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9話 神様の本当の笑顔

あの日、僕と彼女の二人だけの計画が始動し、僕の日常は、まるで色褪せた写真が、鮮やかな色彩を取り戻したかのように、きらきらと輝き始めた。


次の日の放課後

僕は凛に頭を下げて、学校の用務員室から掃除用具一式を借り出した。

軍手に、ゴミ袋、竹ぼうきに、草刈り鎌。


「ちょっと、将希! 何に使うのよ、こんなにたくさん!」


「ん? ああ、ちょっとな。ボランティア活動だ」


「ボランティア? あんたが? うっそだー、絶対なんか企んでるでしょ!」


凛は、疑いの目を向けながらも、用務員のおじさんにうまく話をつけてくれた。

持つべきものはやはり頼れる幼なじみである。


僕は借り出した道具を自転車の荷台に積み、意気揚々と神社へと向かった。

境内ではすでに葵が僕を待っていた。

彼女は、僕が持ってきた大量の掃除用具を見ると、少しだけ驚いたように目を見開いた。


「すごい……」


「だろ? これで、作業もはかどるはずだ」


僕は得意げに胸を張り、彼女に軍手を一つ渡した。彼女はおそるおそる受け取ると、小さな手には少し大きい、ぶかぶかの軍手をはめた。そのぎこちない仕草がなんだか微笑ましくて、僕は思わず笑ってしまった。


「な、何?」


僕の笑いに、彼女が少しだけむっとしたように眉をひそめる。


「いや、何でもない。似合ってるなって」


「……別に」


彼女は、ぷいとそっぽを向いてしまったが、その耳が、ほんのりと赤く染まっているのを、僕は見逃さなかった。



僕たちの、本格的な「神社再生計画」が始まった。

まずは、境内を覆い尽くす、雑草との戦いだ。

僕は草刈り鎌を手に、背の高い草をなぎ払っていく。葵は、僕が刈った草を、熊手で丁寧に集めて、ゴミ袋に詰めていく。

最初は、会話もほとんどなかった。聞こえるのは鎌が草を刈る音と、竹ぼうきが地面を掃く音、そして僕たちの荒い呼吸だけ。

それでもその沈黙は、もう苦痛ではなかった。

同じ目的に向かって、隣で一緒に汗を流している。その事実だけで、僕たちの間には言葉以上の確かな繋がりが生まれていた。


作業を始めて一時間ほど経った頃だろうか。

僕は、拝殿の裏手に、ひときわ手強そうな、木の根のように太い雑草の群れを見つけた。


「よし、こいつは俺に任せろ」


僕は、葵にいいところを見せようと、力任せにそれを引き抜こうとした。だが、それはびくともしない。


「んんん……!」


顔を真っ赤にして、全体重をかけて引っ張る。すると、ブチッという嫌な音と共に、根っこが途中でちぎれてしまい、僕は勢い余って、派手に尻もちをついてしまった。


「いった……!」


「……大丈夫?」


いつの間にか、葵が僕の後ろに立って、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「だ、大丈夫だ! こんなの、かすり傷だ!」


僕は、強がってすぐに立ち上がろうとしたが、尻にじんわりと広がる鈍い痛みに思わず顔をしかめる。

そんな僕の様子を見て、彼女はふっと、その口元を綻ばせた。


「……無理、しない方がいい」


その小さな声には彼女の優しさが滲んでいた。


「う、うるさい!」


僕は恥ずかしさをごまかすように、そう返すのが精一杯だった。


そんなぎこちないやり取りを繰り返しながら、僕たちの作業は続いた。

黙々と作業する中で、少しずつ、自然な会話が生まれるようになっていった。


「そっち、ゴミ袋いっぱいになった」


「ああ、わかった。新しいの、持っていく」


「その鎌、貸して。そこの、届かないから」


「おう。気をつけて使えよ」


それはまだ、業務連絡のような、素っ気ない言葉の応酬だ。でも僕たちにとっては、大きな、大きな進歩だった。

葵は僕が思っていたよりも、ずっと働き者で、根気強かった。僕がすぐに音を上げて休憩している間も、彼女は黙々と額に汗を浮かべながら、落ち葉を掃き続けている。そのひたむきな姿に、僕は尊敬の念すら抱いていた。


「神社再生計画」が始まってしばらく経った、僕たち拝殿の掃除に取り掛かった。

何年も閉ざされていたであろう扉を、ぎぎぎ、と音を立てて開けると、中は古い木造家屋のカビの匂いで満ちていた。


「うわ……、こりゃひどいな」


僕たちは、マスクと三角巾で完全防備し、まずは床の雑巾がけから始めた。長い縁側を、二人で端から端まで、競争するように拭いていく。


「よーい、ドン!」


僕が勝手にスタートを切ると、葵は一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐに僕の意図を理解したのか、負けじと雑巾を滑らせ始めた。

