3話——もう一度言いますが、何がどうしてそんな事になったのですか???
私が口を開けないのをいい事に、アルクさんはとんでもない事を言ってのけた。
私と? アルクさんが? 婚約ですと??
いつ!? 一体いつそんな事になったのか今すぐ教えて欲しい!!
室内がザワザワしているのを他所に、必死に状況を把握する為目の前のおじ様方を見た。
縦長の大きな机をそのまま縦に半分こして、向かって右側が恐らく大臣クラスの幹部が(頭が涼しそうな方々ばかりなので多分)、左側に騎士団の団長さん達が(ガタイが良くて揃いの制服着用の為)鎮座している。
団長さん達の方の奥から4番目の席が空いているから、あそこがきっとアルクさんの座っていた席なんだろう。
大臣クラスのおじ様方は怪訝そうな顔でこちらをチラチラ見ているが、アルクさんと同じ真っ白な制服に身を包んだ精悍な男性陣は、何だかニヤニヤしながらこちらを見ている。
気のせいではない。絶対に。
トントンと腰の辺りを叩かれ、ハッと我に返った私は、直ぐ隣に立つアルクさんを見上げた。
いつものアイドルスマイルが全開な彼が、私を悶え死させようと甘い微笑を浮かべて見つめている。左手が捕まり、指先をきゅっと握られたまま彼の口元へと拐われていく。
「なんなら、ここで証明しましょうか……」
あぁ……良い声……
声に聞き惚れ、顔に見惚れていると、彼は私の左手に軽くキスを落としながら薬指をなぞってくる。
そこで初めて私の薬指に、銀色に輝く指輪がはまっている事に気が付いたのだ。ぎょっとして目だけで二度見してしまった。
何だコレは!?
いつの間に!?
そしてアルクさんを睨みつける。
どういうことですか!!
もちろん言葉は発しない。目で必死に訴える。
ごめん。後でちゃんと説明する。
アルクさんの瞳はそう言っている。
ように見える。
もちろん言葉は発しない。
そうして無言の会話をしている事が、熱烈に見つめ合っているようにしか見えていないという事にも気付かず、知らず知らずアルクさんの術中にはまっていたのだった。
「うぉっほん!」
わざとらしい咳払いにハッとして再び陛下の方へと向き直る。
「仲がよろしいのは良い事だが、今は会議中である。場を弁えたまえ」
宰相様の睨みに恥ずかしさと怖さで思わず俯く。
アルクさんは「はっ」と言いながら敬礼しているが、腰を抱く手を離そうとはしない。
あぁ……今すぐメアリやハンナさんの元へ帰りたい……
「納得いきませんな」
そう発言したのは、宰相様の直ぐ側、陛下の右隣に座っていた恰幅の良い初老の男性だ。海外のコント映画にでも出てきそうなわざとらしい口髭を生やしている。いかにもねちっこいですよといった顔だ。
「その婚約とやらは正式なものなのですかな」
口髭を撫で付けながら、まるでこちらを値踏みするかのように上から下まで睨め付けられて、あまり良い気持ちはしない。
「残念ながら……まだ私達二人の間の話です。ですが、父と母には既に彼女を紹介済みですので、正式なものになるのは時間の問題かと」
まぁ確かにナシュリーさんは私が義理の娘になるかのような口振りだった。
この話が本当なら本当に時間の問題だろう。
「話になりませんな。正式なものでないなら許可するべきではないでしょう」
口髭大臣に意を唱える人はいないようだ。幹部の中でも上位の人物なのだろう。
「巫女殿の力は未だ得体が知れない。全貌が分からぬ内から、我々の監視の目が行き届かぬ外へなど出すべきでは無い!」
何となく見えて来た。
多分アルクさんは、私やソラを城の外へ連れ出そうとしてくれているのだろう。確かにここは窮屈だ。そろそろソラの不満が爆発しそうだし。
だけど、それを幹部連中が拒否している。
要するに、国の脅威になるかも知れない危険な奴に、街中をうろうろされたくないと、そう言う事なのでしょう。
「それに隠し子までいると言うではないか! それこそ外で何をされるか分かったものではない!」
隠し子!?
そんなものいる訳無いでしょうが!!
と出かかった時、絶妙なタイミングで扉が開かれる。
振り返って見れば、入って来たのはワサビちゃんだ。
と、もう一人。
「!?」
「この子は風の精霊ですよ、ツェヴァンニ大臣。巫女殿の力が精霊をこうして進化させたのです。歴史に残る大発見を、我々は目の当たりにしているのですよ」
そう言いながらこちらへワサビちゃんをエスコートしてくれたのは、昨日私の部屋へ先触れもなく現れ、ホットケーキを食べて去っていった名も知らぬ『彼』だった。
髪はしっかりセットされて、白い軍服のような衣装に身を包んでいる。
肩からは金糸で縁取られたサッシュ、背中にはエンジのマント。
まさにといった出で立ちだ。
「精霊!? 精霊ですと? そんなバカな! ご冗談をハワード殿下」
やっぱりね。
こんなにエンジのマントが似合うのは皇子様しかいないもの。
なるほど。アルクさんの悪友皇子がこの人だった訳ね。
「疑うならホルケウ殿に聞いて見ればいい」
全員の視線がソラへと注がれる。ソラはワンコで言うお座りの姿勢で陛下へ向かって発言した。
「いかにも。その子は我の配下の精霊である」
ワサビちゃんはえっへんとでも言いたげに小さな胸を張っている。
「それに、彼女のお陰で我々はいち早く勇者の少年を保護する事が出来た。我々の出頭要請にも快く応じてくれて、ホルケウ殿もこうして彼女と共に行動している。彼女が既に契約者で、我々に敵対しない事は明白です」
「しかし殿下!!」
「彼女の部屋での行動は、精霊との条件を満たす為の必要行為であり、出した道具は故国の技術、料理も調理方法も彼女の国の紛れもない文化です。我々が知らないからと言って、止めさせる事は出来ません。ましてや、その力がこの国の力となるなら尚更です」
どうやら皇子様は理論派のようだ。
彼の言う事に口髭大臣も他のおじ様も何も言い返せない様子。……ちょっとスッとしたな。
「しかし!! 精霊だけならまだしも、四聖獣までもの契約者となる者ですぞ!! しかも正規の手順を踏んだ訳では無い!! 精霊を進化させてしまうだなんて、底が知れないではないか。自由にしてもし何かあったら——」
「それは……えみがこの国に対して何かしらの害を及ぼすと、そう言いたのか」
アルクのさんの言葉に怒気がこもった。
その迫力に口髭大臣がたじろぐ。
「そっ、そう言う訳では……」
さすが最年少騎士団長。迫力がありますね!
