峠の精霊
ファーナ女王即位の式典やらで、忙しく動き回っていたマルセルたちだったが、ようやく休息の時間が取れるようになった。
マルセルとファーナは、新しく王宮となったモードネス家の一室にジャンヌとデノーテを呼び、公務が一段落したミッシェルが席に着くと、二人が結界を張り直したときに峠で起きたことを三人に詳しく話して聞かせた。
「実はね、結界を張り終えて峠を下ろうとした時に、私たちを呼び止める声がしたのよ」
「この結界を張り直したのは、お前たちか?」
二人が振り向くと、女性とも男性とも言えない、白い姿の一人の人物が結界石のそばに立っていた。
マルセルは以前にモードネス家の墓所の番人を見ているので、彼が精霊だと確信できた。
もしかして、彼がシャンツ家の口伝で語られている精霊じゃないかと想像した。
ファーナは精霊を見たのは初めてだったので、驚きで口を開けたまま突っ立っている。
こんな所で精霊が姿を現すとは思っていなかったので、何が起きるのかと二人は身構えた。
「あなたは何者ですか」
マルセルが問うと、女性のような優しい声で、その人物は答えた。
「心配するな。私はこれまでこの峠の結界の維持を助けてきた精霊だ」
ーーやはりこの人が口伝で語られたシャンツ家に関係した精霊なのだわ。
マルセルは確信をもって話しかけた。
「あなたが、シャンツ家のエレノア王妃に精霊の力を与えてくださっていた精霊なのですかね」
「うむ、シャンツ家がここに結界を張って以来、ずっとな」
「でも、エレノア王妃はあなたのことは、一言もおっしゃらなかったですよ」
「知らんだろうからな」
精霊が素っ気なく言う。
「私も、最初にここに結界を張った娘とその孫娘にしか、会ったことが無いからな」
「それはシャンツ家のファンドーラさまのことですか?」
ファーナが問う。
「そう名乗っておったな」
本当に、口伝に出てきた初代聖女くらいしか知らないらしい。
「シャンツ家の初代聖女さまと何か約束されてたんですかね?」
ファーナがマルセルに囁き、マルセルが精霊に問いかけた。
「それがなぜ、今になって私たちの前に姿を現されたのでしょうか」
「それには少し説明が必要かも知れん。私を見て、何か感じることは無いだろうか」
マルセルとファーナは改めて精霊を観察した。
精霊の身体を通して、向こうの岩が見える。
「身体が半分透き通って見えますね」
「そうだ。私の身体の半分は、この峠の向こうにあるのだ」
そう言って、峠の先の北の国を指差す。
「この地に生まれて千年経ったころから、私の身体に異変が生じ始めた。身体が、全く正反対の存在として、二つに分かれてしまったのだ」
「何とか元に戻ろうとしたのだが、片割れは折角得た自由を手放したくないと思ったようだ」
「そして私を避けて、北の国に行ってしまった」
「元に戻るために追いかけて行きたかったのだが、なぜか私にはこの峠が越えられなかった」
「仕方なくこの場所に留まって片割れが戻ってくるのを待っていたのだが、ここで聖女に会い、彼女と約定を交わしたことで、この峠から離れることが出来なくなった」
「それで仕方なくずっとそこに潜んでおった。四百年になる」
指差した先には、人がやっと入り込める位の窪みがあった。
「だが、お前たちが新しく結界を張り直してくれたから、私は自由に動けるようになった」
「やっと、峠の向こうの片割れに会いに行く決心がついた」
「待ってください。あなたがいなくなると、この結界は消えてしまうのではないですか」
「心配するな。今の結界はお前たち二人だけで作り上げたものだ」
「そこには私以外の精霊の力を感じる」
「私の力は、すでに必要無くなっているようだ」
マルセルとファーナは顔を見合わせた。
シャンツ家以外に二人に関係する精霊がいるとすれば、それはエレノア王妃とミネルバの実家であるシバー家しかない。
シバー家の精霊についてはまだ何もわかっていないので不安がこみ上げてくる。
それを感じ取った精霊が二人に笑みを浮かべる。
「案ずるな。奴はお前たちを見守っておる。しかも代償を要求しているわけでもない」
「いや」
精霊はファーナを見つめる。
「お前の精霊の力の使い方ーーこれが代償なのかも知れんの」
ーーファーナの呪いのようなものが解けるかも知れない?
「それは、何とか出来るのでしょうか?」
マルセルが勢い込んで聞くと、精霊は静かに答えた。
「奴の力は”癒し”だ。心配するな。悪いようにはならんだろう」
「奴とお前たちのお陰で、私がここから離れても、聖女との約定を違えずに済むようになった」
「こうしてお前たちの前に出て来たのは、その礼を言うためだ」
「わかりました。でもその前に少しだけ、あなたがご存じのこれまでのお話を伺えませんか」
「うむ、自由にしてくれた礼だ。私の知っていることを話して聞かせよう」




