18話——これ、試験前の肩慣らしどころでないですよ?
◇ ◇ ◇
えみがアルクの色気に撃沈してフリーズし、双子の姉妹が騎士見習い達からゴシップネタを仕入れていた頃、珍しく執務室に居たハワードの元に、少々慌てた様子のハインヘルトがいた。
「それは確かか?」
「はい。監視の任に就いていた隊士から、たった今入った報告です。魔族の群れが王都近辺に展開中との事です。その数、約三千」
「すぐ動ける奴は?」
「アルク様の隊が只今見習い隊士の訓練中です。先程勇者シャガール様が合流され、何の因果かえみ様とホルケウ様が隊士へ差し入れを持っていらした所です」
ニヤリと悪い笑みを浮かべ、ハワードが立ち上がる。
「すぐにアルへ知らせろ。それからルーベルの隊も招集。一時間で出発する」
「しかし、教会は」
「今は緊急自体ゆえ。報告は事後でかまわん」
「かしこまりました」
◇ ◇ ◇
『魔物が王都周辺で不穏な動きをしている。制圧してこい』
そう言われてやって来ました、小高い丘の上。
アルクさんは午後の訓練を急遽魔族討伐へ変更し、すぐに本体を召集した。命令が下ってから僅か三十分の出来事だった。
見習いの皆さんも実戦の見学という形で後方へ待機している。
もちろんシャルくんも一緒だ。そして何故か私も。まぁ、私が来ないとソラも来てくれないからだろうけど……。
人使い荒くないですか? マジで。
偵察部隊の隊士に案内されてやって来たのは、王都へ続くメイン街道から少し外れた森の中。小高い丘になったその崖下に魔物の群れが蠢いていたのだ。
「何故こんなに接近を許した」
アルクさんの表情は固く強張っている。
それはそうだろう。振り返れば目と鼻の先に王都の外壁が見えるのだ。
「それが……昨日見回った時には影も無かったのです」
「なんだって? ……じゃぁ、こいつらは一晩のうちにここへ集結したと? この数がか?」
「信じ難い事ですが、その可能性が高いかと……」
「……どういう事だ……」
アルクさんが改めて群れへと目を向ける。
種族的には『ゴブリン』が殆どだ。子供のような姿をしているが、皮膚は緑で耳は尖り、体の割りに腕が長い。皆一様にこん棒を持ちその瞳は真っ赤だ。
ところどころ体の大きなものがいるが、あれらは上位種になるらしい。こん棒ではなく剣を持っていることから、『ゴブリンソード』と呼ばれる。
ゴブリンの間に茶色い毛むくじゃらの丸っこいものが見える。『ボア』と呼ばれる獣型の魔物だ。一見普通の動物のような姿形をしており、狙った獲物に突進してくるイノシシのようだが、目がやはり鮮血を思わせる赤で染まり、異形のものだと思い知らされる。
「殿下は?」
アルクさんが側のハインヘルトさんへ尋ねた。
「ルーベル様の隊と直ぐに参られます」
「ルーベルさんと? では第二師団と合同作戦だな」
アルクさんがソラの側にいる私の元へとやってくる。
「えみはソラの側を離れないように。もう少し高い所へ移動して欲しい」
「わかりました」
「君達は巫女殿の護衛だ。実戦を見るのは初めてだろうが、周りの注意は決して怠らないように」
見習い隊士達がそろって敬礼する。
邪魔になってはいけないので、直ぐにソラと皆さんと離れた位置へ移動しようと体の向きを変えようとした時だ。
「レン。お前はこっちだ」
「えっ……」
私達と移動しようとしていたレンくんに、アルクさんからお声が掛かった。
「調査部隊へ志願するんだろう? 実戦経験は積んでおけ」
「は、はい!」
アルクさんの元へ駆け出すレンくんを思わず呼び止めてしまった。
「あの、気をつけてね……」
「あぁ。大丈夫だ」
いつもの無表情に緊張の色を濃くした表情が少し気になった。
その背中を不安な気持ちで見送っていると、隣のソラが口を開いた。
「小僧なら心配ない。あやつが力を解放すれば、覚醒者とも肩を並べるであろうよ」
「え? そうなの?」
「ふむ。……それよりも、見よ。珍しい奴がやって来た」
「え?」
言われて視線を戻すと、魔物の群れの奥から茶色い毛むくじゃらの大きな塊が現れた。
「でっ、でかくない!?」
それに気付いた周りもざわついている。
私達の正面に現れたそれは、とてつもなくデカい。元のサイズに戻ったソラと並んでも遜色ない程の巨大な化け物が姿を現したのだ。
「あれだけの巨体。間違いない、『ボアキング』だな。滅多にお目にかかれる代物ではない。そして驚く程脂がのって旨いのだ」
「え? ソラ、魔物食べるつもり!?」
「魔物だろうが何だろうが旨いものは食う。えみ、あれを料理してくれ」
嘘でしょう……? 魔物って食べても大丈夫なの……?
