24話——いざ、戦場へ。
只今、レンくんとシャルくんが目の前で睨み合っておりますが。
今夜の夜会でどちらが私のエスコートをするかで揉めている模様です。どちらも『知らない女性と行きたくない』と言うのが主な理由だ。
今回の主役は勇者であるシャルくんだが、元々の大義名分は騎士昇格試験合格者の発表と隊服、勲章の授与である。
なので、レンくんも主役なのだ。
『勇者』と『レイノルドの子孫』
どちらも『巫女』とは深い因果関係がある。という訳で、揉めに揉めている訳です。
え? アルクさんは? そう思うじゃないですか!
一応アルクさんの婚約者という設定なので、彼がエスコートしてくれれば良いのでは? と思ったら、団長様方は会場内の警備だそうで、まさかの不参加でした。
今回は重要な来賓が多いから警備が厳重になるそうで…。
なんだか後が怖そうだな……と、今から震えておりますけども。
「もうくじで決めたら?」
呆れ声のメアリ。何なら私もそれでいいと思っている。
「専門家の意見を聞こうじゃないか!」
そう言って、シャルくんが視線を向けた先に居るのはエリィだ。
確かにエトワーリル様は生まれた時からトップオブ貴族である。まさにこういった事の専門家だ。
急に話を振られたにも関わらず、カップに口をつけソーサーに置くまでの所作が非常に優雅で完璧だ。
もういつまでも見ていられる。
何故ここにエトワーリル・ド・ツェヴァンニ様がいらっしゃるのか。
私のお友達になったからである。
お誘いを受けて訪れたお茶会が私の都合で中途半端になってしまい、今度はうちでやりましょうと誘ったら、なんと本当に来てくれたのである。
『夜会』今夜だけど、準備とか諸々大丈夫なの? と思ったら、さすがトップオブ貴族は違いました。
「私は30分後に陛下に謁見と言われても準備出来ますわ」
だそうです。
貴族のご令嬢……流石です。
私が美味しいとべた褒めしたお茶の葉を手土産に、メイドのサラさんと二人でやって来た。
急な上客の出現に大慌てだったのは、アルカン家の使用人達の方だった。
今日のエリィの装いは驚く程シンプルだ。
先日お呼ばれした時は盛りに盛っていたのが、緩くウェーブのかかった髪はハーフアップで纏められ、ドレスも私が普段出掛ける際に身に付けるような、エリィからしたら物凄くシンプルなものだ。
装飾品もお揃いの宝石がついたネックレスと耳飾りだけ。
大人しい装い過ぎて、玄関で出迎えた際すぐエリィだと分からなかった程だ。
因みに、ティータイムには必ずと言っていい程出現するハワード様も勿論やってくる。
アルクさんと二人で帰って来たところに、家にエリィが居るもんで始めは困惑していたようだった。しかし、私が「友達になったから」と紹介すると「そうか」と、案外あっさりしたものだった。こっちが拍子抜けしたくらい。
勝手に遺恨のようなものがあるのかと思っていたのだが……そうでもないのかな?
何せ腹のうちを読ませない方々。私には到底その考えを推し量る事など不可能なのでしょうが。
シャルくんからの無茶振りに、エリィは優雅な動作でカップを置いた。
「今回の夜会の性質を考えると、教会の方々をもてなす意味も含まれるから、順当なのはシャガール様だと思いますわ」
エリィの解答にシャルくんがガッツポーズをしている。
「オレも巫女の関係者です!」
そう言うレンくんにひとつ頷き、エリィは冷静な見解を述べた。
「確かに『レイノルド様の末裔』と言う事で、巫女とは深い関わりがおありですし、話題性はあると思います。ですが、レイノルド様は千年前のお方。シャガール様を見出したのがえみだという事、今夜の教会の意図、今後の教会と王宮の関係性を考えると、今回はシャガール様が適任かと思いますわ」
アルクさんとハワード様の「確かに」に、今度こそレンくんは撃沈した。
「レンにはオレから別の令嬢を紹介しよう」
そう言ったハワード様の提案を、レンくんは申し訳なさそうに断った。
「折角のご提案ですが、辞退させてください」
「ではどうする?」
「メアリに付き合ってもらいます」
まさかの飛び火に、一番驚いていたのはメアリ本人だった。
端の方でメリッサと一緒に控えていたところ、急に自分の名前を出された事が驚愕すぎたようで、息ピッタリに双子共々こちらをガン見した。
「彼女の事は信頼しているので」
そうきっぱりと言い切ったのだ。
メアリは口をパクパクしながら驚愕の表情を浮かべている。一方メリッサは自分の事のように嬉しそうに微笑んでいる。
「だそうだ。主役がいないのは困るから、頼んだよメアリ嬢」
ハワード様からも直々に頼まれて、メアリは「はい」以外の選択肢が無くなってしまった。
メリッサが直ぐに支度しなくちゃといいながら、その場の代わりを執事に頼み、真っ赤になっているメアリを引っ張って行った。
おやおやぁ?
