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14話 神様じゃなくたっていい

あの日の放課後、葵と凛が二人で教室から戻ってきた時、僕は二人の間に流れる空気の異変にすぐに気がついた。

凛の目は、泣き腫らしたかのように真っ赤だった。

そして葵の表情は、今まで見たことのない深い悲しみと、そして何かを決意したかのような、硬い覚悟に満ちていた。


「……おかえり」


僕がそう声をかけると、凛は、僕の顔をまともに見ることができずに、「……うん」とだけ言って、足早に自分の帰り支度を始めてしまった。

葵もまた、僕に何かを言いたそうに口を開きかけては、結局何も言わずに俯いてしまう。


何があったんだ?


僕が尋ねる前に、凛は「ごめん、今日、用事あるから先帰るね!」と、明らかに嘘とわかる口実で、逃げるように教室を飛び出していった。

残されたのは、僕と、葵と、そして重苦しい沈黙だけだった。


「……神崎、凛と、何かあったのか?」


僕の問いに、葵は、ゆっくりと首を横に振った。


「ううん。何も。……それより、帰ろっか。神社、行かなきゃ」


彼女はそう言って、無理に笑顔を作ってみせた。でも、その笑顔はひどくぎこちなく、痛々しかった。

僕はそれ以上何も聞くことができなかった。

二人の間に、僕の知らない何かがあったことだけは確かだった。

そして、それが僕が原因であるということも、なんとなくわかった。

その日の神社での作業は、ほとんど進まなかった。

僕も葵も上の空で、ただ時間だけが気まずく過ぎていく。

僕たちの間に築き上げてきた、温かくて、幸せだったはずの時間が、少しずつ、軋み始めている。

その事実に、僕はどうしようもない焦りと、無力感を覚えていた。


翌日から、僕たちの関係は目に見えてぎこちなくなった。

そして凛は、僕を避けるようになった。

教室で目が合っても、すぐに逸らされてしまう。

昼休み、屋上に誘っても「今日は委員会の仕事があるから」と断られるようになった。

葵もまた、以前にも増して口数が少なくなった。

神社に行っても、彼女はどこか遠くを見つめていることが多く、僕たちの間に再び見えない壁が作られていくのを感じていた。


二人とも、僕に何かを隠している。


そしてその原因は、江川たちによる陰湿ないじめにあることも明らかだった。

あいつらが僕たちの大切な場所と、時間をめちゃくちゃにしたんだ。

僕の中で江川たちへの怒りは、日増しに膨れ上がっていった。


いつまでもやられっぱなしでたまるか。


凛が泣いて、葵が悲しい顔をして、僕たちの関係が壊されていくのを、これ以上黙って見ていることなんてできなかった。

僕はもう、誰かが助けてくれるのを待つのはやめよう、と決めた。

僕が、動かなければ。

僕が、この状況を、終わらせなければ。

神様になりたい、なんて、漠然と夢見ていただけの、無力な少年は、もう、どこにもいなかった。

僕には、守りたいものが、できてしまったのだから。



決戦の日は突然やってきた。

その日の放課後、僕が一人で神社へ向かうと境内近くに見慣れないバイクが数台停まっていた。そして、拝殿の方から、江川たちの不快な笑い声が聞こえてくる。


またあいつらか。


僕の全身の血が、一気に沸騰するのを感じた。

僕は震える拳を、固く、固く、握りしめ、拝殿へと向かった。

拝殿の床には、江川たちと他校の男子生徒たちが数人で座り込み、菓子を食い散らかし、タバコを吸っていた。僕たちが毎日少しずつ綺麗にしてきた、神聖な場所。その床には、無数の靴跡と、菓子の袋、そして、タバコの灰が、無残に散らばっている。


