2話——何がどうしてそんな事になったのでしょう?
ふと目が開いて、ゆっくり体を起こす。
いつもはカーテンの隙間から白い陽が見えるが、今日はまだ見えないから朝は早い時間のようだ。
ん〜と伸びをして枕元を見たが、いつもある筈のワサビちゃんの姿が無かった。
「あれ? ソラのところかな」
キョロキョロと向こうを見回し、ふと横を見てぎょっとする。
「子供? ……どうしてこんなところに……」
いつの間に、一体どこから入ったのか、私の隣に丸まるようにして4、5歳程の女の子が眠っていたのだ。
気持ち良さそうに、幸せそうな顔をしてすやすやと寝息を立てている。その寝顔は天使の如く可愛らしい。
「(どことなくワサビちゃんに似ているような……)」
もう一度枕周りを見渡す。再び女の子に視線を戻す。それらを何度か繰り返して確信した。
「……ワサビちゃんだね」
ふわふわの髪といい、もちもちの肌といい、顔立ちといい、ワサビちゃん以外に考えられない。
でもどうして急にこんなに大きくなっちゃったんだろう。
小さな精霊だった時には付いていた羽根が無くなっている。それ以外はワサビちゃんのままだった。
昨日ホットケーキを食べさせすぎただろうか。でも今に始まった事じゃないしな……。
いきなりこんなに大きくなってしまって、体に支障は出ないのだろうか。
不安になった私は、そっとベッドを降りると近くで寝ているソラを起こした。
いつもより早く起こされ少々不機嫌だったソラは、変貌しているワサビちゃんの姿を見て目が覚めたようだったが、こんな事は前例が無いらしく困惑している。
そうこうしている内にワサビちゃんが目を覚ました。
「えみ様、ホルケウ様、おはようございます」
いつものくりくりの目と可愛い笑顔。間違いなくワサビちゃんだ。
最初はいつも通りの様子だったが、私やソラの反応で自分の急成長ぶりに気が付いたワサビちゃんは、大いに驚き、困惑し、最後には大喜びしていた。
「えみ様の美味しいご飯がもっと沢山食べられますぅ!!」
そういう理由からだったのには思わず吹き出してしまった。
「ワサビの魔素の容量が大きくなっているな」
ソラが唐突に言葉を発した。
メイドさんに締められたコルセットの苦しさのあまり、私はソラの言葉を直ぐには理解出来なかった。いきなり現れた幼児に驚きすぎたメイドさんが、いつもよりもきつめに締めすぎたようだ。
精霊の姿は限られた人にしか見えない筈なのに、ワサビちゃんのこの姿はどういう訳かメイドさんにも見えていたらしい。
「どういう意味ですか?」
化粧台の椅子に座りながらワサビちゃんが首を傾げている。足をぶらぶらさせている姿は、知らない人が見れば人間の子供そのものだ。
「魔素を水と例えよう。水を入れておくためには器が必要だ。その器が大きければ大きい程、貯めておける水は増える」
「はい」
「我ら精霊は器の大きさが決まっていて本来変わる事がない。自然界からもらう魔素量と還元する魔素量が常に同じだからな」
「なるほど」
精霊や四聖獣たちは普段から人と関わり合う事は無く、自然と同等の扱いになる。
その由来は自然界のバランスを取る事にあった。日照りが続けば雨を呼び、嵐で森が崩壊すれば新たな種を蒔く。
そうして自然界から魔力を貰い、時に自然界へ使う事によって還元し、この世界に魔力をバランスよく循環させているのだという。
「しかし、ワサビの器はえみと契約した頃に比べて格段に大きくなっている。外見の変化もそれに伴うものだろう。魔素の質もあがってるようだしの」
「えみ様のご飯がとってもとっても美味しいのでつい食べ過ぎてしまうのです」
えへへとほっぺをピンクに染めながらワサビちゃんは恥ずかしそうにしている。
確かにご飯を食べた後はいつもお腹がはち切れそうになっている。見ているこっちが心配になってしまう程だ。
「大きくなるのは良い事だよね!」
ご飯を沢山食べれば成長するものだ。大きくなるのは当たり前。
「人間ならばな。我ら精霊は女神が作り出したもの。生まれてから消滅するまで普通はこの姿のままだ。だからワサビは例外だと言っている。この世界が生まれてから今日まで、精霊が成長した事は無いし、成長させた人間が現れた事も無い」
え、……マジですか。
一気に背中が寒くなってきましたけども?
もしかして私やらかした? またやらかしちまった!?
一人で青くなっていると扉がドンドンと叩かれ、返事をする間もなく誰かが入って来た。
びっくりしていると、現れたのは騎士様姿のアルクさんだ。
「アルクさん!?」
「えみ!」
久しぶりの顔見知りの登場に思わず頬が緩んでしまう。
アルクさんは早足でこちらへ来ると、いきなりホールドしてきた。びっくりして固まっていると、今度は至近距離で目が合った。
「側にいてやれなくて本当にすまない」
「え? あっ、いえ。忙しいんだろうなって分かってるので……」
「もっと再開を喜びたいところだが、少々立て込んでいてね。急で申し訳無いが、今から一緒に来て欲しいんだ」
忙しい合間を縫って来てくれたのか。そんな風に気に掛けて貰える事が嬉しい。
嬉しいのだが、何だかアルクさんにしては珍しく余裕が無いように見受けられる。
「何かあったんですか?」
「んー……ちょっとね! ソラも一緒に来て欲しいんだが」
「仕方ないのう」
ソラは億劫そうにゆっくりと立ち上がる。
「説明する前に、二、三聞きたい事があるんだけど」
そう言うと、アルクさんは視線を再びこちらへと向けてくる。
今度はちょっと怖い。
「えみ。知らない男を部屋に入れたね!」
え??
「得体の知れない器具を使って見た事も無い調理を、しかも厨房でなくこの部屋でしてたって噂になってるけど」
え? ……え?
「して、その子は? いつの間にか隠し子まで連れて来たって、今大騒ぎになっているんだけど」
えええええ??
何がどうしてそんなことに!?
メイドネットワーク怖いわー……
パニックで口をパクパクさせるしか出来ない私に代わって、今までの事をソラが説明してくれた。
聞き終えると、アルクさんは小さく息を吐き出す。
「なるほど。その子はワサビなわけだ。この姿の精霊は、皆にハッキリ姿が見えているという事か。……これもえみの力という訳だね」
普通魔力を持たない人達には精霊の姿は見えないのだ。昨日まではそれが周知の事実だった。
ところがワサビちