乱入者たち
* 再度お断りしておきます、フィクションです。 長めです、ご容赦を。
** 黒鯛さまよりFA頂戴しました。ページ末ごらんください!
5月、静香従姉さんはもうかなりお腹が大きく社の石段を上がるのも大変だから、神社のことはほとんど私がやっていました。
朝の日課として、青山さまの筝の音に合わせ拝殿に箒をかけます。その日は水拭きを始めようというところで、外にどすどすという神社に似つかわしくない足音がしたのです。そしてすぐにダンダンと社前のきざはしが震えました。
あろうことか土足のまま、制服にサーベルをぶら下げた官警が3人、拝殿に上がり込んでしまったのでした。
「長慶青造、徴兵検査逃れは許さぬぞ。顔を見せい!」
「お宮に隠れりゃ済むと思われたら困りまんなぁ」
関西から来た役人もいるようです。
私は拝殿の隅に正座して縮こまっておりました。
「神さま側にお邪魔して引きずり出させてもらいまひょかぁ?」
私は声も出せずに心の中で叫ぶのが精一杯。
「だめ、それはだめ、信者でも氏子でも本殿側には入らない、入れるのは神官さまだけ。拝殿と本殿を仕切る重たい引き戸は触れてもいけないの!」
筝の演奏はまだ続いています。青山さまに声が届いてないはずがありません。自分はいったいどうしたらいいのかもわかりませんでした。
運よく、通勤前に毎日顔を出してくれる父がやってきて「何事ですか?」と云いながら、小さくなっている私を抱きかかえてくれました。
「土足で神社に上がるなど、褒められたことではないですが……」
父は神官だっただけに外見は柔和ですが、静かに怒っているのが私にはわかってしまいます。
官警は父を無視して革靴で引き戸を蹴飛ばしそうな勢いで呼ばわりました。
「長慶青造、出て来い!」
音響を考えて建てられているお宮も部外者のダミ声は嫌いだとみえて、音は残響もなくストンと床に落ち静寂が戻ります。
制服だけ立派な男たちが引き戸をこじ開けようと近づくと、真ん中の戸板がすうっと横に開きました。
そこには青山さまが、袴の膝を少し開き気味に背筋を伸ばして正座されていました。
もう2カ月もお顔を見ていなくて、楽器の演奏が聞こえないと中で倒れているのではないかと心配ばかりしていたものですから、私は父にしがみついて「青山さま、青山さま……」と呟いていました。
上品だったお顔の頬はこけ、細めの瞳は逆にぎろりと大きくなったように見えます。
「今年から徴兵検査は満19歳に引き下げられた。貴様は4月にハタチになったろうが。本籍地京都へ速やかに赴き検査を受けい!」
役人は腕を振り上げて今にも神主さまの頬を打ちすえそうです。
「お父さま……」
私は父に縋りつくことしかできません。
すると、ふと歌声が聞こえました。青山さまです。
♪ きぃみぃがぁあぁよぉおぉはーちぃよぉにぃいいやぁちぃよぉにぃ〜
声色はいつも通り瑞々しく、お腹の底から出て来る音は痩せたことなど関係ないように社全体に漲ります。建物の四方八方から柔らかく共鳴し、声は中にいる者に慈雨のように降り注ぐのです。
父が両手を付いて土下座しました。「ありがたや、ありがたや」と小声で唱えています。私もきちんと正座し、胸の前で手を合わせ頭を垂れ、「ありがとうございます」と囁き続けました。
度肝を抜かれた官警たちはしばし固まっていましたが国歌斉唱です、気を付けをして敬礼をしました。
声の余韻がお社から抜けてやっと、訪問理由を思い出したようにまた居丈高になります。
「祖国の危急に馳せ参じぬとは日本男児に恥ずべき態度。国歌を歌えばいいというものではない!」
「歌が歌えるなら兵隊にもなれまっしゃろ」
私はそこまできてやっと、彼らが神主さまを戦争に取ろうとしているのが理解できたのです。
「こちらは私共の大宮司さまでございます。現人神を奉り人心を纏めるお立場の方にあられますれば……」
父が奏上する。
「いや、この神社は神祇院記録にも新参、元々異端。国家神道と歩みを共にするものではない」
「神主は戦争せんでええわけでもありまへん」
「私共が国家神道に与するのが遅れましたのは、あちこちのお宮さんに雅楽をお届けにあがるからでございます。社格の上下関係ができてしまうと先方にご迷惑をかけたり、こちらも格式にとらわれたり致します。平時は園遊会など皇居のお召しも承り、過去には何の問題もありませんでして……」
