復讐のカウントダウンが始まるその前に
ぶどうの収穫時期が終わればすぐにりんごの時期だ。
重たい赤い実を一つ一つ選りすぐりながら、出荷に適した果実をもぐ。
収穫が終わり、重い実をつけた枝が軽くなるのはもう少し先だ。今は収穫を待つ木々が枝をしならせ耐え忍んでいる。
アイビーは、今日も収穫で忙しい農夫達に早めの昼食用にとパンを用意し農園に顔を出す。
慌ただしい日々を過ごしているうちに、気がつけばベンジャミンが王都に向かってから二ヶ月が経とうとしていた。
「お帰りなさいませ。アイビー様」
「マシュー!」
屋敷に戻ると、ベンジャミンと共に王都に居るはずのマシューがアイビーを出迎えた。
アイビーはあたりを見渡す。
「ここにいるのは私だけでございますよ」
「そっ、そう」
マシューの次の言葉を待つ。見つめていても表情ひとつ変わらない。
「……ベンジャミンは?」
いくら待ってもマシューから聞きたい答えが出ないことを理解したアイビーは尋ねた。
「王都でパーティーに参加されるご準備をされています」
「……そう」
「アイビー様」
「なに?」
「いい加減、王都にお越しください。ベンジャミン様から何度もパーティーへお誘いする手紙が届いているはずです」
「何を言っているの? 今忙しいのはマシューだってわかってるでしょう? パーティーになんて出られるわけないわ」
「忙しいのはプラット子爵領で生まれ育った私もよく存じております。ですがアイビー様。返事も出されないのはいかがなものかと存じますよ」
「だから、マシューもご存知の通り忙しいのよ。返事を書く時間も惜しいくらいよ。無理に決まっているじゃない」
「最も忙しいはずのアンズのシーズンにアイビー様は父に手紙を出されてるじゃないですか」
「それは……ほら、領地のためじゃない! アンズ狩りをするためにモリスにお客様を紹介してもらう算段をしてたんだもの」
アイビーだって意固地になっていることはわかっている。それでも理由をつけて自分を正当化したかった。
「だから『来られそうだろうか』じゃなくて『来てくれ』って書かせなさいって言ったじゃない」
一緒に農園に行っていたスザンナが、片付けを終えて戻ってくるや否やそう言い放った。
「そうは言ってもこちらはこちらでなかなか手強いんですよ」
姉であるスザンナに言い返してマシューは疲れ果てた顔を見せる。
「とにかく、今日こそ王都に行っていただきますからね」
有無を言わせない二人の勢いに押され、アイビーは馬車に詰め込まれてしまった。
***
「来てくれると思わなかったよ。今の時期は収穫で大変なんだろう?」
「ええ。貴方も毎日毎日パーティーへのご参加で大変なんでしょう?」
王都の屋敷に着く頃には日が沈み始めていた。
幾千ものランプの光で照らされた煌びやかな王都を馬車が進むに連れて、アイビーは農園帰りの自分の格好が恥ずかしくなっていた。
だから、久しぶりに会ったベンジャミンの第一声にアイビーが嫌味を返してしまったのは仕方のない事だった。
困ったような顔のベンジャミンを見つめる。ベンジャミンは何も言い返してこない。
「アイビー様。早くご準備を。スザンナ、用意は整っているから早くお連れして」
冷静な声に顔を向けると立っていたのは使用人然とした身なりのモリスだった。
「モリス。店はどうしたの?」
「従業員を増やしましたので、店につきましては私めは売上の管理だけしております」
「……モリスは屋敷にはもう戻らないんじゃなかったの?」
「以前はそう考えておりましたが、いまはベンジャミン様の今後の見通しに期待することにしたのです」
「そんな……!」
裏切り者。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
(モリスが自分で判断して戻ることに、私がとやかく言う筋合いはないわ。それにモリスが屋敷で差配してくれるのはプラット子爵家にとってもいいことだし)
「なんでもないわ」
「ではご準備をお願いします」
