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     †


『しかし海賊の船長は、クルーに一つ、忠告したのだ。

「いいか。この島には奴がいる。奴に会ったら気をつけろ」と。

 クルーは一様に声を上げだした。

「何がいるっていうんだよ」

 すると船長は声を潜め、こう言ったのだ。

「この島にはな、とても恐ろしい奴がいる。奴はギリュアという名を持つ妖精なんだがな、そいつは名前ばかりで姿はなく、いつもいつも人の心を盗み見ているのさ」

 ランプの火が、さっと揺れた。影を揺らすその光景に、誰もが息を呑む。

「人の心を読んだギリュアは、たちまちに姿を現してきやがる。その姿は何と、心を読み取られた奴の、もう一つの姿なんだ。別の人生を歩んでいた場合の、そいつの姿に化けてきやがる」

 それはそれは恐ろしい。どんな兵でも、その姿には卒倒するってんだ。

「だから気をつけな。奴に心を読み取られないようにな」

 そう言うと船長は、島の中へと歩んでいったのだ』

 海賊は多くの苦難を乗り越えていった。その中でもっともリヴィーをはらはらさせたのが、この『人のもう一つの人生に化ける妖精』の存在だった。

 いつもいつも、たとえこの先の展開が解っていようとも。リヴィーは話の続きに興奮したものだ。本を持つ手に汗を握り、吐く息も荒く次のページをめくっていく。幼い心での、最大級の冒険だったのだ。

 まだ船でどこかへ行くことはできない。けれどいつかは、海へと飛び立ちたい。

 そんな思いを馳せながら、この海賊に身を投じては本を読む。狭い世界で生きたリヴィーの、これが思えば始まりだったのかもしれない。

 海へ出よう。

 そう決意した、全ての。


 洞窟の中はまったくの闇というわけではなかった。苔だろうか、それとも何か宝石でもあるのだろうか。壁は所々月明かりのように、淡く蒼く光り輝いている。

 また右手には川でも通っているのだろう。その水面に光がキラキラと反射して、余計に明るみを増していた。

 ただそれでも暗いことには変わりない。輝く光は星のよう。まるで新月の真夜中にでも迷い込んだかのような、妙な感覚だった。どこかでぴちょんと、雫が落ちる。

「なあ、……妙だと思わねぇか」

 言いながらリヴィーは、水に湿った岩壁に手を這わせた。

 互い顔を見合わせたシフォーリルとグリスは、首を捻ると再度真正面を向く。

「何がですか?」

「んー、全部」

 答えになっているのか、いないのか。という言葉を口にしながら、リヴィーは水音を立てながらどんどん歩いていく。

「だって考えてもみろよ。俺達は昼前に、この島についた。そうだろう?」

 リヴィーの言葉に、二人は無言で頷いた。横目にそれを確認したリヴィーは、更に続ける。

「それから三人に船番を任せて、俺達だけで地形探りに出発した。ちょうど昼頃だ」

 そこで見つけたのが、シフォーリルの肩に乗っている、このギョギョ。太陽はその時、真上にまで昇っていた。そうリヴィーは記憶している。

「昼を少し過ぎた頃、俺達は獣道を見つけた。森に入って、小一時間してからのことだ」

 湿った空間。水音は絶え間なく響き、川のせせらぎは下流へとひたすらに走っていく。

 一度歩みを止めると、リヴィーは二人の方へと振り返った。

「問題はここからだ」

 そう言うとリヴィーは少し声のトーンを下げる。深刻そうな色は、そこ以外からもじわじわと溢れ出ていた。

「それからも俺達は歩き続けた。けれどいつまで経っても、この岩山に近づけなかったんだ。おかげで二人は揉めてしまう。そうしたら王女が、どこからともなく現れてきた」

 その時のことを、リヴィーは鮮明に覚えていた。今まで何もなかった獣道に、突如としてリアン王女が現れたのだ。それはまるで、疾風の如く。

「俺たちは王女を追った。やっぱり昼を少し過ぎた頃だ。けれど王女を追ってここまで来た時には――」

「既に日は暮れ、夜になっていた」

 グリスは呟き、思わずリヴィーの顔を凝視してしまった。

 何かがおかしい。けれど何がおかしい? 

