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19話——深い傷でも、ゆっくりちゃんと治っていくものです。

 周囲が歓声に沸く中、私はソラと共にレンくんの姿を探していた。

 戦闘の最中なのに立ち竦むような姿に違和感を感じた。ボアキングを倒した後も、呆然と佇んでいたように見えて、様子がおかしいと思えてならなかったのだ。


 爆発があった現場では、アルクさんが指揮を取り『魔石』の回収作業が行われていた。見習い君達も先輩隊士と共に事後処理に加わっている。

 初めて目にした魔族との実戦は、彼らの騎士としての誇りや矜持を確固たるものにするには十分すぎる効果をもたらしたようだ。

 ルーベルさんは半数の隊士を引き連れて、直ぐに周辺の警戒に向かった。この辺りの連携がとてもスムーズで、お二人の息が合っている事、普段からの統率力の高さに驚くばかりだ。

 シャルくんはあれだけの魔力を消費したにも関わらずぴんぴんしていて、アルクさん達と一緒に魔石回収に奔走している。

 ソラ曰く、普通の人間ならあれだけの規模で魔力を次々使うと一時的に魔力切れを起こし、動けなくなってしまうらしい。

 シャルくんは動けなくなるどころか、精霊共々元気に走り回っている。……規格ごとぶっ飛んでいるようだ。

 勇者様、流石です!




「えみ」


 ソラに呼ばれて近付くと、森の奥の方を鼻先で指している。

 もしかしてこの先に……?

 先導するソラに続き、ゆっくり奥へ進んだ。


 周りを警戒しながら少し行くと、ソラが立ち止まりその場にお座りの格好になる。ソラの陰から前方を覗くと、樹の陰にレンくんが座っているのが見えた。ちらりと見えた髪が白いから、獣人の姿のままなのだろう。


