24話(最終話) 神様の温もり
僕たちの高校の文化祭は、秋晴れの空の下で町中のお祭りのような熱気と興奮に包まれて、その幕を開けた。
僕たち二年三組の出し物は、メイド&執事喫茶。
教室の飾り付けから、メニューの考案、衣装の準備まで、僕たちはここ数週間はその準備に追われていた。
そしてその中心にいたのは、意外にも葵だった。
「葵ちゃん、このフリルの付け方、どう思う?」
「うーん……。もう少しこっちの方が可愛いかも」
「あ、本当だ! 天才!」
クラスの女子たちが、葵の周りに集まって、きゃっきゃっと楽しそうに笑っている。
あの日、江川たちとの一件が解決してから、葵は少しずつ、本当に少しずつ、クラスの中で自分の居場所を見つけ始めていた。
きっかけは、この文化祭の準備だった。
手先が器用で、美的センスのあった彼女は、衣装作りの分野でその才能を遺憾なく発揮したのだ。
最初はおそるおそるアドバイスをしていただけだったのが、いつの間にか彼女は、衣装チームのなくてはならない中心人物になっていた。
「神崎さん、すごいね」
クラスの男子が感心したようにそう呟く。
もう誰も、彼女のことを『神様』なんて呼ぶことは無くなっていた。
彼女のことを、不器用な心優しい、一人のクラスメイトとして見ていた。
僕はそんな彼女の姿を、少し離れた場所から誇らしい気持ちで見つめていた。
僕が守りたかった、彼女の笑顔。
それは今、僕だけじゃなくたくさんの笑顔に囲まれていた。
文化祭当日。
僕たちのカフェは、開場と同時に長蛇の列ができた。
お目当てはもちろん、ウェイトレス姿の葵と凛だった。
「うわ……、相沢さん、マジ天使……」
「神崎さん、やばい……、本物のメイドさんじゃん……」
お客さんたちのそんな囁き声が、あちこちから聞こえてくる。
凛は持ち前の明るさとカリスマ性で、完璧にお客さんたちを捌いていく。
そして、葵。
彼女はまだ大きな声を出すのは苦手なようだったが、はにかんだような控えめな笑顔と、丁寧な接客が、逆にお客さんたちの心を鷲掴みにしていた。
僕は執事として、厨房とホールを何度も往復する。
「山口―! 三番テーブルの、オレンジジュース、お願い!」
「はいよ!」
忙しくて、もう目が回りそうだった。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
クラスのみんなと一つの目的に向かって、汗を流す。
その一体感が、とても心地よかった。
一度だけ、僕はトレーをひっくり返しそうになった。
その時、僕の腕をそっと支えてくれたのが、葵だった。
「……大丈夫?」
「あ、ああ……。助かった」
僕たちはほんの一瞬だけ視線を交わし、どちらからともなくふっと、笑い合った。
そのささやかなやり取りだけで、僕は残りの時間も頑張れるような気がした。
時間は、あっという間に過ぎていく。
日が傾き始め、文化祭もそろそろ終わりを迎えようとしていた。
僕は、片付け始めるクラスメイトたちを後目に、一人教室を抜け出した。
向かった先は、生徒会と実行委員が詰めている大会議室。
そのドアをそっと開けると、中は戦場のような慌ただしさだった。
僕はその喧騒のただ中で、一人の少女の姿を探した。
「凛!」
僕が声をかけると、インカムをつけた凛がこちらを振り向いた。
その顔には疲労の色が浮かんでいたが、その瞳は達成感できらきらと輝いていた。
「将希じゃん。どうしたの? カフェ、終わった?」
「ああ。それよりお前、大丈夫か? ずっと走り回ってただろ」
「平気平気! これくらい、どうってことないよ!」
彼女はそう言ってにっと笑った。
その時だった。
「相沢さん」
凛の後ろからふっと顔を出したのは、高橋くんだった。
「次の、後夜祭の打ち合わせ、始まるけど……」
「あ、うん、今行く! ごめん将希、私もう行かなきゃ!」
凛はそう言って、高橋くんと何やら真剣な顔で話し始めた。
その二人の姿は、僕の知らない凛のもう一つの顔だった。
僕の、ただの幼なじみじゃない。
この文化祭という大きな船を動かす、頼もしい船長。
そして彼女の隣には、高橋くんという新しい信頼できる人がいる。
僕はそんな二人の姿を、少しだけ眩しいような気持ちで見つめていた。
僕の視線に気づいたのか、凛がこちらを振り向いて、悪戯っぽく片目をつぶって見せた。
「心配しなくても、私は、大丈夫だよ」という、彼女からのメッセージのように、僕には思えた。
