カーニャ、年代記を手に入れる
湖の岸辺まで下りて来たカーニャたちは、水辺に村の痕跡を見つけた。
そこには家と呼べるものなどは無く、かろうじて平らに整地されていることで、そう想像するしかない。
筏の準備が整うと、カーニャたちは塔のある島に渡った。
そして記述にもあった、割れ目のある石畳を見つけた。
閉じられていた石畳をずらして、中を覗いてみると、その下に溶岩洞窟のようなものが見えた。
その奥は水で満たされていて、それ以上は下りることは出来ないようだ。
「ここまでは、日記に書かれている通りだったわね」
遠征を始めた頃はまだ半信半疑だったカーニャたちだったが、ようやく遺物はここにあると確信した。
「入ってみましょう」
恐る恐る中に入ると、少し下った所にある開けた岩場に、石を積んだ塚のようなものが二つ見えた。
「あれがトーニャさんとケーニャさんの墓ですかね?」
助手が指差した方向に急いで駆け寄り、石組の隙間に灯りを近づけた。
そして遺骨が入っていると思われる袋が中に収められているのを見つけると、カーニャを手招きした。
カーニャも中を確認する。
「間違いないわね。近くに羊皮紙の束が入った木箱やガラス瓶もあるはずよ」
灯りを掲げて周りを見渡すと、封のされた何も入っていないガラス瓶と、朽ちかけた大きな木箱が置かれていた。
箱のふたを開けると、たくさんの羊皮紙の束が入っていた。
「これがサザンヒルズ国年代記かも知れないわね」
「私はこれを回収するから、あなたは周りの状況を記録しておいてね」
カーニャは助手にそう指示すると、木箱から紙の束を取り出して、持ってきた保管箱に移し始めた。
その作業の中で、ちょっとした事件が起きた。
紙束を収めた木箱の朽ちた部分を持ってしまい、木箱が手から外れ、傾けてしまったのだ。
中にあった紙の束を括ってあった紐が切れ、紙束が散乱してしまった。
拾い集めて元に戻そうとしたが、慌てていたため順序がわからなくなり、そのまま収めるしかなかった。
それでも、どれくらいの年月の歴史がそこに書かれているのだろうと思うと、カーニャの胸は高鳴った。
「トーニャさん、しばらくお借りします」
遺骨の前で頭を下げて祈りを捧げると、遺骨とガラス瓶を残して、元のように石畳を閉じて島を後にした。
研究室に戻ったカーニャは、さっそく羊皮紙の束の解読を始めた。
そこに書かれている言葉は、かなり古くはあるが、自分たちの使う言葉と似ている部分が多くあった。
時間さえ掛ければ解読出来なくもなさそうだった。
その表紙には”サザンヒルズ国年代記”、作者は”ケーニャ”、”トーニャ”と読める記述もあった。
ただサザンヒルズ国が、あの湖のある場所に本当に実在したのか、別の場所のことなのかは、まだわからない。
ただの物語なのかも知れないという不安は、まだ拭い去れてはいなかった。
おまけにページをばらばらにしてしまっているので、意味が通じるように並べ直したつもりでも、年代の順序が不明な部分も多かった。
そんなある日、カーニャの研究室に研究所の所長がやってきた。
「おい、カーニャ! 探検調査の報告書はまだなのか?」
このところ、毎日のようにやってきて、催促する。
ーーそんなに毎日来たって、はい出来ましたと簡単に渡せるような物ではないのは、所長もご存じのはずなんだけどねぇ。
「もう少し待ってくれませんか。なにしろこの通り膨大な資料なので」
そう言ってカーニャが指差した羊皮紙の束に所長は目を向けたが、すぐにカーニャに向き直って捲し立てる。
「理事会が早く成果を出せとうるさいのだよ」
「でも結果を出すには時間が掛かることは、理事会の承認も受けましたよね?」
カーニャが言い返したが、所長はそっぽを向いて言葉を吐き捨てる。
「スポンサーが変わったんだよ」
「お前が早くまとめてくれないと、お前のクビはもちろん、俺だってどうなるかわからん」
「ヘタすると、この研究所も廃止されるかも知れんのだ」
ーースポンサーかぁ
この研究のため調査隊を送るには多額の資金が必要だった。
計画書を提出してから探検の目途が立つまでには、支援者を探すのが大変だった。
支援してくれそうな人物が尽きかけたころ、海の町からやってきた商人が彼女の話に興味を示したのだ。
「サザンヒルズ国ですか?それは南の国のことでしょうかねぇ」
「南の国?」
「ええ、今、あなたたちが住んでいる所から東に国があって、昔は西の国と呼ばれていました」
「そのもっと東にはオアシスがあったと聞いています」
ーーオアシスですって!