モリスはアイビーの言いたいことをわかっているだろうに、素知らぬ顔でマシューやスザンナ達に指示を出す。
アイビーが連れて来られたのは執務室の隣、領主夫婦の私室だった。
前回訪れた時は悪趣味な調度品が並んでいた部屋は、多くのものが片付けられている。元々あったと思われる品だけが整然と置かれ、好感のある設えに変わっていた。
「一応モリスとマシューには相談したけど、アイビーに聞かないでベンジャミンが買ったっていう調度品は勝手に処分しちまった。取っておきたい思い出の品とかなかったかな」
ベンジャミンがついてきていると思わず驚いて振り返る。
「いや、まあ、ベンジャミンに送られた大切な思い出の品があったとか言われても、あれなんだけどさぁ」
頭を掻きむしりながら歯切れの悪いことを言うベンジャミンを見つめる。
「そんなもの何一つないわ」
「そ、そうか」
「それで、全部売り払ったの? 売り上げは?」
「ああ、モリスに管理してもらっている。あとでアイビーも帳簿を確認してもらえるか?」
「別にいまでもいいわよ」
手を突き出すとベンジャミンは肩をびくっとさせる。
「いや、その、いまは」
「何? やましいことでもあるの」
顔を逸らし、いつものように声にならない呻き声をあげるベンジャミンの顔を、アイビーは覗き込む。
「これからアイビー様は準備をしていただきますので、帳簿を確認いただく時間がありません。ということで時間がありませんからベンジャミン様はとっととこの部屋から出ていってくださいませ。ご自身のご準備もございますでしょう?」
スザンナはベンジャミンを部屋から追い出し、アイビーを部屋の奥へと連れて行く。
扉を開けるとタイル敷きの部屋に小ぶりな浴槽が置いてあった。暖かそうなお湯が張られている。
「農園帰りでしたので、軽く汗を流しましょう」
「え? なぜ?」
「なぜってこれからドレスにお召し替えするからです」
「ドレス?」
「はい。今夜はベンジャミン様と親交のある侯爵家で開かれるパーティに出ます」
以前ベンジャミンに押し付けた招待状を思い出す。
「出ないわよ!」
「いいえ。出ていただきます」
スザンナはアイビーの服を手際よく脱がせ、ベルを鳴らしほかのメイドを呼ぶ。
前回アイビーに状況を説明してくれたメイドたちだ。
アイビーが戻ってきたことに安心した様子を見せるメイドたちの前で何も言えなくなる。
スザンナたちが手際よくアイビーの身体を洗う。次はドレスだ。
メイドたちに褒められながら生絹のドレスを身にまとう。淡く黄みがかった白の生地。植物の刺繍が丁寧に施されている。
されるがままにしているうちに、身支度がどんどん進む。
「素敵ですわ」
「本当に上品なドレスで奥様のためにあるみたい」
「生絹の淡い黄みがかった白が奥様の肌に映えてます」
「橄欖石のアクセサリーもお似合いです」
身支度が終わり鏡の向こうに映る自分の姿にアイビーは息を飲んだ。
社交の場に出たこともなく婚礼も行わなかったアイビーは、これほど着飾ったことはなかった。
(自分で言うのもなんだけど……)
「綺麗だ……」
アイビーが思った言葉が耳に届く。
振り返ると揃いの正装姿のベンジャミンが立っていた。スザンナがいつの間にか迎えに行っていたようだ。
「えっ? 今なんて……」
「あっ、いやっ」
アイビーに聞き返されたベンジャミンが頭に手を持っていこうとしたのを、スザンナが目で咎める。
沈黙が重たい。
「お揃いの衣装なのね」
沈黙を破りアイビーは問いかけた。
「そうみたいだな……嫌か?」
「嫌だって言ったら?」
叱られた子犬のような表情をする背の高い男の姿に口元を緩める。
「……別に嫌というほどではないわ」
「そうか」
視線が絡む。再び沈黙が訪れたのも悪い気はしなかった。
「お二人とも。もう出ませんと」
ベンジャミンの後ろに控えていたマシューの声掛けに我に返る。
「そうだな。じゃあアイビー。行こうか」
おずおずと差し出された腕に手を添え歩き始める。見上げると逸らされた顔は耳まで赤くなっていた。




