ジュナの就職
ジャンヌの幼馴染のマリーの妹のジュナは、マルセルの遊び相手として尖塔で一緒に暮らしていたが、八歳になるとウイルドン家のメイド学院に入学した。
そこで出会ったジャンヌの母の炊事を手伝っているうちに、料理に打ち込みたいとの気持ちがつのって来た。
しばらくは一人で悶々と考えていたが、あと一年で卒業というある日、ジャンヌに相談を持ち掛けてきた。
「先生、私は料理を極めたいんです」
「あら、いいんじゃない。どこで修業をしたいのかしら?」
「あなたなら、王家にだって推薦してあげるわよ」
日ごろのジュナの様子から、この子は料理の道が好きなのだろうと思っていたジャンヌはすぐに快諾した。
やりたいことがあれば、それをやる環境を作ってやるーーそれがこの学院の考えだった。
「シフォン家のエストールさんの弟子になりたいです」
シフォン家のエストールなら、ジャンヌも世話になっているし、今や国中で一、二を競う名コックだ。
「わかったわ。でも卒業までは、ここの勉強を頑張ってね」
「優秀な子でないと弟子にするのは嫌だって、エストールさんが言うかも知れないわよ」
「わかっています。成績優秀者になって、逆にエストールさんから、弟子になって欲しいと言わせます」
「その時は、私が紹介状を書いてあげるわ」
ジャンヌからその話を聞いたエストールは大いに喜んだ。
「俺も歳を取ったからな。ここの厨房にも優秀な奴はいるが、俺の後を継ぐとなると五十歩百歩でな」
「此奴なら任せられると言える奴が、まだいないんだ」
「このまま俺が引退したら、結局はそのうちの誰かがチーフを務めることになるんだろうが、俺が働いているうちは妥協はしたくない」
「優秀な手駒が増えるのはいいことだよ」
「ただ、一番の若輩になるし、ましてや女の子だ」
「相当な努力が必要になるぞ。生半可じゃ、やっかみで潰されてしまうかも知れん」
「お前の名前の入った木札を首からぶら下げさせる手もあるな? ”ジャンヌのお気に入り”ってな」
「ご冗談を。卒業までの補講で文句を言われないよう鍛えるつもりです」
「それなら、こっちのコックたちにもハッパを掛けておかんと、不公平になるな」
「ジャンヌ、どちらが優秀なコックの芽を育てるか競争しようぜ」
「いいですね。負けませんよ」
「お前には一度頭を下げさせられたからな。今度はお前の番だ」
「あれは子供の時の話じゃないですか」
「お陰でシフォン家は、あの大変な時を乗り切れたんだ。いつまでも忘れんよ」
「ありがとうございます。ですがエストールさん、私はジュナを単なる料理人に留め置くつもりはありませんので、あなたの後釜はちゃんと見つけておいてくださいね」
「それはどういう意味だ?」
「言葉通りですよ。あの子は、あなたとの師弟という関係を越えられる子ですから」
「俺との師弟関係など小さいことに過ぎんという訳か?」
「はい、申し訳ありませんが」
「いや、そこまではっきり言われると、逆に清々しいよ」
「だがそうなると俺は、お前だけでなくジュナにも負かされるわけか」
「せっかく国で一二を争う名コックと言われるようになって、見返せたと思ったのだがな」
「ジュナは、ミッシェルさんだと思った方がいいですよ」
「うんなるほど、それなら腑に落ちる」
裏でそんな話がされているとは知らず、卒業を楽しみにしていたジュナだったが、試験で赤点を取った訳でもないのに補講が課され、夏休みの帰省を楽しみにしていれば、ジュナにだけ論文の宿題を出された。
ようやく一日だけ休暇をもらえて、久しぶりに家に帰ったジュナは、マリーを見つけると走り寄っていって、不満をぶちまけた。
「どうして私だけ宿題が増えるのかしらね」
「シフォン家の若手のコックさんたちも、エストールさんにしごかれているらしいわよ」
今はウイルドン家の家政を任されているマリーは、ジャンヌからジュナの希望が聞かされていたので、ジュナの背中を押す気でいる。
「あなたがここで立ち止まったら、負けちゃうわよ」
「うう、負けたくない」
「そうよ、あなたがやりたいと言ったんでしょ。でも、楽しくやらないとね」
「嫌々作った料理なんて、どんなに頑張っても美味しくならないわよ」
「わかってる」
努力の甲斐があってか、ジュナはその年一番の成績でメイド学園を卒業した。
卒業証書を受け取るなり、ジュナはその足でシフォン家の厨房に駆け込んでいった。
「エストールさん、これを見てください」
成績優秀者の金メダルを胸に掲げて、ジャンヌの紹介状と卒業証書をエストールに突きつける。
「こりゃあまた大したものだ。ぜひうちで働いて欲しい。さあ、アスクさまの所に行こう」
エストールがジュナの手を引いてアスクの執務室の扉を叩く。
「お入り」
「失礼します」
「アスクさま、ジュナを連れてまいりました」
「ごくろうさま。お入りなさい」
声を掛けて来たのはミッシェルだった。
「ジュナ、私を憶えてる?」
「はい、シバー家でお会いしました。それに、マルセルさまのお相手をするようにも言われました」
「小さかったのに、よく覚えてたわね。やはり賢い子だったわね」
