4話——異世界で料理は大変です。
さて、メニューが決まったところで早速調理に取り掛かる。
リゾットにはお米もどきの『ジャバニ』と見た目玉ねぎの『ティーギ』、粒はコーンなのに実り方がデラウェアという、頭がこんがらがってしまいそうな『コロンニ』を使って作る事にした。
コンロとなる魔道具に浅型鍋をセットする。
スイッチもつまみも無いのにどうやって火を起こすのかと眺めていたら、ライルさんが赤い石『魔石』が嵌め込まれた場所を指差して教えてくれる。
「此処に触りながら『リヒート』と唱えれば、誰でも火を付ける事が出来るんだよ」
「へぇー……呪文式なんだ……」
「えみの家は違ったのかい?」
「そうですね。ガスコンロかIHのどちらかで、我が家はガスコンロでした」
初めて聞くねと言われコンロ談義に火がつきそうになったが、「今度ゆっくりね!」とハンナさんに止められ調理に戻る。
魔石に触れようかというところではたと気がつく。
「あの、バターやチーズなんてものは……」
「うん、初めて聞くね」
「……ですよねぇ……」
そりゃそうか。あればもっと食生活が豊かな筈だものね。
アルカン家のお屋敷は大きい。異世界とはいえ、メイドも執事も何人もいるような家はそうそう無いと思う。
そんな家でさえ、食事のレベルは日本で一般的な家庭だった我が家よりも低いと思った。
という事は、この世界の食事レベルがもとより低いという事だ。
「なるほど……いきなり詰んだな……どうしよう……」
調理用のオイルや最低限の調味料は揃っているようだから出来ない事はないか……と腕組みしていると、後ろからメアリに声を掛けられた。
「えみ、何か落としたわよ?」
「え? あ、ありがとう。……ん?」
手渡されたのは片手程の大きさのピンク色のポーチだ。小さなリボンがアクセントになっていて、リップや手鏡なんかを入れて持ち歩くような極一般的なものだ。
こんなの持ってたっけ? と思いながら受け取り、何を入れていたかと中を覗いて驚いた。
まさに! まさに今!! 私が欲しいと思っていたバターとチーズが入っていたのだ。
「なんで? どうしてこのポーチに?」
バターやチーズなんて、普通はポーチに入れて持ち歩くようなものではない。保冷機能がついたものであったとしてもだ。それにタイミングが良すぎる。
そしてハッと気が付く。あの時、女神様に『四○元ポケットが欲しい』とお願いした事を。
まじまじとポーチを見つめる。
「四○元ポケットならぬ四○元ポーチか……」
そして一人ほくそ笑むのだった。
ハンナさんもメアリもシェフ三人衆も、バターやチーズを見るのは初めてらしく、珍しそうに眺めている。
バターは例の黄色い箱に入っていて銀紙で包まれているし、チーズはシュレッドタイプでプラスチックの透明な袋に入っているのだから当然だ。
得体の知れないものを使われるのは怖いだろうと思い、私は皆んなが見ている前でバターを少し切り取ると口に含んだ。
「うん。バター!」
何の変哲もない良い塩梅に塩味の効いた普通のバターだ。しかもナイフが使えるくらい良く冷えている。イメージ通りだ。
続いてシュレッドチーズの袋も開けて、同じように中身を食べた。こちらもチーズトーストなんかにして良く食べていたものだ。
「皆さんもどうですか?」
勧めてみると、最初に手をつけたのは料理長のライルさんだ。恐る恐るといった具合に、シュレッドチーズを一欠片つまむと口に含んだ。
ほんのり感じる塩味とミルクの風味が良かった様子で「美味しい」と、再び袋へ手が伸びていく。シェフの二人がそれに続き、メイドの二人も同じく続く。
バターの方は油だからと味見を少量にしてもらったのが、口に広がる風味が大変好評だった。
これなら使っても大丈夫そうだと分かり、ひとまずホッと胸を撫で下ろした。
料理長のライルさんにリゾット用の食材を刻んでもらい、ホーンさんとスープ用の大鍋を準備する。
野菜スープは、大きめにカットした野菜とウィンナーを入れてコンソメで味をつけた『ポトフ』にしようと思っている。
ウィンナーはもちろんポーチから取り出す。
ちゃんと出てくるのかドキドキしたが、一度閉じたポーチのファスナーを開けるとしっかり入っていた。
取り敢えず「○○が欲しい」と念じると入っているようだ。
日本では老若男女関係なく人気の高いウィンナーだが、こちらの世界でもその人気は不動のようだ。
試食と称して大袋の半分以上が消えていったので、苦笑しながらもう一袋取り出す羽目になった。
ポトフ野菜の下処理を見習いシェフのルファーくんにお願いしたところで、リゾット担当のライルさんから声が掛かった。
刻み終えた野菜をバターを溶かした浅型鍋に入れ少し炒める。
半ば火が通ったところへ、今度は生のジャバニを投入する。
「このまま入れるのか?」
「はい。半透明になるまで火を入れてから水を加えて煮るんですよ」
「へぇー。そんな風に調理をするのは初めてだな」
水を加えてコンソメスープの素を入れ、蓋をしてしばし煮る。
ポーチからキッチンタイマーも出せたので、時間をセットして後は待つだけ。
炊き上がったら最後に塩コショウで味を整え、チーズを加えれば完成だ。
キッチンタイマーはハンナさんもシェフの皆さんも気に入ったようなので、そのまま差し上げる事にした。
メインの『豚の角煮』を作るべく、ハンナさんとホーンさんと三人で肉のカットをしていると、ルファーくんがあろうことかポトフ鍋の煮汁を捨てようと、大鍋を傾けているところを目撃した。思わず二度見かましたよね!!