「来るな!!」


 今まさに足を踏み出そうとしていたところに彼の声が聞こえて、その場に踏みとどまってしまった。

 聞いた事のない強い口調に、思わずビクリと肩が揺れる。

 やっぱり……様子が変だ。


「まさか……怪我したんじゃ……」


 そう思った途端に走り出していた。

 樹を背もたれにして座り込む彼の側へ駆け寄る。

 獣人のままの右手は血で染まり、震えが収まらないのか目に見えてぶるぶると痙攣している。その手首を左手で押さえ付けているように見えた。

 ざっと全身を見てみたが、怪我らしい怪我は認められない。手についた血はさっきのボアキングのものだと思われた。


「レンくん……」

「震えが、止まらないんだ……ハハ……カッコ悪」

「そんな事ない…———」

「いいから、戻れ! 近付くな……」


 俯く彼の表情は見えない。

 口調は相変わらず強いまま。それなのに、その言葉が彼の本心だとは思えなかった。

 震える右手に自分の手を重ねた。ゆっくり顔を上げたレンくんのエメラルドは一瞬泣いているのかと思う程不安気に揺れている。


「帰ろう。皆んな待ってるよ」

「……だ」

「え?」

「……オレは……化け物だ……」

「っ……」

「いつか……大切だと思ってるものも、傷付けてしまうかもしれない……この爪で……引き裂いてしまうかも……」 


 あの戦場で沢山殺した。

 そうしろと言われて魔術で縛られ、そうしなければ殺されると思った。

 ガキだった自分には、言うとおりにする以外どうすればいいのか分からなかったんだ。

 回りには武器を持った大人達が沢山いて、それらが全部自分に向けられているんじゃないかと思えた。

 目の前の斬撃をかわしても、次がくる。空から矢が飛んで来て、肉を抉る。魔術の広範囲攻撃がくる。

 何時まで経っても終わらない。昼も夜も寝る時間も、立ち止まる時間さえ無くて、心が休まる時なんて無かった。

 どうしようも無くて、手の届く範囲は無我夢中で全て薙ぎ払った。


 気が付いた時には戦いは終わっていて、辺り一面屍の山だった。

 その中には……見知った顔もあったんだ。


 オレは化け物だから、どんなに大切だと思っても、逆に傷付けてしまうかもしれない。

 オレは化け物だから、いつかまたどうしようもなく、全てに爪を向けてしまうかもしれない。

 オレは化け物だから……強い人達の側にいれば、彼らがオレの暴走を止めてくれる。

 きっとオレを…———


「怖いんだ……どうしようもなくて……ただ、怖い……」



「(この人は……傷付いてきたんだ……)」

 苦しんで、悩んで、迷って、きっと沢山傷付いてきた。

 周りには頼れる人なんか一人もいなくて、たった一人でずっと……抱えるしか無かったんだね。


 レンくんの手をぎゅっと握った。

 大きくて、鋭い爪で、真っ白な毛に覆われた異形の手。

 私のピンチをいくつも救ってくれた、温かい手だ。


「もう大丈夫だよ」

「……そんなの、分からない…———」

「絶対! 大丈夫だよ」

「っ!」

「だってレンくんはもう一人じゃないでしょう?」


 隣を見ればお座りしたソラがフスンと鼻を鳴らしている。


「ソラがいるから大丈夫。アルクさんだっているし、シャルくんもいる。ワサビちゃんも、メアリとメリッサも、騎士団の皆んなも。面倒な事はハワード様に押し付けちゃえばいいよ。……もう、一人じゃないから……絶対大丈夫」


 レンくんの瞳から涙が零れた。


「不安な時は、皆んなでわいわいお茶にしよう? 困った時は言って欲しい。私は鈍いから、気付いてあげられないかもだし……ほら、皆んながいればどうしたらいいか考える時も、アイデアが沢山出るかもしれないし」

「……っ……」

「それでも駄目な時は、一緒に泣こう!! ……沢山泣いたらスッキリして、また良い方法を思い付くかもしれない」


 どうか一人で悩まないで欲しい。

 してあげられる事は少ないかもしれないけど、私で助けになるならなんでもするから。

 だから、そんな風に全部一人で抱え込まないで吐き出して欲しい。

 今はそれが出来るのだから。


「友達でしょう? 私は友達が困ってたら、全力で助けてあげたいよ。だから、もっと私や皆んなを頼ってくれていいんだよ」


 レンくんの瞳からポロポロと大粒の涙が溢れていく。

 それに釣られるように、私の目からも涙が零れた。もらい泣きは私の特技である。


「オレは……ずっと……独りだった……化け物、だから……独りじゃないと、ダメだと……」

「もう違うよ」

「……一緒に、いても……いいのかな……」

「当たり前でしょう!! さっきのレンくん、めちゃくちゃ格好良かったよ」

「……っ……」

「皆んなを護ってくれて、ありがとう」


 レンくんの頭をそっと抱き締める。彼は私の腰に腕を回すと、そのまま声を押し殺して泣いていた。


 いつかと逆だなぁと思い出す。

 あれは思い出すのも恥ずかしいが、シャルくんの生まれ育った村で、レンくんに八つ当たりをかまして大泣きしてしまった時の事だ。

 あの時は瞼がパンパンに腫れるまで、しゃっくりが出るまで泣いた。

 その時、レンくんは私が泣き止んで落ち着くまで側にいてくれたのだ。

 今となっては完全な黒歴史だが、あの時、泣いた事でスッキリもしたんだ。

 どうかこの涙と一緒に、レンくんを苦しめているものが少しでも流れていきますようにと、願わずにはいられなかった。



 ◇ ◇ ◇


 遥か上空。

 地上からは肉眼で捉える事すら出来ない位置に、ひとつの黒い影がいた。

 人型のそれは、人では無かった。

 背中にはコウモリのような翼があり、頭には歪曲した鋭い角が生えている。

 全てにおいて黒い印象を受けるが、一ヶ所だけ違う場所があった。

 瞳だ。

 瞳だけは、鮮血を思わせるような赤だった。

 その赤い瞳が地上で行われた一部始終を視ていたのだ。


「今生の勇者もまた規格外か……」


 まるで前回の勇者を知っているかのような口振りだった。


「それにホルケウ……あの女の犬が何故人間と(つる)んでいる……?」


 その側にいる娘に目を向ける。


「……あれは……成る程、『黒の巫女』という訳か……」


 ニヤリと口元を歪ませ、右手を横へ払った。

 すると、空が広がっていた筈のその場所が、ぱっくりと口が開いたかのように開いた(・・・)

