復讐のカウントダウンが始まるその前に
「ベンジャミン。何をしているの」
ゴンゴンと屋敷の厨房に似つかわしくない打撃音が朝から鳴り響いている。
厨房を覗くとアンズ狩り用のデザートなどに果実を使って残った種をベンジャミンが一心不乱にたたき割っていた。
アンズの収穫やアンズ狩りの催しが終わりやっと一息ついた矢先、騒ぎを起こすベンジャミンに胡乱な視線を送る。
「あぁ。種を割って核を出そうと思って」
アイビーの視線に気が付かないのか、ベンジャミンは金づちを振り下ろし続ける。
ゴンゴンとアンズの種を割る音だけ響く。
「核を出して何に使うの?」
料理人たちの助けを求める視線を感じてまた話しかける。やめさせないと料理の妨げになるのだから仕方がない。
「えっと、杏仁豆腐を作ろうと思って。俺昔から給食で出る杏仁豆腐が好きでさ。自分で調べて本格的な杏仁豆腐を作ったことがあるんだけど、杏仁霜っていうアンズの核を乾かして粉末にしたものを使っているんだよ。ほらこないだムースを作ってただろ? あれをアレンジすれば作れると思うんだよな」
やっとベンジャミンは手を止めてアイビーを見る。相変わらず知らない単語に困惑していることに気が付いたのか、頭を掻きむしった。
「アンズ狩りもよかったけど旬の時期が短いし、アンズを使った新しい名物が作れたらなって思って俺の故郷の味を参考に試作品を作る予定だ。出来たら食べてくれるか?」
「そう。新しい名物を考えてくれてるのね」
真剣な顔で新しい名物を考えているベンジャミンを止めるのは気が引けた。
「やるのはいいけど料理人たちの邪魔をしないでね」
ようやくベンジャミンは周りを見回す。使用人達が怯えているのに気がついたのを確認してアイビーは執務室に戻った。
「ベンジャミンはアンニンなんとかを作るって言ってアンズの種を叩き割っていたわ」
「また異世界の記憶というものなのでしょうか」
部屋に戻ると出迎えてくれたスザンナに状況を伝える。メイド達が厨房から変な音が聞こえると騒いでいるのをアイビーに伝えてくれたのがスザンナだった。
「そうみたいね。アンズの種を使って作るムースのようなものらしいわよ」
「実じゃなくて種ですか? どんな味か想像がつかないですね」
「ね。種はリキュールくらいにしか使い道がないから、新しい名物が出来れば助かるけれど」
話しながらアイビーは椅子に座る。義父が亡くなってから二年間、毎日使っている椅子だ。
(本当なら、ベンジャミンの椅子なのよね)
ベンジャミンに執務室を使うように言っても「俺が使うのはおこがましいよ」と断られた。
いまは子供の頃にベンジャミンが使っていた部屋を少しだけ片付けて寝起きしているようだ。
「アイビー様こちらを」
マシューに渡された帳簿を確認する。
アンズ狩りの収益は手配した乗合馬車の代金を払っても余りあるものだった。参加費だけでなく、果物や加工品も土産用にとかなり購入していってくれた。
次はぶどうやりんごの季節に同じような催しをして欲しいという要望を受けている。
「父からの手紙では、プラット子爵領の果物や加工品を店でも販売して欲しいと常連の方々からお声をいただいているようでございます。アイビー様のお作りになったジャムも評判のようですよ」
「本当⁈」
「ええ」
マシューから差し出された手紙を読む。味にうるさいと聞いていた食通からの評価にアイビーの心は弾む。
「アイビー様。差し出がましいのは重々承知なのですが……」
「なに?」
「決意は固いままでいらっしゃいますか?」
ここ最近何度も見た表情を浮かべるマシューとスザンナを見て、ため息をつく。
「ベンジャミンとこのまま婚姻関係を続けろって言いたいんでしょう?」
「アイビー様にとって悪くない話だと思うんです。ベンジャミン様と離縁されると平民になってしまいます」
「別にわたしは子爵夫人に固執していないわ。ジャムの事業も準備してあるし」
アンズ狩りのお土産に配ったジャムは離縁後に向けてアイビーの名義で新たに作った事業だ。
もともとアイビーの名義にしておけば離縁後もアイビーの事業として続けられる。
「それにベンジャミンが子爵でなくなっても使用人達はに新しい当主にそのまま雇ってもらえるはずよ。スザンナはそのままここで働いてもいいし、モリス達の店で働いても、わたしと一緒にジャムの仕事をしてもいいのよ。それに、みんながどうしてもこのままベンジャミンの下で仕えたいって言うなら貴族院に申し立てしないつもりでいるわ」
スザンナが首を横に振る。心配しているのは自分の職のことでないことくらいアイビーもわかっている。
