精霊の記憶
私はこの地で最初に、あの西の森の中で生まれた。
西の森が出来る千年前、お前たちの言うところの南の国は、火山の溶岩のたぎる大きな火口の中だったようだ。
マグマが冷え固まると陥没して、火口の中が平らになった頃、火口の中に新しく四つの小さな火口が出来た。
それが今の丘という訳だ。
その後、外輪山の南の崖付近で噴火があって、今のような大きな山になったが、その時に南の山の周囲に元からあった崖が崩れ、海に流れていた川を堰き止めた。
この峠もその時に起きた地震で火口壁が割れて出来たものだ。
この崖の両側からは大きな滝が落ちるようになり、ここは滝壺になった。
そしてお前たちが通ってきた裂け目を通って火口の中に流れ込むようになった。
川がせき止められていることで、低い場所には水が溜まっていき、今の湖となった。
豊富な水のお陰で、火口内は草のよく育った平原になり、南の山の周辺には湖を囲むように深い森が出来た。
そんな中で私は生まれたのだ。
それから千年もの間、ずっと一人だった。
千年という年月は、寿命を持たない精霊にとって、退屈としか言いようがない。
そのうち、一人だけで会話をすることを憶えたのだ。
これは大そう気に入っていたぞ。
互いに真逆の意見を言い合うのが楽しくて、一日中しゃべっていたものだ。
時を忘れるというのはこのことだろう。
そのうち、二人が向かい合って意見を言い合っているように感じる時があるようになった。
気づけば我一人なのだが、そのうち気づけぬようになり、一日中二人で向かい合って過ごすこともあるようになった。
後から弟たちが生まれてきたが、そんな私を見て不審に思ったらしい。
弟たちから離れて、一人になるしかないと私は思った。
そこで西の森の泉を離れて、今あるシャンツ家の丘に居つくことにしたのよ。
丘に居ついた頃には、私は身体に異変を感じていた。
それまでもたびたびあったことだが、身体の中で二つの自我が争い始めていたのだ。
片割れは好戦的でーー力で解決することを好んでおった。
私は平和的にーー穏やかに解決することを欲した。
一人の自我としてなら、その場の状況を見てどちらか最良の方法を選ぶということも出来たのだろうが、はっきり二つに別れてしまうと、その議論は平行線を辿って止まることはない。
二人とも、ほとほと疲れてしまった。
だが元のように一人に戻ることは、あいつが拒んだ。
戻る術もわからなかった。
毎日毎日、果てしなく続く噛み合うことのない議論をしていたある時、北の山で大きな地震が起こり、滝は流れを変え、この谷を流れなくなった。
水の流れが無くなったことで、私らを繋ぎ止めていた細い糸が完全に断ち切れてしまった。
なに、精霊は水があるところでは動けないのだ。
それまでは水の流れに遮られていたので二人は離れることが叶わなかったが、糸が切れるとすぐに、もう一人の私は峠を越えて北の国に行ってしまった。
私はすぐ後を追いかけようとしたのだが、なぜか北の国に入って行くのが躊躇われた。
仕方なく、そこの穴で彼奴が帰ってくるのを待つことにしたのよ。
しばらくすると、まるで何かに追われているように、北の国から大勢の人間がこの割れ目を抜けて南の国にやってきた。
山が割れて以来、急に北の国に住み難くなった者たちだった。
それからまたしばらくして二度目の地震があり、この穴はまた滝つぼの中に沈んだ。
私は辛うじて水が上がらなかった隙間の中に閉じ込められてしまった。
三度目に起きた地震で、滝つぼに落ちる滝が消え、そこに今の峠道が現れた。
これが五百年前になるかの。
そのうち北の国から盗賊が頻繁に現れるようになったが、私は人間と接したことがなかったので、じっと穴の奥に身を潜めていたのよ。
まあ、出て行ったところで、私を見ることは出来なかっただろうしな。
ある日、穴の入り口から楽し気な子供の声が聞こえた。
気になって外を覗いてみると、そこに小さな女の子が二人立っていた。
そのうちの一人が私を見つけて驚いたようだったが、次の日は一人でやってきた。
「あなた、だあれ?」
「お前には私が見えるのか?」
女の子はファンドーラと名乗った。
それからは時々、彼女がこの穴を訪れるようになった。