 真意が解らないが故に、もどかしい思いに駆られた。しかしそれは、すぐに結論を出される。

「なあ。俺達ってばそんなに長い間、走っていたか?」

 二人を見つめ、紡ぎだしたリヴィーの言葉が、狭い洞窟内で反響した。思わずギョッとした二人は、目を見開いてリヴィーを見やる。壁に置いたリヴィーの手は、微かに震えていた。

「確かに俺達は王女を追いかけて走っていたさ。王女は足が速いからな。一度止まれば置いていかれるだろうと思って」

 と、岩肌を掴むリヴィーの手に、思わず力が篭る。その表情が見えずとも、一体何を抱いているのかは、大いに想像がついた。

 彼は今、困惑している。

「本当は気付くべきだったんだ。まんまと騙されたんだよ、俺達は。だって、どうしてこんな島に一国の王女が一人でいるんだよ。おかしいだろ。王宮から出ることなんて早々ない人が、どうしてこんなところで無傷のまま走っていられる」

 木霊していく悲痛な声。

「それに考えてもみろ。ドレスを着た少女が、あんなに速いわけがない。しかも俺達があんなに長い間、ずっとペースを落さずに走っていられるわけがないんだ」

 根本に戻り全てを考えてみる。すると太陽の高さから考えても、王女と会ってからその時間は、ゆうに六時間はあるだろう。まずそれだけの時間を少女が走っていられることが、おかしいのだ。そしてそれだけの間を全力で走っていた己たちもおかしい。

 それとも、だ。超常現象が起こり彼らの周りだけ、何か時間の方が気をおかしくしたとでも言うのだろうか。真相は知れない。けれどこれだけは確かな事実だった。『全てがありえないことだ』と。

 すると不意にゴンと、篭った鈍い音が洞窟内を駆けていく。リヴィーの振り上げた拳が、剥き出しの岩肌を叩いたのだ。

 気が狂う。そう思った己を引き止めるための、自傷行為だったのかもしれない。叩いた拳からは僅かに、赤い液体が滴っていた。

「リヴィーさ――」

「本当はありえないんだよ。何もかも……」

 グリスの言葉を遮るなり、リヴィーは岩肌で切った掌を憎々しそうに見つめた。まるでこんな物などいらなかったとでも言うかのように……。

 あまりの淀んだ空気に、グリスとシフォーリルは息を呑んだ。どんな時であろうといつも明るく振る舞い、誰にも弱音を吐かなかった。それがこの海賊団の船長だったのだ。

 こんなに取り乱したリヴィーなんて、彼らは一度として見たことがない。

 憎悪に歪んだリヴィーの表情が、この闇の中でさえはっきりと確認することができた。

「なぁ、お前ら」

 未だに輝きを増す、数多のエメラルドの光。

 それはちろちろと揺れる水面に反射し、三人の面影を揺らしていく。

 数歩離れて歩みを止めている二人に向けて、リヴィーは消え入るほど小さな声で呟いた。

「ごめんな」

 弱音にも似た謝辞がリヴィーの口を滑っては、隣に流るる水面へと落ちていく。

 俺の判断が甘かった。そしてこんなことに巻き込んでしまったことに、悲しみを感じる。

 けれど落ち込むのは、ここまでだ。

 心機一転。キッと眼前を見据えると、リヴィーは言葉なしにどこまでも続く闇を射止めた。

 これからだ。これからがこの物語たび本番はじまりだ。

 己の魂に言い聞かせるように、その一字一句をリヴィーは飲み込んだ。そして髪から指から――そして骨の髄に至るまで、余すことなくその決した意を浸透させてゆく。

 行ける。俺達なら紡げる。

 やるべきことをやってこそ、真の海賊だ。そして旅に困難はつきもの。

 さあ、何かを落すのはここまでにしよう。

 輝く光に映し出された鮮血を拭うと、リヴィーはその手を一つ払った。紅い雫が、暗い宙を舞っていく。

 ――だが無情に、もその時振り払ったのは苦い私情だけではなかったのだ。

「行くぞ」

 そう振り返ろうとした最中、突如として湧き上がったのは何かが水に落ちる音。

 首を廻らすとリヴィーの目の前には、それこそ色鮮やかに染め上げられた翠の水柱が輝きに満ちて立ち昇っているのだ。

 あまりの光景に、リヴィーは目を見張った。

 だが彼らが立ち竦んでいる間にも飛沫は顔を身体を濡らしてゆき、やがてはその背をみる間に小さくしてゆく。

 飛沫の上がる音は、尾を引きながら消えていくかのようだ。辺りはなんとも言えぬ静寂感に包み込まれる。

 何が、起こった?

