世間知らず
モードネス家の王家となるための改装も終わりに近づき、シャンツ家の館は遷都のための引っ越し準備で騒然としていた。
そのシャンツ家の大広間の王座に、ジョセの姿があった。
広間に入って来たファーナ女王がジョセの前に立ったが、チラッと見ただけで横を向いたまま、ジョセが言った。
「仕方がない、俺の負けだ。王位はお前にくれてやる」
「だがなファーナ、このシャンツ家の館は、長子たる俺が継ぐべきものだ。絶対に渡さん」
「お前はモードネス家の養子になったんだろう。お前が出ていけばいい。清々する」
そう言うと、横を向いたまま動かない。
ファーナはシャンツ家の今後について話し合おうとしていたのだが、ジョセはそれ以上聞く耳を持たなかった。
どんな話になるのだろうと見つめている、その場にいた人々の視線を感じながら、ため息をつく。
そこにジャンヌがファーナを迎えに入って来た。
「困りました。話にもなりません。あそこまで頑なだとはーー」
「ジョセ兄さんはシャンツ家をどうするつもりなんでしょうか」
「気にするのはやめましょう。さあ、建国の時間が始まりますよ」
ジャンヌに促されて、ファーナはシャンツ家を後にした。
これまでシャンツ家以外の家が王家になったことは無かった。
遷都をするとなると、それに掛かる莫大な費用と時間は見当もつかない。
しかも代替わりが急なことだったので、しばらくはシャンツ家の館を王館とするつもりだったのだが、ジョセの頑強な抵抗に出会ってしまった。
困ったファーナたちだったが、モードネス家の書庫を調べていたマルセルたちが、モードネス家の初代が書棚に残した、国を造るためのアイデアが書かれている山のような資料を見つけた。
特にモードネス領に王都をどう造りあげるかに心血が注がれていて、今の屋敷を中心とした地割も、ほぼ済んでいるようだった。
農作業中に石の列が発掘されることも度々あり、その位置と資料に残された図を比べると、面白いほどピタリと一致した。
これなら、思ったより早く王都を築けるかもしれない。
そこでファーナは遷都を決意して、モードネス家の館を新たな王館とすることにしたのだ。
ファーナ女王たちは夜遅くまで遷都の準備をして来た。
ファーナが女王としてモードネス家に移る日、相変わらずシャンツ家の王座に座り込んでいるジョセに、ファーナが語りかけた。
「兄上、本当によろしいのですか?私は今日、モードネス家の館に移ろうと思います」
「ああ、早く出ていけ。目障りだ」
けんもほろろに、そっぽを向いたままでジョセが叫ぶ。
そんなジョセを見て、ファーナはため息をついた。
「では、失礼します」
部屋を出て行きかけたファーナだったが、思い出したように後ろを振り向いた。
「あっ、忘れておりましたが、館の使用人たちの面倒は、お兄さまがちゃんと見てくださるのですよね?」
ジョセが面倒くさそうに問う。
「何人だ」
「今、お兄さまのために残っているのは、およそ100人と聞いています」
「俺には必要ない。全員出ていけと言っておけ」
「わかりました。では私が連れて行ってもよろしいですね。辞めたい者には退職金を渡すようにしておきましょう」
「好きにするがいいさ」
ファーナが広間の扉を閉めて出ていくと、広間には静寂が広がった。
ジョセは誰もいない広間を見回して、呟いた。
ーーこの城は俺のものだ。
ーー何をしようと文句を言う者は誰もいなくなった。
ーー俺の好きなように生きてやる。
ーーそう言えば、アスクの奴はどうした。最近顔を出さないな。
ーーシャークもそうだ。
ーー俺を見捨てたのか?
薄暗くなって来た広間に一人でいるのも飽きてきたころ、ジョセの腹がグゥと鳴った。
ーーもう、夕食時か。
「腹が減ったぞ。おい、誰かいないのか。食事の時間だろう」
館内にジョセの声が響くが、誰も答える者がいなかった。
ジョセは館の中を歩き回ったが、人っ子一人見つけることは出来なかった。
今までずっと館の管理を疎かにしていたため、自分の世話をする人間を残すことさえ失念していた。
それから半年も過ぎたころ、シフォン家の門から一人の若者が入って来た。
着ているものは薄汚れ、髪も髭も伸び放題だった。
マルセルに対する仕打ちが表ざたになって以来、マルセルが懇意にしているファーナ女王の敵に回ったと見なされ、シフォン家を訪れる客もめっきりと減ってしまっていた。
使用人の数を減らすなどして、アスクがなんとか家を切りまわしていたが、それを見かねたマルセルたちの手助けによる定期市もようやく目処がたって、少しづつ活気を取り戻しつつあった。
若者が扉を叩くと、出て来たのはアスクだった。
若者のうさん臭そうな姿を見て、物乞いだと思ったアスクが追い返そうとした。
「今の我が家には施しをする力は無いぞ。悪いが帰ってくれないか」
若者が口を開いた。
「俺だよ。アスク」
「お前は俺を知ってるのか?」
名前を呼ばれて怪訝そうに若者の顔を覗き込むと、ジョセの面影があった。
「あなたは!」
「ジョセ王子じゃないですか」
「今はただのジョセだよ」
馬車だと二日も掛からないのに、まるで一か月以上も放浪したような姿のジョセを見て、驚いたアスクが尋ねた。
「どうしてこんなことになっているのですか?」
「あいつ等を追い出して清々していたら、俺も出ていかざるを得なくなってしまった」
「館の使用人の全部が、あいつ等について行ってしまった。あそこは今、廃墟同然さ」