シャンツ家にある村は峠に近いこともあって、北からの略奪の被害が大きかったらしい。
「北から盗賊が来れないように出来ないものかしら」
何年か経って、女の子が娘になった頃、私に尋ねた。
精霊の力を使って村を守れないかと思ったようだ。
精霊の力のことは、時折話して聞かせていたからな。
じゃが、人間に私の力を分け与えることが出来るかどうかは、やったことも無いのでわからんかった。
そう答えると、娘は自分の命を賭けてもいいと、涙ながらに訴えて来た。
私は元気づけようと、娘の手を取った。
すると、私の力が娘に吸い取られていくのを感じて、二人が光に包まれた。
驚いたぞ。
自分に宿った力を知った娘も、驚いていた。
「これが精霊の力なのね」
娘は家に帰ると、この不思議な出来事を親に話した。
たちまち噂が広がって行ったらしい。
それからは、精霊が見えたら、触ろうとする人間が増えた。
夜になると平原のあちこちで花火のように光り輝いているのが見えた。
しばらくして、精霊の力を受け入れられなかった人間は死んでしまうとわかると、無暗にに触ろうとする者はいなくなった。
むしろ、生きることに飽いた精霊が、自ら人間に触れて死のうとし始めたのだ。
そのとばっちりで、かなりの人間が死んだようだ。
私らのように大きな精霊の力を持つ精霊は少ないので、命を落とすのは精霊の方がはるかに多かったがの。
シャンツ家の娘以外に、シバー家、シフォン家、モードネス家の娘たちが、それぞれ力のある精霊を見つけて、運よく精霊の力を得ることが出来たようだ。
西の森で私の後に、五人ほどの弟が生まれたから、この国でのことは彼らの仕業かも知れんな。
中でも私は長男にあたるから、”一の兄”と呼ばれておったんだぞ。
その四人の娘が力を合わせて、北の国からの侵略を止め、国を興したのが、今の南の国の成染めだ。
北の兵士たちを追い払った後、シャンツ家の娘が私に尋ねてきた。
「この峠に結界を張ることは出来ませんか」
「出来ないことはないが、お前はせっかく得た私の力を結界に注ぎ続けることになるぞ」
「それに私から受け継いだお前の力が枯れた時には、お前は死ぬことになる」
「構いません。平和の方を望みます」
「そうまで言うなら、私もこの峠の結界を維持し続けることに協力すると約束しよう」
「ありがとうございます」
「あの、滝つぼの中央にある岩の塔に、結界の中心を置くとしよう」
「岩に手を当ててみろ」
言われた通りに娘が岩の塔に手を触れると、塔が光り始めた。
「これは!頂いた力が吸い出されていきます」
「もう少しの我慢だ」
「終ったぞ」
「死ぬかと思いましたがーー私、まだ生きているのですね」
「お前の力は相当に大きい」
娘が手を離した後も、岩の表面には光が纏わりつくように動いている。
「私はあの穴にいる。時々は会いに来てくれ」
彼女の残った力が認められて、シャンツ家は南の国の初代王家となったらしい。
それから何度か、結界の視察と称して、彼女は私の元を訪ねて来てくれた。
人の寿命とは短いもので、逢う度に次第に老いていく彼女の姿を私は見せられた。
ある日、白髪の皺だらけの、腰の曲がった老婆が訪ねて来た。
傍らには小さな娘がいた。
「今回が私の最後の訪問となりました」
「これは孫娘ですが、どうやら精霊さまの力を受け継いでくれたようです」
「この後は、この子がお世話をします」
「娘よ、この峠の結界は、聖女の持つ力を注いでくれれば、お前の子孫と共に私が責任をもって維持していくので心配するな。もうわざわざここに来る必要はない」
「それからはシャンツ家の聖女とやらに会ったことは無い」
「時々、代替わりでもあったのだろう、それまでと違う力を感じることが出来た」
「今回もそろそろかと思っていたら、この強さだ。驚いたぞ」
「さて、それでは私は、お前たちの言う北の国に向かうとしよう」
「もし、身体を取り戻されたら、その後はどうされますか」
「あの穴にまた籠ろうと思っておる」
「では、事が成就すれば、ここでまたお会い出来るかも知れませんね」
「そうだな。ではさらばだ」
そう言うと精霊は崖の裂け目の向こうに消えていった。