 リヴィーの脳裏にその言葉がよぎった時は、既に水柱がその背を水面に帰した後だった。

 そしてその奥に見えたものとは……。

「グリスが――ッ!!」

 リヴィーは思わず、身体を捩った。

 グリスがいない!

 飛沫のその奥には、リヴィーとシフォーリルとを隔てていたグリスの姿がなかったのだ。

 ただ自らと同じ、驚きに染まったシフォーリルの顔だけが、リヴィーの目に映し出されている。

 冗談じゃない! こんなところで仲間を失ってたまるものか!

 ぐるっと振り返ったリヴィーは迷うことなく、自ら水面へと飛び込んでいった。

 しかし身体に纏ったのは、思っていた以上の水の冷たさ。そして追い討ちをかけるかのように、先ほど作った傷がリヴィーに激痛を与えてくるのだ。

 それこそその痛みといったら、全身が脈打ち締め付けられるかのように、痛くて苦しい。肺は諦めたとばかりに、息を吐こうとも……ましてや吸おうともしないのだ。ただ、傷が疼いている。

 そのあまりの拷問さに、リヴィーは思わず呻き声を上げた。意識が徐々に遠退いていくかのような気だるい感覚に一気に襲われる。

 目の前はボーっと虚ろになり、足にはまるで力が入らなかった。

 顔にかかる冷水の鋭さ。

 時を刻むごとに重くなる衣類は、鉄の鎧なのだろうか……。

「リヴィー!」

 しかしそんなリヴィーの意識を繋ぎ止めたのは、他でもない。地上にいるシフォーリルの声だった。

 深く、そして身に沁みるほどの冷たさを持った脅威に流される二人を、漆黒の髪を振り乱しながら、地上から必死になって追っている。

 キラキラと輝く翠の光が、時折宙を舞った。

「リヴィーッ!」

 再度反響する、シフォーリルの声色。リヴィーはハッとし、その気だるい足を動かした。靴は水を含んだためか、どんなものよりも重たく感じる。

「……ッは!」

 それでもやっとの思いで水面下から顔を出したリヴィーは、深く息を吸い込んだ。しかしその僅かな間にも、飛び交う水はリヴィーを苦しめ続けてくる。

 これを災いとでも言うのだろうか。顔を上げ息を吸い込んだ瞬間に、大量の水がリヴィー目掛けて襲ってきたのだ。

 その水を宣告もなく飲み込んでしまったリヴィーは思わずせ返り、水中での態勢を崩してしまう。身体はかくんと水面下に沈みかけた。視界は再び、ぼやける闇の世界へと飲み込まれる。

 すると眼前の、どれほどの場所であろうか。照らす翠の光の中、漂う一つの人影があったのだ。栗色の髪にノースリーブと七分丈のパンツ姿の少年――グリスだ。

 しめた!

 不幸中の幸いだとリヴィーは流れに身を委ねつつ、グリスを目指して泳いでいく。

 この闇の中では解りにくいのだが、相当の流れがこの川には働いているようだ。今までに体験したこともないほどの速度で水中を漂いながら、リヴィーはどんどんグリスの元へと迫っていく。

 しかし何ということだろう。その川の流れはリヴィーに更なる牙を剥いてきたのだ。

 リヴィーから眼帯が、奪われてしまう。

 ハッとし、リヴィーは思わず急な流れを振り返った。けれどそこには暗澹あんたんたる闇ばかりが広がっているばかりだ。気泡も何も、見えやしない。あるのは翠の明かりだけ。

 どうしよう……。

 戸惑いと焦りばかりが、次第にリヴィーの動きを鈍らせた。

 だがちょうどその時、視界の端に自らが追い抜いてしまおうとする人影があったのだ。そこで本来の目的を思い起こしたリヴィーは咄嗟に腕をさし伸ばし、追い抜きかけた人影をその腕に捕らえた。

 水面から顔を出したリヴィーは突き出た岩に掴まると、グリスをその肩に担ぎ直す。大量の水を飲み込んでしまったのだろう。グリスはリヴィーに身を預けながら、壮大に噎せ込んでいた。

