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16話——レンくんには秘密がありました。『後編』

『畏怖の象徴』


 いつからか、獣人はそう呼ばれ、忌避されて来た。

 始まりが何処からなのか、いつからなのか、最早誰にも分からない。半分人間であるその異様さのせいか、半分魔獣であるその恐怖からか、どちらの要因もあったからかもしれない。

 人よりも狡猾で本能的だから、体格が人並み外れているから、その身体能力が計り知れないから、人族からするとやはり脅威だったのだろう。

 昔から傭兵として戦場では重宝されてきた。

 味方だと分かっていたならば英雄だったが、敵方からすると悪夢だ。

 そしてひとたび外へと出たならば、やはり脅威でしかなかったのだ。

 多くの獣人は獣人と言うだけで恐れられ、差別され、嫌悪されてきた。それは大人であろうが子供であろうが何ら変わる事はない。

 レンがどれ程の悪意に晒されて来たかは、『拒絶が怖かった』と言ったその一言で容易に想像出来ただろう。



 アルクがレンと出会ったのは三年程前。他国で起こった内乱で鎮圧の応援要請を受け、派遣された戦場での事だ。

 保護された生存者の中にレンが居たのだ。その時の彼の姿は今でもよく覚えていた。

 両手を乾き切った血でどす黒く染め、美しいエメラルドの瞳に仄暗い獣の様な光を宿して子犬の様に震えていた。

 当時は戦争で親を亡くした孤児だと考えたが、今思えば迷い子などで無く、恐らく兵器として使われていたのだろう。

 怯える彼をどうしても見過ごす事が出来ずに声を掛けた。

 家族はいないとそう言った彼を、当時の指揮官だったローガンに頼み込んで連れ帰ったのだ。

 それからすぐに騎士団長に昇格したアルクがレンの身元引き受け人となり、騎士見習いとして自分の隊へおいた。

 めきめきと頭角を表した少年は、騎士見習いにして第三師団筆頭隊士となった。


 ◇ ◇ ◇


 アルクさんがレンくんへ歩み寄る。


「よく、話してくれたな。……とても勇気のいる事だったろうに」


 そう言って肩にポンっと手を乗せる。レンくんを見つめるその瞳は、常の穏やかで優しいものだ。


「……っ」


 尻尾と戯れていた私には、レンくんの表情を伺い知る事は出来なかったけど、ずっと胸の内にしまっていたものを吐き出す事が出来て、きっと良かったんだと思う。何も言わずに小さく頷いたレンくんの後ろ姿が印象的だった。


「獣人か……確かに、戦力としては申し分ないな……」


 ハワード様はハワード様で明かされた時は驚愕していた様だが、今はもう既に腕を組んで唸っている。

 なんだかんだちゃっかりレンくんを引き込むつもりでいるのかもしれない。こう言うところは抜け目のない人だ。



「待つのだ小僧。おぬし、何故肝心な事を言わぬ」


 ソラの黄金色がレンくんへと向けられている。細められたそれからは猜疑を感じた。「ここからが大事なところだろうが」と言う心の声が聞こえた気がしたのは、私ならそう思うだろうと思ったからか。


「肝心な事?」


 が、レンくんは本当に心当たりが無いのか、ソラの真意を探れない様だ。


「……まさかと思うが……本当に知らぬのか」

「何がだよ?」

「おぬしの先祖の話だ」

「先祖の話なんか聞いた事ない。犬の血が混じってるしか……」

「……何と」


 珍しくソラが瞠目した。こんなに分かりやすく驚いているところは初めて見た。


「おぬしは『レイノルド』の末裔ぞ」

「レイノルド、さん?」


 どちら様でしょうか?

 私には初めて聞く人の名前に思える。近くにいたメアリとメリッサの方も見てみたが、二人もピンときてないみたいだ。

 と思ったら、今度はレンくんが瞠目した。こんなに分かりやすく驚いているところは初めて見た。今日は初めて尽くしだ。


「……嘘、だろ……」


 え? と思って見たら、アルクさんとハワード様までフリーズしている。

 ……どちら様でしょうか?

 全く話について行けていない私に気が付いてくれたのか、アルクさんが教えてくれた。


「千年前、勇者『シャルナンド』と共に魔王を倒したとされている獣人だ。後に、当時の巫女と夫婦になったと伝わっている」


 千年前の勇者パーティの一人!?

 当時の巫女って、勇者様に御守りを渡した異世界人の事だ。その人と夫婦に……。

 と言うことは、レンくんはその獣人と巫女の息子の息子の息子の……

 ……それって、凄い事なのでは?


