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14話——緩急差が激しすぎて、頭も体もついていけません。

「あーーーー……疲れた……」


 選定の儀を無事に終え、私はワサビちゃんとソラと共に王宮の自室へと戻っていた。


「ワサビもですぅー」


 二人して大きなソファの背もたれへ、これでもかっ! とだらしなく身を預ける。

 着替えをと言われたが、限界だから先に少し休ませて欲しいと、半ば強引に引きこもって来たのだ。


「先程まで女神の声を聞き、儀式を執り行っていた者とは思えぬ格好だのぅ」

「そんな事言われても、疲れたんだもの!」


 儀式の間には大勢の人間がいた。大半はこの城にゆかりのある大臣や貴族達なんだろう。

 そんな人達の視線で全身を串刺しにされた気分だ。

 唯でさえ人前に出る事に慣れていないのだ。好奇の目に晒されるというのは、嫌でも神経が擦り減るというもので。


「……あれ、やっぱり女神様だったの?」

「他に誰がいようか」

「ソラも聞いてたの?」

精霊(われら)には聞こえている。人間ではえみと覚醒者のみだ」


 シャルくんは勇者となった事から『覚醒する者』から『覚醒者』となったようだ。

 解りにくいから名前で呼んでくれないかなぁ。


「シャルくんの精霊を上位精霊にって言ってたけど……それってどうやるの?」

「さてな」


 うーん、もう詰んだ。

 一番女神様に近い筈のソラが分からないんじゃお手上げなのでは?


「あやつが何を考えておるのかなど、我にはわからぬ」

「ソラにもわからないんだ」

「世界の(ことわり)は女神のみぞ知るところだ」

「そうなんだね」


 さて、困った事になった。

 試練を課されたものの、その方法が一切分からないのだ。

 大体精霊の姿が一生涯変わらないって、女神様自身が定めた理なんじゃなかったか。

 そんなもん、いち人間が変えられる訳———


「ワサビはえみ様のご飯をいっぱい食べたら大きくなれました! イグニス達もそうすれば良いのでは?」

「「確かに」」


 珍しくソラとハモってしまった。

 そもそも精霊って食事しないんだよね?

 ワサビちゃんが特殊な個体なんじゃないかって思ってたんだけど……

 まぁでも聖獣であるソラもご飯食べるし、普通はしないってだけで有り得ない訳じゃないのかな。


「でも、イグニス達に必要なのはシャルくんの魔素でしょ? ご飯食べてもらうのはかまわないけど、私の魔素あげる事にならないの?」

「なるな。が、別に問題はなかろう。覚醒者との間に交わされた契約さえ守られれば瑣末な事よ」


 そういうものか。

 そういう事なら『四精霊にご飯食べてもらおう作戦』は、やってみる価値はありそうだ。

 シャルくんとも話してみよう。調査隊を任されているアルクさんにも相談してみた方がいいかもしれない。

 そんな風に考えを巡らせていると、不意に扉がノックされた。

 もうメイドさん達来ちゃったかぁとげんなりしていたら、入って来たのはまさかのアルクさんだった。

 それはもうだらしなくだらだらしていた私は、突然のアルクさんの出現に慌てすぎて、その場に起立すると気をつけをした。


「あの、どうし…———」


 彼は無言でツカツカこちらへやってくると、その勢いのままホールドしてくる。

 何故か気をつけの姿勢だった私の体は、見事なまでに綺麗に彼の胸へと収まった事でしょう。


「なっ!!? どどど、どうしたんですか!?」


 急な過度のスキンシップに、私の心も体もキャパオーバー寸前である。自分の大きな鼓動だけ身体中で感じた。

 ワサビちゃんは両手で自分の目元を覆っている。中指と薬指の間はしっかり開いているし、ついでにお口もあんぐりだったが。

 何も言ってくれないままの彼の様子が気になった。私を締め付ける腕がいつもよりも力強くて戸惑う。


「アルクさん……何かありましたか……?」

「……ごめん……少し、だけ……」


 どうしようかと迷った挙句、彼の背中に手を回す。右手でその背を軽くさすってみる。

 これが気休めになるかは分からなかったが、私の頭にはミランツェの花が飾られたままだ。もう香りはあまり残っていないかもしれないが、それが少しでもアルクさんを癒してくれたらいいなと願った。




「急に、すまなかった」

「……いえ」


 ようやく苦しさからは解放されたが、ほぼゼロ距離には美麗な御尊顔。しばらく耐性の無かった私には、悶死に値する状況である。

 こちらに向けられる眼差しに憂いが翳り、いつもの彼らしく無いその様子に違和感を抱いた。


「あの……何かあったんですか? はっ!! まさか儀式に不手際でも!?」


 式の最中に呆けてしまったから、アルクさんが監督不行き届きで怒られてしまったのか?

