会戦の発端
平成から令和にかけて連載する短編小説になります。一般に公開するものとしては人生初の小説になりますが、どうぞよろしくお願いします。
トゥルパ――限られた才能を持つ者だけが生み出すことの出来る、霊的な生命体。彼らの存在が注目を集めたのは、契約者に強力で多彩な魔法の力を与えるためである。そしてその存在は、やがて大陸を巻き込む騒乱を引き起こしていくのであった――
――ランガル暦737年8月10日――
『おはよう、マリウス。外は良い天気よ』
ぼんやりとしたまどろみの中で、銀髪の少女が顔を覗かせている。現実にありながら、どことなく幻を思わせるその透き通った姿に、体全体から発せられる薄明るくも美しいオーラ。そう、彼女がマリウスのパートナー、シルウァだ。
「おはよう。ふぁああ、よく眠れた――」
窓から見える青空を横目に見ながら彼は起き上がる。窓の外には朝日に照らされた家々が地平線の向こうまで広がり、左手には一際輝く城の尖塔が優雅な情景を醸し出している。だが、マリウス達の、そしてこの国の現状は決して明るいものではない。
「昨日の撤退戦でノルデン辺境伯領は殆ど敵の手中に落ちたそうよ。このままエレツの猛攻撃が続けばここも危ないわね」
「そうだな。平和な時代が長続きしないことは分かっていたけれど……」
アレニシア帝国は今まさに危機を迎えていた。ここは帝国魔導アカデミーの寮の一室。マリウスもまた帝国第四特殊魔導部隊の隊長として、これから起こる戦いへと出征していくのだ。
何故このような事態へと至ったのか?
事の発端とされているのは、この国、アレニシア帝国の貿易船が、エレツ帝国の軍船に追突され沈没した「奇妙な」事件だ。つい一か月ほど前に起きたので、マリウス達の記憶にも新しい。だが、それはあくまで最後の引き金となったに過ぎない。この戦役の兆候は、三年前の大凶作のときには既に見られていた。当時、アレニシア帝国よりも西方に位置する火山島の大噴火があり、夏に何週間も空が灰色に淀み、一時はこの世の終わりとも言われたほどであった。大陸中の作物は不作になり、アレニシアでも多くの犠牲者を出したが、特に過酷な状況に置かれたと言われているのがエレツの民だ。アレニシア帝国よりも北方に位置するエレツ帝国は、元々耕作に不向きな土地も多かったためにその被害は甚大で、領主らが数少ない食糧を徴発したことも合わさってまさに地獄の惨状だったと言われている。その結果、アレニシア帝国をはじめ多くの周辺国に大量の農民が逃亡し、エレツ帝国と周辺各国の関係は悪化していった。ここ帝都アレフィスにも逃亡者が住み着き、数々の問題を起こしていた。
そして、あれからまだ三年というこの時期に前代未聞の怪奇事件が、今から一カ月前に起きてしまったことで、両帝国の開戦は決定的なものとなった。
事件の経緯はこうだ。当時交易都市ヴェーリンデンに向かい沖を航行していたアレニシア帝国の貿易船は、突如前方から猛スピードで向かってくる軍船を発見した。貿易船は咄嗟に大きく左へ舵を切り、これを回避しようとしたが、なんと軍船はまるで獰猛な魔物のように貿易船の方へ向きを変え、執拗に追ってきたのである。貿易船の乗組員はあまりの恐怖になす術もなく、エレツの軍船はそのまま貿易船に激突した。船首がミスリルで強化されたエレツの軍船に対し、アレニシアの貿易船は一般的な木造の帆船。当然のことながら貿易船は一方的に近い形で大破し、多くの乗組員と共に海の底へ沈んでいった。
アレニシア側のわずかな生存者により発覚したこの事件は、当初は謎に包まれていた。なにせ、軍船の乗組員はそのほとんどが無事生還したものの、全員が記憶を失っており、当時の状況を覚えている者はエレツ側には誰一人として存在しないという異常事態であったからだ。さらに、軍船の中には当時複数の魔導士が乗船していたというが、その全員が未だ発見されず行方不明のままであるという。本来なら比較的安全な船室内に居て、全員が亡くなることはあり得ないというのに……
事件後すぐに両国の外交官により会談が行われたが、最後は両国の決裂となってしまった。エレツとしては事件の原因が分からない以上、易々と謝罪や賠償に踏み切る訳にもいかず、「不幸な事故」であったとひたすら強調する他にない。一方アレニシアはこれを重要な外交問題と考えていた。例え人間の直接的な意思によるものか疑わしいとしても、一国の軍船が他国の貿易船に「意図的に」追突し沈没させたことは、外交的には重大な敵対行為と同義であるとアレニシアは考えたのである。以前より強硬的な外交姿勢や、時には民衆の弾圧をも行い、農民の逃亡者まで出す専制的なエレツ帝国に、アレニシアは不信感を募らせていた。ましてこのような大事件を引き起こしたとあれば、エレツの信用は地に落ちたと言ってよい。
