9話——異世界おやつ最強説。
パウンドケーキは材料も作り方も至ってシンプルだ。
小麦粉とバター、砂糖に卵があれば基本のケーキは出来てしまう。
しかもそれらを順に良く混ぜて焼くだけ。なのに驚く程美味しい。
中に混ぜるものを変えれば、種類は無限大なのである。
今回は、お屋敷の皆さんの胃袋を掴むのが目的の一つでもあるので、五種類くらい作ってやろうかと思っている。
シンプルにプレーン、定番のドライフルーツにナッツ。紅茶の葉を細かくして混ぜ込む紅茶パウンドに、無糖ココアを混ぜ込むココアパウンド。極めつけはコーヒーマーブルだ。
この私、実はコーヒーマーブルが一番好きな味なのです。コーヒー好きの母がよく作ってくれて、私の中の母の味の一つなのだ。
入れるものが違うだけでやる事は一緒なので、メリッサさんにも手伝ってもらう。
「メリッサで結構ですよ」
「じゃぁ私の事もえみって呼んで」
という訳で、メリッサには私を真似てもらう。
焼き始める頃には全てのシェフが加わり、大量のパウンドケーキが焼き上がった。
こんがりふっくら焼けたきつね色の四角いケーキにみんな感動している。
甘くて香ばしい匂いが屋敷中に広まったようで、メアリとメリッサの声掛けもあって、中庭にティーセットを用意し終わる頃にはほとんどの人達が集まって来ていた。
「作戦の第一段階は成功ね!」
メアリと笑っている横ではもうすでにワサビちゃんとソラがパウンドケーキにかぶりついていた。
皆さんもどうぞと声を掛けつつ、メアリに美味しいお茶を入れてもらい、久しぶりの甘味を堪能した。
「……美味しい……——」
メリッサも静かに感動しているようだ。
「でしょう? これを知らなかっただなんて……私達は今までの人生を損していたのよ!」
「ふふっ、大袈裟……メリッサ、良かったらハインヘルトさんにも持っていってあげるといいよ」
「本当? ありがとう。きっと喜んでくれるわ」
瞳をうるうるさせながら礼を言われてしまった。
大袈裟だよ。
周りをぐるりと見回すも、食べている人々の顔は笑顔で、見ているこちらが嬉しくなる。作った甲斐があると言うものだ。
「やっぱりみんなで食べると余計に美味しいね」
幸せだなと思う一方、ここにアルクさんが居たなら喜んでくれただろうかと考える。考えたところで、ふとそんな風に思った自分に驚いた。
いや、彼は何でも美味しそうに食べてくれるから、それできっとそう思ったのだろう。今日ももちろんお仕事で城へ行っている。少し時間が経った方がバターが馴染んで美味しいから、帰って来たら出してあげようか。
そう思ってカップを傾けた時だ。
「外まで良い匂いがしてると思ったら……丁度良いときに来たみたいだ」
そう言いながら女神様もびっくりな微笑を浮かべてやって来たのがアルクさん本人だったのだから更に驚いた。
彼の事を考えていたものだから、幻覚が見えたのかと思った。そう思えてしまう程に、彼の微笑は神々しいまでの完璧な造形美だ。
「アルクさん!? どうして……」
「えみに会いたくて」
本気なのか冗談なのか分からない台詞を何ともないと言わんばかりにさらっと言ってのけ、当たり前のように隣の席へと腰かける。
私が赤面するのは不可抗力である。
「ただいま」
「お…お帰り、なさい……」
相変わらずの素敵な騎士様スタイルですね。……鼻血出そう。
周りにいた使用人の皆さんは主人が帰って来た瞬間からお仕事モードに切り替わっていた。もちろんメアリとメリッサも例外ではない。
皆さん流石です。
「客が居るのを忘れてるな。わざとだろうがな!」
そう言いながら護衛の騎士と共に入って来たのは、悪友皇子のハワード様だ。
「ハワード様!?」
驚きのあまりぱくぱくしていると、目のすわったアルクさんが殿下をみやる。
「勝手についてきたの間違いだろう。招待した覚えはない」
今日も王族相手にブラック全開ですね。
「まぁそう言うな。えみに会いに来たんだ。ついでにおやつも出して貰おうか。ん?」
ハワード様も当たり前のように私の向かいの席へ腰を下ろした。
二人が座ってすぐにメアリとメリッサが先程のパウンドケーキとお茶を出してくれる。
多分こっちがメインだな。そう思ったけど、声には出さなかった。私は空気の読める日本人ですから。
「今日はお早いお戻りですね」
昨日が心配する程遅かった為にそう言ったのだが、アルクさんは困ったように眉尻を下げた。
「正確にはまだ仕事中なんだ。つい先程会議が終わってね。その足で来た」
「えっ」
その言葉にハッとする。正面のハワード様へと視線を向けるが爽やかな笑顔でお茶を楽しんでいる。何を考えているのか読めない表情だ。
腹の内を隠す事が常套手段の彼にとっては朝飯前なのでしょう。私にわかる筈もない。
「えみ」
「はい」
アルクさんの声のトーンが少し下がる。良くない話だと直感した。
「正式に遠征が決まった。えみもメンバーに入ってる」
アルクさんの目が伏せられる。納得している訳ではないのだとわかる。
「そうですか。でも、事前に言われていたので大丈夫ですよ」
そう笑って答えると、アルクさんは困った顔で盛大に溜め息をついた。
「そうだよな……やっぱり、君はそうやって言ってしまうんだよな……」
あははと笑い声をあげるハワード様にきょとんとしてしまう。
はぁと頭を抱えるように小さく首を振るアルクさんと対照的なその姿に、二人を交互に見つめる。
「素直で物分かりのいい嫁さんじゃないか」
まだ嫁じゃないけどね!!