 中は闇を垂らしたかのように真っ暗だ。

 人成らざる者が、その中へと体を滑り込ませる。

 口が閉じると、そこには初めから何も無かったように空が広がるだけだった。


 ◇ ◇ ◇



「ん、んん!!」


 咳払いが聞こえて、二人で我に返った。

 そう言えばソラがいたのを忘れていた。


「皆が探しておるぞ」


 耳を澄ませば遠くで私達を呼ぶ声が聞こえている。

 私は立ち上がるとレンくんの手を取った。


「帰ろう! レンくん」


 レンくんが立ち上がる。姿はもういつものレンくんに戻っている。

 震えていない彼の右手が、私の手を握り返してくる。


「あぁ」





 森から抜けると、私達を見つけたアルクさんとシャルくんが駆け寄ってくる。


「大丈夫か!? 二人とも」

「はい。心配掛けて、すみませんでした」

「えみ! 見たか、オレの魔法!! 凄くね?」

「凄かったよ! イグニス達もカッコ良かったぁ! お疲れ様」


 声を掛けると、シャルくんの肩の上にいた精霊達が嬉しそうにふよふよと宙を舞う。

 ……この子達は誉められて伸びるタイプだね! きっと。


「おいシャガール!」

「ん? 何だ?」

「どさくさに紛れて呼び捨てしたろ!」

「あー……いやぁ……まー、いいじゃん!」


 おどけるシャルくんに悪びれた様子は無い。大抵この笑顔にみんな絆されてしまうのだ。

 それはレンくんも例外では無かったようだ。


「にゃろぅ……でも、助かった……」

「え?」

「ありがとう」


 そう言って表情を崩したレンくんに、シャルくんがぽかんと口を開けている。アルクさんも驚いた表情だ。


「……ホントにレンか? どうしたんだ?」

「うるさい! レンさんだ! 調子に乗るな!!」

「え!? わっ!! ちょ…ギブギブ!!!」


 そう言って戯れ合う二人は、こうして見ているとなんだか仲の良い兄弟のようだ。

 その光景が嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。


「レンは……大丈夫そうだな」


 私の隣でアルクさんが呟いた。二人を見てホッとしたように微笑みを浮かべている。


「はい。きっともう大丈夫です!」


 私ですらレンくんの異変に気付いたのだ。アルクさんもきっと、心配してたんだろうな。




「レン。シャガール殿」


 ハワード様が真っ直ぐこちらへやって来る。後ろにはルーベルさんとハインヘルトさんもいる。

 ハワード様は、きょとんとする二人の前へ進み出ると、片膝を付いた。


「で、殿下!」

「何を…——」


 すると、それに続くようにルーベルさんもアルクさんも、回りにいた騎士団の皆さんも片膝をつき、二人へ頭を下げたのだ。


「王都を救って頂き、感謝する。この国を代表して礼を述べさせて頂きたい」

「や、やめてください! そんな……」

「そうですよ! すべき事をしただけです」


 ハワード様の真剣な眼差しが真っ直ぐにレンくんへと向けられる。


「改めてお願いする。伝説の賢兵と謳われた『レイノルド』の血筋である貴殿の力を、どうか我々にお貸し頂きたい」


 周囲が再びざわつく中、レンくんのエメラルドはハワード様を見つめている。

 その瞳に迷いの色は今度こそ見られない。


「もちろんです」


 ハワード様は安堵の表情を浮かべて「感謝する」と頭を下げた。


 結果的にレンくんの騎士昇格試験は免除となり、正式に調査隊への入隊が決まった。

 そりゃそうよね。シャルくんと二人でボアキングを倒し、未曾有の危機を退けて見せたのだ。

 それをハワード様と第二、第三師団の隊士全員が目撃した。誰からも文句は出なかった。




「さて、次はえみの腕の見せ所だな」


 そう言ってハワード様のニヤリな笑みの向こうには、既に捌かれて見事な肉のブロックと化したボアキングの成れの果てがあった。


「ねぇ、嘘でしょう……一体いつの間に……」


 ホントこの悪徳皇子、抜け目ない……

 というか、食べる気満々らしい。

 この量ならここにいる全員の胃袋を満たしてやるには十分すぎる程でしょう。


 もう! こうなったらヤケクソだ!!


「……わかりました!! 全員まとめて満足させてやろうじゃないの!!」


 生々しく戦闘の痕が残るその空き地に、今度こそ歓喜の声が響き渡った。

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