古くからのしきたり
午後二時を知らせるラジオ深夜便からはドビュッシーの月の光が流れていた。筆を走らせ桔梗からの返事を書いていた。返事を書き終え、気分転換に椅子から立ち上がり親を起こさないようにそっと玄関の外に出てみる。カーテンを閉めていたのでわからなかったが雪がやんでいた。空を見上げると鈍く輝く月が、僕と雪に覆われたこの里を照らしている。幻想的な景色に「ふぅ・・」と一息ついた。まだ息が白い・・・まだまだ本当の春の訪れはまだまだ先のようだ。
俺の名前は時雨悠希。時雨家の長男で今年から晴れて高校一年生となる。ここは昔、神隠しの里といわれていた小杣霧の里である。神隠しの里と呼ばれていた理由は外部の人間がこの里を訪れてようとしてもなかなかたどり着くことができず、「神によって隠されている土地」であるといわれていたのが由来しているらしい。近年はこの里近くまでの道路が開通して誰でも容易に訪れることが出来るようになった。
この小杣霧の里には小杣霧神社を中心とした小さな集落があり、東宮、西宮に分かれて数十人が暮らしている。
小杣霧神社の裏には少し大きな「山月の滝」の近くにありその「山月の滝」をご神体として祀っている。この神社の神主は代々笛吹家が務めている。その笛吹家の守護を担当しているのが守護家であり、我が家の時雨家と氷雨家である。なぜ小さな神社の神主を守る守護家があるのかさっぱりわからないが、遠い昔から延々と受け継がれてきた主従関係なので今更、この関係を降りるわけにはいかないのだ。
さっきも述べたが、もう一つの守護家である氷雨家には氷雨真一という同い年の青年がいる。同じ守護家であるがために昔からよくこいつと比べながら生きてきた。真一は博学多才・イケメン・運動神経がよく頭が切れるという高スペック人間、それに比べ自分は、浅学非才・フツメン・運動神経はいい、が薄志弱行というどちらかというと凡才な人間である。よく主家からはいろんなことを比べられてうんざりしていた。
そんな比べられる日々が今日で終わると思うと少しせいせいするが、この里から出ていくと思うと少し寂しい気がする。それに、笛吹家次女の桔梗のことが少し気がかりである。十二歳になるまではよく俺と真一と桔梗で遊んだものだがここ数年は主家の意向で会えなくなっている。しかし両家の親が頼み込んだおかげで一ヶ月に一回、文通で交流するのは許してやろうというありがたいお言葉をいただいたのである。何故会えないのか、それを聴かれると「それは代々続く古いしきたりがあるからだ」としか答えようがないのである。
~to be continue~