保健室の先生
「いだだだだっ! センセ、痛いって! 滲みる、滲みるからっ!」
「そうだろうね。ワザとだから」
「ワザとって……鬼かよっ!?」
「鬼で結構。文句言う位なら、喧嘩するな」
いつもの日常。
ここ、清風高校の保健室では、今日も生徒の喚き声が木霊していた。
清風高校──。
都内でも有名な私立校ではあるが、その有名さの理由は決して偏差値が高いからでも、スポーツが盛んだからでもない。
『清い風』という校名に全く相応しくない、兎に角素行が悪い──つまり不良が多いことで有名な学校だ。
そして私。藤堂奈央は、ここの卒業生にして養護教諭。所謂『保健室の先生』でもある。
「はい、終わったよ」
応急処置を終え、ペシッと最後に一番重傷の手首に巻いたテーピングの上から軽く叩くと、男子生徒はうぎゃあと飛び上がった 。
「セ、センセ……マジ極鬼っすね……」
「骨折してる訳じゃないのに、大袈裟」
「ひでぇ……」
「ってかどうせアホな理由で喧嘩したんでしょ。私の仕事を増やすな、ド阿呆」
「だ、だってよぉ……」
余程痛かったのか、微妙に涙目になりつつ唇を尖らせた男子生徒は、殴られて腫れている頬に充てた氷嚢を持ち直しつつ、ポツリポツリと話し出した。
「……はぁ。そりゃキレもするでしょうよ」
そして、やはりというかなんというか。
男子生徒の喧嘩の理由は、『彼女が作ったという手作り弁当が羨ましくて、ダチの好物である玉子焼きを黙って全部食ったら殴られ喧嘩になった』という、なんとも本当に……そう、本当にどうでも良いようなアホな理由だった。
まぁ、一応タイマン(一対一)勝負だったのが、せめてもの救いではある。
喧嘩はやっぱりタイマンでないと、喧嘩とは呼べない。
「で? アンタだって、悪かったと思ってんでしょ?」
「…………」
私に話すことで少し頭が冷えてきたのか、渋々ながらもコクリと小さく頷く男子生徒。
「じゃあ、しなくちゃならないことは一つしかないね」
「で、でもよぉ……」
そこそこガタイのいい、金髪&鼻ピアス男子高校生がウジウジする姿にイラっとして、思わず声を荒げる。
「大の男がつべこべ言わない! 悪いのはアンタなんだから、そのダチにも彼女にもさっさと詫びいれる!!」
「ッ! ……ウ、ウス」
ドンッと机を拳で殴りつつ放った私の一喝に、何故か机の方を凝視して怯えた顔をした男子生徒は、「ス、スンマセンっした~!」とガタガタと慌てて椅子から立ち上がると、脱兎の如く保健室から出て行った。
「あ、コラ! 謝るのは私にじゃないでしょうが!」
バタバタと遠ざかる足音に声を掛けるも既に遅く、私の声は虚しく保健室に響き渡る。
「はぁ……ったく。中学生か」
彼が落としていった氷嚢を拾い上げると、保健室の窓から入り込む風が頬を撫でた。
何とはなしに振り向くと、窓の向こうの校庭の外堀を埋めるように植えられた桜が散り始めていて、校門への道を桜色に染め上げていて。
掃除が大変そうだな、なんて女らしさの欠片もないことを考えつつ、ぬるくなったコーヒーを飲み干す。
我が母校でもある清風高校は、昔からあの彼のようなおバカなガキが多い学校で、見た目も強面が多いし、他校からは疎まれたり怖がられている。
けれど、根っからの悪ガキはいないし、たまに警察にご厄介になることもあるが本人達に非があることは少ないし、至って平和な高校だった。
因みに、高校時代の私は不良でもなんでもない、空手が黒帯で、売られた喧嘩以外は買わない、ごく普通(?)の女子高生だったのだけど。
実家が実家なので、この高校しか受け入れて貰えなかったため、大人しく(?)三年間を過ごし。
当時、空手の練習(決して喧嘩ではない)で怪我をすると良く来ていた保健室の先生に何故か勧められ(思うに自分の後継者が欲しかっただけ。ウチの高校で養護教諭や教師を確保するのが難しいから)、養護教諭の道を選び、今に至っている。
「──さて。あともう少し頑張りますか。……って、あ”」
うーん、と伸びをして机に座ると、先程一喝しながら殴った場所が1センチ程凹んでいるのに気付く。
どうやら、あの男子生徒が怯えていたのは、この凹んだ机を見たからだったらしい。
「……ま、また、弁償か……」
少ない給料から差し引かれる机の修理代を思い、私は深い深い溜め息を吐いたのだった。