「大丈夫か、二人とも!?」

 追いついたシフォーリルが、二人の姿を見つけるなり大きな声でそう尋ねてくる。

わりぃな。グリスを引き上げるの手伝えるか」

 リヴィーは髪から雫を滴らせ俯きながらそう言い返すと、「もうちょっと辛抱しろな」とグリスに言い聞かせた。

 段々と息も整い意識もはっきりしてきたグリスは、リヴィーの言葉に素直に頷く。それはまだ力は弱いものであったが、グリスに反応が反応を示してくれたことに、リヴィーは内心ホッと息をつく。どうしてかリヴィーのほうが救われた気分になったのだ。

 それからまた短い距離をリヴィーは泳ぎ、足のつく場所までくる。と、そこにいたシフォーリルにグリスの身体を預けた。

 自身も相当の無茶をしたリヴィーはのっそりと岸まで歩くとそのまま地べたに座りこんでしまう。

 だが……、本当にどうすれば良いというのだろうか。

 疲労以上にさいなんでくる、多大な不安感。俯いたままリヴィーは、両の手で顔面を覆い隠した。濡れる髪が、頬に指に絡みついてくる。そしてその指先は目に見えて解るほど、細かく震えていた。

 グリスを壁際まで運んでいったシフォーリルはそんな様子のリヴィーに気付くと、ギョギョをグリスの元に置き、足早に駆け寄ってくる。

「リヴィー。本当に大丈夫なのかよ」

「ああ、……そうだな」

 平気だ。そう続いた言の葉とは裏腹に、リヴィーの声はどこまでも弱々しい。今にも消え入りそうな声音に、シフォーリルの心配は一層色濃くなった。

「嘘言うなよ。――なあ、お前もこっちに来てゆっくり休めって。な?」

 そう言うと身をかがめ、そっとシフォーリルはリヴィーに腕を差し出す。――が、

「来るなッ!!」

 刹那、拒絶の言葉と共に、シフォーリルの腕は叩き落されてしまったのだ。

「……リヴィー?」

 あまりに突然のことで、シフォーリルはただ茫然とリヴィーの顔を見つめてくる。

 そのショックとも悲しみともつかない顔色を浮かべたシフォーリルを目にしたリヴィーは、途轍とてつもない罪悪感に駆られてしまった。自己嫌悪感。そればかりがリヴィーの心中で渦巻いている。

「悪い。けど頼む。……来ないでくれ」

 ちゃぷちゃぷという水音。

 立ち上がり、川の浅瀬へと入りながらもなお、リヴィーは「来ないでくれ」と後退っていってしまう。そのたびに翠の波紋は水面を走り、闇の中へと飲み込まれていった。後には何も、残らない。

 嫌な静けさが、三人を包み込んだ。その中でリヴィーの荒い呼気が、空気を振るわせる。どこかで水が、ぽちゃんと落ちた。

 だが悲劇はまたもや襲いかかってくる。今度はあろうことか、リヴィーがその足を滑らせてしまったのだ。後退るために引いた足が硬い石の上でおもいきり滑り、身体ががくっと後へ持っていかれてしまう。

 落ちる――。

 顔を覆っていたリヴィーの手は自然とそこから放れ、変わりに飛び込んできたシフォーリルがしかとその腕を掴み取ったのだ。

 どれだけ来るなと言われども、さすがに見て見ぬ振りをするのは忍び難かったのだろう。おかげでリヴィーは水中へと飛び込むことを免れる。しかし腕を掴まれたと同時、息をのむハッという音がリヴィーの鼓膜を震わせたのだ。リヴィーの胸に、言いようのない痛みが襲ってくる。

