1話——キャンプといえばカレーでしょう。
魔物の襲撃のあった街へ向けて、調査と周辺地域に住み着いた群の殲滅の為に派遣された調査チームは、王都を出発すると次の街で早速馬車から乗馬へと乗り換えた。
元々馬車を使ったのは『部隊を派遣しますよ』というアピールを兼ねている。調査チームの目的は一刻も早く仲間を募り戦力を整える事。よって早々に機動性を重視した。
最初の目的地である『イーリス』までは、馬でも五日程の道のりだ。
とはいえ私は乗馬が出来ない。
ここはソラの出番か? と思っていたら、なんとびっくり、ルーベルさんからお声が掛かりました。
「えみさんはこちらへどうぞ」
「えっと……いいのでしょうか……?」
色んな意味で怖いのですが。色んな意味で。
「巫女様の護衛を兼ねるので騎士には任せられませんし、無駄な論争と時間を省くには最適かと。私で不服でなければ是非ご一緒させてください」
「不服だなんてとんでもないです。どうぞよろしくお願いします」
これには誰もが予想外だったらしく、異を唱える人はいなかった。
ルーベルさんとは何度か会ったが、眼鏡の奥の銀の瞳がミステリアスなクールガイだ。系統としてはハインヘルトさんに似ている。
この人も恐らく腹の内を探らせない部類の人である。
「前に乗るのと後ろに乗るのではどちらが良いですか?」
「えっと……違いが分からないので、ルーベルさんの邪魔にならない方でお願いします」
「急遽戦闘になった場合は馬から降りるのでどちらも変わらないのですが、えみさんが前に乗った場合は、降りるまで貴女の体を後ろから拘束する事になりますね」
言い方。
つまりは後ろから抱き締められる形になると言う事か。馬、降りるまでずっと……。
ちらりとアルクさんの方を伺うが、ハワード様とお話していて目は合わなかった。
「えっと、それは色んな意味で緊張するので、後ろ側でも良いですか?」
「ええ。かまいませんよ」
大きな馬の背にヒラリと跨がるルーベルさん。流石乗り慣れている方は華麗さが違う。
差し出された手を借りてルーベルさんの後ろに跨った。初心者なのでよじ登る感じになりましたが。
流石は騎士団長。片手で私の体を浮かせます。線が細い人なだけにどこにそんな筋力が? と不思議に思わずにはいられない。
後ろは後ろで自分から背中にしがみつかなければならない訳で……。それはそれで緊張しますね。
「しっかり掴まっていてくださいね。落ちても拾いませんから」
真面目な顔して眼鏡をキラリと光らせるルーベルさん。本気なのか冗談なのか、いまいち判断に迷いますが。
「倦怠期、と言うヤツですか?」
数名の騎士達と殿を務めながら唐突に聞かれた。
何の事かと言えば、恐らくアルクさんとの事だろう。
まぁ、倦怠期以前の問題な気がするけど……ここは話を合わせた方がいいのかな? なんせ婚約者という話になっている。
「私にも、よく分からないんです。私がはっきりしないせいだと思うんですけど」
私が感じた違和感は、やはり気のせいではなかったようだ。いつも通りに振る舞ってくれているように思えたが、ルーベルさんが気付く程にはアルクさんの様子はおかしかったらしい。この人の観察眼は尋常でなさそうな気もしないでもないが。
「私、恥ずかしながら男性とお付き合いした経験がなくて……こんな時どうしたらいいのか……」
ルーベルさんの後頭部を見つめる。
時々ちらりと見える眼鏡と流し目が素敵です。不敵な笑みと眼鏡、その奥の笑っていない目が全体的に冷たい印象をもたらすが、実際とは違う。
仲間思いで、部下思いで、君主に忠実な熱い方だと私は勝手に思っている。そしてやはり容姿が大変美しい。
と言う事はおモテになる筈で、是非ともそのご意見を参考にさせて頂きたい。
「さて。アルの気持ちはアルにしか分かりませんからね。彼はバカではないし、上に立つ人間なりに考えてしまう事はあるのでしょう。いっその事、お互いにはっきりと言いたい事を言い合った方がいいのでは?」
「やっぱりそうですよねぇ……」
「まぁ、私にはよく分からない分野ですので、あまり参考になさらない方がいいと思いますが」
「ルーベルさんはご結婚は?」
「しませんね。面倒くさいので」
えっ!?
