王女の治癒魔法はとても美しい
ただ、昔の本に記述されていただけだから。
魔法なんてものは夢物語だと思われていた。
掌から火を出すなんて芸当も自由自在に
落雷させることも、この世には存在しないと
誰もがそう思っていたのだ。
転んで擦りむいたあの日。
膝を擦りむき、泣き喚く私。
頭の中が痛いで埋め尽くされ、延々と流れ出る血を見るばかりであった。
でも、私は見てしまったの。その奇跡を。
涙で視界が曇り
夢中で膝を押さえつけていた、転んでから数秒後の出来事。
私の掌は、ほんの些細な思いつきだった。
いたいのいたいのとんでいけ!
幼い私は、手をかざしてそう願うだけ。
といっても、ただ小さな傷を癒すだけの魔法ではあるが
あの日以降、私だけは魔法が存在することを知ってしまった。
「王女様ー!!今日も素敵ー!」
「ふふっ、ありがとうございます」
街を歩くだけで歓声が上がるのは、私が王女だから。
でも決して私の力によるものではない。
生まれた瞬間から定められたこと
であり、ただレールを歩んでいるに過ぎないのだ。
「サインください!」
「勿論、構いませんよ」
色紙とペンを差し出されれば手慣れた様子でサインを書く。
「王女様、差し支えますが、そろそろお時間です」
ため息交じりの嘆き声が辺り一斉に。
ぞろぞろと去る姿は、蟻の大群に砂利でも撒いた時と酷似していた。
慕われている…と思っても良いのだろうか。
私は小さい頃から王家の血を引く者として相応の生活を送ってきた。
辛く苦しい、長い年月を経て、こうして王女として育ったのだから
報われていると、固唾を呑みこみながら信じる他ない。
「今日は日差しが眩しいですね」
「えぇ、本当に」
瞼を閉じても直射日光は遮れられない。
色とりどりと並べ連ねられた花の匂いに、蝶が舞う。
「可愛いお花。もう少し庭に植えられるか
父様に申し込んでみましょうか」
花言葉なんて洒落たものは知らぬ存ぜぬが
屋敷へと続く道に咲き誇る花は、どれも綺麗なものばかり。
私だって男女分ければ女である。
この道を通る度に、少しばかり心が躍るのは
ただの乙女ではない王女でも仕方のないことだ。
「そういえば、趣味で嗜められているガーデニングがございますが
以前起きた豪雨の中で良くお咲きになっておられますね」
使いは前のめりになって話をする。
しかし、それは耳にしたくないもので、無自覚に眉が寄ってしまう私がいた。
魔法というのは、奇跡と好印象な言葉を並べても
実際には魔女などと忌み嫌われる存在。
治癒魔法は人体関係なく多少の負傷癒す
古来より伝わる非人道的な物とは一線を画している。
だが、それでも世間は魔法の存在を良く思わないのだ。
「王女様、顔色が優れないようですが」
「いえ、お気になさらず。少し考え事をしていただけですから
お気遣いいただきありがとうございます」
感謝の言葉を述べるも、それはどこかぎこちなかった。
使いは私を気に掛けることなく、ただ淡々と屋敷の扉を開いた。
違和感を覚えたのも束の間。
喉に違和感が襲い、咄嗟に口元を塞ぐ。
「父様…?」
冷たい視線が、胸を貫いた。
見るなり、蔑んだような目が此方を睨む。
「お前が魔女だと、使いから聞いた」
言葉を発するなり、兄様の背後からはクスクスと、笑いを堪えるような声が漏れる。
家族の皆が、私を嘲笑っている。
母様、兄様、メイドも使いも。
「待ってください!魔女となど
魔法なんてものはこの世には存在しないものではありませんか!」
居心地が悪いなんてものじゃない。
ずっと立ちっぱなしでいる足が
痛みを訴えるが何より心が痛くて仕方がないのだ。
確かに、豪雨の中、治癒魔法で花々生き返らせたのは
誰でもない、私だ。
「でも、兄様。お花を踏み潰すのは
お門違いではありませんか?!」
「いやいや、これも魔女が手塩に掛けたものだからね。
念には念を入れただけだよ」
だが、それは何れも偶然に賜わりし結果であり
健気に生きた花が足で何度も踏まれクシャクシャにされるなんて
酷いじゃないか、本当に。
「でも、世界を破滅に導くものでも、何でもありません。
全てを優しく包む、とても素敵な魔法です」
「その発言は首を縦に振るのと同義であるぞ」
先程から共にしていた使いが縄で縛り、私は地に伏す。
「父様っ……!!」
「治癒魔法だろうと所詮お前も魔女に変わりはないのだ
醜い化け物を生ませてしまったものよ…」
衝撃が走り、意識が遠退く。
首は締め付けられ息苦しさを味わうばかり。
「私のこと…嫌いになりました?」
「…魔女は嫌いだ」
そんな中で見える景色は、酷く悲しげなものだった。
。。。。。。窓に差し込まれた光で目を覚ます。
