聖女の証
「聖女が見つかりましたぞ!」
目を開けていられないほどの眩い七色の光が聖餐卓の上から放たれていた。
驚きで床に座り込んでいた牧師が、我に返るとかすれた声を上げた。
今日は、年に一度の”聖女の証”の検定が、朝からシフォン領にあるこの教会で行われていた。
”聖女の証”の検定が行われることは、数日前から近隣の村々にも伝えられていて、検定を受けたい者は予め届け出るように告げられていた。
そして当日、期待に胸を膨らませた親たちに手を引かれて、今年五歳になる娘たちが続々と教会に集まって来ていた。
今年五歳になる女の子なら、届け出さえすれば誰もが検定を受けられるからだ。
ただここ十数年、”聖女の証”を得た娘が見つかったという話は聞かれなかった。
誰もが宝くじを引くような気持で臨んでいた中で、眩い光りが部屋中を包み込んだのだ。
それは、”聖女の証”を持つ娘が触れば必ず光ると伝わっていた通りの出来事だった。
粗末な聖餐卓の上に置かれて光を発していたのは厳重に蓋をされたガラス瓶で、その蓋の上には小さな手が置かれていた。
その場にいた者は皆、驚きで声を発することが出来ないでいる。
そんな静寂の中に、小さな女の子の声が部屋の中に響いた。
「ねえ、ジャンヌ まだなのかな?」
声を発したのは、瓶の上に手を置いていた、白銀の長い髪を丸く束ねた紫色の眼をした女の子だ。
背伸びしてようやく届いた瓶の上に手を置いていたので疲れたのだろう。
そばに立つメイド服を着た娘を振り返って問いかけていた。
ジャンヌと呼ばれた、燃えるような赤い髪の娘は感激して興奮していた。
女の子付きのメイドに決まって以来、この”聖女の証”を女の子に得させることを念願としていた。
その彼女の興奮が収まり、女の子の声が耳に入ると、はっと我に返り、女の子に笑顔を向けた。
「もうよろしいでしょう。マルセルさま」
「良かったですね。すごい光でしたね」
ジャンヌがマルセルと呼んだ女の子に笑みを向け、手を差し出した。
「用は済みましたし、おうちに戻りましょうか」
「うん」
女の子が瓶から手を離すと、ふっと光が消え、教会の中は一瞬闇に包まれた。
辺りが見えるようになっても、その場にいる者は誰一人として声も上げず、動こうともしない。
いや、驚きで何も出来なかったのだ。
床に崩れるように座り込んでいた牧師がようやく正気を取り戻して声を出そうとしても、ヒューヒューと吐息が漏れるだけで声にならなかった。
言わなければいけないことがあるのにと、気持だけが焦る。
ーーほんの少しだけ時を遡るとーー
検定の役目を担っていた牧師は、”聖女の証”を持つ娘を探すために村々を巡る、毎日の同じことの繰り返しに辟易していた。
古くから定められている所作を威厳たっぷりに時間をかけて、あくびを噛み殺しながら、娘たちの手を瓶の上に置かせてはいるが、”聖女の証”などは眉唾だろうという気持ちの方が大きくなって来ている。
ーー自分がこの仕事を担ってから”聖女の証”を得られた娘はまだいない。前の担当者もいなかったと言っていた。
ーー本当に”聖女の証”を持つ娘なんて見つかるのだろうか。
ーーまあ、この村でのこの儀式が終われば、私は王都の教会で司祭の座を約束されている。それまでの辛抱だ。
後一人で今回の儀式も終わるという時、表の扉が開いて入って来た者がいた。
「すみません、届けは出してないのですが、検定を受けさせていただけないでしょうか」
そこには、メイド服姿の娘に手を引かれた、白生地に小さな花柄のワンピースを来た女の子が立っていた。
ーーどこかのお屋敷の子かな? だがーー
牧師がすました顔をして口を開く。
いつもならそんな時には、教会の威厳を背にして相手を見下すことにしている牧師は、襟を正してコホンと一つ咳をする。
「あー、届けを出してないなら、次の機会を待ちなさい。その時にはちゃんと届けておくように」
そう言って、その場での検定の申し込みは否応なく拒否するのだった。
ーーおまけに、時間に遅れてくるとは何事だ。
ーー少しでも甘い顔を見せたら、決め事を守らない人間が増えてしまうからな。
にも拘わらず、開いた口から飛び出したのは、本人も驚くような真逆の言葉だった。
「間に合ったね。この子の後ろに並びなさい」
メイド服の娘の顔が喜びに変わった。
「ありがとうございます」
安心したような顔になってお辞儀をした娘が、連れてきた女の子を最後の女の子の後ろに並ばせる。
それを横目で見て頭を掻きながら、牧師は苦笑する。
ーーやれやれ、私はこんなに思いやりのある男だったか? まあ、一人多いも結果は同じだろうけどな。
牧師は気持ちを切り替えて、検定の儀式を進めることにした。
案の定、前の女の子が瓶に手を当てても光ることはなかった。
今度こそこれが自分の最後の勤めだと気を引き締めて、牧師は最後の女の子に声を掛ける。
「さあ、君の番だ」
すると、そばにいたメイド服の娘が言い難そうに牧師に声を掛けた。
「あの」
「何だね」
「お布施はこれだけしか無いのですが」
そう言って何かを握りしめた手を恐る恐る牧師の前に突き出した。
娘が開いた手のひらの上には、汗ばんだ三枚の銅貨が乗っていた。
それを見た牧師はにっこり笑ってしゃがみ込み、娘の顔の高さで目を合わせた。
「この検定にはね、お金は必要ないんだよ」
娘は驚いたような顔になる。
「でも、私が五歳の時には、大そうお金が必要だと言われて諦めたんです」
「君は何者で、今は何歳だね」
「ジャンヌと言います。十三歳になりました」
「すると八年前かーーああ、ジェクトンさんが担当していた時だな」
ここにも被害者がいたかと、牧師は困ったような顔で頭を掻いた。
「あの人は、お布施で小銭を稼いでいたらしいんだが、ある時から法外なお金を要求し始めてね」
「当時は王様の代替わりの時で、いろいろあってな」
「そのための資金稼ぎだろうと噂されてた」
「そのせいで、検定が終わった後、夜逃げをせざるを得なくなった家も多いと聞いてる」
「さすがにそれは本教会でも問題になってね。ジェクトンさんは教会を追放された」
「だから、今ではそんな行為は禁止されているから、お金のことは心配しなくていいんだよ」
ホッとした表情のジャンヌが手を引っ込めようとすると、横でその話を聞いていた女の子が、銅貨を持ったジャンヌの手に自分の手を添えて牧師の方に突き出した。
そして黙って牧師の目をじっと見つめ、にっこり微笑んだ。
ーー受け取れってことか?