父のこの発言は役人たちに少しは効果があったようで、3人は顔を見合わせ「あそこ絡みじゃちょっとやっかいだな」と云い合っていました。
それを遮るように青山さまの次の歌が響きます。
♪ ゴッド セイブ アワ グレイシャス キング ロング リブ アワ ノーブル キング ゴッド セイブ アワ キング〜
「ひっ、非国民!」
「なんてことだ、敵性言語、それも、敵国鬼畜米英の……」
青山さまが歌われたのは英国の国歌だったらしいのですが、役人たちは言葉を失ってしまいました。
父は神主さまが成敗されると思ったのか、すぐさま私の頭を抱きかかえ視界を遮りました。父の身体が小刻みに震えていたことを今でも覚えております。
「貴様気でも違ったか!? 出て来い。敷居のこっちに出て来るんだ!」
窺い見ると、姿勢よく正座されていた青山さまは顔色ひとつ変えておられません。官警のほうを黙って眺め、ゆっくりと前に親指をつくとお茶室で移動するときのようににじり出てこられました。
「さっさとせんか!」
役人の罵声が轟きますが空気をつんざくだけで、神主さまの歌声のように空間を満たすことはできません。
青山さまは首だけ上げてその人のほうを見ると、急に四つん這いで近づいて来られました。
「立て!」
怒鳴る男の足元まで手と膝で獣のように移動します。そして足を前に投げ出して座ると、相手の顔を見上げてにっとし、軽く握った自分の手の甲を猫のようにべろりと舐めました。
「青山さま!」
私はなぜ声を上げたのかわかりません。彼の瞳に宿った狂気のようなものが恐ろしかった気がします。官警たちも怯えた様子で後ずさりしました。
「お前、おかしいのか?」
「狐でも憑いたのか?」
神主さまは我関せずと声も出さずに四つん這いのまま本殿に戻っていきます。その袴のお尻を、役人のひとりが蹴飛ばそうとしました。
「青造!」
慌てた父は青山さまの本名を呼びます。
青山さまは抵抗するでもなくそのまま蹴られ、横倒しになると猫がくるりと身を翻すように転がり香箱座りのようにうずくまりました。そしてにやにや笑ったのです。
「猫又やぁ!」
京都からきたらしいおじさんは叫びました。
父は土下座して震え声を出します。
「青造に兵役は無理でございます。ですが先ほど筝を弾いていたように、ここで音楽を奏で人心を安んじることはできまする。生まれてこの方それのみをしてきた者にございます。神国日本の伝統を継承し和の心を次世代に手渡すのも大切な使命かと。どうかご公儀にはそのようにお届け願えませんでしょうか? あのように足も不自由でございます、京都まで赴くのも不可能かと……」
その間青山さまはといえば、四つん這いのまま両手を前に揃えて伸びをしたかと思うと、まるで猫が寝床を確かめるかのようにその場をぐるぐる。
そして両手両足を横に揃えてこてんと側臥し目を瞑ったのです。
猫じゃない、私はトラか豹だと感じていたのでした。
青山さまのありさまに3人の役人は目を瞠っていたのですが、我に返って打ち合わせします。
「丁種か?」
「精神異常に関しては専門家の診断が要る。佯狂ということもあり得るからな」
「戊種にしときますわ、翌年再検査。今無理に引っ張っても使いもんにならん。足腰さえ立てば来年気張ってもらうっちゅうこって」
「無難だな」
そんなこんなで青山さまは、何とか戦時中もお社に残られたのでした。
次期当代になって教団を率いてもらわなければならない、青山さまほど神官として秀でた者はいないとの一族の思惑があったようでございますが、私は純粋に当代さまが息子を助けたかったのだと思っております。青山さまのお兄さま、長男の白泉さまは結核で先が長くないと皆覚悟しておりましたので。
兵役回避については、大学の理系へ行けばいい、家督を継ぐ長男ならいい、右手人差し指を切断すれば大丈夫、などといろいろ云われたようでございますが、最後のほうはお国ももう時間がなかったのでしょう、使えそうにない者を追いかけるより、一手に若者を集められる学徒出陣のほうに力を入れたように思えます。それはそれで大変哀しいことでありますが。
翌年はもう東京大空襲、首都圏は大混乱でございます。私共は分社のある田舎に散り散りに縁故疎開し、生き延びることができたのでした。
illustrated by 黒鯛さま
徴兵検査
甲種 身体頑強
乙種 健康
丙種 入隊に問題はあるが国内で兵役
戦争末期は入隊もあった
丁種 視覚聴覚精神異常その他不合格
戊種 病中病後で判断不能、翌年再検査





