8話——クッキーはナッツ入りに限ります。
レンくんと別れ散歩から戻ると、厨房に置いておいたバターが良き具合に柔らかくなっていた。
早速クッキーとマフィン作りに取り掛かる。どちらも材料を混ぜ合わせて焼くだけなので簡単だ。
使うものといえば、バターに砂糖、卵に小麦粉。マフィンにはミルクを少々入れるくらいで、材料もほぼ一緒。後はナッツを入れたり、チョコチップを入れたりと、入れるものを変えればバリエーションは無限にある。
今日は(こちらの世界では)初めて作る為、クッキーはプレーンで、マフィンもプレーンと、朝食で出されたベリーのような味と食感だった果物を分けてもらい、簡単なジャムにして入れる事にした。
クッキーは生地が出来てから休ませる必要がある為、その間にマフィンに取り掛かる。
ほんのり卵色の生地に、鮮やかな色のジャムが混ざってマーブル模様を作っていく様を見ているだけでワクワクしちゃう。トッピングでベリーを乗せれば、まだ焼く前だけどもう可愛い。
自然と鼻歌を歌いながら作業を進め、クッキーもマフィンもこんがりふっくら焼けた頃、厨房にメアリがやってきた。
「何だかとっても良い匂いがすると思ったら、やっぱりえみだったのね!」
オーブンに似た魔道具から焼けたマフィンを取り出すと、メアリの瞳が一段と輝きを増した。
「この素敵な匂いと見た目の料理は何!?」
「これはマフィン。で、こっちがクッキーよ。私の世界のおやつなの」
やはりメアリにも『おやつ』が通じない。
お茶と一緒に楽しむものだと説明してどうにか味見を我慢してもらい、ティータイムに向けてお茶の用意をお願いした。
庭にテーブルと椅子をセッティングしてもらい、メアリの美味しいお茶と手作りしたおやつを用意する。
いよいよ待ちに待ったティータイムだ。
綺麗なキツネ色に焼けたマフィンを頬張ると、程よい甘さのしっとりとした生地とバターの風味が口いっぱいに広がる。ジャムの酸味もアクセントになっていて、甘さと酸味のバランスが良い感じだ。
クッキーの方は少し焼き色が濃くなってしまったものもあったが、2、3回焼くと程良いキツネ色になった。軽い食感のサクサク感が堪らない。
それらをよく味わった後に、メアリが淹れてくれた美味しいお茶で喉を潤すのだ。
「(あー……至福……)」
やっぱりティータイムはこうでなくては。
お茶の時間にお茶を飲むだけだなんて……そんなの勿体無さすぎる!
メアリもハンナさんもおやつを気に入ってくれたみたいで、話にもいつもに増して花がさく。
「楽しそうだね。私も混ぜてくれないか」
三人で雑談をしていると、こちらへアルクさんがやって来た。今日は外出すると聞いていたから、どうやら仕事が一段落したみたいだ。
席を立とうとしたメアリとハンナさんに「そのままで」と伝え、新たに用意された椅子についたアルクさんへおやつの説明をして、その後は一緒にティータイムを満喫した。
アルクさんは甘いものもイケる男子だったようで、クッキーもマフィンもとても喜んでくれている。
「このままでも美味しいですが、私はナッツがたっぷり入ったクッキーも大好きなんです」
そんな話をしてみたところ、アルクさんは庭の向こうへ視線を送る。その先にあるのは緑が青々と茂っている森だ。その森を指し示す指先すらも美しい。
「この森を少し行くと見晴らしの良い場所があってね。そこを更に進むと木の実が沢山なっている場所があるんだ。散歩がてら明日にでも行ってみようか?」
「え! 良いんですか!?」
「景色がとても綺麗だから、えみにも是非見て欲しい」
「じゃぁ、お弁当作って皆んなで行きませんか?」
ピクニックの提案をすると、ハンナさんもメアリもノリノリで賛成してくれた。明日はゆっくり過ごせそうだと言うアルクさんと、レンくんにも声を掛ける事にして、シェフ三人衆にも聞いてみよう。
ピクニックならサンドイッチがいいかな。それともおにぎりにしようか。
お弁当のおかずは何にしようかと、マフィンを頬張りながら考える。ふと視線を上げると、こちらを見ていたアルクさんと目が合ってしまった。
