子育て
カストに運んでもらったベッドにマルセルを寝かしつけて、その寝顔を見ているうちに、ジャンヌは恐怖のようなものが胸の奥に湧き上がってくるのを感じた。
考えてみれば、今まで赤子の世話などしたことがない。
弟か妹でもいれば参考になるのだが、家を出た時には生憎まだ母親の腹の中だった。
ーー本当に私にこの子が育てられるかしら。
ーー出来っこない。残念だけど、明日になったらマーサさんに断わって、今まで通りレナさんに育ててもらおう。
そう決心したジャンヌの心が少し軽くなりかけた時、寝ているマルセルが少しずつ光り始めた。
そのうちに体全体が光りに包まれていき、しばらく輝いていたが、だんだん薄らいで消えた後には、満足そうに寝ているマルセルがいた。
不思議なことに、ジャンヌからも今までの恐怖に近い不安が無くなっていた。
ーーマルセルさまは、まるで誰かに見守られているみたいね。
ーーそれなら、私は私の出来ることを一生懸命やるだけだわ。
次の日、二人が食堂で朝食を食べていると、執事のタンカが近寄って来てジャンヌに話しかけて来た。
「ジャンヌ、あの尖塔の階段周りには本棚があっただろう」
「はい、螺旋階段に沿って、屋根裏部屋まで本でぎっしり埋め尽くされていました」
「あれは、あの尖塔を造られた先の奥さまが、バッセさまの教育のために作られた、言わば図書館だ」
「下の段から順に読んでいけば、最後には王家と肩を並べることが出来るだけの知識が得られるようになっている」
「なぜ、そんなすごいものがあそこに?」
「この国には、王位継承権を持つ四家があるのは知っているな」
「はい」
「現王家のシャンツ家、王妃さまの実家であるシバー家、ここがシフォン家で、デノーテ奥さまの実家のモードネス家も王位継承権を持っているのだ」
「だから四家とも、いつ王家になっても困らないように、皆さん立派な図書館をお持ちなのだよ」
「先代の奥さまが尖塔を造られたときに、あそこは勉学にいい環境だからと言われて、母屋にあった書物を尖塔に移されたのさ」
「本来なら、アスクさまもあの半分は読み進められていてもいい歳なのだが、どういう訳かあそこに入るのを嫌がられてーー」
タンカは首を横に振る。
「いや、そこでだ。ジャンヌ、お前に頼みがある」
「お前は賢い子だとマーサから聞いている。だからこその頼みだ。聞いてくれるか」
「私に出来ることでしょうか」
「お前にとっても、決して悪いことではない」
「頼みと言うのは、お前にもあの本棚の本を読み進めて欲しいのだ」
「私がですか」
ジャンヌは驚いた。勉強はしたいと思っていたが、家の事情を考えると、あきらめざるを得なかったからだ。
「そしてマルセルさまが読まれるようになった時の力になって欲しい」
「でも、私は字が読めません」
「字の読み方は私が教えると言ったろう。言葉の意味は、あそこの本を順に読んでいけばわかるようになっているはずだ」
「前の奥さまは、そういったことに優れた御方だったらしい」
「マルセルさまがいつまでここにおられるかわからんが、これまでと違って、奥さま自らがお前たちにあそこに住めとおっしゃったらしいな」
「はい」
「折角の機会じゃないか。もしマルセルさまがどこかに行かれたとしてもーー」
「それでも、お前は勉強を続けなさい」
「わかりました」
「じゃ、それを食べたらさっそく字の読み方を教えよう。その間はマルセルさまはレナに預けておきなさい」
こうして尖塔でのジャンヌとマルセルの生活が始まった。
しばらくは食堂で食事をしていたが、そのうちパンと牛乳と調味料だけを持って行くようになり、三ヶ月もすると、月に一回、小麦の袋と調味料を取りに来るだけになった。
どうしたんだろうと、コック長のエストールは訝しがったが、しばらくすると畑に入って来た野ウサギを捕まえたからと、ジャンヌがウサギの肉を持ってきた。
話を聞くと、カストに狩りのやり方を教わっていたらしい。
畑で採れたからと、野菜も持ってくるようになった。
マッケン爺さんに分けてもらった種を、尖塔の周りに作った小さな畑で育てたと言う。
マルセルが冠っているウサギの毛皮の帽子を見て、ジャンヌの生活力に感心したシフォン家の使用人たちは、もうジャンヌをただの新人の小娘と見ることはなく、有能な仲間の一人として扱うようになっていった。




