#023「和洋折衷」
@地井家
地井母「そうね。お父さんの味に近いけど、どこか違うわね」
ソラ「レシピカードの記載通りに作っているのに、どうしてシックリ来ないんだろう。お婆ちゃんも、何か忘れてる気がするって言ってたし」
地井祖母、鍋を持って入室。
地井祖母「ソラさん、ソラさん。思い出しましたよ。いやぁね。歳を取りたくないものだわ。この前も、お二階に行っては、何をしに上がったのか忘れてしまってね」
地井母「お母さんったら。忘れる前に、その手に持っている鍋について教えてちょうだい」
ソラ「両手鍋だね。素材は銅、かな?」
地井祖母「大当たり。お爺ちゃんは、いつもチョコレートを湯煎するとき、鉄のお鍋ではなくて、必ず銅のお鍋を使ってしてたのよ。でも、あの人が亡くなって作る人が居なくなったから、錆が浮いた古い銅鍋は捨ててしまっていたの」
地井母「そういえば、小学生くらいのときだったかしら。銅は熱の通りがどうとか、イオンが反応してこうとか、細かい内容は忘れたけど、色々言われた覚えがあるわ」
ソラ「そうか。テンパリングの鍋が違ったのか。よぉし」
地井母「ソラ。今から作り直すつもりなの? 今日、学校で貧血になったところでしょうに」
地井祖母「明日になさいよ、ソラさん。しまいには、お爺さんの二の舞になりますよ」
ソラ「心配いらないから。鉄は、熱いうちに打たなきゃ」
*
アイ「地井くんの家が、喫茶店を経営してるとは」
チャコ「わたしも、比較的この近くに住んでるんですけど、こんなお店があるとは知りませんでした」
レモン「町外れに、ひっそり森閑と佇む、知る人ぞ知る隠れた名店」
シオリ「フフッ。そんなキャッチコピーが付きそうですね」
地井祖母「一見さんが少なくて、常連が大半で、刺激は少ないけど、安定感の抜群のお店よ。まぁ、若い女の子は珍しいわね。――はい、お冷とメニューをどうぞ」
レモン「ありがとうございます。――ほんとの珈琲、アールグレエ、カフェラッテー」
シオリ「アラモード・プディング、ベリー・パッフェー、ガットー・ショコラ」
アイ「野郎共を誘わなくて、正解だったな。――サンドヰッチ、ライスカレー、オムレット・デミソース」
チャコ「時代を感じるメニューですね」
地井祖母「右からしか書けなくてね。ここは、大正時代に開業したお店なのよ。あのラジオも、開店当時から鎮座してるものなの」
レモン「あぁ。あれ、ラジオなのね」
シオリ「蓄音機みたいな形ですね」
アイ「ターンテーブルが無いけどな。――ホールは、四方から間接照明で天井を照らしてて」
チャコ「カウンターは、ランプを模した電球が吊り下がってますね。光が柔らかで、キラキラしてます」
地井祖母「電気が来る前は、本物の石油ランプだったの。その頃は、まだまだ若くて、このお店の看板娘で、あの人も元気で」
ソラ「この店は、僕が守るから。安心してよ、お婆ちゃん。――この店は、祖父の形見みたいなものでね」
地井祖母「ありがとうよ、ソラさん。――きっと、前妻や昔の常連とお楽しみなんでしょう。なかなか迎えに来やしない」
ソラ「お婆ちゃん。四人は、僕が相手するから。日向の安楽椅子にでも座って休んでて。――どうも、お見苦しいところを」
レモン「全然、気にしなくて良いわ。それより、詩織ちゃん。ソラくんに言っておきたいことがあるんでしょう?」
シオリ「あの、先輩。この前は、ごめんなさい。わたしのせいで、その」
ソラ「苦竹さんのせいじゃないよ。あのときは僕が、あれこれ安請け合いしすぎたせいだから」
シオリ「でも」
アイ「本人が良いって言ってるんだ。この話は、これで終わりにしときな」
チャコ「気に病むことないわよ、詩織ちゃん」
シオリ「それなら、良いんですけど」
レモン「ねぇ、ソラくん。いや、ホルターネックのベストに、ギャルソンエプロンの店員さん。さっきから手に持ってる、それは何なの?」
ソラ「最近、やっと祖父の味を再現できたので、食べてもらおうと思って。こちら、当店自慢のガットー・ショコラでございます」
*
♪仏壇のお鈴の音
地井祖母「このあいだまで乳呑み児だと思ってたソラさんも、もうすっかり立派になっちゃって。ガットー・ショコラまで、あなたと同じように焼けるようになりましたよ」
地井祖父『フム。芭蕉の弟子に肖って名付けた初孫も、もう、そんなに成長したのか』
地井祖母「考えてみれば、もう十五年になるんですものね。歳を取るはずだわ。いつ旅立ってもおかしくないんですからね。七十三だったかしら、四だったかしら。今年は、昭和で言うと何年だったかしら?」
地井祖父『七十三だ。縁起でもないことを言うもんじゃありません。こちらに来るには、まだ早い』
地井祖母「心細いことばかり言ってると、向こうで大正生まれのお母さんに叱られちゃうわね。まぁ、喫茶とまりぎの看板を畳む日は、まだ当分、先のことになりそうだわ。それじゃあ、また明日」
※この章で登場したシオリ(苦竹詩織)は、アスカ(黛アスカ)と同じく『昼下がりの部室から』で登場した放送部員です。




