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16話 神様、宣戦布告を受ける

あの日、私が山口くんへの恋心を自覚した。

そして、凛の恋心に気づいてしまってから。

私たちの間には薄くて、でも決して破れない、透明な膜のようなものができてしまった。


そんな中、神社での作業は相変わらず続いていた。

山口くんはまだ何も気づいていないのか、以前と同じように屈託なく笑い、私や凛ちゃんに話しかける。

だがその無邪気さが、今は少しだけ残酷に感じられた。

凛もまた、完璧な「太陽」を演じ続けているように見えてしまった。

彼女は以前よりももっと明るく、もっと賑やかに振る舞った。

たくさん喋り、たくさん笑う。その笑顔が、あまりに眩しすぎて、私は時々、目を細めてしまうほどに。


でも、私にはわかってしまった。

彼女のその完璧な笑顔の裏側で、表面で見えている感情とは違う表情をしていることを。

山口くんが私に、ほんの少しの優しさを見せた時。「葵、そこの枝、取ってくれるか?」と、初めて私のことを名前で呼んでくれた時。

凛の笑顔がほんの一瞬だけ凍りつくのを、私は見てしまった。

山口くんが私の方を向いている時。凛ちゃんがそんな彼の横顔を、どんなに切ない目で見つめているか。

私は知ってしまった。

そのたびに私の胸は、罪悪感できゅうっと締め付けられた。

凛ちゃんは、私の恩人だ。

私を、暗闇から救い出してくれた、大事な、大事な、初めての親友。

その彼女を、私は今こうして傷つけている。

将希を好きになればなるほど、凛ちゃんを苦しめている。

その事実が、私に重く、重く、のしかかっていた。


「話さなきゃ…」


いつまでも、このまま気づかないふりをしているわけにはいかない。

そう思うのに、言葉が見つからない。何て言えばいい? どうすれば、誰も傷つけずに済む?