……かっこいい。
「えみは優しく他人を想える心根の美しい普通の女性です。この小さな体の内に魔力が眠っているだけの事。発言には気をつけていただきたい」
普通の、女性。
そんな風に言ってくれたアルクさんの横顔を、思わず見上げてしまった。
それは、私がずっと気にしてた事だ。いつの間にか巫女にされてて、勝手に特別扱いされていた。
私はその辺にいる至って普通の元女子大生だ。なのに周りがそうは見てくれなくて、それがずっと引っ掛かってた。
でもアルクさんは……ちゃんと私を見てくれてた。
胸がトクンと高鳴った。
うそ……すごく嬉しい……。
「正規の手順を踏まなかった例なら、過去にありますよ」
ハワード王子が合図をすると、いつの間にか後ろに控えていたハインヘルトさんが、古い書物を机へ置いた。
見るからに重要そうな大きな本だ。
とゆうか、ハインヘルトさんいつの間に!? 気配が無さすぎて怖いですが。
「今から千年前。えみのように異世界から召喚された『女神の使者』が精霊の契約者となった時も、正規の手順を踏んだ訳ではありませんでした。しかし、国は後にそれを特例として認めています。今回と同じです。これは国の公式の文書として残されているものですから、博識な皆さんならご存知だとは思いますが」
王子スマイルが憎らしい。今度こそ口髭大臣は何も言えないことだろう。
そう思っていたら、今度は懐からくるくる巻かれた用紙を取り出し、陛下の前へと広げて見せた。
「陛下! せめて誓約書にサインをさせるべきです! このまま野放しでは———」
ピシッ
大臣の話が終わらない内に、それを遮るように会議室の空気に亀裂が入った音がした。
室内の全員に緊張が走り、顔色が変わった。
この感じは覚えがある。ソラと初めて会った時の感じだ。ソラの方を見ると、案の定、目が怒ってる。
「いい気になるなよ。人間ども」
怒気を孕んだソラの言葉に大臣達が震え上がっている。お腹の底に響くような声だった。
「何人たりとも我らを御することは許さぬぞ!!」
ソラの咆哮に大臣のおじ様方は何名か悲鳴をあげている。
団長様方は流石普段から鍛えているだけあって堂々と座っている。
「前にも言ったが、もう一度だけ言おう」
ソラの視線が陛下へと真っ直ぐに向けられる。
陛下は国の王だけあって顔色一つ変えずソラの視線を正面から受け止めている。
「貴様らが何をしようと我は関知せぬ。魔族と戦おうが、他国と戦争しようが我が人間に手を貸すことはない。契約者であるえみに危険が迫るとき、我は初めて我の力を行使する。貴様らがえみを利用して我を支配しようとした時は、魔王が完全に目覚める前にこの国が跡形もなく消え去ることになるだろう」
陛下の前に置かれていた紙がふわりと宙へと舞い上がった。
次の瞬間、細かな紙片となって水が蒸発するかのように跡形もなく霧散してしまったのだ。
「今回は領主の息子に免じて何も無かった事にしてやる。だが、三度目は無い」
緊張が溶けた。
ソラの魔力を含んだプレッシャーが解かれたのだ。
口髭大臣は真っ青になってへなへなと座り込むと、そのまま背もたれにもたれかかっている。
「えみ。戻るぞ」
それに一瞥もくれず、ソラはもうここには用が無いと言わんばかりに背を向け扉へと歩いていく。
アルクさんと陛下を伺うと頷いてくれたので、一礼してワサビちゃんと一緒にソラの後を追った。
「後で部屋に行くから」
そう言って手の甲にキスをされて真っ赤になりながら、ソラと元の部屋へと歩き出す。
アルクさんはまだ会議の続きがある為、また戻って行ってしまった。無事に部屋まで辿り着けるのか、不安しかない。
なんだかどっと疲れたな。
ふかふかのベッドへダイブしたいとワサビちゃんと話ながら歩いていると、中庭を囲む階段に差し掛かったところで一人の女性と目が会った。
庭に一人佇んでいたその人は、ピンクのシフォンのドレスを身にまとったお姫様のような美人だ。
目が合ってしまったもんだから、軽く会釈をしてみる。
あれ? なんか睨まれてる気がする、な……
回りに人がいないから多分目が合ってるのは私だろう。
私、あの人に何かしたかしら。会うのは今日が初めてだと思うけど。
考えてるうちに女性は向きを変えて行ってしまった。
なんだろう。釈然としないなぁ。
思いながら、再びソラの後をついていく。
ソラがキレてくれたお陰で、この軟禁状態からは抜け出せるかもだけど、魔王の事といい、婚約の事といい、さっきの女性の事といい、問題は山積みな気がした。