カーニャの心が躍った。
「ええ、私の祖先もそう書き残していました!」
そう言って、立ち上がると、人目も憚らず何度もガッツポーズをする。
カーニャの喜ぶ姿を見て驚いた商人が話を続ける。
「そこからもっと東に行くと、北の国があって、北に見える山脈の麓には、今は枯れていますが、大きな湖があったらしいです」
「枯れた理由はわかりませんがね」
「その南に屏風のように広がる山脈があって、そこから山を越えると南の国があったと聞いています」
「ただ、山を越えるのはとても無理で、ただ一か所だけ抜け道があるとか」
「伝聞ですので、それを探し出すのは骨が折れるでしょうがね」
「昔の話ですのに、よくご存じですね」
「実は私の家にもね、古い言い伝えが残っているのですよ」
「えっ?」
「私の祖先は山師だったらしくてね」
「南の国がまだ無かったころの平原をいろいろ歩いて調べたようです」
「その記録が残っているのですよ。ただ海側からの道を進んだらしく、北の国には行っていないようなので、北の国からの通り道がどこにあるのかはわかりません」
カーニャががっかりしたのを感じた商人はニャと笑みを浮かべると、カーニャに囁いた。
「これは我が家に伝わる当主だけが知る秘密で、絶対新しい当主以外の他人に漏らすなと言うことなのですがーー」
「息子に伝えるより、あなたに知っておいていただいた方がいいようです」
「実は、海の町の実家の裏には洞窟がありましてね。南の山の下は洞窟がたくさんあったらしいです」
「残念ながら今はそこから水が湧き出ていて入れませんが、昔は歩いて通れたということです」
「しかもそれは南の国に通じていたらしくて、ご先祖さまはそこを通って、南の国と交易をしていたらしいです」
「そして、そこから来た男性と我が家の娘さんが結婚をして、今の私の祖先になったらしいのですよ」
「ということは、私は南の国の子孫でもあるわけなので、それを確かめたいと、ずっと思ってはいたのですがーー」
「ただ、先に述べたように、今はその洞窟は水が溢れていて通れないのです」
「ですから、私の祖先が住んでた地が、あなたが探している国と同じか確かめられるなら、援助は惜しみませんよ」
「よろしくお願いします!」
こうしてようやく支援者が見つかり、そのお陰で遠征が叶ったのだが、帰ってみるとその支援者は不慮の事故で死亡していて、その息子が後を継いでいた。
その息子が、研究所の研究費に目を付けているらしい。
ーーそれにしても、私に会いに来るでもなく、話も聞かないで成果だけ要求するというのはどういうことなんだろうか。
所長が哀れがる目をカーニャに向ける。
「あの息子は父親とは別に事業に手を染めていたんだが、うまく行ってなかったようでな」
「父親の死で遺産が手に入ったので、それを使って穴埋めしようと奔走しているらしい」
「そこに、投資はしたが、まだ成果の出ていない案件が幾つか出て来た。その中の一つがお前の調査費というわけだ」
「確かに契約では今後もバックアップをしていくとあったが、成果が無いとなるとーーあの息子のことだ」
「さすがにお前でもわかるよな」
カーニャはため息をついて所長に告げる。
「わかりました。じゃ、少しずつでも発表していくことにします。それでいいですか?」
「まあ、何も出さないよりはいいだろうな」
「それで支援者がどう出るか見るしかないな」
「はい、では、”サザンヒルズ国年代記”と題した伝聞小説として発表したいと思います」
「何でもいい。頼むぞ」
所長はそう言うと、上機嫌で部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送って、大きくため息をついたカーニャは、机に向かうと、幾つかの山に仕分けられた紙の束を見つめる。
まだ手を付けていない方が多い位だ。
ーーやれやれ、あそこでちゃんと箱に移していればなあ。仕方がないわね。始めましょうか。
ーーやはり、全盛期の話から始めたほうが良いでしょうね。
カーニャは羊皮紙の束を一つ手元に置くと、ペンを取って書き始めた。
ーーやはり、シフォン家の話からかな