「我々はみなアイビー様の味方です。ですからあのままベンジャミン様がアイビー様を追い出そうとするのなら貴族院に申し立てされ爵位が奪われても当然と思っておりました。ただ、あの事故のあと本当にベンジャミン様は変わられました。私達はアイビー様の味方として、このまま婚姻関係をお続けになった方が良いのではと思っております」
今度はマシューがアイビーの説得を試みる。
(マシューの言うようにベンジャミンが変わったのは分かるわ。でも…)
アイビーは決断を変えるつもりはない。
「ベンジャミンが別れるから、この屋敷から出ていけって言ったのよ」
「今のベンジャミン様ならアイビー様を追い出すことはしないはずです」
「今のベンジャミンのままならそうかもしれないわね。でも元のベンジャミンに戻らない保証はないでしょう?」
「こちらをご覧ください」
マシューから古びた本を渡される。ページをめくる。
「異世界からの渡り人について記されています」
「どうしてこんな本を?」
「ベンジャミン様が父に頼んで王都で手に入れたものです。ベンジャミン様が元々住んでいた『ニホン』に戻る術があるのかないのかお調べになったそうです」
(ベンジャミンに対して思うところがあるはずのモリスまで協力してるのね)
マシューが本の内容を説明してくれたが、アイビーの頭には入ってこない。
「誰も元の世界には戻れずにこの世界で生を終えていらっしゃいました」
マシューの言葉に顔をあげる。
「そう。ベンジャミンは本を読んでなんか言っていたの?」
「……いいえ。特には。でも、記憶を忘れないうちにと日記を書かれたり、今日のように異世界の物を再現されようとしていらっしゃいます。アイビー様……ベンジャミン様を受け入れて共にお過ごしになられてはいかがでしょうか?」
すでにマシューたちは受け入れている。それだけ今のベンジャミンは信頼を勝ち得ている。
「無理よ。三年間も蔑ろにされていまさら簡単に気持ちを切り替えられないわ」
「では、全く新しい夫として今のベンジャミン様を受け入れなさることは難しいでしょうか?」
(ベンジャミンを全く新しい別人としてみろって言うの?)
最近のベンジャミンを一番近くで見ているのはマシューだ。でも、この三年間アイビーを一番近くで見てきたのもマシューとスザンナのはずなのに。
「わたしにばかり努力を強いるの?」
「そういうわけでは」
「じゃあ、ベンジャミンはわたしを妻として受け入れる努力をしている? 当主の執務室を使うことも、夫婦の寝室を使うことも断ってきたのに? それなのに、どうしてわたしが受け入れなきゃいけないのよ!」
領地に戻った時、アイビーの歩み寄りを拒否したのはベンジャミンだ。
「それは、ベンジャミン様なりのご配慮といいますか……」
「記憶を失う前のベンジャミンだろうが失った後のベンジャミンだろうが、わたしのことをなんとも思ってないんだから、どちらにしろ離縁した後の準備は続けるわ」
これはもう、アイビーの意地だ。マシューとスザンナに退席するように伝え、机に突っ伏した。
***
「夕食後のデザートですが、ベンジャミン様にご用意いただきました」
「や、俺一人じゃうまくいかなくて、結局のところコリンにかなり手伝ってもらったんだけどさ。まあ、だから味は保証するよ」
いつのまにか、ベンジャミンは料理人を名前で呼ぶほど親しくなっていた。
(わたし以外はすぐ受け入れるのね)
そう思って目の前に座っているベンジャミンは窺うような視線だ。マシューとの口論を思い出したアイビーは決まりが悪くて視線を落とす。
「アンニン……なんでしたっけ?」
目の前に配膳されたデザートを観察する。
「杏仁豆腐っていうムースみたいな食べ物だ」
器に盛られた白いムースは透明なシロップがかけられていた。
ひと匙すくうとふるふると揺れる。恐る恐る口に運ぶ。柔らかくて噛まなくても舌の上でとろりと蕩ける。
「……美味しい! 初めて食べた味だわ」
(材料は生クリームとアンズのピューレかしら? ひんやりと冷たいのは井戸水で冷やしたの? それとも氷で冷やすのかしら? もし井戸水で冷やして固まるなら王都にあるモリスの店でも提供できるわね。ミルクだけでなくアーモンドのような匂いがするのはベンジャミンが言っていたアンズの核が入っているから?)
一口ずつ食べながら、考えを巡らせる。気が付けば完食していた。
「どうかな? アイビーは気に入ってくれた?」
「ええ」
食べ終わるのを待っていたベンジャミンが緊張した様子を崩す。優しく笑う顔を見て顔が火照るのを感じた。
(べっ、別にベンジャミンは、領地のためにアンズのデザートを作っただけで、他意はないわ)
アイビーは慌てて、もう一度気を引き締め表情を整える。
「これならプラット子爵領の名物として売り出せると思うわ」
「そうか! アイビーの役に立ててよかった」
嬉しそうな顔でそんなことを言われて、冷静な表情を保つのは無理な話だった。




