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21話 神様とのキス

凛が僕たちの前で、いつもの笑顔を取り戻してくれた日。

その日を境に、僕たちの間を覆っていた、薄くて、息苦しかった膜のようなものは完全に消え去った。

僕と、葵と、そして凛。

僕たちはまた、昔のように三人で、心から笑い合える関係に戻ったのだ。

いや、昔よりもっと深く、強い絆で結ばれた、新しい関係に。

凛は、もう、僕を避けることはなかった。

昼休みには、一番に僕たちの席にやってきて、「ほら、屋上行くよ!」と、僕と葵の腕を引く。

その笑顔にはもう、一片の曇りもなかった。

葵もまた、そんな凛の前では自然体でいられるようになっていた。

凛と二人だけで僕にはわからない、女の子同士の秘密の話をして、くすくすと笑い合っている。

その光景を見ているだけで、僕の心は温かいもので満たされた。

僕の大切な人たちの守りたかった日常。

たくさんの痛みを乗り越えて、ようやく僕たちの手の中に戻ってきたのだ。


そして神社の再生作業は、完全に終了した。

境内は、僕たちが初めてここに来た時とは比べ物にならないくらい綺麗になり、清らかな空気に満ちている。

それは、僕たち三人の汗と、涙と、笑顔の結晶だった。

作業が終わった後も、僕たちは当たり前のように毎日、この場所に集まっていた。


だが、その日の放課後。

神社に着いた僕と葵は、少しそわそわしていた。。

凛は文化祭の実行委員の集まりで、今日は来られない。

つまり今、ここには僕と葵の二人きり。

告白の日以来、初めて意識的に二人きりになる時間だった。


「……なんか、変な感じだな」


僕が、そう言うと、葵も、こくりと頷いた。


「うん。……凛ちゃんがいないと、静かだね」


「だよな」


僕たちは、縁側に座った。

でも、何をすればいいのかわからない。

今までは「神社の掃除」という、明確な目的があった。

でも、今はない。


僕たちは、恋人同士。

恋人同士って、二人きりの時、一体、何をするものなんだろう?


そんな根本的な疑問に、僕たちはぶち当たっていた。

気まずい沈黙が流れる。

僕はそんな空気を振り払うように、わざと明るい声を出した。


「なあ、葵!」


「……うん」


「せっかくだから、どこか、行かないか?」


僕の提案に、葵は、驚いたように、目を見開いた。


「どこかって……どこへ?」


「いや、それは……」


僕は、言葉に詰まった。

そうだ。どこへ? 

