やらかし
ーーマルセルがシフォン家に来て、しばらく経った頃のこと。
「おい、彼奴らは何者なんだ?」
自室のベランダから庭を眺めていたアスクが、部屋の掃除をしていたメイドに尋ねた。
問われたメイドがベランダに近づき、アスクの指差す方を見ると、尖塔の下で洗濯物を干しているジャンヌが見えた。
「ああ、あれはメイド見習いのジャンヌです」
「俺は知らないぞ」
「あの時はちょうどーー」
アスクが癇癪を起して大変な時だったと言いたい気持ちをぐっと飲み込んで、メイドは言った。
「ご、ご挨拶もそこそこに、ジャンヌに奥さまが、お嬢さまといっしょにあの尖塔で暮らすように言われましたから」
「お嬢さまだと?」
アスクの顔色が見る見る赤くなっていった。
それを見たメイドは、これは癇癪を起こさせてしまったかと思ったが、意を決して答えた。
「はい、旦那さまが連れて来られました。マルセルさまとおっしゃいます」
それを聞いたアスクがもう一度尖塔を見ると、ジャンヌの足元に小さな女の子がいた。
「そうか。またすぐにどこかに預けるのだろうな」
癇癪を起した風では無かったので、つい気を許したメイドが続ける。
「これまでは一ヶ月もしないうちにどこかに移されていましたが、マルセルさまはもう半年近くになりますからーー」
「旦那さまはマルセルさまをシフォン家のお嬢さまとして認められたのかも知れませんね」
「そうなると、アスクさまは、お兄さまですね」
何気なく言ったメイドの言葉が今度こそアスクをグサッと突き刺した。
ーー俺は来年には婚約・婚姻の約束をしてもいい歳になるはずだ。
ーー聖女の証を持つ娘と婚約して、成人してから嫁に迎え入れさえすれば、少なくとも王位継承権は少なくとも俺の代までは安泰のはずだ。
ーー父上もそれを望んでいたのではないのか?
ーー婚約という形で俺の嫁を探してくれさえすれば問題ないのに、どうして自分の子を他に求めるんだろう。
ーー父上の考えはわからんが、仮にあの子に聖女の証でも表れようものなら、シフォン家はあの娘のものになってしまうじゃないか。
ーーそんなことを許してたまるものか。
デノーテが部屋に入って来てアスクをなだめた時には、部屋はすでに見るも無残な有様になっていた。
それからのアスクは、ジャンヌやマルセルを見かけたり、声が聞こえただけでも、尖塔に走って行き、嫌がらせをするようになっていた。
シフォン家の長男であるアスクは甘やかされていたということもあって、一度火が点くと、烈火の如く暴れまわっていた。
それが月に一度程度だったので、そのときは手が掛るにしても、使用人たちの日常の作業を煩わせるまでにはならなかった。
ところが、マルセルとジャンヌが尖塔で生活をしているのを知ってからは、否が応でも二人の姿はアスクの目に留まってしまう。
別に二人がアスクの機嫌を損ねるようなことをするわけでもないのだが、姿を見ると嫌がらせをするようになり、今ではそれが毎日のように続いていた。
ジャンヌが洗濯物を干していると、わざわざ泥を擦り付けた石を洗濯物目掛けて投げて来た。
塔の入り口に飾ってあった鉢は一夜のうちにことごとく割り散らかされた。
小さな畑に植えてあった苗も踏み荒らされた。
最初のうちこそ、ジャンヌも、そんなことはやめるようアスクに頼んでいたが、その後はもっと酷くなる始末だった。
ただ、どういう訳か、マルセルにだけは手を出してこなかった。
マルセルを見つけて走り寄り、手を振り上げることも何度かあったのだが、アスクをじっと見つめたマルセルが口を開き、
「ねぇ、アスク」
と言いかけると、何も言わずに立ち去るのだった。
マルセルに被害が無いならいいとジャンヌは諦めて、何があっても無視をするようになった。
それはそれでアスクの癇に障り、アスクが尖塔に顔を見せた時には、文字通り嵐が過ぎ去ったような光景が広がった。
ジャンヌの反応が無いこともアスクの癇に障った。
ある日、デノーテの部屋のドアをノックも無しに開けて入って来たアスクがデノーテに訴えた。
「あいつらを追い出してください!」
「誰を?」
「マルセルとジャンヌですよ!」
驚いたデノーテが訳を聞くと、アスクは涙を浮かべて訴える。
「あいつらを見ると、なぜか虫唾が奔るのです」
そう言って肩を震わせているアスクを見て、デノーテは思った。
ーーこの子も私と同じで、シフォン家に馴染めないみたいね。
バッセとの結婚生活を夢見て、この館にやって来たデノーテは、部屋に置かれた家具などに近づくと、何とも言えない不安に苛まれることがあった。
聞くと、それらは義母の持ち物だったらしい。
当時、義母は尖塔で過ごすことが多く、ほとんどの私物はそちらに移してあったのだが、いくつかはまだ家のあちこちに置いてあった。
義母が亡くなってから、それらの家具・調度類は尖塔に移し、ようやくデノーテの安心して生活できる場が持てていたのである。
アスクが癇癪を起す原因は、もしかしたらシフォン家の先代の残したものに関係があるのかもしれないとデノーテは推測した。
義母のいる尖塔には小さい時から行きたがらなかったからだ。
ーーモードネス家の血がそうさせるのかも知れないわね。
マルセルがアスクの癇癪の原因になったということは、マルセルがシフォン家の血をひいたバッセの子に違いないということだ。
デノーテも、最初にマルセルを抱いた時に浮かんだ感情を今でも覚えている。
すると、なんとも言えない、憎悪のようなものが湧き上がってくるのを感じた。
そんな気持ちを慌てて振り払い、アスクを抱き締める。
「お父さまが帰ってきたら話してみましょう」
そう言うと、アスクは自分を取り戻した。
「お願いします」
部屋を出ていくアスクを見送って、デノーテは考えた。
ーーアスクだけじゃなく、私もあの子たちと会わずにすむようにしたいわね。
しばらく考えていたデノーテは、庭師のマッケンを造ったばかりの東屋に来るように使いを出した。
普段、滅多に言葉を交わすこともない女主人のデノーテからの急な呼び出しに何事かと走って来て、まだ息遣いの荒いマッケンに東屋でお茶を飲んでいるデノーテが声を掛けた。
「マッケン、この東屋は素晴らしいわね。我が家の庭の良い所を全て眺められるわ」
「お褒めに預かり、光栄です。奥さま」
ーー庭のことで褒められるとは、珍しいこともあるものだ。
「でもね、一つだけ不満があるの」
ーーやはり何か問題があったか?