メアリにしては新鮮な反応。これは後で女子会だな!!
ニヤニヤしながら出ていくメアリを見ていると、優雅に豆腐入りガトーショコラを嗜むエリィから予期せぬ奇襲を受ける。
「えみは随分余裕なのね」
「え? 何で? ……何がでしょうか?」
エリィは嘘でしょ? とでも言いたげなじと目を向けてくる。
あれだけ黒い腹を曝け出した仲だ。もう遠慮なんてひとっつも無い。
「夜会の意味を知らないの? フェリシモール王国中の貴族女子が自分の伴侶を漁りに来る場なのよ? そんなバッチリメイクに気合い十分な猛獣達に、爪の先から髪の毛一本まで値踏みされるわ」
「…………」
うん、凄い言われよう。
エリィもそっち側だったって事でいいのかな?
「……押し掛けといて何だけど、私なら呑気にお茶飲んでる場合じゃないけど」
そう言ってニッコリ笑う笑顔が、何故だか今は悪魔に見える。
何だろう。寒くもないのに足元から悪寒が迫り上がってくる。
シャルくんにエスコートされるという意味を、私は今、ようやく理解した。みるみる青くなる私に、エリィは更に意地悪な笑みを向けてくる。
「せいぜい見栄を張ることね」
「もう! 意地悪!! エリィにも責任取ってもらうわ! 支度手伝って!!」
嫌な顔されるかと思ったら、クスクス笑いながら付いて来てくれるという。
これには驚いたが、嬉しかった。もしかして百人力じゃあないでしょうか!
今日は珍しく静かに成り行きを見ていたアルクさんとハワード様も苦笑いを浮かべている。
「忙しそうだし、我々も準備があるし戻ろうか」と席を立つ。部屋を出て行こうとするアルクさんへ、エリィがおずおずと声を掛けた。
「アルク様! 本日は急に押し掛けてしまい、申し訳ありませんでした。……それで、その……また伺っても……」
不安そうな瞳で見上げるエリィに、一度こちらへ視線を寄越したアルクさんがふわりと微笑んだ。
「えみのご友人なら断る理由はありませんよ」
「ありがとうございます!」
そう言って嬉しそうに頭を下げたエリィにハワード様が近付いた。緊張を滲ませるエリィの左手を掬い取る。
「『エリィ』なら歓迎しよう」
どういう意味かと私が思案する間も無く、エリィの手の甲に軽くキスの挨拶をすると、そのまま二人で出て行ってしまった。部屋の外からは「お前の家じゃないだろうが」という、いつものやり取りが聞こえてきて思わず笑ってしまう。
その場から動かないエリィの方を見ると、耳まで真っ赤にして固まっていた。
……おやおやおやぁ?
何だかエリィがもの凄く可愛らしく見えるのは、私だけでしょうか!?
何だか楽しくなってきたぞ!
固まるエリィを正気に戻し、私は急いで自室へ向かう。その後を、エリィが「ハワード様が私を見てくださった! 目が合った事なんて数える程しか無いのに!!」と、少々興奮気味に付いてくる。
どうやらエリィのやる気にも火がついたようだ。
さぁ、夜会へ行くための準備をいたしましょう!!
