実家からの電話
その日はとても忙しい日だった。
桜もあっという間に散ってしまい、暫く続いた雨も漸く上がって天気は快晴。
こんな日は保健室のベッドで昼寝でもしてサボっていたかったのに、何故か朝から怪我人が続出し保健室内だけでなく校舎のあちこちを行ったり来たり。
体力はある方だが、この無駄に敷地面積が広い清風高校の校舎や校庭を行ったりきたりするのは、流石に疲れる。
しかも、生徒だけでなく教師の一人が授業中に倒れて救急搬送される事態も発生し……。
まぁ幸いその教師は過労による貧血だったので、大事には至らず2、3日の入院で済むらしく、やっと肩の力が抜けた時には、既に放課後だった。
「はぁぁ……」
そして漸く報告書の作成やら何やらを終えた頃には、窓の外は暗くなっていて。
静けさを取り戻した保健室のベッドに仰向けに寝転がると、グーッとお腹が鳴った。
「ハハ! でかい腹の虫だねぇ~」
「ッ!? ……あ。保科先生」
突然声を掛けられガバッと飛び起きると、私の二つ先輩で現国担当の保科先生が、咥え煙草で保健室の戸口に立っていた。
「昼飯、食ってないの、藤堂先生?」
「……ええまぁ。てか、ここ禁煙なんですが」
正確に言うと校内全てが禁煙なのだが、そこは敢えて突っ込まずにおいた。
私自身、たまにこっそり吸っているので、あまり威張れたものではないからだ。
「まぁまぁ。部活の奴らも帰ったし、堅いこと言わないで~。ホラ、携帯灰皿も持ってるし、ね?」
保科先生はジャケットの内ポケットから携帯灰皿を取り出しクルクルと器用に指の間で回しながら、私にウインクを寄越す。
「はぁ……。それで、何か用でしたか?」
チャラい雰囲気だけど、どこか掴み所のない保科先生が実は苦手な私は、さっさと用件を終わらせようと本題を促す。
「ん? えっと……なんだっけ?」
「…………」
ゆるゆると首を傾げる姿に、頬が引きつる。
「や、やだなぁ…そんな怖い顔しないでよ。折角の美人が台無しだよ~?」
「もともとこういう顔ですし美人でもないので、余計なこと言わずにさっさと用件を思い出して下さい」
思わず殴りたくなってしまうが、そこはグッと堪え、ジトッと睨むだけに留めた。
「アハハハハハ。そ、そうだっけ? ……あ、そうそう! 明日の職員会議、藤堂先生も出席して下さいって教頭が!」
「……分かりました」
何だか余計に疲れてしまった私は、早々に帰り支度をして、校舎を出たのだった。
***
「……ぷはっ」
帰宅途中にある食堂で夕飯を済ませ、自宅マンションに帰るとシャワーを浴び、ソファに座ると冷えたビールをゴクゴクと飲み干す。
ワンルームのごく普通の賃貸マンションには、ソファとローテーブル、冷蔵庫、テレビにベッドと、必要最低限のものしか置いていない。
ごちゃごちゃした部屋は嫌いなのだ。
友人曰わく『男の部屋みたい! 女子力の欠片もない!』だそうだが、黒髪ショートヘアに170cmの高身長&細身という、可愛いとは程遠い外見の私の部屋が、女性らしい可愛い部屋だったら不気味この上ないと思うので、これで良いと思ってる。
そもそも昔から男ばかりに囲まれて育ったせいか、そういうものに全く興味がない。
服装だって、いつも白のシャツにジーンズという、シンプルかつ機能重視で、スカートなんて高校の制服以来、履いたことがない。
因みに今も、Tシャツにショートパンツという、色気も何もない部屋着だ。
「そろそろ寝るか……」
その後ビールを2本空け、ふぁと欠伸をしながらテレビを消した時だった。
着信音が狭い部屋に響き渡り、暗闇に白く浮かび上がったスマホの画面を見ると、『実家』の二文字に眉を顰める。
余程のことがない限り、実家からの連絡は家電に掛かるからだ。
つまりこの電話は、『余程のこと』ということになる。
嫌な予感が頭を過ぎるが、一つ息を吐いて呼吸を整えると、スマホを持ち上げタップする。
「……はい。何かあった?」
電話の相手は、家族ではないが家族同様の男からだった。
『お嬢……おやっさんが……倒れやした』
「っ! ……病院、は?」
『湊総合病院です』
「分かった。直ぐ行く」
急いで着替えた私は、バイクのキーを取ってからビールを飲んでしまっていたことを思い出し、チッと舌打ちをしてからマンションを出て幹線道路まで走り、丁度降りる人がいて走り出そうとしたタクシーを何とか捕まえ乗り込んだ。
「湊総合病院まで。なるべく急いで下さい」
一万円札を数枚握らせ急ぐように頼むと、運転手は「かしこまりました」とだけ答え、車をスタートさせたのだった。