「その珍しい毛色、翡翠の如き瞳、そして魔素の匂い。間違いなかろう」

「オレが……?」

「こんな事が……」

「これまた歴史に残る大ニュースだな……」


 ハワード様がニヤリと悪そうな顔をして黒い笑みを浮かべている。

 この顔の時は怪しい。絶対ろくな事にならない。


「先祖の事が知りたくば、レーヴェを訪ねるが良い。一時期行動を共にしていた筈だ」

「レーヴェって?」

「四聖獣の一体だ。火の魔力を持つと言われている。会ったと言う奴を聞いたことが無いがな」


 ハワード様が教えてくれる。

 誰も会った事が無い火の聖獣。やはり伝説の一角ともなると、それだけでハードルが跳ね上がる様だ。


「さて、小僧は力を示した。……人の王の息子よ、ぬしの答えは?」


 ソラが今度はハワード様へと視線を向ける。

 黄金色と夕陽色が交わるのを、周りは固唾を飲んで見守っている。


「その前に一つ聞きたい。これ(・・)は『女神の意思』か?」

「……さての。だが、この世には偶然も必然も存在する。小僧と領主の息子が出会ったのは偶然でも、その二人の元にえみが現れたのは必然やもしれぬ」


「ふむ」と一つ頷いたハワード様がレンくんを見据える。


「誓いを立てる覚悟は———」

「魔力が覚醒した時から出来てます。……オレは、オレ自身の力で大切だと思うものを守りたい」


 先程までとは違う、決意の光を宿した瞳が真っ直ぐハワード様へ向けられた。


「……問うまでもないな。いいだろう。騎士昇格試験に合格出来たら、入隊を認めよう」

「!! …ありがとうございます!」

「ただし、必要とあらば君の正体を公表する。もちろん『レイノルドの子孫』と言う事も含めてだ。異論は?」

「ありません」


 レンくんの表情にも返事にも迷いは無い。


「……本当にいいのか?」


 そう聞いたのはアルクさんだ。きっとレンくんを心配しての発言だったと思う。

 レンくんは一度、いまだ尻尾と戯れる私達の方を見て、再びアルクさんとハワード様へ視線を戻した。


「もう、大丈夫です。オレにはちゃんとオレを理解してくれる人がいると分かったから」

「……そうか」


 そう微笑んだアルクさんは、本当に嬉しそうに笑っていた。






 その夜、私はアルクさんの執務室の扉をノックした。すぐに入室を許可する声が聞こえ、静かに扉を開ける。


「えみ? こんな時間にどうした?」


 書類を持ったままこちらを見たアルクさんは、もう既にいつでも眠れる格好になっている。

 かくいう私もそうなのだが。流石に薄着一枚でフラフラする訳にはいかないので、しっかり羽織を一枚纏ってはいるけども。


「お休みのところごめんなさい。明日の朝は早くに出られると聞いたので、今夜の内にと思って……」


 近くまで行くと机の前まで出てきてくれた彼に持ってきた包みを手渡した。


「試作品を作りました。第三師団の皆さんに試食して欲しくて。味や食べやすさもそうですが、食べた後に起こる体の変化なんかも聞けたら今後の参考になります」


 包みの中には、ファーストフードの定番であるハンバーガーやホットドッグが入っている。挟むものを変えて数種類作る予定だ。

 アルクさんの隊に所属していた団員さん達は、若そうな人が多かった。ファーストフードなら受けがいいのではないかと思ったのだ。これなら訓練の合間でも手軽に試食して貰えるのではないかと思う。


「アルクさんに許可が貰えたら、たくさん作ってお届けしようと思って」

「へぇ。とてもいい匂いがするね。是非お願いするよ」

「わかりました! じゃぁ早速明日作って持って行きますね! それと……あの、ありがとうございました!!」


 ペコリと頭を下げるが、アルクさんは首を傾げている。


「何の礼だろう?」

「ハインヘルトさんから聞きました。私を遠征に連れていかないよう、ハワード様に掛け合ってくださったと」

「……あいつめ……余計な事を……」


 アルクさんはどこかバツの悪そうなご様子。本当に知られたく無かったみたいだ。


「不謹慎ですが、アルクさんが怪我までして反対してくれた事……嬉しかったです。だからちゃんとお礼が言いたくて……遅い時間にごめんなさい」


 もう一度頭を下げてから視線を戻すと、アルクさんがじっとこちらを見つめていた。目が合った瞬間、なんだかイケない予感がした。


「え、と……そろそろ、戻りますね! お邪魔しました」


 逃げるように体の向きを変えて急いで入り口へ向かったのに、まさかの手遅れだった。

 開けようとした扉は、後ろから伸びて来た大きな手に阻まれびくともしない。それに気を取られた隙に、今度は別の腕が私の腹部へ回されている。状況を理解する間もなく背中に彼の体が密着し、耳元にびっくりする程のイケボが囁きをぶち込んで来た。


「こんな時間に、そんな格好で、屋敷をうろつく悪い子には……お仕置きが必要だと思わないか?」


 ひぃぃぃぃぃ!!

 私はすっかり忘れていた。この人の殺傷能力が顔だけで無かった事を。声が! 声も! いや、声ですら!!

 私を悶死させるには十分すぎる代物だったと言う事を。

 ロマンチックな小説やなんかで使われる『全身が粟立つ』という表現を、一体どこで使うのかと常日頃自問自答していた私は、今日それを実際に自分で体現して知る事になる。こういう事だったのだ! と。

 耳元で囁かれただけだったが、効果は抜群だった。

 ただでさえこの状況。密着に吐息に耳朶にイケボ。もう既に私の頭はキャパオーバー寸前だ。


「ごっ……ごめん、なさい……」

「いいや、許さない。えみは、自分の行動にもっと危機感を持つべきだ。それと……私が君を狙う男の一人だと言う事も、きちんと自覚すべきだったね」

「します! しました!! なので…——」

「いいや。……帰さない」


 その瞬間記憶がぶっ飛んでいるので、もしかしなくとも落ちたのでしょう……

 次の日の朝、目覚めたベッドが自分のもので無かった驚きと混乱と焦りと止まらない冷や汗に、私はいつまでもその場から動く事が出来なかった。

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