そんなことをしたら、俺が後で上司に叱られるかもしれない。
司祭を罷免されて途方に暮れている自分の姿が頭をよぎる。
どうしようかと悩んだが、女の子の笑顔を見ていると、受け取るしか手は無いと腹をくくった。
「折角の志だ。有難く受け取っておくよ」
そう言って、お金を受け取る。
女の子の顔が笑顔で一杯になった。
その笑顔と、ジャンヌのホッとした顔を見て、受け取って良かったと牧師は安堵した。
ーージェクトンさんも最初はこんな気持ちからだったに違いない。私もこれからは気をつけないとな。
ふぅっと息を吐いて仕事に掛かる。
「じゃあ、始めようか」
最後はちゃんとしておこうと、普段より丁寧に所作を重ねた牧師が、何が始まるのかわからずきょとんとしていた女の子の肩に手を添えた。
「あの瓶の蓋の上に手を置きなさい」
言われたとおりに女の子が卓に近寄り、背伸びして瓶に手を伸ばした。
すると、まだ触ってもいないのに瓶が光り始めた。
そして蓋に手が触ると同時に、強い七色の光が溢れ出て部屋中を満たしたのだった。
牧師は”聖女の証”を持った娘が瓶に触ると瓶が光ると教えられてはいても、見るのは初めてだった。
しかも七色の光とまでは聞いていなかったので、驚きで声も出ず、その場にへたり込んでしまった。
必死に自分を取り戻すと、何度も絞り出すようにして出したかすれた声で、ようやく宣言した。
「聖女が見つかりましたぞ!」
ぐっと唾を飲み込み、声高らかに続ける。
「この娘は間違いなく”聖女の証”を持つ者です」
彼にとっては初めてのことであり、この後はどうすればいいのか考えている間に、娘たちはもう扉に向かって歩いている。
彼らが何者なのかもわかっていないことに気づいた牧師が、声を張り上げて問いかけた。
「ちょっと待ってくれたまえ。君たちは何者なんだね」
振り返った娘が小さい女の子を抱き上げて、にっこり笑った。
「この方はシフォン家のマルセルさまです」
そう言って女の子を抱えると、後も見ずに教会の外に出て行ってしまった。
その場に居合わせた者たちも、この奇跡を皆に伝えようと、我先に飛び出して行った。
しんとした教会の中で一人残った牧師はしばらく呆然としていたが、バタンと閉まった扉の音で我に返ると、大急ぎで王都に帰る準備を始めた。
シフォン家とは、この国の王位継承権を持つ四家のうちのひとつだ。
そもそもこの聖女鑑定は、四家の王位継承の順位を決めるためにあると言っても過言では無かった。
この国の王位は、”聖女の証”を持ち、その精霊の力が最も強い娘のいる四家の何れかに渡されることになっている。
”聖女の証”を得た女の子の行く末で次の王位が決まるかも知れないほど重大なことだった。
国の一大事に自分は立ち会ったのだと理解した牧師は、後片付けもそこそこに報告のため王都に向けて馬車を走らせた。
馬車の中で、彼は自分の手が何かを握り締めているのに気がついた。
恐る恐る開いて見ると、そこには三枚の銅貨があった。
一度は寄進を断わった銅貨を、受け取れという仕草をしたのは、あの”聖女の証”を現した女の子だ。
ーーこれは”聖女”さまが与えてくださった贈り物に違いない。国と教会の宝になるぞ。
ーー三枚あるじゃないか。一枚は聖女を見つけた私が貰ってもいいよな。一生の宝物にするぞ。
胸元で強く握りしめた。
精霊の光によって"聖女の証"を持つと認められただけでなく、七色に光ったことで、その子が縁を持つことになる四家の一つは、間違いなく王家を継ぐであろうと、すぐに噂が広まった。
しかも彼女がシフォン家の人間らしいということも、その日のうちに国中に知れ渡ることとなった。