「すぐに、お前の所に来るつもりだったが、お前の家がどこにあるか、さっぱりわからなかった」
「誰に聞いてもシフォン領に向かう道なんて知らないんだよ」
「親切に教えてくれても、間違ったことを丁寧に教えてくれるんだ」
「あちこち、国中を歩き回った気がする」
「お陰で、今ならどこにでも行けるぞ」
ーーなるほど、今までは全部人任せで、自分で何かやることはなかっただろうからな。
アスクには世間知らずのジョセが辿った様子が容易に想像できた。
ーーそんな片棒を一緒に担いでしまった自分も、何とかしないといけないんだろうな。
「それでこれからどうされるおつもりですか」
「申し訳ないが、ここを探り当てたよしみで、しばらく居候させてもらえないだろうか。その間に考えようと思う」
「よろしいですよ。それなら、ちょっとこちらに来ていただけますか」
アスクは、力無くよろけるジョセの手を引いて、尖塔に連れていった。
「ここはマルセルがうちの屋敷に来てからずっと、ジャンヌと二人だけで暮らしてきた建物です。」
「マルセルはこれを今の王都に移築するつもりだったみたいですが、うちの庭師に”過去に捕らわれてはだめだ”と言われたそうで、王都にはそっくりなものを新築したそうです」
アスクはジョセに、窓越しに室内を見せた。
「あの階段の本棚にある本も、マルセルは全て持って行くつもりでしたが、ミッシェル女史にも”過去は断ち切りなさい”と言われ、断念したそうです」
「今でこそ、ここはシバー家の飛び地になっていますが、元はシフォン家のものでした」
「シフォン家にとっても、お婆さまから引き継いだ大切な財産だったので、そっくりここに残してもらったことに感謝しているんですよ」
「それを忠告してくれた庭師のマッケンやミシェル女史にも感謝しています」
「マルセルやジャンヌにとっても思い入れのあった建物だったでしょうからね。ですから、中に入ると今にもマルセルやジャンヌが笑って出て来るような気がしますよ」
「時にはお婆さまの声さえ聞こえる気がします」
「移設してしまっていたら、そんなことも消えてしまっていたんじゃないかと思うと、忠告を素直に聞き入れてくれたマルセルには、大変感謝しているんですよ」
「ただどういう訳か、私はこの中に長くいると気分が滅入ってくるのです。母もそうだったらしいですが」
「マルセルたちは、心地良かったと言っていましたがね」
アスクの話を聞きながら、ジョセは窓のガラス越しに見える室内を眺めていた。
「マルセルたちのことは耳にしたことがある。ここから出るとき、持って出たのは着るものと身の回りの小物だけだったとか」
「それを聞いた今の王都の屋敷に集まってきた者たちも、皆衣類の入った籠一つで赴いて来たそうです。」
「彼らは過去を断ち切って前に進もうとしているんです」
「ここは今はシバー家ではなく王室が管理していますが、お気に召したなら、こちらに住むようにされてはいかがでしょうか。王室にはその旨知らせておきますが?」
「お前もあちら側になったのだなぁ」
ジョセが寂しげにポツリと言った。
「いいえ、そういう意味ではーー」
言いかけて、アスクは目を瞑ると、姿勢を正した。
「ジョセさま、そういう考え方はもう止めにしましょう。私は今、シフォン家がこれ以上落ちぶれないように努力しているつもりです。シフォン家は私の肩に重くのしかかっているのですよ」
「ジョセさまにも、シャンツ家を守っていく責務がおありじゃないんですか?」
ジョセは今更ながら、シャンツ家を守る責務を忘れていたのに気がついた。
「そうだな。悪かった。お前は私の為に言ってくれているのに」
ジョセが頭を下げると、アスクはそれを押しとどめた。
「塔の中を見て頂ければ、私の言っている意味がわかりますよ」
塔の入り口の扉の鍵を開けると、扉を開いて、中に入るようジョセに促した。
「どうぞ。存分にご覧になってください。私はここでお待ちしておりますので」
アスクの声に促されて、ジョセは尖塔の中に足を踏み入れた。
こじんまりした広間に、古めかしいソファやテーブルが置かれおり、その奥に台所や風呂までが配置されている。
今でもマルセルとジャンヌが生活しているような、安心感を感じさせられて、つい階段下の石畳に座り込んでしまった。
すると、生まれたばかりの赤子と10才に満たない少女が生活を始めて、しかも自分より強く成長していく様が、走馬灯のように心の中に飛び込んできた。
同じ時間を、ただただ過ごしてしまった自分の不甲斐なさに気が付かされたジョセの目に涙が溢れて来た。
後ろを振り向いたジョセがアスクに詫びた。
「アスク、本当に悪かった。俺のせいでシフォン家にも大きな迷惑を掛けてしまったようだ」
「お互い様ですよ」
「私もマルセルを憎むばかりに、シャンツ家やシフォン家の行く末など全く考えていなかったのですから」
「アスク、改めてしばらくお前の家に泊めてくれ。その後は王都に行って、このシバー家の飛び地をしばらく私に使わせてくれるよう自分から頼んでみよう。心機一転、ここから出発したい」
「そういうことであれば、私にもお手伝いさせてください」
ようやく二人の顔に笑いが戻ってきた。
「実はですね、私もシャークさんも、まだ女王様に正式に謝罪をしておりません。この機会にご一緒にどうですか」
「そうだな。そうさせてくれると有難い」