「また…この夢ですか」
一体、何年掃除されていないのか疑ってしまうくらい埃だらけ。
当然、ベッドも朽ち果てている。
「こんな調子では、部屋が可哀相ですね。
せめて、箒などあれば埃の除去くらいはできるのでしょうが…」
私は王女であるのに、この有様はあまりにも酷い。
…いや、過去形だけど。
私は、何処かも分からない遠い国の
更には治安の悪い、スラム街と呼ばれる場所に捨てられた。
所詮幾ら学びを得ようが、こんな時では無意味なのだから
燦々と煌めく太陽を見ても、乾いた笑いしか浮かばなかった。
「惨めですね。
見たこともない果実に、食べれたものではない硬いパン。
この私が慣れることになってしまうとは」
欠けた皿の上に果実を乗せる。
火の元も無いこんな場所では、調理法も限られている。
パンは齧るたびに水が欲しくなる。
林檎などの後味さっぱりの物と同類にされている
食感も後味も最悪な、食べれたものではない果実。
はぁ、こんな不味い飯に集中しなきゃなんて気が滅入る。
………いつもと同じ食事を、口に運ぶだけってのは、流石に飽きてきた。
「そういえば、あの後、私どうここに連れてこられたんだっけ」
手足を縛られ、無我夢中でもがき
初めて血の繋がった父に首を絞めつけられたあの日。
私は、馬車の音で目が覚めた。
ひひんと鳴く馬の声で目が覚めたのだ。
ここは何処だろうかと詮索する前に、ある違和感に気付いた。
父様は、決して馬車を引かない。
それに、普段は必ず誰か護衛を付けている。
でも、正真正銘、あの背中は父様なのだ。
つまりは、いつ追いはぎに会うかも分からない
危険地帯に、一人で私を連れてきたわけだ。
「元気にしているかな。
忘れられないよ、お花の種をくれたのも父様だったじゃないですか」
果肉に涙の滴が染み渡り鼻水を啜る度、すっぱい涙は垂れてくる。
一口齧って、ようやく泣いているということに気が付いた。
どうして泣いているんだ、王女としての立場を無くしたのも
痛い思いをしたのも全て父様のせいじゃないか。
やはり、あれを思い出してはいけない。
小奇麗にされたコートを身に羽織る。
「仕事だ仕事、泣いていてもお金は貰えませんしね」
芯まで食い尽くした果実をゴミ箱に放り込み
ボロ切れのようなズボンに付いた砂を払い、立ち上がった。
辛うじてまだ形を成している扉を開く。
開けた先は酷いもので、腐敗した木材を椅子代わりにしている者さえいる。
肋骨が浮き出るほどに痩せこけた者。
空腹で腹の虫が騒ぎ、目が虚ろに、生気を感じられない者。
視線だけで人を殺せるような鋭さに 思わず背筋が凍ってしまう。
「…困っていることは」
とりあえず、一番ましそうな人に話し掛けてみることにした。
さも、深く繋がりがあるように声を掛けるが
全く、これっぽちも彼についての情報は知らない。
「そこの下水道、赤子が捨てられたんだって」
「それは…惨いですね」
「本当に辛いことだよ、生きるってのは。
俺らはまだ運が良かったのかもしれないな。
住む場所はある、最低限働ける能力もある。
底辺の下は地下ってか」
沈黙が流れる。生まれて間もない赤ん坊が
臭くて汚いゴミ貯めに捨てられたなんて、誰が聞いても気分を害する。
男は両手を軽く握り、それを口元に寄せた。
声色も明るく口を開いたのだ。
「さ、ここから下水道に行ける。
食糧は家に置いておくから」
「あの…最低限の担保は」
「なんだそれ?」
消費者と生産者。お互いが弱者故、
二方が、この小さなコミュニティの巡りを途絶えさせないよう
必要以上どころか、最低限の保証すら付けない。
イコール、食糧や金等、未払いは容易だ。
しかし、裏切るなどといった考えは二の次で
そもそも論、ここで生まれ育つ者は
頭の回らぬ者が多いのがスラム街と呼ばれる所以。
「いや、やっぱり大丈夫です。
行ってきますね」
「あぁ、死ぬなよ。
臭いも酷い、足元も滑るから」
粘膜の張られる梯子を下り、石畳を叩く。
下水から立ち込める異臭と生暖かい空気が鼻にまとわりつく。
そこを抜けると、何人もの孤児が毛布一枚で寝ていた。
親に捨てられ、働く能力すら無い子供達が身を潜めている場所。
湿った髪、汚れた服、骨と皮だけの体。
こんな環境に置かれて、よくもまぁ生きられるものだと。
以前ならば、どうにかにして救いの手をと必死になっていただろう。
「今日だけですよ」
でも、自己満足のためになけなしのお金を使う。
何よりも人助けを優先していたのに
一番人間らしいことをしていない私への自己嫌悪を誤魔化すために。
「その代わり、情報をください」
「…何?」
「ここで赤子を見ませんでしたか?