「まさか、……だよな」

 掠れるほど小さなシフォーリルの声が、洞窟内で反響した。――もう、手遅れだ。

 ぎゅっと硬く両の目を瞑ったリヴィーは、己の運命全てを呪った。いや、それとも眼帯を攫っていった川の流れだろうか。

 濡れそぼつ髪からは、未だに水が滴っていく。それはリヴィーの顔をも濡らしては、下方へ下方へと落ちていった。

 また一つ、頬を雫が伝っていく。

 締め付けられる心臓に畜生と呟くと、リヴィーは閉じていた両の目を開いたのだった。

 するとそこには――

「なんだよ、それ」

「騙すつもりはなかったんだ」

「おかしいだろ、リヴィー。だって、……これって……」

 川に飛び込みそうなリヴィーを支えていたシフォーリルの手から、徐々に力が抜けていくのを感じる。彼の見つめるその先で、リヴィーは「悪ぃ」と小さく謝った。

 奥でグリスが、不穏な空気に揺るがせた表情を見せている。そして眼前では、シフォーリルが。

「……本当、なのかよ……」

 シフォーリルは否定を懇願するかのように、リヴィーの顔を食い入らんばかりに見つめてきた。それでもリヴィーは唇を噛みながらとどめとばかりに、額に張り付いた長い前髪をゆっくりと掻きあげ、その全てを曝け出した。と、瞬時に空気は凍てつく。そこで息を引き攣らせたのは、はたして誰であっただろう。

 闇の中で明らかとなったのは、忘れもしない。浅い海と同じ碧と深海の瑠璃色の、互い違う色の双眸。

 認めては、もらえないかもしれない。それともいっそ、ここで歩み続けた互いの運命を切り離そうか――

 心中に渦巻き続ける想い、思い出。嬉しかったはずのことさえも、今はリヴィーを殺すに等しい威力を秘めていた。胸の奥底で誰かが言うなと、認めるなと声を張り上げている。それなのに……

「我が名はリアン・ヴィス・ジュニティー・クルス。バリス王国王家の第三王女であり、この国家を守るにて王位を継承する者」

 ドレスの裾をつまむような動作をすると、リヴィー――いや、リアンは、苦々しい表情のまま淑やかに頭を垂れたのだった。

 彼らの中で、何かが音を立てては崩れていく。


 流れゆく水がリヴィーの足に当たっては、幾多もの飛沫を躍らせた。

 世界から言葉がなくなって、一体どれほどの時を経ただろう。今もなおひしめき続ける静寂の精。空気は時間を追うごとに重くなり、息を吸い込めば咽に引っかかるほど。

 唇を真一文字に引き締め頭を垂れたままのリヴィーは、足元で戯れている冷水をずっと見つめ続けていた。口を開き難い空気は、その間にもより一層の濃さを増していってしまうのに……。

「なぁ、リヴィー。……冗談は、やめようや」

 すると静寂を蹴破って、シフォーリルが言葉を吐いたのだ。だがそれは、先ほどとまったく変わらない。どこまでも弱々しく、そして真実を知ることへの恐怖を垣間見せている。

 はっとしたリヴィーは目を見張りながら、シフォーリルの表情を窺った。

「だって俺達、王女を追いかけてここまできたんだろ。……それなのに何で、お前が王女にならなきゃいけねぇんだよ」

 そんなの、おかしいじゃん。

 戦慄わななく唇でそう呟くと、シフォーリルは項垂れる掌をぐっと握りしめた。

「俺は認めない。信じない。リヴィーが王女だなんて、そんな……」

 シフォーリルの瞳が、淡く揺れ動く。くっと咽を鳴らすと、そのままリヴィーから視線を背けてしまった。

 また彼の背後ではグリスも俯いており、そのことにリヴィーは少なからず心を抉られる。裏切られたのは、自分でない。きっと自分が彼らを裏切り、そして騙してしまったのだ。胸を抉るのは、そんな罪悪感の数々。

 リヴィーはシフォーリルの言葉に少なからず動揺してしまったが、それでも意地とばかりに毅然とおもてを上げたのだ。

「いいんだ。王女とか認めてもらわなくたって、んなことは別にかまわねぇよ。俺はリヴィー・グラディス。リヴィー海賊団の船長だ。ここではそれ以上もそれ以下もねぇ」

 今はリアンではなく『リヴィー』という一人の男だ。そうきっぱりと言い切ると、リヴィーは二人に近づいていった。

 水を掻き分ける僅かな音が、沈みきった空気を揺らしていく。重たい足で歩み寄っていったリヴィーはシフォーリルの肩に手を回すと、そのまま陸へと突き進んでいった。涙ぐむ瞳を大きく見開き、シフォーリルはされるがままに後ろ向きに歩き出す。

「けどさ、これだけは知っておいてくれ。俺がこの世に似合わねぇくらい、クソったれな王女なんだってな」

 そう言うとリヴィーは、シフォーリルをグリスとギョギョの間に座らせた。

 不思議な輝きを持つオッドアイが、二人の姿を見つめ続ける。

 どこかで水が、ぴちょんと跳ねた。



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