夜会で出される料理については打ち合わせが済んでいるし、アルカン家のシェフ達がヘルプで入る事になっているため、問題はないと思う。
もちろんその筆頭はワサビちゃんで、厨房ではその腕を存分に奮ってくれている筈だ。材料のカットに出来合い品の切り分け、盛り付けまでと、その技術は多岐に渡る。その全てが風の魔法によってもたらされる。
火の扱いさえ出来れば、本当に本物の料理人になれてしまうのではないかと思う。なんせ、食材の知識に関しては、人間など足元にも及ばない。
ただ、風を司る精霊は例え人工的な火であっても、それらを扱うことは無いのだという。自分のカテゴリーを越えていかないという、暗黙のルールのようなものがあるのだろう。
その垣根を取っ払ってしまったら、それこそ世界のバランスが崩れてしまう。ワサビちゃんには素質もセンスもあるだけに、勿体無いと思わずにはいられない。精霊が料理人になったなら、それこそ前代未聞の大ニュースなのにな。ハワード様が喜びそうだ。
なんて、余計な妄想を膨らませているうちに、私のメイクが終わっていた。
場所を王宮の私の自室に移し、すでに夜会用のドレスの着付けも終わっている。
私の衣装は、アルクさんが用意してくれたものだ。
『黒の巫女』にちなんで、濃紺のシックなドレスだった。スカート部分が裾に向かうにつれ美しく広がるように後ろへ伸びている。幾重にもドレープがあしらわれ、見た目とは裏腹に重量感は感じない。
上半身はシンプルで、首から胸にかけてすっぽりと覆われる代わりに背中と肩が丸見えだ。すーすーして心許ない。光の当たり具合で、黒に見えたり、紺に見えたり、濃い紫に見えたりと艶やかだ。肌触りも極上で、一目見ただけで私なんぞには勿体無い上等な物だとわかる。
室内には、顔に緊張を張り付けたメアリに、完璧に貴族の令嬢へと変貌を遂げているエリィ、分不相応な衣装に身を包んだ私、手伝いの為一緒に来てくれたメリッサとサラさん、ソラがいる。
エリィとサラさんのお力添えで、見かけだけは完璧な令嬢へと作り込んで貰った。ただ、私の事だ。なにかやらかしてしまいそうでもう震える。
裾とか踏んだらどうしよう。
シャルくんと並んで歩くのが恐ろしい。
許されるのなら今すぐ逃げ出してしまいたい。
そんなネガティブ思考に陥っていると、部屋の扉が静かにノックされた。
ハインヘルトさんを先頭に、ハワード様とレンくん、アルクさんが入ってきた。
皆さん正装で、こうも美男子が揃うと、空気が更に華やかになる。毎回ながら鼻血出そう。
メアリもエリィも、既に自分の隣に立つ殿方しか目に入っていないようだ。
因みにエリィのエスコートはハワード様がするそうだ。これはサプライズだったようで、聞かされた時のエリィの顔がもう何とも言えない可愛さだった。女の私が抱き締めてしまいたくなる程に。
美男美女は後ろ姿も絵になるなぁと眺めていると、すぐ側にいたアルクさんに腰を抱き寄せられていた。
「ちょ……今は……その———」
正装して色気とフェロモンが百倍増しになったアルクさんは非常に心臓に悪い。気を抜くと意識を持っていかれるレベルで。
自分も普段と違う格好のせいか、余計に落ち着かないのだ。おろおろしていると、コツンとおでこが合わさった。
「今日のえみの隣に並び立てない事が……本当に残念だ」
大きく開いた背中に彼の熱い手が掛かり、びくりと肩が跳ねる。その手が今はもう消えてしまった『虫刺され』のあった場所へと触れた。
どうしよう……心臓が壊れそうだ。
耳を塞ぎたくなる程うるさく鳴っている。その音がアルクさんに聞こえてしまいそうで、恥ずかしくてたまらない。
ゆっくりとおでこが離れていく。それを目で追うように顔を上げると、私の目に映る青灰色が酷く寂しげに揺れているのを見た。
「許されるのなら……このまま拐ってしまいたい」
言いながら頬を掠めた手は熱く、鼓膜を震わせる声は切ない。何よりこちらを見つめる瞳が憂いを帯びていて、まるで「行くな」とそう言われているかのように感じられてならなかった。
「あの…——」
「行こうか。……時間だ」
会場の入り口近くには、聖騎士団の騎士に囲まれたシャルくんの姿があった。真っ白な制服に身を包み、髪をきっちりセットし、胸ポケットにはミランツェの花が差してある。
皇子と言われても遜色ないその姿は、きっと世界中の女子達を魅了する事でしょう。
こちらへ差し出されたシャルくんの手を取った。腕に手を絡ませ、身を寄せ合い、いつもとは違うその横顔を見上げる。
私はそっと後ろを振り返った。
その場で歩みを止めたアルクさんが、こちらをじっと見つめていた。
「えみ。行くよ」
「あ、うん。今日はよろしくね」
「ああ」
たくさんの人と会話をした。会釈をし、愛想笑いを振り撒いた。
ダンスも踊った。相手の足を踏んでしまわないか、不安で堪らなかった筈だった。
それなのに、どれも全然覚えていなかった。
アルクさんの寂しげに揺れる瞳が何度もちらつく。その度に胸が締め付けられた。
今夜は何故か、彼のあの揺れる瞳が焼き付いて、いつまでも頭から離れなかったのだ。