 それとも私が手順すっ飛ばして聖剣触っちゃったから!?

 どどどどどうしよう!!

 一人であわあわしていると、アルクさんが困ったように眉尻を下げて微笑みを向けてくれた。

 おっと、まだ着替えが済んでいないので自重していただきたい。


「いや、違う。……ハワードの言った通り、私の男としての器が小さいだけなんだ……」


 アルクさん……貴方もなんですね……

 貴方にも私の心の声が……もう今更なので端折りますが……。

 それにしても、仰っている意味が良く分かりませんが。

 彼に促され、私はソファへと腰を下ろした。アルクさんはやっぱり私の正面で片膝をつく。左手を握られ、彼の長い指がリングをなぞる。

 ついついあの日の事を思い出してしまい、私の体が異常を検知する、と言うのが最近の流れになりつつある。


「シャガールに……勇者殿に、えみを攫われてしまう気がして……どうしようもなく不安になってしまった」

「え?」

「えみが『黒の巫女』なのだと嫌でも思い知らされて……私など、手の届かない(ひと)に思えてしまったんだ」


 そんな! そう思っていたのは私の方なのに!!


「確かに巫女なんて言われてるけど、私は普通の女子ですよ。そう言ってくれたのはアルクさんです」


 彼の不安気に揺れる青灰色を見た。こんな風に瞳を揺らすアルクさんはレアな気がする。

 いつも余裕で堂々としてて、周りとはオーラが違う彼の意外な一面。酷く人間らしさを感じてしまい、思わず頬が緩んでしまいそうになる。


「私、その言葉がとても嬉しかったんです。ずっと引っ掛かっていた事だったから」

「そう、か……」

「そうですよ! それに、アルクさんこそです! 私にとってはアルクさんの方が私なんかの手が届かない雲の上の人ですよ」

「……え?」

「そりゃそうですよ! 元々一般市民の私からしたら、王宮の騎士団長さんでイケメンで超貴族なんてハイスペック男子、普通はお近づきになれません!! 完全に役得です!」


 そう力説すると、アルクさんは困ったように眉尻を下げたままクスクスと笑った。


「だからアルクさんが不安に思う事なんて何もありません! 今まで通りでいてください。アルクさんにまで特別扱いされたら、今日から枕濡らす事になっちゃいます」

「それは困るな……」


 握られたままの左手が引き寄せられると、彼の唇がリングへ触れた。

 その仕草があまりにも自然で、ついつい目を奪われてしまう。

 不安げに揺れていた瞳は嘘のように、もう既にいつもの強い光を取り戻している。


「えみが私の婚約者でいてくれると、そういう事だね」

「へ……?」

「それを聞いて安心した」


 徐に立ち上がった彼がぐっと距離を詰めてくる。

 背もたれとアルクさんの間に閉じ込められて、獰猛な光を宿した瞳を見上げた。


「待つと言ってしまった事……今は少し後悔してるよ」

「や……あの……」


 鼻先が触れそうなところまで彼が顔を寄せてくる。


「早く堕ちておいで……」


 そう囁くように耳朶に叩き込まれた良い声に、一瞬意識が遠のいた。

 なんせフェロモンが凄まじい。

 気絶せずに済んだのは、直後に響いた少し強めのノックの音のお陰だ。

 アルクさんの動きがぴたりと止まり、ゆっくり離れていく。

 彼の視線の先、叩かれた扉の前にはハインヘルトさんがもう既に立っていた。


 いやもう入って来てるじゃん!

 ノックの意味よ!?

 どこから見てたの!? いつからいたの!?

 私のプライベートって何ですか?


