じーさんは七代目
「じーさん!」
ガラッ──と勢いよく病室のドアを開けると、倒れた筈の『おやっさん』もとい、祖父がベッドの上でヒョイと手を上げて見せた。
「おお、奈央~! すまんのぉ、わざわざ」
「…………倒れたって聞いたんだけど?」
倒れたにしては元気過ぎる祖父の姿に、脇に控えていた銀縁メガネの黒服の男にどういうことなのかと視線を移すと、彼は「すんません」と丁寧に頭を下げた。
「心配いらんよ。ただ風呂場で転んで足を捻っちまっただけじゃ。それなのに、黒瀬のヤツが大袈裟に病院まで運びおって、全く!」
要は、ちょっと酒を飲み過ぎて風呂場で転倒し倒れていた所を銀縁メガネ……じゃなかった黒瀬が見付けて病院に運んだものの、倒れていたのではなくただ酔っ払って寝こけていただけで、怪我も足首を軽く捻挫したのみでどこにも異常はない、ということらしい。
「はぁ……お酒もほどほどにしなよ。もうじーさんもいいトシなんだから」
憎まれ口を聞きつつも、ホッと肩の力を抜く。
幼い頃に父母を亡くした私を育ててくれた祖父に、少しでも長生きして欲しいと思うのは当然だ。
「それよりも、奈央!」
「な、何?」
「あれほどワシのことは『じぃじ』と呼べと言うとるじゃろうが!」
「…………」
「『おじぃちゃん』でも良いぞ? 可愛くな♪」
ホレホレ、と期待を込めた笑顔を向けられ、
「…………帰る」
スタスタと踵を返して、ドアに向かう。
「待て待て待てぃっ! 久し振りに会ったじーちゃんに、冷たいのぉ奈央は……」
ヨヨヨ……と泣き崩れる真似をするじーさんに、振り返った私は絶対零度の視線を向ける。
「…………」
「…………」
「…………」
三者三様の溜め息が、静かな病室内に零れた。
「……黒瀬ぇ~」
「はい」
「ワシ、孫に殺られるかも知れん」
「自業自得かと」
何を隠そう、このすっとぼけたじーさんこそが、関東で『最期の任侠』と詠われ極道の世界で一目置かれる、藤堂組七代目組長・藤堂吉之介、その人なのだから、世の中というものは本当に分からない。
「はぁぁぁぁ……」
祖父の茶番劇を横目に、この日一番の溜め息を吐く。
しかし、この時既に祖父の命の灯火が消えかかっていることなど、私は知る由もなかったのだった……。
***
それから一ヶ月程経った、週末の夕刻。
仕事から帰った私は再び鳴った実家からのスマホへの着信に、
「……あのさ。急ぎでないなら、家電に掛けて欲しいんだけど」
と機嫌の悪さを隠さずに出ると、黒瀬は淡々としてこう言った。
「すんません、お嬢。至急重要な話がありますので、申し訳ありませんが組事務所の方に顔出して下さいませんか?」
「事務所の方? 本家でなくて?」
「はい」
藤堂組は、私の実家である本家以外にも組事務所を構えていて、若頭である黒瀬がそこで組の仕事の総てを仕切っている。
つまり、話があるのは組長であるじーさんではなく、黒瀬の方だということだ。
しかも、組長の孫である私を呼びつけるのだから、話の内容はかなり重要度が高いといえる。
何故ならセキュリティーの面を考慮すると、私の住むごく普通のマンションより組事務所の方が安全かつ安心だからだ。
「分かった。今から行く」
「いえ。信次をお迎えに上がらせます」
「……あんたねぇ。ウチの前の道路に、あのデカい車が通れると思う?」
しかも黒塗りのロールスロイスなんか横付けされた日には、ご近所であらぬ噂が立ってしまう。
一応、ただの養護教諭という触れ込みで住んでいるのだ。余計な噂の元になるのは御免だ。
「……入れませんか?」
「バカにしてる?」
「まさか」
子供の頃から私の教育係として色々頼りにしてきた黒瀬だが、この人を喰ったような態度には、いつまで経っても腹が立つ。
「とにかく、迎えはいいから。この時間だと単車で行った方が早いし」
「承知しました。では、お待ちしておりますので」
「ハイハイ」
憮然として通話を終わらせた私は、ライダースジャケットを羽織るとバイクのキーを手に家を出たのだった。