結果は、僕の圧勝。


「どうだ! 僕の勝ちだな!」


僕が、ゴール地点で仁王立ちして胸を張ると、葵は、息を切らしながら、悔しそうに僕を睨みつけた。


「……ずるい。フライングした」


「勝ちは勝ちなんだよ」


「……もう一回」


「へ?」


「もう一回、勝負」


そう言って、彼女は、スタート地点に雑巾を構えた。その瞳には、今まで見たことのない、闘争心の炎がメラメラと燃えている。

僕は、そんな彼女の意外な一面に、思わず吹き出してしまった。


「ははっ! わかったよ、やろうぜ!」


その日の午後は、僕たちの、雑巾がけレース大会になった。勝ったり、負けたりを繰り返し、気づけば、拝殿の床は、見違えるようにぴかぴかになっていた。

二人で、汗だくになって、床に大の字に寝転がる。

ひんやりとした木の床が、火照った体に気持ちいい。


「はー……、疲れた……」


「……うん」


僕たちは、しばらくの間、何も言わずに、高くなった天井を眺めていた。

静かな拝殿に、僕たちの呼吸の音だけが響く。

その時、僕は、ふと思った。


「なあ、神崎さ。お前笑うと、可愛いな」


それは、ほとんど無意識に、僕の口からこぼれ落ちた言葉だった。

しまった、これ今時アウトか?と思ったがもう遅い。

隣で、葵が息をのむ気配がした。

僕は、彼女の方を見ることができない。気まずい沈黙が、また訪れる。

やがて、彼女は、小さな、本当に小さな声で、呟いた。


「……あなたも」


「え?」


僕が聞き返すと、彼女は顔を真っ赤にしながら、僕とは反対の方向を向いてしまった。


「……笑うと、いつもより、馬鹿っぽくなくて、いい」


「それ、褒めてんのか!?」


僕のツッコミに、彼女の肩が、くすくすと、小さく揺れていた。


作業を終え、夕暮れの神社で、二人で自販機のジュースを飲むのが、僕たちの新しい日課になった。

僕が、自分の分のサイダーと、彼女の分の桃のジュースを買って、縁側に座る彼女に手渡す。


「ほらよ」


「……ありがと」


彼女はそう言って、小さな声で礼を言う。そして缶を開けると、こく、こくと、美味しそうに喉を鳴らして飲んだ。その姿を見るのが、僕の一日の、一番の楽しみになっていた。

その日も僕たちは、いつものように並んでジュースを飲んでいた。

再生作業は少しずつ、でも着実に進んでいた。境内は僕たちがここに来始めた頃とは比べ物にならないくらい、綺麗になっている。


「なあ、だいぶ綺麗になったよな」


僕がそう言うと、彼女は、こくりと頷いた。


「うん。……おばあちゃんも、喜んでるかな」


そう言って、彼女は、空を見上げた。その横顔は、穏やかで、満ち足りた表情をしていた。

僕は、そんな彼女の横顔を、じっと見つめていた。

綺麗だ、と思った。

転校してきた時の、あの人形のような、近寄りがたい美しさとは違う。土と、汗と、そして、ほんの少しの自信が、彼女を、内側から輝かせている。

僕の視線に気づいたのか、彼女が、不思議そうにこちらを向いた。


「……何?」


「いや……」


僕は、照れくさくなって、頭を掻いた。


「お前が、ここにいてくれて、よかったなって」


僕の素直な気持ちだった。

僕の言葉に、彼女は少しだけ目を見開いた。そして次の瞬間。

彼女は、ふわりと花が咲くように笑った。

それは今まで僕が見た、どんな彼女の表情とも違った。

はにかんだような、照れたような、でも心の底から嬉しさが込み上げてくるのを隠しきれない。そんな、完璧な笑顔だった。

僕の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

時間が、止まったように感じられた。

夕暮れの光が、彼女の笑顔を黄金色に照らし出している。

僕は、その光景を永遠に忘れないだろうと思った。

これが、僕が本当に見たかったものだ。

僕が神様になってでも、叶えたかった願いの本当の答えだ。

僕は彼女のその笑顔だけで、もう十分に救われていた。


「……なに…?」


僕が、見とれて固まっていると、彼女は、恥ずかしそうに、顔を赤らめて俯いてしまった。


「いや……、なんでもねえよ」


僕は、高鳴る心臓を抑えながら、自分のサイダーを、一気に飲み干した。

炭酸の刺激が、喉を駆け抜けていく。

僕と彼女の、長く、そしてもどかしい季節は、終わりを告げようとしていた。

新しい季節がもう、すぐそこまで来ている。


そんな確かな予感がした。

人は心を閉ざしてしまうのは一瞬、ですが心を開くのには時間がかかる。それは他人に対しての信用と同じように、心は変化すると私は思います。


葵と将希には幸せになってほしいですね。

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