「お前……わざとだろう……?」


 アルクさんの目元付近がピクピクしているのを私は見逃さなかった。なんなら彼には似合わない青い血管まで今にも浮き出てしまいそうだ。


「何の事ですか?」


 ハインヘルトさんはさも何でもないようにさらっと言う。


「ハワードといい、ハインヘルトといい、お前達グルだな絶対に」


 みるみる黒いオーラが放たれる。

 ハインヘルトさんの忍者っぷりは、ハワード様の影響なのだろうか。どうやら従者も主人に似るらしい。


「そのハワード様がお呼びです。教会の人間達が巫女様にお目通り願いたいと押し寄せております。事態を速やかに終息せよとのお達しです」

「自業自得だろうが!! 自分でやれ!」

「皇太子命令だそうです」


 イライラがこちらにもひしひしと伝わってくる。

 お気持ち……お察しします……。

 アルクさんは短く息を吐き出すと、こちらへ視線を移してくる。その表情は穏やかなものだった。


「すまない。続きはまた今度、ね……」


 そう言って私の頬をひと撫ですると行ってしまった。

 暴れ狂っている心臓はまだうるさいままだ。

 もう痛い。心臓も、息してるだけなのに肺も痛い。


 アルクさんに続いて一緒に出て行くのかと思ったのに、ハインヘルトさんは扉の前で私を振り返った。

 真顔なのがちょっと怖い。


「なっ、何か!?」

「……本当は固く口止めされていたのですが……」


 頭にハテナを飛ばす私を、ハインヘルトさんの濃紺の瞳が真っ直ぐ見つめてくる。


「中断した会議のあった日の午後、翌日の会議に向けて団長様方とハワード様でごく短時間でしたが会合がございました。……その際、アルク様はハワード様へ再度抗議されたのです」


 いきなり何の話ですか!?


「貴方を遠征メンバーから外して欲しいと。絶対に連れて行くのは反対だと、全ての団長様方の前で、それはそれは驚くような剣幕でした。普段の彼からは想像もつかない姿です」

「…………」

「ハワード様は条件を出されました。ローガン様との一騎討ちで、一撃でも入れられたら、えみ様の件は考え直すと」

「え?」

「普通ならローガン様のお名前が出た時点で、全ての人間は戦意を喪失します。……あの方は……それほど恐ろしい方です」

「……じゃぁ……あの時、アルクさんがボロボロになって帰って来たのは……」


 アルカン邸で偉い方々と一緒に『牛丼』を食べた夜、アルクさんは帰りが遅かった上に怪我までして帰って来た。


 ———すまない。私の力不足もあって取り消せそうにないんだ。


 あれは、私のメンバー入りを取り消す為に……?


「……あんなアルは初めて見ました。……貴女への『誓い』は、紛れもなく本物だったと言う事です」


 それだけ言い残し、ハインヘルトさんは部屋を出ていった。

 続いてメイドさん達が入ってくる。

 私はただ呆然と二人が出ていった扉を見つめていた。

 その後の事はあまり良く覚えていない。ただ、自分の体がいつまでも熱かった事だけが記憶に残っていた。



 ◇ ◇ ◇



「あの者は本物だ……儀式でそれが証明されてしまった……」

「まさか!! ありえないわ!! ご冗談でしょうお父様!」


 ソファに深く腰掛けた男は、頭を抱えたように項垂れるばかりだ。そんな男の膝下に縋るようにしゃがみ込む少女。

 ピンク色のドレスを纏う姿は、微笑んでいればどこぞの国の姫君の様。


「……殿下も師団長も、もう既に懐柔されておる。……このままでは」

「そんな、嫌よ!! 絶対にダメ! 諦めるものですか!!」

「しかしエリィ……遠征の件も既に決まった。あの者も同行者に入っている。私にはもう止められぬ……」


 ギリっと少女が歯を鳴らす。それはとても許容出来る内容では無く、到底納得出来るようなものでも無い。

 今までの努力が、時間が、彼女が費やしてきた全てが無に帰す事を意味しているのだ。


「……いいえ。まだ手はあるわ」

「エリィ……」

「心配なさらないでお父様。……要は、失敗すれば(・・・・・)良いのですわ」

「何を考えておるのだ」

「大丈夫ですわ。……全て、私にお任せになって」


 そう言って口元を歪める少女の笑みは、姫と呼ぶには程遠いものだった。

お休みさせて頂き、申し訳ありませんでした。

番外編『風邪、引きました』を、活動報告内にアップしております。

よければそちらもご覧ください。

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