…いや、赤子などが流れつくこと珍しくはありませんか」
「僕たちは皆、勝手に生んで
育てられなかったお母さんお父さんが捨てに来る場所なんだよ。
流石に赤ちゃんを捨てるほどの人がたくさんいるとは思えないけど」
「それじゃあ…」と、呟いた途端。
視界は歪み、足がもつれてその場に倒れてしまう。
「うん、この下水道は一方通行だから
この先にいると思うよ。
あと、気を付けてね、この先の臭いは上の住人ですら耐えられない
人間性を失った僕たちみたいな人じゃなきゃ耐えられやしないから」
「そんな言い方…」
「でも、僕に人としての未来があると思う?」
「………忠告ありがとうございます」
意識が朦朧とする。
受け答えこそは正常であるが、視界も霞んで吐き気まで催す。
案の定、鼻の曲がるような悪臭が喉を通過して胃にこびりつく。
硫黄の臭いが、吐しゃ物を煮詰めた臭いが…
自然と口で呼吸を繰り返していた。
”人間性を失った”なんて言葉、あながち間違いではない。
鼻を通り抜ける度、嘔吐物が込み上げる。
こんな生活に慣れる自分を想像するだけで全身に悪寒が走り吐き気は増すばかり。
人としての尊厳、ましてや人間性
を捨ててまで生きながらえたところで意味なんてあるのか。
否。
思いがずぅっと巡り巡って、私の足は走っていた。
「私は決めました、あの日々を無駄になんてしたくない。
父様だって昔は優しかったんですから
何か手違いがあったに決まっています」
足は、鉛のように重い。
一歩踏み出した瞬間、鈍痛が腹部に走る。
男の忠告は想像以上に正しかった。
一度転ぶと体は滑る滑る。
急斜面ですらない場所でも、長年掃除が行き届いていなければ
菌の繁殖、腐敗した床などが原因で滑りやすい。
「はぁ……っ!ううっ……!」
腹部を強く打った衝撃で、呼吸が困難に。
気付けば足も動かないため、糞尿まみれの地面に這いつくばる他ない。
「あぁ…でも、こんな広い空間屋敷以来だな」
尻の部分がチリチリと火花を上げるくらいには滑った。
臭いは一段と増して、上部からは黄土色の液体が滴り落ちる。
「まだ…私の人生は始まったばかりなんだ。
これからは魔法を隠して生きていこう。
若いから、働き口はいっぱい見つかるはずです…」
全てが地獄みたいな場所だけど、流石に疲れてしまう。
大の字に寝そべって空を見上げる。
ポツリと呟いたが最後、意識は次第に遠ざかっていく。
雲ひとつない青空と大きく羽ばたく鴉の姿を夢に見れることを切に願いながら。
「おぎゃあ!おぎゃあ!」
―――優しい産声が聞こえた。
流れ出る液体の音とは明確に違う。
耳を擽る、赤子の第一声が部屋にこだまする。
「まるで天使のよう…」
私の暗い世界は、一気に色づき始めた。
声は、甘い匂いは光の道しるべとなり、私を導いてくれた。
赤子は、幸いにも比較的清潔な布に包まれ、血色は良好。
元気な赤子は這いつくばる私の腕の中でじたばたと動き回っている。
「あっ、でも腕が擦りむいてる。
ここに流れ着くときに怪我しちゃったのね。痛かったよね」
手は赤子に力強く握られた。繊細な指先に、弱々しい力で口づけをする。
…私は、魔法なんて要らないと思っていた。
でもね、もしかしたら違うのかも。
魔法はとっても美しくて、人を癒す奇跡なの。
だからね、優しく、優しく、私はこう唱える。
いたいのいたいのとんでいけ。