「そこは否定しないさ」
諦めの境地でアルクさんはパウンドケーキを一口食べる。
途端に目を見開いてこちらを凝視してきた。
「だっ大丈夫ですか? 口に合わなかったですか?」
慌てた私にいやいやと手で合図をすると、ゆっくりと飲み込んですぐにお茶を口にする。
「旨い。このお茶とも相性抜群だな」
感動に打ち震えているようにも見える。
……大袈裟だよ。
「えみは一体どんな料理修行をしてきたんだ? その歳で大したものだな」
ハワード様まで!
でもちょっと気分がいいので、誰でも作れちゃうことは黙っておこう。
私の歳を知ったハワード様が一瞬真顔になりましたが。
「それで、遠征はいつからですか」
話を戻すと、二人の顔がキリっと引き締まる。
「詳しい日程はこれから詰める。明日から人選と本格的な準備を始めるが、あまり悠長にはしていられないな」
「補佐としてローガンにも入ってもらうが、指揮は全面的にアルに任せるつもりだ。今は調査部隊という名目だが、最終的には魔王討伐隊を編成するためのチームになる」
魔王討伐隊
その言葉に改めてあの日の恐怖が甦る。体全体で感じたあの脈動。足元から恐怖がせりあがってくるような感覚だった。
思い出すだけで鳥肌が立つ。
「近々シャガール殿も合流する予定だ」
「え?? 本当ですか!?」
思いがけない名前に思わず顔が綻ぶ。
「ああ。魔王討伐隊の主力だからな。この短期間にかなり腕を上げたようだぞ」
「そうなんですか? 凄いなぁシャルくん! 早く会いたいです」
ハワード様と盛り上がっていると、みるみる内にアルクさんから黒いオーラが……。
そういえば、この人の前でシャルくんの話は禁句だった。下手すればシャルくんが斬られかねない!!
無言の圧力に打ち震えていると、ハワード様があからさまな溜め息をついた。
「えみ。こんな器の小さい男で本当にいいのか?」
「へ?」
急にハワード様の真面目な顔が真っ直ぐにこちらへ向けられてドキッとする。
「オレのところへ来い。皇后の椅子を約束するぞ」
「……は?」
え……と……。
さらっと凄い事ぶっこんできましたね?
なんか周りが全員固まってますけど……それってなんの罰ゲームですか?
「オレの食事は作って貰うがな。そうだ! えみ専用の厨房を作らせよう。どうだ?」
「ふざけんな。却下だ。お前の冗談は冗談に聞こえないからやめてくれ」
あははと笑って誤魔化す。
一国の皇子様まで虜にしてしまうパウンドケーキ……恐るべし。
カラカラと笑うハワード様は食べ終えて席を立つともう一度こちらへ視線を寄越した。
「確かに今は冗談だが、アルに愛想つかしたらオレのところへ来いよ。いつでも歓迎だ」
最後に爆弾を残して笑いながら席を後にするハワード様。真に受けてはいけないよ、と真剣な顔で釘を差してその後へ続いて行くアルクさん。
周りとメアリ、メリッサの双子姉妹が「殿下の求婚だわ!!」なんて大騒ぎしているけれど、私の口からは溜め息しか出て来ないのだった。