「それで今日は何の用で来たのかしら?」
エストールが口を開く前に、ジュナが進み出て答えた。
「シフォン家で、エストールさんの下でコックの修業をやらせて頂きたいのです」
「エストール、あなたはどうなの?」
エストールが答えようとすると、ジュナがまた一歩前に出て声を上げる。
「ぜひ雇っていただきたいと思います。いえ、雇ってください!」
「どうしましょう? あなた」
ミッシェルが笑顔でアスクを振り向く。
「そうだな。だが我が家では女の料理人を雇うのは初めてだ。勤まるのかな?」
「女だからと言いませんし、言わせません!」
ジュナがもう一歩前に出て、強い口調で訴えた。
「わかった。わかった」
アスクがジュナを手で制すると、言葉を続けた。
「じゃ、我が家のしきたりで、まずは三ヶ月見習いをやってもらうことにする」
「雇うかどうかは、それから決めようじゃないか。それでいいか?」
「はい、必ず雇っていただけるよう、頑張ります」
頷いたアスクが横のタンカに振り返り、指示を出した。
「マーサに彼女の部屋を用意させてくれ」
「それからエストールと相談して、彼女の今後のスケジュールを決めてやって欲しい」
「報酬は、そうだな、女だからと下げることがないように平等に扱ってやってくれ。頼んだぞ」
「はい、わかっております。旦那さま」
アスクの横で笑みを浮かべてジュナを見つめていた執事のタンカが真面目な顔で答えた。
「ありがとうございます!」
礼を言ってメイドに連れられて部屋を出て行くジュナの後姿を見ていたアスクがポツリと言った。
「シフォン家としては、ちょっとした厄介ごとが増えたかも知れんな」
「何か懸念でも?」
それを聞き咎めたミッシェルをアスクが見る。その目は笑っていた。
「あのメイド学園を卒業したんだ。しかも主席だぞ?」
「あそこを首席で卒業した生徒は、これまでは例外なくファーナさまが取り込んでいたからな」
「その子が我がシフォン家を希望したんだ」
「どう育てるかで、うちの技量が問われることになる。それにーー」
「ジュナをうちで育てたら、マルセルが引き抜きにかかるかも知れんな。何せ、ジュナはマルセルの幼馴染だ」
「あいつのために育ててやるつもりは毛頭無いんだけどな」
ミッシェルも同意の意を示す。
「ええ、マルセルだけじゃなく、当然、ファーナさまも手を挙げられるでしょうね」
「シャンツ家では、ジャンヌや私を手元に取り込めなかったという無念の気持ちがお有りですから」
ミッシェルが余裕の表情で、にこやかに言い加える。
アスクも頷いてミッシェルを見て微笑む。
「ジュナがシフォン家を希望していると聞いた時にはさすがに驚いた。これはエストールがうちにいてくれたお陰だな」
「私はジャンヌのお陰で励むことが出来ましたから、その功績はジャンヌによるものと言っていいでしょうな」
エストールは誇らしげだが、一歩引くことも忘れない。
自分が当主になって以来、アスクはシフォン家に雇われている人たちに助けられていると深く感じていた。
そこに優秀な若者がもう一人加わってくる。
「シフォン家にとっては喜ばしいことだ。だがーー」
「当然、ジャンヌもジュナのこれまでを良く知っているだけに、密かに狙ってるかも知れんな」
アスクはエストールの方を振り向くと、ニヤッと笑って言った。
「エストール、連中に引き抜かれないように頼むぞ」
「わかっております。私も跡を継がせるつもりでおりますので」
「ああ、そのことだがエストール、悪いがジュナにお前の跡を継がせるのは諦めてくれ」
「やれやれ、すぐにでも引退できるかと喜んでましたのに」
エストールはわかっていますよと言わんばかりに冗談で返してきた。
「お前だって、あの子の優秀さを料理人だけで終わらせるのは惜しいとわかっていたのだろう?」
エストールの答えを待たず、アスクはタンカの方に向き直った。
「タンカ、マーサと相談してジュナを執事としても育ててやって欲しい」
「あら、あなた もうこの家をジュナに任せる気になりましたか」
ミッシェルはジュナの器量を見抜いたアスクを誇らしげに見る。
「ああ、ジュナの中に君を見たよ。君たちは良く似ている」
「君がそうだったように、彼女もシフォン家に欠かせない人物になるのは間違いない」
「父や僕の過ちで”聖女の証”を持った母やマルセルが去ってしまって、シフォン家はどうなるかと思っていたが、どういう訳か”聖女の証”を持たずとも、国も欲しがるほどの優秀な人材が我が家に集まり始めた」
「ファーナ女王は精霊の力に関係ない国にすると言っておられた」
「シフォン家はそれに先立って、優秀な人材を集めるぞ」
それを聞くと、それまでみんなの話を目を細めて聞いていたタンカの目が丸く見開かれた。
「ほう、私たちも引退できる日が目の前に見えて来ましたな」
「まだ先のことですよ、タンカ。息子たちが一人前になるまでは頑張ってね」
「やれやれ、では私たち三人はそれを楽しみに、老骨に鞭打って彼女の成長を待つことにしましょう」
「ああ、そうしてもらいたい」
「お願いします」
アスクの執務室は笑いに包まれた。




