とある神社の昭和19年
狂った時代でございました。物心つく頃から神社の巫女を務めましたがあの数年だけは別物だったように思います。
傘寿を過ぎた私のような老婆の語りを聞いてくださる方がいるのかどうでしょうか……。
真珠湾攻撃から優勢に始まったと思われた太平洋戦争は一向に終わる様子もなく、新聞報道とは裏腹に生活は苦しく、人々の気持ちは殺伐としていきました。
ただ、神社というものは何かしら治外法権のようなものが働くのか、日頃から人々の心の拠り所になっていたためか、神官長慶家を中心に親族一同、東京都内のゆったりとした境内でサツマイモや野菜を作り、つましいながら思いのほか楽に暮らせていたのです。
金属供出が叫ばれ、箪笥の取っ手や窓格子、鍋釜たらいなども持っていかれましたが、お寺と違って梵鐘や銅製のご本尊があるわけでもありません。お宮は総木造り、釘一つ使っていないのですから。
そんな中、春浅い3月、神主の青山さまが19歳の若さでご結婚されました。氏子も信者も、許嫁であり婚約期間も長かったおふたりがどれ程仲良しか知っていましたから、こっそりとではありますが、お社の中で存分な華燭の典が行われたのでした。
スラリと背の高い美丈夫、その日ばかりは涼しい切れ長の目も優しく下がり気味な神主さまと、従姉の静香ねえさん。新郎は紋付袴、新婦は白無垢、私の伯父の呉服屋が入手できる最高のものを誂えさせていただいたのです。13歳の私にとって、それはもう眩しいばかりのおふたりでした。
私共は音楽の神さまを祀る神社ですから、皆が集まれば得意な楽器を持ち寄って合奏にもなります。ギターやピアノならお咎めを受けたのかもしれませんが、雅楽器が専門でございますから、大和魂だと大目に見ていただけたのでしょう。
驚いたのはその直後です。
青山さまのお父上、教団トップである当代さまが京都本社に戻るや否や、信じられない御布令を出したのです。
「婚前交渉の事実が認められたため、神官青山は東京洗足社本殿に蟄居し浄心に勤めよ。外出不可。拝殿に出ることも余儀なき場合のみ。食は日に雑穀一膳。当該の者、日毎に一式、教典の筆写をすること。また、先祖から伝わる長秋雅楽曲全てを、我らが継承する雅楽器七種、琵琶、筝、龍笛、篠笛、太鼓、鼓、笙をもって自在に奏でられるまで習得すること」
その頃、当代さまは家長の上の決定権をお持ちでした。氏子全員、絶対服従です。
新婚のおふたりは社殿と石段下の母屋に引き裂かれてしまいました。
長慶静香になったばかりの従姉さんは初の懐妊だというのに旦那様は社の中。私は固く閉ざされた本殿の木戸に呼び掛ける従姉をずうっと見ていたのでした。
次に承った当代さまの御布令には耳を疑いました。気が違ってしまわれたと皆が云い募ります。難しいことはわからない小娘だった私にも、何か重大な違和感というものが感じられました。
「今後当神社では万世一系のすめらみことを崇め奉り、長秋さまを次席とする」
うちの神社の名前は長秋神社です。ずうっとお祀りしてきた大切なお方、長秋さまより大事な「すめらみこと」さまという方がおられるということ。私は青山さまの前に神主をしていた父に疑問をぶつけました。
「皇居におられる現人神さまだよ。元を辿れば長秋さまも同じ家族。許してくれるさ」
そう云いながら父の顔に苦渋が浮かぶのを見てしまい、私は何故か泣き出してしまって。
「琴美、いいんだよ。長秋さまは天皇さまにはなりたくなかったんだ。音楽にのめり込んでいたからね。叔父さんが跡を継いでくれてほっとしていたと思うよ?」
しゃくりあげる私に父は言葉を続けました。
「長秋さまのお祖父さんは天皇さまだ。お父さんは親王。お父さんも天皇になりたがっていたようではない。若くて死んでしまったしね」
父は私の頭を撫でながら、仕方のないヤツという顔で笑います。
「静香は16歳でもうお嫁さんになったというのに、琴美はいつまでも子供だな」
「まだ13だもん」と云いたい気持ちでふくれていたのですが、神さまのお父さんが若くて死んだ、目の前にいる自分のお父さんも死んだらどうしよう、そんなところから方向違いの質問が心に浮かびそのまま口にしてしまいました。
「当代さまは青山さまが嫌いなの? お父さんなのに」
「おや、わかってないんだね。全て青山さまが大好きだからしていることだよ」
その疑問が解けたのは5月になってからでした。