先生
尖塔がマルセルのものになったと王室から連絡を受けた時にはマルセルも大喜びしたが、シバー家の管理も併せて行わないといけないと知ると、面倒なことを押し付けられたのかもと落ち込んでしまっていた。
ジャンヌもウイルドン家を任されたので、マルセルの世話をしているジャンヌの仕事が二倍にも三倍にも増えるのは明らかだった。
「ねえ、ジャンヌ、あなたの仕事もあるのでしょう?もう私の世話までしなくてもいいのよ」
「いいえ、私はマルセル様のお世話は辞めませんよ。辞めるくらいなら、ウイルドン家を捨てますわ。あそこにはシャークがいますもの。大丈夫ですわ」
「ジャンヌも頑固ね。やはり誰かを雇わないといけないのかな」
とは言っても、子供たちに人を雇うための伝手があるわけが無い。
少しでもジャンヌの手を煩わさないようにと、自分の身の回りのことは自分でやるようにするのが精いっぱいだった。
そんな中、かねてから聞かされていた領主教育の先生が、王室から派遣されて尖塔にやってきた。
まだ若い娘だったが、王立学園を首席で卒業したミッシェルと言う名の秀才だった。
黒い大きな旅行鞄を引き摺りながら尖塔に現れた彼女を見たマルセルとジャンヌは驚いた。
デノーテと見まごう黒い服に黒いベールと黒縁メガネで身を包み、髪も目も漆黒で、まるで魔女のようだったからだ。
挨拶もそこそこに尖塔の中に引き入れるとすぐに”魔女先生”と呼び始め、ミッシェルを困らせた。
尖塔の屋根裏部屋はマルセルが、その下の三階の部屋をジャンヌが使っていたので、ミッシェルには二階の部屋を使ってもらうことになった。
マルセルとジャンヌが毎日遅くまで読み続けている本の置いてある棚が、ようやく三階に上がる階段に届いたので、その方がミッシェルの邪魔にならないと思ったのである。
三人の生活が始まってみると、ミッシェルは学問に秀でているだけでなく何でもこなせる才人ということがわかった。
まるで本当の魔女のように、マルセルとジャンヌの教育の傍ら、時にはシバー家やウイルドン家の管理までも手伝い、手が空いている時は掃除や料理、庭仕事などもこなしてくれた。
おかげで人を雇おうかと思っていたことなど、マルセルとジャンヌの頭からすっかり消えてしまっていた。
こんなに優れた人物を、なぜ王都では重用しなかったのかとマルセルたちは訝しがった。
ミッシェルに言わせると、それはどこでもある、若く優れた娘に対する男の先輩たちの嫉妬と妬みが混じった結果だったらしい。
邪魔者を片田舎に追いやってやろうと画策した連中がいたのである。
赴任先を聞いた時には、後ろ盾も無い女の身では、それも仕方がないことだと諦めていた。
それでもせっかく与えられた職場で大きな成果を出しさえすれば、そんな状況も変えられるかもしれないと、腹をくくって赴任してきたのだった。
そんなミッシェルもまた、二人の様子を見て感心していた。
まだ十歳にも満たなかった娘が一人で、乳飲み子を五歳になるまで育て上げたことは王都でも知られていた。
それに加えて、大人でも苦労するような難しい本が読め、難しい計算さえも出来るまでに育て上げているのを目にすると、自分に与えられた仕事は容易ではないと心を引き締めた。
ジャンヌ自身に至っては、母であり、教師であり、作物を作ったり、狩りに出かけたりと、並の大人では太刀打ちできないほどに自分を鍛えていた。
剣の腕は大したもので、ミッシェルを護衛して王都からやって来た騎士が、庭で木剣を振っていたジャンヌをからかって、本物の騎士の剣さばきを教えてやると、さあ来いと構えた途端、油断していたとは言え、一撃で気絶させられてしまった。
森でクマに襲われたときに助けてくれた、トールに剣術を習っていたお陰だった。
それ以上にミッシェルが驚いたのは、マルセルとジャンヌの教養に対する取り組み方だった。
それは王都の学園の教授にも引けを取らないように思われた。
聞けば、読み書きが出来るようになったばかりのジャンヌが、尖塔のらせん階段に沿って作られた書棚の本を、自分が理解出来るところから少しずつ、マルセルに教えて来たと言う。
マルセルが自分で本を読めるようになると、わからないことは一緒に他の本も調べながら二人で議論を重ねていたらしく、それは明け方まで続くこともあったという。
二人の熱心さによって、一階と二階にあった書棚にあった蔵書の殆どを、二人は理解していた。
蔵書は古いものが多く、そんな二人でも理解できずにいたものもあり、二人はミッシェルの前にその本を拡げて教えを乞うた。
その中には、ミッシェルでさえも理解できないものもあった。
「これはもっと上の棚にある本を読まないと理解できないかもしれませんね」
「私はそちらを読み進めるようにしましょう」
「ミッシェル先生、お願いね」
ミッシェルが本を読み進めている間、ミッシェルが王都から持ってきた最新の本を見た二人はすごく喜んだ。
「ねえ、ジャンヌ、これはどういうことかしら?」
「何でしょう? 今まで見たことない表現ですね」
「ミッシェル先生が持ってきたのだからーー」
「ご存じのはずよね」
すでに明け方が近かったが、二人は階段を下りて行き、ミッシェルの部屋のドアを叩いた。
遅くまでシフォン家の蔵書を読んでいたミッシェルが寝ぼけ眼でドアを開ける。
「何ですかぁ」
その後はもう寝ることは出来なかった。
その日から、真夜中でさえも叩き起こされ、朝まで彼女らの質問責めに会う羽目になる。
流石にミッシェルも、夜は扉を叩いてはいけないと規則を決めざるを得なかった。
そんなわけで、昼間の授業は、主に王室での作法とダンスになった。
すぐにお互いが信頼で結ばれていたので、二人の技量は何を取ってもどんどん上達し、それを教えるミッシェルの技量も研ぎ澄まされ、たまに王都に戻った時のミッシェルの言動の変化に学園のみならず、王城の人々も驚いた。
とてもこのまま辺境で教師として放って置いておいては国の損失になると誰もが思うほどだったのだ。
当然、学院の学院長に推挙されることにもなったが、ミッシェルはけんもほろろだった。
「今はマルセルたちの教育に支障が出るので、辞退させていただきます」
顔色も変えずに即座に拒んで皆を困らせた。
技量も無い娘など尖塔に送り込んでしまえと騒いだ教師たちは、ミッシェルの活躍が耳に入るたびに、周囲から白い目で見られるようになってしまい、学園を辞さざるを得なくなってしまった。