この町の、どこへ行けば、恋人同士の時間を、過ごせるというのか。

僕の頭の中は、真っ白だった。僕の乏しい経験値の中に、「デート」という項目は存在しなかったのだ。

映画という案が瞬間頭によぎったが、町の映画館はもう何年も前に潰れてしまった。

カフェという案は、商店街のおばあちゃんたちが集う、古びた喫茶店だけだ。

僕がうんうんと唸っていると、葵がおそるおそるというように口を開いた。


「……あのね」


「うん?」


「私、行ってみたい場所がある」


「え、本当か! どこだ?」


僕は救いの神が現れたかのように、彼女の顔を覗き込んだ。

彼女は少しだけ頬を赤らめながら、小さな声でその場所の名前を告げた。


「……図書館」


僕たちが向かったのは、町の中心部にある、小さな二階建ての町立図書館だった。

僕も小学生の頃に夏休みの宿題のためによく来たが、最近はとんとご無沙汰だった。

ぎいっと音を立てるガラスの扉を開けると、古い紙の匂いと、独特の静寂が僕たちを包み込んだ。


「……なんか、緊張するな」


僕がひそひそ声で言うと、葵はくすりと小さく笑った。


「なんで?」


「いや、だって図書館で喋ったら怒られるだろ」


「喋らなきゃ、いいんだよ」


彼女はそう言うと、慣れた様子で受付にカードを提示し、中へと入っていく。

僕は慌てて、その後を追った。

彼女が向かったのは、二階の小説が並ぶ書架だった。

高い天井まで届く巨大な本棚。

そこにぎっしりと、無数の物語が眠っている。

葵はその本棚の前で、まるで宝物を探す子供のようにきらきらと瞳を輝かせていた。


「葵、本好きなのか?」


「うん。小さい頃から、ずっと本を読んでる時だけは、嫌なことも全部忘れられたから」


そう言って、彼女は一冊の本をそっと手に取った。

その横顔は、僕が今まで見たどんな彼女よりも幸せそうに見えた。

僕はそんな彼女の姿をしばらくの間、ただ黙って見つめていた。

彼女には彼女だけの世界がある。

僕の知らないたくさんの物語が、彼女の中には詰まっているのだ。

そのことに、僕は少しだけ嫉妬した。

けれど、それ以上にもっと、彼女のことを知りたいと強く思った。


「将希くんは、読まないの?」


「え? あ、ああ。俺も何か探すかな」


僕は適当に、近くの棚から一冊の本を抜き取った。

分厚い、歴史小説だった。

正直、まったくと言っていいほど興味はない。

僕たちは、窓際の二人掛けの閲覧席に並んで座った。

午後の柔らかい日差しが、僕たちの手元を優しく照らしている。

聞こえるのは、僕たちのページをめくる音と、壁の時計が時を刻む音だけ。

特に会話はない。

でもその沈黙は、全く気まずくなかった。

同じ空間で、同じ時間を共有している。

隣に、彼女の気配を感じる。

それだけで僕の心は、不思議なくらい満たされていた。

これが、僕たちのデートの形なのかもしれない。

派手じゃなくて、特別じゃなくて、ただ穏やかで、いつも通りの時間。

僕はそんなことを考えながら、興味もない歴史小説のページを漫然とめくっていた。

ふと隣を見ると、葵がこくり、こくり、と船を漕いでいた。

彼女は本を開いたまま、小さな頭を左右に揺らしている。

その姿はあまりに無防備で、あまりに愛おしかった。

僕は思わず笑みがこぼれるのを、必死でこらえた。

やがて彼女の頭が、カクンと大きく傾き、僕の肩に寄りかかってきた。


「……っ!」


僕の心臓が、大きく跳ね上がった。

彼女の、柔らかい髪の感触。

シャンプーの、甘い香り。

そして、わずかに聞こえてくる寝息。

その全てが、僕の全身の感覚を麻痺させていく。

動けない。

少しでも動いたら、この時間が終わってしまう。

僕は硬直したまま、ただ自分の肩に預けられた温もりを感じていた。


時間は、ゆっくりと流れていく。

窓の外の空が、少しずつオレンジ色に染まり始めていた。

僕は自分の肩で眠る彼女の寝顔を、そっと盗み見た。

穏やかなその表情に、ふと綺麗だと思った。

僕が守りたかった、笑顔。

僕はおそるおそる、自分の手を伸ばした。

その手を彼女の頬に、そっと触れさせた。

絹のように、滑らかな肌。

その温かい感触に、僕の理性の糸が、ぷつりと切れた。


僕はバレないよう、ゆっくりと彼女に近づいていった。

彼女が、その瞬間目を覚ました。

だがその時には、僕たちの顔の間がもう数センチの距離にあった。

彼女の大きな瞳が、驚きに見開かれる。


「……将希、くん……?」


その唇から、僕の名前が吐息のように漏れた。

僕はもう、止まれなかった。

僕は、彼女のその潤んだ瞳を見つめながら、さらに顔を近づける。

僕たちの唇は、静かに重なり合った。

それは、ほんの一瞬。

触れたか、触れないかくらいの、ぎこちないキスだった。

でも僕にとっては、とてつもなく鮮烈な、初めてのキス。


唇が離れる。

僕たちは至近距離で、お互いを見つめ合ったまま固まっていた。

図書館の静寂。

夕日が差し込む、閲覧席。

二人だけの世界。

先に我に返ったのは、葵だった。

彼女は、自分が何をしてしまったのかをようやく理解したかのように、顔をぼん! と、音が出そうなくらい真っ赤に染め上げた。


「……ばか」


そう小さな、小さな声で呟くと、僕の胸をぽかぽかと、力なく叩いた。

その後、顔を覆ったまま、机に突っ伏してしまった。

僕はそんな彼女の姿に、どうしようもなく愛しさが込み上げてくるのを感じていた。

僕の初めての恋人は、世界で一番可愛くて、世界で一番不器用な女の子。

彼女の小さな背中を見つめながら、残った温かさの幸せを噛み締めていた。

僕たちの恋人としての時間は、まだ始まったばかり。


僕は、机に突っ伏したままの彼女の頭をそっと優しく撫でた。

彼女の肩が、ぴくりと揺れる。

でも彼女は、もう拒絶することはなかった。

夕日がそんな僕たち二人を、いつまでも、いつまでも優しく照らし続けていた。

いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。

人によっては気づいているかもしれませんが、もうすぐ最終話です。

ラストまでお楽しみください。

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