解体は無理だからね……
「面白い話をしているな」
「魔物を食べるという発想はありませんでしたね」
後ろを見ると、ハワード様とルーベルさん、第二師団が到着したところだった。
第二の団員の皆さんはソラの姿をみるなりどよめいている。お初にお目にかかるようだ。
「今晩はご馳走だな、えみ」
ハワード様がニヤリな笑みを向けてくる。
あー……、嫌な予感がするな。
「にしても、ボアキングとは……あれが外壁に近づいていたらと思うとぞっとしますね」
「ルーベル。すぐにアルと合流して作戦会議だ」
「はっ!」
ルーベルさんは第二師団の隊士へ「第三師団と合同作戦となる。直ちに合流」と指示を出し、アルクさんとレンくん、シャルくんの元へ向かった。
「……何だ……何かおるの……」
ぼそりと呟き空を見上げる。
この時、不穏な影の気配を感じたのは、恐らくソラだけだった。
◇ ◇ ◇
視察部隊からの情報によると、確認出来たのは、ゴブリン、ゴブリンソード、ボア、ボアキングの四種族。
弓や魔法を使う類いの魔物は確認出来なかったようだ。
「隠れて狙ってくる可能性もある為、警戒は怠らない方がいいですね」
ルーベルが眼鏡の縁を持ち上げる。その奥で鋭く光を放つ銀色が静かに燃えている。
「今なら一網打尽に出来そうなんだが……」
腕を組み魔物の群れを見下ろすハワードの言葉に、シャガールが「殿下」と反応した。
「それなら土の壁で奴等を囲って閉じ込め、まとめて焼き払うのはどうでしょうか?」
「そんな事が出来るのか?」
「実戦で使ってみたい魔法があるんです! ベルクとイグニスなら出来ると思います」
シャガールが肩の上にいる土と火の精霊の名を呼ぶと、彼らは嬉しそうにふよふよと舞いを舞った。
逆に呼ばれなかった二人はがっくりと項垂れている。
「なんとも、頼もしい限りだな」
「では、勇者殿に一網打尽にしてもらい、あぶれた分を我々で掃除、周辺の警戒を行いましょう」
ルーベルは隊士へ指示を出しにその場を離れた。
それを見送り、アルクがレンを近くへ呼んだ。魔物へと視線を向けながら、再度対魔物戦を復習していく。
「魔物には『核』と呼ばれる急所がある。そこを潰さなければ、魔物の死骸自体がいずれその周囲に害を及ぼす」
「はい」
「ゴブリンならば左胸。ボアなら眉間だ。魔物によって場所が違うから気を付けろ。核は別名『魔石』と呼ばれ、魔物の体から抜き取り破壊すればいい。その場で破壊出来ない場合は城へ持ち帰り、魔術師団に処分の依頼をしなければならない。どちらの場合も数と処理状況の報告は必須だ。覚えておくように」
「分かりました」
「レン」
ハワードが緊張で表情の固い青年へ声を掛けた。
「はい、殿下」
「お前の力を見せて貰おう。昇格試験の肩慣らしに、な」
ハワードの射るような視線を受け止め、レンの瞳が一瞬揺れた。
「……はい」
全ての人間が配置につき、遂に作戦が決行される。
「ベルク!! 土壁発現!!」
シャガールの号令と共にベルクの体が発光した。
刹那、魔物の群れの足元に巨大な円形状の魔法陣が発現し、黒く光り出した。いきなり現れた不穏な光にゴブリン達が反応し騒ぎ出す。
光はあっという間に大きく強くなると、次の瞬間、轟音と共に地面が突き上げるように次々と隆起していく。
「なんとも……凄まじい魔力だな……」
「ええ。流石勇者様です……」
シャガールから少し離れた場所から様子を見ていたハワードとハインヘルトは、いきなり発動された上位魔法にただただ感嘆するばかりだ。
土煙が収まる頃には、魔物達の周囲を円形状に分厚い土の壁が囲っていた。
閉じ込められたゴブリン達が慌てふためくようにウロウロしたり、壁をよじ登ろうとしている。しかしよじ登るには壁は高く、ぶち破るには分厚い。
いつの間にか土壁の上へ立っていたシャガールの側に、今度は火の精霊が不敵な笑みを浮かべて飛んでいた。
「イグニス!! 爆炎!!」
円の真ん中、群れの中心にいたボアキングの頭上で、みるみる光が空気と共に圧縮されていく。小さな点だった黄色の光が周りの空気と魔力を取り込み、大きく大きく成長していく。
「まずい! 一旦退避!!」
「土壁から距離を取れ!!」
周囲に展開していた隊士達にアルクとルーベルが声を張り上げた。高密度の魔力を感じ取り、近くにいるのは危険だと判断したのだ。
その声に、隊士達が各々森の方へと避難していく。
ボアキングもそんな危機を察知したのか、凄まじい咆哮を上げると、怒り狂ったように壁へ向かって突進した。