どうやら百面相を発動していたらしい。ニコニコと女神様もびっくりな微笑を浮かべながら、楽しそうにこちらを見ている。
「(レンくんとは対照的だなぁ……)」
そんな風に思考を向こうへ飛ばしながら、目の前のクッキーを食べる事に集中した。
ティータイムがお開きになると、私はレンくんの姿を探して屋敷の中を歩き回った。貴族様のお屋敷なだけあって、無駄…、流石にでかい。
ここってさっきも通らなかった? と迷いかけた頃、ようやく目的の人物の後ろ姿を見つけた。
「レンくん!」
名前を呼んで駆け寄ると、レンくんが振り返って足を止めてくれる。その額には汗が滲み、首にはタオルが掛かっている。
この人はいつも自主トレしてるんだなぁと感心する。確か私を発見してくれたのもレンくんで、その時も自主トレ中だったと聞いている。
「これ、さっき作ったんだけど、もし甘いものが嫌じゃなかったら、どうぞ」
バンダナで包んだマフィン二種類とクッキーを渡す。
どんな反応されるかとドキドキしたけど、「いい匂いだな」と受け取ってくれてホッとした。
「明日、皆んなでピクニックしようって事になったんだけど、レンくんも一緒にどうかな?」
「ピクニック? どこまで?」
「森の先に木の実が沢山なってるところがあるらしくて、採りに行くの。あと、景色がとっても綺麗な場所があるらしくて」
「あぁ、あの丘の事か」
「お弁当沢山作って行こうって、ハンナさんとメアリと話してたんだけど、どう?」
「…………行く」
良かった! お弁当に釣られた感あるけど、大勢の方が楽しいもんね。
あー楽しみだなぁ。
そう心を踊らせながらレンくんと別れ、私は夕飯の支度のお手伝いの為、厨房へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
その夜、屋敷がそろそろ寝静まろうかという頃、アルクの姿は書斎にあった。
領地を治める両親が不在の今、アルクが領主代行で業務をこなしている。大事な部分は代わってやれないが、自分で事が済む部分だけ執事長の力も借りながらなんとかやっている。
今日の分は終わりそうだと目処がたった頃、書斎の扉が遠慮がちにノックされた。
入室を許可すると、顔を覗かせたのはレンだ。
「レンか。どうした?」
「遅くにすいません。やっぱり今日のうちに報告しておいた方がいいと思って……」
近くへやって来たレンの表情がいつもより固いのが気になった。何かあっただろうかと、アルクは手にしていた書類を置くと真っ直ぐレンへ向き合う。
レンは昼間の庭でのえみの様子を話した。もちろん倒れた事ではない。精霊を見たという方の話だ。
「……やはり魔力持ちだったのか」
アルクは背もたれに体を預けると、顎に手を当て何かを思案するように目を伏せた。
突如現れた黒髪黒目の少女。女神と出会い、異世界からやって来たというその少女は、不思議な魔力を秘め今までに見た事も味わった事もない料理を作り出し、精霊の姿まで見えるという。
遠い過去にこの国へ降り立ったという異世界人。その人もこの国に根付き、不思議な力で人々を導いたと伝わっている。
『黒の巫女』
そう呼ばれたその人も、確か黒い髪に黒い瞳をしていたと記録に残っていた筈だ。
「どうやら我々はとんでもない方の落とし物を拾ってしまったようだな」
最初、アルクの予感は漠然としたものだった。森で倒れていたというえみを連れ帰ったレンを見た時、はっきりとは分からないが何かが起こると直感したのだ。
それが今改めて口にした事で、漠然としたものから確かなものへと変わったのだと確信した。
何か起こる。
それが何なのかは分からないが、その何かから逃れる事が出来ないだろうと思う。そしてそれはレンも感じたようだった。
「私も注意するが、レンもえみの事を気を付けて見てやって欲しい」
「分かりました」
部屋を出ていくレンの背中を見送り、アルクは再び書類を手に取る。が、すぐに元の場所に戻すと、先に報告書を書いてしまおうと書式を取り出した。
「(あいつが喜びそうな話だな)」
小さく息を吐き出すと、アルクはペン先をインクに浸けいつものように出だしの定型文を書き出した。