「女性の貴女を前に言う事ではないかもしれませんが、女性が絡むと色々面倒くさいじゃないですか。私は独りが性に合っているようですし」
ホント、一応、私、女なんですけど。
「結婚願望ないんですね? 変人扱いされませんか?」
「されますが、関係ありませんね。私の人生なので」
「いっそ清々しいですね! もう気持ちいいです!!」
ルーベルさんの切れ長な目が此方へ視線を送ってくる。
「えみさんは? 結婚、したくないのですか?」
改めて聞かれて考える。
「んー、死ぬ前までには出来ればいいなと思うけど、今すぐどうこうは正直なところ無いんですよね。それよりも新しいレシピを沢山考えて沢山作って、もりもり美味しく食べる方が今はずっと大事だし幸せです!!」
真剣に考えて話したのに、ルーベルさんに声を出して笑われてしまった。
こんな風に笑っている所を初めて見たかもしれない。周りの騎士達も驚いているようなので、恐らくレアなんでしょう。
「貴女らしいと言ったら怒られますかね? 貴女の方がよっぽど変人ですよ」
「やっぱりそうですよね? シャルくんにも、エリィにも変人認定されちゃいました」
私の考え方は、この世界とどこかずれているらしい。一般的では無いようだ。この世界に限らないかもしれないけども。
「いいんじゃないですか? 貴女には普通が当てはまらないようですし」
うん。絶対誉められてはいないな。
そんな他愛もない話をしながら、穏やかに馬を走らせる。この辺りは魔物も無く、平和そのものだ。
因みに第一師団長のウォルフェンさんには、小さくてとても可愛らしい奥様がいるらしい。
ルーベルさんが真剣な顔で「あれは正に美女とオーガですよ」なんて言うもんだから、爆笑してしまった。
それから特に何事もなく馬を進め、日が傾きかけた頃、道中に発見した小川の近く、少し開けた場所でキャンプ、もとい野宿する事が決まった。
遊びに来ている訳ではないが、大学生の時に友達とキャンプした事を思い出し、ついウキウキしてしまう。
その時に皆で作ったのはカレーだった。飯ごうでご飯を炊いたり、やいのやいの言いながらの料理は本当に楽しくて、出来上がったカレーはとても美味しかった。
野菜を大きめにカットして、じゃがいもはまるごと鍋へ放り込んだ。
野菜のカットはワサビちゃんが手伝ってくれる。もはやカットさせてワサビちゃんの右に出るものはいないだろう。
お肉もカレー用の豚肉の他に、ブロックベーコンをぶつ切りにして入れた。ここから良い塩味と旨味が出る筈だ。
水と無塩のトマトジュースで煮込み、隠し味にインスタントコーヒーを加える。最後にルーを溶かせば、『あの夏の思い出カレー』の出来上がりだ。
勿論飯ごう炊きの白米も忘れない。底に出来るお焦げがまた堪らないのだ。
食欲旺盛な猛者達しかいないせいで、大鍋は瞬く間に空になった。シャルくんの精霊達を上位精霊へ進化させるという任務もある為、多めに作ったにも関わらずだ。
スパイスと辛味の効いたカレーは大好評で、あの香りで食欲がそそられてしまうのは、異世界でも一緒のようだった。
外で皆で食べる食事は楽しいし、美味しい。
これから戦いに行くのだと言う事をしばし忘れ、一時の幸せを噛み締めるのだった。
これも訓練になるからと、結界はシャルくんが張ってくれた。おかげで低級の魔物は寄せ付けないし、上級種が現れてもすぐに分かるのだという。
一定量の魔力を消耗しながら結界を維持するのは、持久力を上げる訓練になるのだそうだ。
寝てる間も維持し続けるなんて、疲れが取れないのでは? と思っていたら、起きている間常に防御壁を展開しているシャルくんにとっては、造作もない事らしいです。
勇者様、流石です。
「こいつは全てにおいて規格外すぎて生意気」
なんて悪態をついているレンくんに対し
「ちょっとコツ教えただけで防御壁作れちゃう奴に言われたくねぇ」
なんて言い返しているシャルくん。そのうちプロレス始まってるけど、まぁ仲が良いのは良い事ですよね。男の子だし。
ソラへ丁寧にブラッシングをしながら、徐々にエスカレートしていくプロレスごっこを生暖かい目で見守る事にした。
◇ ◇ ◇
部下とルーベルと共に馬の世話をしながら、アルクはシャガールとレンと戯れるえみを遠くから見ていた。
えみは支給された装飾品と一緒に、自分が渡した首飾りを付けていた。エトワーリルに呼ばれ、茶会へ行くと言った彼女に渡したものだ。自分の婚約者だと言いたかったそれは、エトワーリル嬢にはきちんとその意図が伝わったようだった。
その時だけのつもりだった。牽制さえ成功すればそれで良かった。
流石に夜会の時は外していたが、それ以外はずっと身につけているその意味を、本当なら問いただしに行きたい。
しかしそれは叶っていない。柄にも無く躊躇ってしまったのだ。
その理由は幾つかある。
「倦怠期ですか?」
えみにもした質問を、ルーベルはアルクにも問うてみた。
「……それ以前の問題なのです」
「というと?」
この人には偽れないだろうと、アルクは重い口を開く。
「元々私の一方的な想いだけで、無理矢理押し進めた婚約ですから。……本来えみが立つべきは、シャガールの隣なのです」
「えみさんがそう言ったのですか?」
「え……」
顔を上げると、ルーベルの眼差しが真っ直ぐこちらへ向けられている。
「彼女が無理矢理婚約させられたと? 自分の居場所は勇者殿の隣だと、そう言ったのですか?」
「……いや、それは……」
「アルらしくないですね。いつもの貴方なら、冷静に周りを分析し、隙を見逃さず、攻撃に転ずる事を躊躇したりしないのに。えみさんは、貴方のその目を曇らせる程の人なのですね。……面白い」
「……ルーベルさん、まさか貴方まで……?」
「さあ……どうでしょう? ただ……少しだけ、興味は沸きました」
ニヤリな笑みを残し、後をよろしくとその場を後にしたルーベル。足が向いているのはあの三人の方だ。
残されたアルクは信じられないものを見るような目を、ただただルーベルの背中に送る事しか出来なかった。