「……おい」


自分でも驚くほど、低く、冷たい声が境内に響いた。

江川たちが、一斉に、こちらを振り返る。


「あ? なんだよ、山口じゃん。何? また来たの?」


江川は、気だるそうに、そう言った。

僕は、彼女たちの挑発には乗らず、ただ、静かに、そして、はっきりと告げた。


「出ていけ」


僕の言葉に、江川の隣にいたリーダー格の男が面白そうに立ち上がった。


「んだと、てめえ。もう一回言ってみろよ」


男は、僕よりも頭一つ分は背が高く、体格もいい。喧嘩なんてしたこともない僕が、腕力で敵う相手じゃないことは、一目見ればわかった。

でも、僕はもう怯まなかった。

僕は男の目をまっすぐに見据えて、繰り返した。


「ここから出ていけって言ったんだ。ここは、お前らみたいな奴らが土足で踏み込んでいい場所じゃない」


「……はーん」


男は、感心したように、にやりと笑った。


「神崎がいねえと、急に強気じゃねえか。あの女に、いいとこ見せたいわけ?」


「関係ない」


僕は静かに、でも力強く言い返した。


「これは俺の問題だ。俺の大事な場所を、お前らに汚されるのが我慢ならねえだけだ」


僕のその揺るぎない態度に、男の顔から笑みが消えた。


「……てめえ、マジで、ぶっ飛ばされたいみてえだな」


男が、一歩、僕の方へ、足を踏み出す。

その瞬間だった。


「そこまでよ」


凛とした、しかし、どこか震える声が、拝殿に響いた。

振り返ると、そこに、葵が立っていた。

いつから、そこにいたのだろう。彼女は、制服のスカートを固く握りしめ、震える足で、しかし、逃げずに、そこに立っていた。


「神崎……! なんで、ここに……」


「来ちゃ、ダメだった……?」


葵は、僕を見て、不安そうに、そう言った。


「ダメに決まってるだろ! 危ないから、お前は、帰れ!」


「……嫌」


彼女は、きっぱりと、首を横に振った。


「もう逃げるのは、嫌だから。私もここにいる。山口くんと一緒に」


彼女は、そう言うと、僕の隣に、並んで立った。

江川は、そんな僕たちを見て、忌々しそうに、舌打ちをした。


「……ちっ。なによ、二人揃って、悲劇のヒーローとヒロイン気取り? ほんっと見ててムカつくんだけど」


「江川さん」


葵が、静かに、彼女の名前を呼んだ。


「あなたが私を嫌いなのはもうわかった。私に、何をしてもいい。でも、この場所を汚すことと、この人たちを傷つけることだけは絶対に許さない」


葵の瞳には、もう涙はなかった。そこには、自分の大切なものを守ろうとする、強い意志の光が燃えていた。

彼女の、そのあまりの変貌ぶりに、江川たちも、一瞬だけ、怯んだように見えた。

しかし、リーダー格の男は、すぐに、下卑た笑みを浮かべた。


「へえ……。言うようになったじゃねえか。じゃあ、お望み通り、てめえから、可愛がってやろうか?」


男が葵の方へ手を伸ばす。

僕は我を忘れて、葵の前に立ちはだかった。


「お前に、神崎は絶対に触れさせねえ……!」


僕が男を睨みつける。

一触即発、空気が張り詰める。

男の拳が振り上げられたその瞬間だった。


「やめなさいっ!!」


鋭い声が、境内全体に響き渡った。

全員が、声のした方を、一斉に見る。

そこに立っていたのは、凛だった。

でも一人じゃない。彼女の後ろには、クラスの男子数人、そして野球部の屈強な先輩たちまで引き連れていた。


「凛……! お前、なんで……」


「あんたが一人で無茶するんじゃないかと思って、心配で見に来てみれば案の定でしょ!」


凛はそう言うと、僕の頭をぽかっと軽く叩いた。そして、江川たちの方をまっすぐに見据える。


「江川さん。そして、そこのどこの誰か知らないけど、あんたたち。これ以上、私の大事な友達に手を出してみなさい。今度は学校と、警察に被害届を出すから。覚悟はできてるんでしょうね?」


凛のその毅然とした態度と、後ろに控える屈強な男たちの姿に、江川たちもついに顔色を変えた。

リーダー格の男は、「ちっ、覚えてろよ!」と、悪役のお決まり捨て台詞を吐くと、仲間たちを引き連れてバイクにまたがり、逃げるように去っていった。

残された江川は悔しそうに僕たちを睨みつけていたが、やがて彼女もまた一人で坂道を走って下っていった。


嵐が過ぎ去った。

後に残されたのは、さらにめちゃくちゃに汚された拝殿と、そして呆然と立ち尽くす僕たち三人だけだった。

緊張の糸が切れたのか、僕はその場にへなへなと座り込んでしまった。

足が震えていた。怖かった。本当は、死ぬほど、怖かったのだ。

そんな僕の隣に、葵と凛がそっと座った。


「……ごめん」


僕がそう言うと、凛は僕の頭をもう一度、今度は優しく、ぽん、と撫でた。


「馬鹿。謝るんじゃないの」


「……うん」


葵もまた、静かに、頷いた。


「山口くんは悪くない。あなたは、私とこの場所を守ろうとしてくれた」


その言葉に、僕は顔を上げることができなかった。

森の間から顔を出した夕日が、僕たちの影を長く、長く、地面に映し出している。

問題は何も解決していない。江川たちの悪意は、きっとこれからも続くだろう。

でも。

僕たちはもう一人じゃない。

三人で一緒にここにいる。


それだけで、僕はなんだってできるような気がした。

神様になんて、ならなくたっていい。

ただこの二人と、この場所を守り抜くことができるなら。

それこそが、僕が本当になりたかったものなんだと、今ははっきりとそう思えた。

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