その強烈なタックルに、進路上にいたゴブリン達が吹き飛ばされていく。
しかし、その巨体が壁へ届く前にイグニスの魔法が炸裂した。
轟音、爆炎、衝撃波と共に土壁の中で大爆発が起こったのだ。
その衝撃は大地を揺らし、爆炎で発生した土埃は遥か上空まで立ち昇った。凄まじい破壊力に、土壁のあちこちに大きな亀裂が入る程だ。
しかし崩れることはなく、爆発の衝撃波は最小限に留められた。
壁が形成される前に光の外へ逃げ出した勘の鋭い魔物達は、周囲に展開していたアルクとルーベルの隊によって制圧されていく。
「終わった…のか…?」
シャガールの圧倒的な魔力の前に、三千程いた魔物の群れはほぼ消滅した。
隊士達が討伐の成功に歓喜の声を上げたその時。壁の内側から凄まじい咆哮が上がり、空気がビリビリと振動した。
「まさか!! あの爆発を耐えたのか!?」
隊士達がどよめく中、亀裂の入った土壁が轟音と共に破られ、巨石が飛散する。
土煙と黒煙の中、崩された壁の大穴から現れたのはボアキングだった。
ゆらゆらと立ち上る邪悪な魔力を纏い、真っ赤な瞳で目の前にいる隊士達を睨み付けている。
あれだけの爆発にも関わらず、目立った傷は見られなかったのだ。
前足で地面をかき、臨戦体勢だ。
「…ば、化け物……」
隊士達が後退りする中、その化け物の正面に立ち、真っ赤な瞳を睨み付けているのはレンだった。
頭の片隅に追いやっていた筈の記憶が甦ってくる。
それは、あの戦場での記憶。
爆音、轟音、断末魔、悲鳴、怒号、肉を裂く音、感触、自らの手を染めた血の臭い。
それらが当時の記憶と共に生々しく思い起こされると、『恐怖』となって全身を支配した。
その『恐怖』は、たちまちレンから冷静さと思考能力を奪っていく。
体がやけに重く感じた。足を踏み出すのも、腕を上げるのも、指を動かすことすら困難に思えた。
『恐怖』がまるで鎖となって、自分の体をがんじがらめにしているかのようだ。
今、目の前で自分の鼓膜を震わせているボアキングの咆哮すら、何処か遠くで聞こえているような錯覚に陥っていた。
自分が今何をしているのか、何処にいるのか、どうすべきかわからなく…—————
———レンくん!!!
「!?」
小さな声だった。
遠くから聞こえたほんの僅かな音。
それでも確かにはっきり聞こえたその声が、レンの意識を今、この戦場へと引き戻す!
———そうだ……オレには、やらなければいけない事があるんだ!!!
それを思い出した瞬間、体を縛っていた見えない鎖が消え、レンの体が白く発光していく———
周りの隊士に再びどよめきが走った。
「あれは!?」
「獣人!!」
「まさか……レン…——」
ボアキングから魔力を伴ったプレッシャーと共に咆哮が発せられた。はっきりとレンへと向けられた威嚇だった。
が、あの時のソラのものに比べれば、大した事では無い。
ボアキングの突進と同時に、レンが地面を蹴った。それは地面が抉れる程の踏み込みだ。
一瞬で肉薄すると、眉間へ魔力を込めた渾身の右ストレートを叩き込む。
衝撃波が生まれる程の一撃に、ボアキングの動きが止まった。
が、固い。
奴の皮膚もさる事ながら、核を守る頭部が異常なまでに固かった。
そしてこの姿にまだ慣れないせいか、魔力を込めるタイミングが微妙にズレた。それらが要因となって、仕留めるまでには至っていない。
ボアキングは脳震盪でも起こしたのか、巨体が前足を折って地面へと沈み、レンは大きく後ろへ飛び後退する。
「(どうする!? もう一度…———)」
「アネム!! 暴風!!」
ボアキングの足元に魔法陣が現れると、瞬時に風が巻き起こり、たちまち激しい竜巻となってその巨体を空へと舞い上げた。
レンの圧倒的な魔力に、既に言葉を失っていた隊士達は、更なるシャガールの巨体を軽々と舞上げてしまう凄まじい魔力に、もう既に呆然と立ち尽くしている。
空高く巻き上げられたボアキングの巨体は、今度は重力によって加速しながら落ちてくる。
「レン!! 使え!!」
シャガールの声にレンは直ぐ様反応した。右手に魔力の全てを集中したのだ。
「ベルク!! 土尖槍!!」
地面のあちこちに黒い魔法陣が発現していく。それらから一斉に無数の尖槍が突き上がった。
落ちてくる巨体に向かって伸びる土の尖槍に乗り、レンが魔力を練り上げた爪を振り上げる。
閃光一線
ややあって、切り離された胴体、眼光を失った頭部が地面へぶつかり、醜い音を立てた。
全ての戦闘が終了した瞬間だった。