答えの出ないまま、時間だけが、気まずく、そして、残酷に過ぎていった。



その日は空気の澄んだ、気持ちのいい秋晴れの日だった。

放課後、神社での作業を終え、三人で夕日に染まる坂道を並んで下っていた。


「いやー、今日も働いたねー! 見てよ、私のこのマメ!」


凛がわざとらしく、軍手を外した手のひらを見せておどける。


「お前が、一番サボってたけどな」


将希が、呆れたように、ツッコミを入れる。


「なによー! 私は二人の精神的支柱として、癒やしを提供してたの!」


「はいはい、そりゃどうも」


いつも通りの、軽口の応酬。

でも、今日の凛はどこか様子が違った。その笑顔には、いつものような、からりとした明るさがない。

無理に自分を奮い立たせているような、悲壮感さえ漂っていた。

やがて、分かれ道に差し掛かる。


「じゃあ、私、こっちだから」


凛が、足を止めた。


「おう、また明日な」

将希が、ひらひらと手を振る。

私も、「またね、凛ちゃん」と、声をかけた。

その時だった。

凛は、葵の方をまっすぐに見つめて言った。

その声は、驚くほど、静かで、落ち着いていた。


「葵ちゃん。この後、少しだけ時間あるかな?」


葵の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。


来た。

ついに、この時が、来てしまった。


隣で将希が、「ん? なんだよ、二人で女子会か?」と、呑気な声を上げている。

葵は、そんな将希に気づかれないように、凛にだけ聞こえる声で答えた。


「……うん。大丈夫」


葵の声は、少し震えていた。

凛はそんな私の目を見て、一度だけ笑って強く頷いた。


「屋上で、待ってる」


そう言い残すと、彼女は、将希に「お先!」とだけ言って、一人で、学校の方へと戻っていった。


「なんだよ、あいつ。変な奴だな」


将希は不思議そうに、首を傾げている。

そんな彼に、葵は曖昧に笑いかけることしかできなかった。


「ごめんね、山口くん。これは、私と、凛ちゃんの、二人だけの戦いなんだ」



学校の屋上に続く、最後の階段を上る。

一段、また一段と、足が鉛のように重くなっていく。

ドアを開けると、冷たい秋の風が私の頬を、びゅうと撫でていった。

夕日が、空と町とこの屋上を、燃えるようなオレンジ色に染め上げている。

凛はフェンスに寄りかかり、一人で景色をじっと見つめていた。

その背中は、いつもクラスの中心で太陽のように輝いている彼女とはまるで別人のように、小さく、そして、寂しげに見えた。

私が、ゆっくりと、彼女の隣へと歩み寄る。

彼女は、私の気配に気づいていたはずなのに、しばらくの間何も言わなかった。

長い、長い沈黙。

遠くで、部活動に励む生徒たちの声が、風に乗って、聞こえてくる。

やがて凛は、空から私の方へと視線を移した。

その瞳は、夕日を反射して、きらきらと、潤んでいるように見えた。

彼女の表情には、もういつものような無理した笑顔はなかった。

そこにあったのは、悲しみと、苦しみと、そして全てを懸けるような、強い覚悟の色だった。


「葵ちゃんさ」


凛が、先に、口を開いた。


「将希のこと、好きなんでしょ?」


その、あまりにまっすぐなナイフのような言葉に、私の心臓がまた大きく軋んだ。

でも、私はもう逃げないと決めた。

私は、彼女のその潤んだ瞳をまっすぐに見つめ返した。

そして一度だけ、深く息を吸い込む。


「……うん。好き」


私の声は、全く震えていなかった。


「山口くんのことが、好き」


そして続けた。これは、私だけの一方的な気持ちじゃない。凛ちゃんの本当の気持ちからも、私はもう目を逸らさない。


「凛ちゃんも……そうでしょ?」


私の言葉に、凛の肩が、ぴくりと震えた。


「将希くんのこと、ずっと、ずっと、隣で大事にしてきたんだよね」


「…………」


凛は、何も言わなかった。

でも、その瞳からこらえきれなかった涙が、一筋すうっと頬を伝っていく。

その一粒の涙が、雄弁な答えだった。


ああ、やっぱりそうだったんだ。


真実が夕暮れの空の下で、静かに、そして残酷に肯定される。

凛は、乱暴にその涙を手の甲で拭うと、一度だけ鼻をぐすっとすすった。

そして、彼女は話し始めた。

自分の本当の気持ちを。


「馬鹿だよね、私」


その声は、震えていた。


「十年以上も、隣にいたのに。あいつが私のことを、ただの幼なじみとしか見てないことなんてとっくにわかってたはずなのにさ。……気づかないふり、してた。あいつの特別は私だって、勝手に思い込んでた。この当たり前が、ずっと、ずっと、続くんだって……」


彼女の言葉の一つ一つが、私の胸に、鋭く、突き刺さる。


「でもね、葵ちゃんが、来た」


凛は、私を見た。

その瞳には、もう、憎しみや、嫉妬の色はなかった。


「あんたが来て、将希は変わった。私が、今まで見たこともなかったような、優しい顔で笑うようになった。……嬉しかった。本当に。あいつが、やっと自分の殻を破ってくれたんだって。……でも、同時に痛かった。胸が、張り裂けそうなくらい、痛かったんだよ」


「凛ちゃん……」


「将希の隣は、もう、私の場所じゃないんだって、思い知らされた。あんたが、将希を変えたんだ。私じゃ、ダメだったんだよ」


違う、と私は叫びたかった。

凛ちゃんがいたから、山口くんは優しくなれたんだよ。凛ちゃんがいたから、私は救われたんだよ。

でも、どんな言葉も、今の彼女を慰めることはできないだろう。

凛は自分の頬を、両手で、ぱんっ!と叩いた。

気合を入れるような、その乾いた音が屋上に響き渡る。

そして彼女は、私の目をもう一度まっすぐに見た。

その瞳には、もう涙はなかった。

そこにあったのは、まるで、戦場に向かう戦士のような、強く、そして、美しい光だった。


「これは、八つ当たりじゃない。ただの、私のわがまま!」


凛はそう言って、ふっと笑った。

それは、私が今まで見たどんな彼女の笑顔よりも、痛々しくて、でも最高に、格好いい笑顔だった。


「私、簡単には諦めないから」


彼女は、きっぱりと、そう言った。


「葵ちゃんは、私の大事な初めての親友だよ。それは本当。これからもずっと友達でいたい。でも、これだけは譲れない」


彼女は、一歩私の方へ足を踏み出した。


「だから……聞いてくれる? 私たち、今日からライバルだからね」


親友で、そして、恋の敵。

そのあまりに切ない宣戦布告は、夕焼けの空へ静かに溶けていった。

私は、何も言えなかった。

ただ彼女の強さと、美しさに打ち震えることしかできない。

そして、私もまた静かに覚悟を決めた。


私は彼女から逃げない。

この、恋からも、友情からも。


私は彼女のその宣戦布告を、真正面から受け止めよう。


「……うん。わかった」


私はそう言って、彼女に精一杯の笑顔を返した。

その笑顔はきっと、ひどく泣きそうな顔をしていたに違いない。


夕日が、完全に地平線の向こうに沈んでいく。

世界が夜の闇に包まれる、ほんのわずかしかない美しい時間。

屋上には二人の少女が、ただ、静かに立ち尽くしていた。

もう、気まずい沈黙はなかった。

そこには、お互いの全てを理解し合った親友と、そして恋敵の間にしか流れない、澄み切っていて、少し悲しい空気が満ちているだけだった。

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