23話——そろそろ決着をつけましょうか。『後編』
「あんた……ムカつくのよ。いい加減、消えてくださらない?」
先程までの穏やかさが無かったかのような低音。こちらを睨む歪んだ顔には、仄暗い光の宿った瞳がギラつき、怒りと憎悪がむき出しにされている。
おっと、いきなりのストレート。でもあれこれ探り合いをするよりも、こっちの方が分かりやすい。
「私、貴女に何かした覚えが無いのだけれど」
「覚えが無い? 覚えがないですって!? いきなり現れて、私の欲しいもの全て持っていったくせにヘラヘラヘラヘラ!! 何様よ!!」
「それに関しては不可抗力と誤解があるわ」
「ふざけないで!!」
エトワーリル様がティーポットを手に取った。毒入りのお茶がポットごと飛んでくる。
アネムが瞬時に私の周りに風の壁を作ってくれたお陰で、それらは私には当たらない。弾き飛ばされたティーポットは地面に叩き付けられ、無惨にも粉々になってしまった。
あー……高そうな茶器が……勿体無い。
私にはアネムが護ってくれる事が分かっていたから、ポットが飛んで来た事にも、それが弾かれて地面に落ちた事にも無反応だったが、何もないところに突然風が吹き上がり自分の投げた物を弾き飛ばしたらこう言う反応になるんだろうなっていう反応を、エトワーリル様はしていた。
顔色を少し悪くし、一歩二歩と後ずさる。
「言ったでしょう? 精霊がついて来ちゃってるから、そういうのも無駄。もし次攻撃したら、四聖獣……来ちゃうかも」
普段は食い意地の張ったワンコだ。こういう時くらい、存分に名前を使わせて貰うとしましょう。
彼女はギリギリと歯をくいしばると、揺れる瞳でこちらを睨み付けた。
「『黒の巫女』だか『女神の使者』だか知らないけど、礼儀も弁えない只の一般人じゃない!!」
握り締められた彼女の手は、力が入りすぎて真っ白だ。それがわなわなと震え、いかに怒りが深いものかがよく分かる。
『一般人』というワードにはその通りなので反論はない。が、好きでなった訳ではないその肩書き達には一言物申したい。
「私は生まれた時から淑女の訓練をして、何時でも何処に行っても恥ずかしくないように……貴族の令嬢で、大臣の娘で居続けたわ!! それもこれも全て、ハワード様の隣に立つ為だったのに!!」
……え?
「あの方は私に見向きもしない!! だからアルク様を手に入れてそこからと思っていたのに……あんたは……突然現れて……アルク様だけでなく、ハワード様まで!!」
本当の狙いはハワード様って事!?
……アルクさんは本当に被害者だったようだ……ますます可哀想に……
「許せない……絶対! 許せない!! 私が、どれほど、血の滲むような努力をして、今までの全てを費やして、人生をかけて目指していたものを……あんたなんか……女神様に召喚されなければハワード様と目を合わせる事も叶わなかったくせに!!」
大きな瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちている。
それほどまでに悔しくて苦しかったのだろう。プレッシャーもあっただろうしね。
腑が煮え繰り返る程憎らしかっただろう私に、完璧な笑顔で応対して見せた彼女が、こんな風に涙を流す程に。
……彼女もまた、被害者なんだろう。
「私にはエトワーリル様のお気持ちは分からないわ」
「分かってたまるものですか!!」
「でも、貴女に私の気持ちはわからないでしょ?」
「分かる訳ないでしょう!?」
「想像してみて。ある日突然『お前は庶民だ』って言われて、メイドの格好させられて、お掃除したり、洗濯したり、買い物行かされたりするの。主人が使った食器を片付けて、ご飯の支度をして、寝るのもお風呂も一番最後よ? ……どう?」
「………は?」
突拍子も無い事を言われて困惑したのか、エトワーリル様が固まってしまった。
吊り上がっていた目が開かれ、眉間には美人には似つかわしくないシワが寄っている。
どうやら想像してくれているようだ。
「……有り得ないわ」
「でしょう? 私はその逆。何処にでもいる普通の女子大生だったのに、死んでしまって転生したら異世界だった。普通の生活がしたかっただけなのに、いつの間にか精霊と四聖獣の契約者になってるし、自分の国で食べてたご飯を作っただけなのに、それを食べた人の魔力が覚醒してしまって、いつの間にか『黒の巫女』。……有り得なくない?」
またもや眉間にシワが寄っている。ゴルゴもびっくりだ。……女性にゴルゴは失礼だったかもしれない。
それよりも、案外素直な性格のようだ。ちゃんと想像してくれている。
ちょっと可愛いなと思ってしまった。
「……有り得ないわ……」
「でしょう? 良かった! 分かり合うのは無理でも、共感なら出来そう。それに勘違いしてるみたいだから言っておくけど、私ハワード様には全く興味ないから」
「……え?」
「誤解って言ったでしょう。私は元々一般人。普通の生活が出来て、美味しいご飯が食べられればそれで満足なの」
「……」