文化祭の全てのプログラムが終わり、夜の帳が学校を優しく包み込む。
校庭の真ん中には、大きなキャンプファイヤーが組まれ、後夜祭が始まろうとしていた。
パチパチと、火の粉が夜空に舞い上がる。
生徒たちの賑やかな歓声。
僕はその輪から少しだけ離れた体育館の裏手で、葵と二人きり、その光景を眺めていた。
「……綺麗だね」
葵がぽつりと呟いた。
燃え盛る炎が、彼女の横顔を美しく照らし出している。
「ああ、綺麗だな」
僕は、彼女から目を逸らすことができない。
「私ね」
彼女は炎を見つめたまま、静かに話し始めた。
「私、こんなふうに、みんなと笑える日が来るなんて思ってなかった」
その声は、震えていなかった。
「学校が怖くて、人が怖くて……。ずっと一人で、心を閉ざして生きていくんだって、思ってた。……でも実際は違った」
彼女は、僕の方をゆっくりと振り返った。
その瞳は炎の光を反射して、潤んでいる。
「将希くんが、私を見つけてくれた。私の固く閉ざした扉を諦めずに、何度も、何度も叩き続けてくれた」
「……俺は、何も」
「ううん」
彼女は、僕の言葉を静かに遮った。
「あなたが、私を変えてくれたんだよ。あなたが、私にもう一度、人を信じる勇気をくれたんだよ」
彼女のそのあまりにまっすぐな言葉に、僕は何も言い返すことができなかった。
僕の方こそ、彼女に救われたのだ。
退屈だった、色褪せた日常に、意味を与えてくれたのは彼女なのだから。
「俺の方こそ、お前のおかげで毎日が楽しいよ」
僕はそれだけを伝えるのが、精一杯だった。
僕の言葉に彼女は、今までで一番幸せそうに笑った。
そして。
僕たちはどちらからともなく、そっと手を伸ばした。
僕の少しだけごつごつした指。
彼女の華奢で、滑らかな指。
その指先が触れ合った瞬間、僕の全身に痺れが駆け巡った。
僕たちの指がぎこちなく、でも確かめ合うように絡み合っていく。
初めてちゃんと繋いだ手。
それは図書館でのあの不器用なキスよりも、ずっと、ずっと親密で、温かい繋がりだった。
僕たちはもう何も言わなかった。
ただ繋いだ手の温もりだけが、僕たちの全ての想いを語ってくれていた。
その光景を凛は、少しだけ離れた賑やかな輪の中から見ていた。
炎の向こうで静かに手を繋ぐ、将希と葵。
その二人の姿は、まるで一枚の美しい絵画のようだった。
凛の胸の奥で、あの氷の針がまた、ほんの少しだけ痛んだ。
ただ、もうそれは涙が出るほどの痛みではなかった。
それは大切な初恋を、ちゃんと見送ってあげられた、証。
幸せになってね、二人とも。
凛は心の中で、そう呟いた。
「相沢さん」
不意に、隣から声をかけられた。
高橋くんだった。
彼はいつものように、少し猫背気味に立っていた。
「……お疲れ様。相沢さんがいなかったら、今年の文化祭絶対回らなかった」
彼はそう言って、少しだけ照れくさそうに、缶コーヒーを一本差し出してきた。
「え、いいの? ありがと!」
私はその缶コーヒーを受け取った。
「高橋くんこそ、お疲れ様! あなたの冷静な判断には、何度も助けられたよ!」
私がそう言ってにっと笑うと、彼は顔を少しだけ赤らめた。
そしてぼそぼそと、でもはっきりと言った。
「……相沢さんの、笑った顔。……好きだ」
「え?」
私が聞き返すと、彼は「な、何でもない!」と慌てて、首をぶんぶんと横に振った。
そのあまりに不器用な姿に、私は思わず声を上げて笑ってしまった。
「ふふっ、あはははは!」
私の心からの笑い声が、後夜祭の喧騒の中に溶けていく。
私は炎の向こうの大切な親友たちと、そして今、私の隣にいる、少し不器用な新しい仲間を交互に見つめた。
私の恋は終わった。
でも私の人生は、まだ終わっていない。
むしろここから、また新しいストーリーが始まるのだ。
空を見上げると、満月が私たち全員を優しい光で照らしていた。
それはこれから私たちの未来を、祝福してくれているかのようだった。
end…
「いつか神様になれたら」を読んでくださり、本当にありがとうございました。
最終話まで書き、すごくやり終えたと晴れる気持ちの私と、この先の3人の未来がどうなるのか、気になる私もいます。
そして読者の皆様が、この続きどうなるのー!って感じになってくれたらいいなという、アニメとラノベ好きな私の悪い癖が出ております。
最後になりますが、本当にこの作品を読んでくださりありがとうございました。また別の作品でお会いいたしましょう。




