てがいつの間にか表になっている。

 二人が笑顔で幸せそうに写っている。


 写真立てを伏せようと手を伸ばすが女性はやめる。

 そして写真立ての男に向かって言う。


「誰が忘れるものですか! 勝手にいなくなったくせに、ずいぶんじゃないのよ。

 だから忘れてなんかやらない。いいわよね? 私の勝手でしょ? 勝手になんだから! 勝手にするからね。 馬鹿!」


 泣きはらした目で無理やり思いっきり笑顔を作って女性は宣言する。

 私の勝手だと、自由だと。


 その日女性は海へ行った。


 潮風を受けて泣きはらした目の、彼女の持つカバンの中には机の上にあった写真立てが入っていた。




 ジジジ……。


「はい、こんばんは、この番組はあなたに届ける思いでラヂオ。辛い思いで? 楽しい思いで? 振り返りたくない? 振り返りたい? 今夜もパーソナリティーは私、夢が務めます。最後までどうぞよろしくおねがいしますね♪』













最後までお読みいただきありがとうございました。

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