「だっ、だめぇぇぇぇ————」
すんでのところで阻止し理由を尋ねると、一般的なスープの作り方がそうなのだと教えられた。
なんと、旨みが沢山染み出た『出汁』を捨て、新たに湯を入れてスープを作っていたと言うのだ!
道理で味がしない訳だと納得した。
「ルファーくん! 一度このままスープを味見してみて」
怪訝そうな顔をしている彼に、まだ味付けをしていない状態だったがスープを飲んでもらう。
「……色んな味がする。塩入ってないからうっすいけど……ウィンナーの風味もするな」
「でしょ? 具材って煮ると旨みや栄養が煮汁に溶け出すんだよ!! だから美味しい煮汁を捨てるのなんか絶対勿体無いよ!!」
「確かに……これに味付けしたら、とんでもないもん出来そうだ……」
「でしょでしょ! じゃぁ、仕上げはルファーくんに任せるね!」
楽しそうにコンソメを受け取るルファーくんにポトフを任せ、私は角煮の作業へ戻る。
肉のカットは終わっていたので、生姜のような『ジンギー』を薄切りに、カブみたいなネギ『シュプス』をぶつ切りにしておく。
お肉は臭み取りと柔らかく仕上げるために下茹でした。
醤油と酒、砂糖と味醂で煮汁を作り、肉とぶつ切り野菜を加える。
今日は煮る時間があまり取れないため、私はそこへお酢を加えた。そうすることで、短時間でも柔らかく仕上げる事が出来るのだ。
これは大好きな祖母から教えて貰った。
お酢の匂いをモロに嗅いでむせかえっているルファーくんを笑いつつ、私は故郷を思い出していた。
突然死んでしまったりして、お母さんもお婆ちゃんもきっと悲しんでいるだろう。
こちらの世界で元気に過ごせているが、それを伝える術は無い。
二人に親孝行出来ないまま離れ離れになってしまった事は心残りだ。もう会えないと思うと、やっぱり悲しい気持ちになってしまう。
それでも今、私は一人じゃない。気の良い人達に囲まれて、寂しい思いをせずに済んでいるのだ。
彼らが喜んでくれるように、精一杯美味しいご飯を作ろうと、皆んなの姿を眺めながら思うのであった。
リゾットが完成し、コンソメが入ったポトフの火も落とすと、厨房にはすっかりいい匂いが充満している。
いつもとは全く違う香りに、皆んなの期待値も上がっているようだ。
食べ慣れているはずの料理を作っただけなのに、勝手が違うとこんなに大変なのだと知った。
調味料の少ないこの世界に比べて、日本は恵まれていたのだなと改めて痛感する。
それでも皆んなで協力しながらワイワイ料理が出来たのは、楽しかったし嬉しかった。やっぱり料理は楽しい。
角煮がそろそろいい頃かなというところで、厨房にレンくんが顔を出した。トレーニング終わりなのか、額には汗が滲んでいる。
「なんかいい匂いがする」
そう言って入ってこようとするのをメアリが阻止している。
「はいはい、もう直ぐ出来るから楽しみに待ってて! 早く汗流して着替えてらっしゃい」
そう言って追い返すと、皆んなで手分けして出来上がった料理を盛り付けていく。
完成したメニューは、私の目には統一性が無くチグハグなものだったが、ハンナさんやメアリは目を輝かせている。シェフ三人衆の表情も達成感に溢れていた。
いつもとっても薄味な人達の口に合うよう極力優しい味付けにしたつもりだが、果たして気に入ってもらえるだろうか。
今更ながら不安になってきた。
勢いのまま「夕飯を作らせてください」なんて言ったものの、思えば家族以外に食事を作るなんて生まれて初めての事だ。
ドキドキと音を立てる心臓におおいなる不安を抱きながら、私は運ばれていくお皿の後を追い厨房を後にした。