王妃になる事よりも美味しいご飯が良いと言ったら、まぁ…そんな顔にもなるでしょう。
エトワーリル様が微妙な表情を浮かべて立ち尽くしている。
なんだか力が抜けてしまったようにも見える。
「……確かに、貴女が身に付けているのはアルク様の瞳の色だわ」
そうなのだ。
ここへ来る前にアルクさんに付けてもらったネックレス。彼の瞳と同じ色だと言うことに気が付いたのは後からだ。
すぐに気が付くなんて、さすが令嬢は見ているところが違うようだ。でも、これでハワード様に興味が無いと言うのが真実だと信じて貰えそうだ。逆にアルクさんの婚約者だと言う事がここでも事実となってしまったが。
「良かったら食べながら話しをしない? 出来れば美味しいお茶を頂けると助かるのだけれど」
「……また毒入りのお茶を出されるかも、とか思わないのかしら?」
物凄く怪訝な顔をされてしまった。
美人は崩れた顔も美しいですね。
「言ったでしょう? 私には解毒出来る精霊が付いてるの。毒だろうがなんだろうが平気よ?」
どや顔して見せると、遂にエトワーリル様が声を上げて笑い出した。
「貴女、図々しい上にかなりの変人ね」
「えみって呼んで。よく言われるわ。お陰で友達少ないの。良かったらおしゃべり相手になってくれない?」
「……私が?」
「もちろん、貴女が良ければの話だけど」
彼女の瞳を真っ直ぐ見つめた。
もう先程までの仄暗い光は見られない気がする。
「……エリィよ」
「え?」
「近しい人はそう呼ぶわ」
それは私がそう呼んでも良いと、そういう事だろうか。
「サラ。新しいお茶を用意して。私が一番好きなものを」
エリィが奥へ声を掛けると、私に招待状を渡しにやって来た侍女が姿を見せた。近くに控えていたようだ。
全然気が付かなかった! この国の付き人は全員忍者の修行でもするのかな?
「サラに給仕をさせてもかまわないかしら? 彼女の淹れてくれるお茶は本当に美味しいの」
「ええ。もちろん。楽しみ」
エリィが私の正面に立ち腰を折る。その所作は流れるように優雅で美しく完璧だった。
「えみ様。私の発言と行動を心から謝罪致します。……本当に、申し訳ありませんでした」
「怪我もしてないし、もう気にしないで! それより食べましょ」
「寛大なお心に、感謝致します」
それから私たちは場所を移して改めてお茶会を再会した。
エリィは色んな事を話してくれたけど、貴族って本当に大変。想像していた以上だった。
中庭の毒草の事も聞いてみたんだけど、昔、婚約者だった人が毒を盛られてしまった事があったみたい。それがきっかけで、父親であるツェヴァンニ大臣が毒に耐性をつける為に世界中から毒草を集めたのだそうだ。
もちろんエリィ自身にも扱いと知識を学ばせた。あの毒草園はエリィが管理しているらしいから驚いた。
詳しいのは毒草だけではない。ハーブや薬草もだ。毒も扱いを間違えなければ薬にもなるって言うし、あれも一つの護身術なんだろう。
エリィは『おやつ』も気に入ってくれたみたいで、「はしたないかしら」なんて言いながら、手掴みで食べてくれた。
ハワード様はパウンドケーキがお気に入りだと教えると、真っ先にそれを手に取っていた。
「パウンドケーキを作れるようになったら、お話ししてくださるかしら」
「レシピ教えよっか?」
「……いいの?」
「エリィが作るのよ?」
「……え……」
もしかしてエリィって、本気でハワード様の事が好きなんじゃないかと思う。
最初は、皇后になる為に色々と勉強したと言っていたから、貴族同士でよく聞く政略結婚のような事を想像していたのだけれど、話す度に、聞いている度に、そんな風に思えてならない。
これはひと肌脱ぎましょうかね?
「それにしても、こんなに美味しい物を毎日口にしてしまったら、あっという間に体重が倍増してしまいそうだわ……」
そんな風に青い顔をするのを見て初めて気がついた。言われてみればそうかもしれないと。
なので、今度はカロリーオフのおやつも検討しなければなるまい。
やる事はまだまだ沢山ありそうだ!
こうして、時間も忘れておしゃべりに夢中になっていると、サラさんが私宛の来客を知らせてくれた。
迎えに来てくれたハインヘルトさんだ。
そう言えば、この後城のシェフの皆さんと夜会の料理の打ち合わせをするんだった!
すっかり忘れていた事を詫び、席を立つと、エリィが残念そうに見送ってくれる。
「今度はうちに来て。メアリとメリッサにも紹介したいし、うちなら違うおやつもすぐ用意出来るわ」
「アルカン邸へ? でも……いいのかしら……」
「いいに決まってるでしょう? 友達ですもの!」
そう言って笑うと驚いた表情をされ、その後大輪の花が咲いたかのような笑顔を見せてくれた。
「ええ、是非伺うわ」
あぁ、ホント美人。
父親があのコント髭とか信じられない。
上機嫌で迎えの馬車に乗ると、ハインヘルトさんにもの凄く変な顔で見られてしまった。
「私、最強の友達が出来たかも」
そう言って一人ほくそ笑む私を、ハインヘルトさんは終始訝しげに見ていたのだった。