身を固くしているマッケンを見るでもなく、右手で指差す。
そこには母屋と並んで、むしろ母屋より堂々と見える尖塔が見えた。
「あの尖塔、自己主張し過ぎると思わない?」
ーー母屋の方を見栄え良くしろと言うことか?
マッケンはデノーテがシフォン家に来る客を喜ばせようとしているのだと考えた。
実はマッケン爺さんはアスクと娘たちの諍いを見て、どうしたものかと考えていた。
これは丁度良い機会だと、二つ返事で庭の作り替えを提案した。
母屋からは景色の一部として見え、そこで生活する者たちが全く見えないようにするのだ。
デノーテの了承を得ると、少しでもアスクの目から少女達を隠せるように、母屋と尖塔の間に木を植えたり、それまであった植え込みをもっと高くして、二つの建物の間の目隠しの役目を果たすように剪定していった。
自然の森の中と見紛うように、よほど注意深く探さない限りは絶対通れない迷路のような垣根に仕立てたのである。
それは母屋の側から見ても、今まで以上に素晴らしい景観となったので、これでお客の評判が上がると、デノーテも大いに満足していた。
ただ一か所、ジャンヌが母屋に通うための狭い通路が、巧みに隠されて造られていた。
ジャンヌはシフォン家にとって、なくてはならない存在になっていたからだ。
尖塔の様子が窺えなくなったアスクは、しばらくは落ち着きを取り戻していたが、ある日偶然にも厨房に野菜を届けに来ていたジャンヌの姿を目にしてしまった。
逆上したアスクは、厨房の陰に潜み、使用人たちの目が無くなると、テーブルの上の、ジャンヌが持って来ていた野菜だけでなく他の食材までもを叩き落とし、踏み潰してしまった。
「奥さま、坊ちゃまを何とかしてください」
さすがに使用人たちからデノーテに苦情が出た。
ジャンヌたちの作った野菜は、今やシフォン家の究極の野菜として国中に評判を呼んでおり、シフォン家には以前にも増して、貴族や富豪から食事の依頼が来ていた。
その多さに驚いたデノーテは執事のタンカと相談して、一階の大広間を大勢の人が気軽に来れるランチレストラン風に改築していた。
元々、マッケン爺さんが作ったシフォン家の庭も美しく評判だったこともあり、大金を叩いてでも、この美しい庭を見ながら美味しい食事をすることを楽しみにしている者は多かったのである。
中にはランチだけでなく、ディナーや、一夜を過ごして朝食までを希望する者も後を絶たず、一日一組限定ではあるが、宿泊まで出来るようにしてあった。
ここに宿泊した人たちが絶賛したのは、食事だけでなく、朝起きた時に窓から見える景色だった。
正面の門から続く花園もだが、屋敷の横に建っている、鬱蒼とした森に囲まれたように見える尖塔が、見ている者の気持ちを穏やかにするのだった。
森を造った真の目的はアスク除けのためだったのだが、別な意味で役に立っていたのである。
アスクが暴れまわった、ちょうどその日は、国の宰相の家族が食事に訪れる予定になっており、ジャンヌはそのための野菜を届けに来ていたのだった。
ゴミと化した物をもてなしに使うわけにもいかないので、デノーテは慌てて早馬を走らせ、日取りの変更を願い出た。
宰相家では、お詫びにと持ち込まれた大量の野菜や大きなバラの花束を見て、困りましたねぇという顔の下で、こんなことなら何度でもどうぞと喜んでいた。
バッセの放蕩が続くにも関わらず、シフォン家を立て直して維持出来てきたのは、その尖塔とジャンヌの作る野菜のお陰でもあった。
その生活の糧である野菜にまでアスクが手を出し、めちゃくちゃにしたと知ったデノーテには、理由はともかく、アスクの行為はシフォン家としても許し難い行為であるとわかっていた。
かと言ってアスクを溺愛しているデノーテには、アスクに重い罰を科することは出来なかった。
困った挙句、一年早くではあったのだが、アスクを王都の学園の寄宿舎に入れることにした。
これにより、そうした被害は一応収まった。
学園の夏休みにアスクが帰って来た時を除いてはーーだが。




