最後の記述者トーニャ
カーニャが島を訪れた、その三百年前。
住人が住んでいた北の山の麓から西に広がる、広い砂漠の中央にあったオアシスの水辺に、いつ頃造られたものかわからない小さな祠が置かれていた。
今はそこも水は枯れ、周辺は深い森と化していて、住民も殆どいない。
その祠の石壁に、”サザンヒルズ国年代記”とその作者のケーニャの遺灰を、”判定の小瓶”が収められていた尖塔の石畳の下に葬ったと刻まれているのを、オアシスに立ち寄った旅人が偶然見つけた。
彼らが話したことが、この北の山の麓の村にも伝わって来ると、村人たちが金儲けを企んだ。
当時はまだ人に知られていた崖の割れ目を通って島に渡り、盗掘を試みたのだ。
彼らはとても貧しい暮らしをしていたので、少しでも生活の足しになるものがないだろうかと期待したのだ。
湖に浮かぶ四つの島を隈なく探した彼らは、最後の島で尖塔のある遺跡を見つけた。
そしてその床と思しき中央には、真っ二つに割れてはいたが、元は一枚岩だっただろう大きな石畳があった。
その岩を動かして入り口を広げると、その下には深く下っていく洞窟があった。
中に入った盗掘者たちは、入り口近くの岩棚の上に、言い伝え通りの、封がされたガラス瓶と木箱に収められた分厚い羊皮紙の束を見つけた。
その横にはケーニャの墓と思われる石積みもあった。
羊皮紙には何か書かれていたが、彼らにはさっぱり読めなかった。
封がされたガラス瓶も煤けていて、中に何が入っているかもわからず、価値があるとはとても思えなかった。
力自慢の若者が力にものを言わせてガラス瓶の蓋をこじ開けようとしたが、不思議なことに開けることは出来なかった。
やれやれとんだ骨折り損だと意気消沈した盗掘者たちは、開いた石畳をそのままにして島を去った。
その話を人伝に聞いたトーニャと言う村娘が、ある日一人で島に渡った。
なぜか遺物を見たいという大きな衝動に駆られたのだ。
開かれたままの石畳の隙間から中を覗き込むと、奥に置かれているガラス瓶が目に入った。
中に潜り込んでガラス瓶を手に取ると、不思議なことにガラス瓶が光り始めた。
驚いたトーニャが慌ててガラス瓶から手を離すと、土の上に落ちたガラス瓶から光は消えた。
しばらく様子を窺っていたが、それ以上は何も起きなかったので、トーニャは恐る恐る手を伸ばし、もう一度ガラス瓶を手に取った。
するとそれは再び光り始め、その光は傍にあった羊皮紙の束の表面を明るく照らしだした。
そしてそこに、新たに文字が浮かび上がって来るのが見えた。
それはトーニャの知らない文字だったが、”サザンヒルズ国年代記を再開する トーニャ”と自分の名前まで添えられていると、なぜか彼女は得心出来た。
驚いたトーニャは急いで村に戻り、そこで見たことを村の長に話した。
「長、あの島で不思議なものを見つけたのよ」
小娘の戯言だと、長は相手にしなかった。
「儂らも隈なく探したんだ。価値のある物など無かった」
長は盗掘に参加した一人だったので、そう言って、トーニャの話に全く採りあわなかった。
それでもトーニャは諦めず、長に報告を続けた。
「光るガラス瓶と文字が浮かび上がる羊皮紙の束だよ」
長は半信半疑だったが、熱心に訴えるトーニャに負けて、トーニャと共に島を訪れることにした。
「ほら、これだよ」
そう言って、羊皮紙のトーニャの名前を見せたり、トーニャが触れたガラス瓶が光るのを目にすると、これは金儲けになると長は考えた。
「これは儂らの村を裕福にする絶好の機会かも知れんな」
島に見物人を呼び込むために、”消えずの灯”、”文字の表われるサザンヒルズ国年代記”を見つけたと村人たちを使って近隣に触れ回らせた。
そして見物人を島に渡すための桟橋や舟を造り始めた。
ただ、トーニャには何の仕事も与えられなかった。
褒美が貰えると思っていたのに当ての外れたトーニャは、見つけたのは自分だ、この遺物は自分に任せて欲しいと、長に談判した。
最初は渋った長だったが、トーニャの手から離れるとガラス瓶が光を失うのを見ると、渋々ながらも承諾せざるを得なかった。
遺物の管理を任されたトーニャは島に移り住み、遺物を見せる代わりに見物人から賽銭を貰って暮らし始めた。
村人たちもこの島に住み着き、見物人の世話をしてお金を稼いだ。
時折、羊皮紙の束の表面には文字が表われることがあった。
何が書かれたのか読める者はいなかったが、せめて年代記に文字が表われる時に立ち合いたいものだと、毎日のように人々が訪れ、島は大いに賑わった。
時は過ぎ、トーニャは少なくとも百歳を越えた見た目の老婆になっている。
「元気なものだね」と人々は噂していたが、管理人を始めてからすでに二百年が経っていた。
発掘当時を知る人間はとうにいなくなっている。
今朝も羊皮紙の束の入った木箱を表に持ち出し、皆に見えるように蓋を開け、その横に賽銭箱と椅子を置くと、光がよく見えるようにフードを被り、ガラス瓶を胸に抱えて座り込んだ。
ガラス瓶が光り始めたのを確かめて安心すると、いつものように居眠りを始めた。
いつもならガラス瓶は、トーニャが抱えている間は淡く光り続けているのだが、なぜかその日はしばらくすると光りが揺らぎ始めた。
ほんのりと淡く光っていた光りが少しづつ暗くなり、フッと消えてしまった。
光りが消えると共に、傍らにあった羊皮紙の年代記の最後の行に、”終わり”という文字が浮かび上がった。
そして、たぶんこの年代記の作者だと思われる”ケーニャ”と言う名の下に、”トーニャ”の名前が浮かび上がって来た。
それを目の前で見た人たちが、文字が表われるのに立ち会えたと大喜びをした。
賽銭をはずもうと老婆の前に置かれた箱に賽銭を入れようとした時、ガラス瓶を抱えている老婆の指が骨になっているのに気づいて、こちらも大騒ぎになった。
村人たちはトーニャを埋葬しようとしたが、トーニャの遺体はガラス瓶を抱えた姿で岩盤に張り付いるようで、動かすことが出来なかった。
「どうするよ」
「放っておくわけにもいかんしな」
仕方なくその上に覆いを掛けて雨露を凌げるようにした。
この事件があってから、年代記に新しく文字が表われることは無く、”消えずの灯”も二度とは光らなかった。
そんなある朝、トーニャの身体は一塊の灰の塊と化していた。
村人たちはそれを布に包み、石で周りを囲って墓とした。
見物客たちは不吉の前兆じゃないかと気味悪がって、島を訪れる人の数も減り始め、とうとう誰も訪れなくなった。
収入が見込めなくなった村人たちは話し合い、島を離れることにした。
”サザンヒルズ国年代記”の書かれた羊皮紙の束は改めて作った頑丈な木箱に収められ、”消えずの灯”と呼んでいたガラス瓶と共に、元あった割れた石畳の下に戻された。
トーニャの遺骨も、ケーニャの墓の横に石を積んで造った塚に収められ、石畳は閉じられた。
このことに関わった人々も、北の村での貧しい生活のために離散していき、いつしか廃村になり、年月と共に島のことは忘れ去られた。
オアシスから続いていた道も人通りも無くなり、次第に木々に覆われ、いつしか道の見分けがつかなくなっていった。