アレニシア帝国は会談の中でエレツ帝国に対し衝突事件の謝罪及び賠償を要求したが、エレツ帝国は「偶然に起きた事故」であるとし要求を拒絶、後戻りできないほど関係が悪化した両国は、数日後にエレツ帝国が宣戦布告したことにより遂に戦争状態となったのだ。
「お、マリウス隊長!調子はどうっすか?」
彼が支度を済ませて部屋を出ると、マリウスよりも2歳年下で15歳の後輩、ラウネが声をかけてきた。彼女もまたトゥルパを使役する魔導士で、こちらは男性のトゥルパをパートナーにしている。マリウスの部隊には他にも数組の魔導士が所属しており、大半はマリウスと同じ十代の少年少女たちである。
「ああ、久しぶりにぐっすり眠れたよ。」
「それは良かったっすねー。このところ隊長忙しそうにしてたから心配だったすよー」
「あっ! 隊長! おはようございます!」
「おはようございます!隊長!」
続いて残りの部隊メンバー、リーゼとティアルトもそれぞれ部屋から出てきたようだ。
マリウス達は合流してそのまま食堂へと向かう。
「お、今日は朝からビーフシチューっすねー!これは元気が出そうっすよ!」
「ラウネはほんと食べることに目がないわね。」
「勿論っすよー!!人間はシルウァ達トゥルパと違って食事が生き甲斐なんすから」
当然とばかりにラウネは主張する。
「そうなの?」
「まあラウネ程じゃないが大抵みんなそうなんじゃないか?」
マリウスは少し困惑しながらそう答える。
「どちらにせよ、戦場では満足な食事にありつけるか分かりませんわ。今のうちにしっかり食べておきませんと。」
「そうだな。」
彼らは他愛のない会話を交わしながらも、心の中ではこれから赴く戦場に対する不安でいっぱいだった。
マリウス達は朝食を済ませた後、出征する兵士が集まる広場へと向かった。今回の戦いでは、先日のノルデン辺境伯領からの撤退戦を挽回するため、帝国の精鋭部隊や周辺領主の兵を集結した、これまでにない大規模な軍勢となっている。とはいえ、陸軍強国のエレツ帝国の行軍規模はそれをさらに上回っており、兵士たちの間では、既にこの戦いに希望を失う者も少なくない。
『おいおい大丈夫か?この士気の低さでは戦う前から敗北が決まっているようなものだぞ』
気の抜けた兵士らの姿を見ながらマリウスは頭の中で呟く。
『エレツ帝国とは今の段階でもかなりの戦力差がついているから、こうなるのも無理はないのよね。もうこうなったら、私達トゥルパと魔導士の力で何とか挽回する他ないと思うわ』
シルウァの言う通り、エレツ帝国の強みは非常に練度の高い歩兵と、エレツ北部の鉱山で豊富に産出されるミスリルで大幅に防御力が強化されながらも、同時に高度な機動力を持つ重装騎士団にある。だが一方で、トゥルパをはじめとする特殊魔法の扱いには長けておらず、その点では古くから魔導研究を行ってきたアレニシア帝国に軍配が上がる。
そう、まさにマリウス達が戦場の行方を左右する重要な役割となるのは必然とも言えた。ただ、トゥルパ魔導部隊は今まであまり実戦で運用された実績がなく、一般の兵士たちの不安を呼ぶのもまた仕方ないことではあるのだが……
『となると俺達は責任重大……か。まあここはひとつ腹をくくりますかね』
マリウスは頭では理解しつつも、重くのしかかる責任には未だ困惑しているようだ。
ちなみに今の彼らの会話は発声によるやり取りではなく、トゥルパに特有のテレパシー魔法である。基本的にはトゥルパとそのマスターのコミュニケーションに用いられるが、アレニシア帝国では高度な魔導技術を用いることにより、部隊内でのグループ会話として用いることも可能になっている。混乱を極める戦場ではこうした意思疎通の手段がとても重宝されており、各国が魔導士を重要視している理由の一つともなっている。
そうこうしているうちに、広場の壇上に将軍が登り、一瞬で静まり返った兵士たちを見降ろして演説を始めた。
「諸君!エレツの軍勢は既に我が帝都の眼下に迫っている。このまま敵の侵略をほしいままにしてよいのか!否!奴等は痛ましい事故を起こしながらも、それを省みず我々に戦いを仕掛けてきたのだ!!この国の未来は諸君らに託されている!いざ武器を取って出陣するぞ!」
「おーーーーッ……」
兵士たちのあまり覇気のない様子に不安を覚えながらも、一行は東のノルデン辺境伯領へと出征していくのであった。
大勢の民衆に見送られながら帝都を後にし、マリウス達は行軍の隊列と共に専用の馬車に乗ってひたすら東へと移動していた。彼らはトゥルパ魔法の「飛行」が使えるのだが、行軍の足並みをそろえるため、そして魔力の消費を抑えるために今は馬車で移動中だ。
