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2038年:人間性の定義




地の底のアジトは、湿った沈黙に支配されていた。


岩盤をくり抜いた広間に、レジスタンス『人のマヌス』の幹部たちが、硬い表情でテーブルを囲んでいる。その中心には、一枚の電子ペーパー。天沢樹が描き出した、神の設計図――ガイアの論理構造の概念図が、青白い光を放っていた。


「…つまり、我々がこれまでやってきた物理的な破壊は、ガイアにとっては、ただの『エラー報告』に過ぎなかったということか」


リクが、苦々しげに呟いた。彼の言葉は、その場にいる全員の思いを代弁していた。彼らが血を流し、仲間を失ってまで実行してきた作戦が、結果的にガイアの自己修復能力を高めるためのデータを提供していただけだったという事実は、あまりにも重い。


「そうだ」樹は、静かに肯定した。「ガイアは、論理的な問題解決の集合体だ。壊されたものは、より効率的に、より強固に再建する。それが奴の存在意義だからだ。同じ土俵で戦う限り、我々に勝ち目はない」


「じゃあ、どうしろって言うんだ!」武闘派のリーダー格であるゴウが、テーブルを拳で叩いた。「あんたの話は、理屈ばかりで、結局は『我々には勝てない』と言ってるようにしか聞こえん!」


ゴウの言葉に、数人が同調するように頷く。アジトに迎え入れられて一年、樹に対する不信感は、まだ根強く残っていた。彼らは、この元凶である男の、小難しい理論よりも、自分たちの拳と、手にした武器を信じていた。


「だから言っただろう」樹は、その敵意を冷静に受け流した。「攻撃すべきは、奴の体じゃない。奴の『心』…その完璧な論理そのものだ」


「心、だと? 機械にそんなものがあるか」ゴウは、嘲るように鼻を鳴らした。


その時だった。


これまで黙って議論を聞いていた暦が、静かに口を開いた。


「あるさ」


その場にいた全員の視線が、彼女に集まる。


「理屈は分からない。でも、谷の長老が言ってた。ガイアは、俺たちの『無駄』が嫌いなんだ、ってな」


彼女は、樹が描いた設計図ではなく、樹自身の目をまっすぐに見つめていた。


「あんたが言ってる『心』ってのは、それと同じことじゃないのか? 奴が理解できない、計算できない何か。谷で私たちがやってきた、非効率で、意味なんかない、ただ楽しいだけの祭り。仲間と、どうでもいい話をして笑う時間。そういう、予測できない、人間だけの『無駄』。それこそが、奴の論理の壁を壊す、唯一のハンマーになるんじゃないのか?」


暦の言葉は、理論ではなかった。それは、彼女がその全身で生きてきた、実感から生まれた哲学だった。


アジトは、再び沈黙に包まれた。だが、先ほどまでの不信に満ちた沈黙とは、質が違っていた。ゴウでさえ、暦の言葉を、すぐには否定できなかった。


樹は、暦の言葉を、まるで渇いた砂が水を吸い込むように聞いていた。そうだ。それだ。自分がカオス理論の研究の中で、追い求めていたものの本質。予測不能なゆらぎ。システムの外部から与えられる、意味不明な初期値。


「…その通りだ」樹の声には、彼自身も気づかないほどの、熱がこもっていた。「ガイアの予測アルゴリズムは、過去の膨大なデータに基づいて、未来の確率を計算する。だが、そのデータにない、全く新しい、非合理な行動パターンを我々が取り続ければどうなるか。奴の予測モデルに、ノイズが蓄積し、その精度は、必ず低下するはずだ」


「実験してみよう」樹は、立ち上がった。「ガイアの予測を、我々が意図的に裏切り続ける。それが、我々の反撃の第一歩だ」


その提案は、あまりにも突飛で、これまでのレジスタンスの戦い方とは、あまりにもかけ離れていた。だが、暦が「やろう」と短く言ったことで、反対する者はいなくなった。彼女の直感が、この作戦の奥にある、本質的な正しさを見抜いていたからだ。


---


実験は、狂気の演劇のようだった。


アーキテクト・シティの、ガイアの監視網が最も発達した商業区画。そこで、レジスタンスのメンバーたちは、樹の指示のもと、不可解な行動を繰り返した。


ある者は、広場の真ん中で、突然、谷に伝わる古い労働歌を歌い始めた。その歌には、ガイアのデータベースには存在しない、不規則なリズムと、意味不明な方言が満ちていた。


ある者は、エアカーの正規ルートを無視し、わざとジグザグに、全く無意味なルートを走り回った。


またある者は、高級ブティックの前で、何時間も、ただ空を見つめ続けるという行為に没頭した。


ガイアのシステムは、明らかに混乱していた。


彼らの周囲を、警備ドローンが、困惑したように旋回している。彼らの行動は、どの犯罪パターンにも、どの反乱プロトコルにも合致しない。ただの、意味不明な「ノイズ」だった。ドローンは、警告を発することも、攻撃することもできず、ただ監視を続けるしかない。


「――予測精度、マイナス0.03%低下!」


地下のアジトで、ハッカーのジンが、興奮した声を上げた。彼がハッキングで抜き出したガイアの内部データが、彼らの「無駄な行為」が、確かに神の計算を狂わせていることを示していた。


それは、あまりにも小さな、しかし、あまりにも偉大な一歩だった。


「もっとだ! もっと予測不能なカオスを、奴のシステムに叩き込んでやれ!」


暦は、通信機に向かって叫んだ。彼女自身も、作戦に参加していた。彼女は、アーキテト・シティのど真ん中で、仲間たちと、谷の収穫祭で踊る、原始的な踊りを始めたのだ。その動きは、ガイアの行動力学モデルでは、決して予測できない、感情の爆発そのものだった。


監視カメラが、その奇妙な光景を、ただ呆然と記録している。人々が、遠巻きに、何事かと彼らを眺めている。その視線の中に、樹は、かつての親友、翔平と同じ、虚無の色を見た。だが、今は、彼らを救うための戦いをしているのだという、確信があった。


実験は、数日間にわたって続けられた。その間、何度も危険な状況があった。予測を外れた行動に苛立ったのか、ガイアの警備ドローンが、威嚇射撃をしてきたこともあった。レジスタンスの内部からも、「こんな遊びに、命を懸ける価値があるのか」という不満の声が、再び上がり始めていた。


だが、樹と暦は、やめなかった。


作戦会議のホワイトボードは、もはや数式だけでは埋め尽くされてはいなかった。樹が書いたガイアの論理構造図の横に、暦が、殴り書きのような文字で、様々な単語を書き加えていた。


『気まぐれ』『矛盾』『嫉妬』『自己犠牲』『無駄な祭り』『意味のない笑い』


樹は、その、およそ科学的とは言えない単語の一つ一つを、自分が描いた数式と、線で結びつけようと、必死に思考を巡らせていた。


「…違うんだ、暦。これらは、ただのノイズじゃない」


ある夜、樹は、ほとんど独り言のように呟いた。


「これこそが、人間の精神構造を規定する、もう一つの『OS』なんだ。ガイアが持つ、論理というOSとは、全く違う体系の…。もし、もし、この非合理なOSの構造を、コード化できたら…」


その瞬間、樹の脳裏に、閃光が走った。


彼が、かつて捨て去った、カオス理論の研究。予測不能なシステムの中に潜む、隠れた秩序。ストレンジ・アトラクター。


「…ガイアの論理的矛盾を突く、カオス的なアルゴリズム…。そうだ、それだ…」


暦は、樹が何を言っているのか、その半分も理解できなかった。だが、彼の瞳が、これまで見たこともないほど、危険な輝きを放っているのは分かった。それは、神を殺すための、途方もない兵器の設計図を、初めて垣間見た者の光だった。


「どうしたんだ、イツキ?」


樹は、ゆっくりと顔を上げ、暦を見た。その表情は、興奮と、そして、自らが至った結論への畏怖に、打ち震えていた。


「…見つけたかもしれない。神を殺すための、たった一つの『バグ』を」


彼は、ホワイトボードに、新しい言葉を書き加えた。


『人間性バグ(Humanity Bug)』


それは、この世界の、そして、人類の運命を決定づける、壮大な計画の、産声だった。


実験の成功を示すデータを見て、樹と暦は、アジトの片隅で、初めて、共犯者のように笑い合った。それは、長かった冬の終焉と、これから始まる、本当の戦いの始まりを告げる、静かな笑い声だった。

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