「馬車からの眺めはいいっすねー」
「風が気持ちいいですね」
ラウネ達は楽しそうに外を眺めている。
「ラウネ達はどうしてそんなに気楽なんだよ~~?」
それに対しラウネのトゥルパ、アレクシスが口を開く。彼は馬車に酔いやすく苦手なようだ。
「トゥルパも乗り物酔いするんですね」
「そうね。人間とは違う体を持っていても、同じ世界に存在している限り影響を受けると思うわ。私はあまり酔わないけど、トゥルパにも体質のようなものがあるのよ」
「へぇ~、なるほど」
「みんな納得してるけど酷いよ~~」
「ええと、それは我慢するしかないと思うの……」
シルウァが残念そうに呟く。
「そんなぁ……」
アレクシスは開戦前から試練と向き合っているようだ。
「それより、今回の作戦はまだ伝えられていないけど、どんな作戦になるのかしら?」
「それは直前の敵の状況次第だろうね。といっても大体の予想はつくけど」
「そうなの?」
「ああ、敵は恐らく俺達と違って飛行魔法が使える魔導士が居ない。というかそもそも飛行魔法自体が知られていない可能性すらある。そこで俺達は誰にも邪魔されることなく敵の本隊へと奇襲攻撃が出来ると言う訳だ。」
これはアレニシア帝国が大陸で最も魔導研究が進んでいることに由来する。いくら最強を誇るエレツの陸軍であっても、空からの奇襲攻撃には無防備なのだ。
明くる11日、この日は久しぶりの雨だった。マリウス達はさらに東へと移動を続けながら、上官である将軍により現状報告を受けた。どうやら、エレツ帝国に非協力的な態度を見せていた、ノルデン辺境伯領の南東に位置するグラヴィ―ナ公国が、今次戦役へのアレニシア側での参戦を決定したらしい。つまり、じきにグラヴィ―ナ公国からの援軍がやってくるということである。エレツ帝国との戦力差に悩むアレニシア帝国としてはまたとない好機だ。
その後、マリウス含むアレニシア帝国の軍勢は、13日の昼にはノルデン辺境伯の一つ手前の村まで行軍し、そこでグラヴィ―ナ公国の援軍およそ一万四千と合流した。これでアレニシア陣営は合わせて十万弱にまで膨れ上がった。しかし、対するエレツ陣営は少なく見積もっても十二万は超えると偵察隊から伝えられており、アレニシア以上に精鋭の多いと言われているエレツの軍には及ばない数だ。やはり予断を許さない状況である。そんな状況に抗うかのうように、あるいは単純に他にやることが無いのか、馬車の中では相変わらず愉快な談笑が続いていた。
「ねえマリウス、この戦争が終わったらこの前寮の近くに新しく出来たお菓子屋さんに行ってみない?」
「シルウァ、そういうのは古の言い伝えで、口にすると生きて戻ってこれないというのがあってだな……」
「マリウスったらまたそういうこと言って……」
「そうっすよ?アタシたちは本当かどうか分からない迷信よりも、確実な未来を信じるしかないっすから」
「ははは……それもそうだな」
マリウスは苦笑した。その方が案外気を背負わずこれからの戦いに向かっていけるのかもしれない。
夕方になって、ようやくノルデン辺境伯領に入った。報告によると、この付近にエレツ帝国の大軍が控えているとのことで、明日会戦が行われるらしい。マリウス達は馬車を降り、夕陽に淡く染まった草原を眺めた。
「ここが戦場になるのよね。こんなにきれいな場所なのに……」
「そうだな」
明日の会戦に備えて、軍は草原にテントを張り、着々と準備を進めていた。マリウス達第四特殊魔導部隊は、魔導士長とのミーティングのため魔導部隊本部のテントに召集されていた。テントに着くと、三十代後半くらいのすらっとした体型の男性が待っていた。彼がマリウス達の上官にあたる魔導士長だ。
「魔導士長。こんばんは!」
「こんばんは、全員集まったようだね」
「さて、今回の君たちの作戦について説明しようか。まず、第四特殊魔導部隊は、基本的にエレツ帝国軍の本隊への奇襲攻撃を担当してもらいたい。第一から第三まではこちら側の指令系統の防衛維持と両翼の攪乱にあたってもうらからね。ただ、これから行うのは「奇襲攻撃」だ。君たちが使う飛行魔法は、敵に対して大きなアドバンテージとなるが、気を付けないと逆に敵の注目を集める危険がある。そこで、出来るだけ敵の右翼部隊から北西へ離れたあたりを回り込んで移動してほしい」
「具体的にはどのくらいでしょうか?」
「おおよそ1キロメートルだね。それだけ離れていれば、人間の目で確認することはまず不可能だろう。この会戦は帝国の命運がかかっている。そのくらい念には念を入れるべきだろうね。」
「そうですね。了解しました!」
「ああ、頑張ってくれよ」
マリウス達は自分たちのテントに戻り、長い旅の疲れからかすぐに眠りについた。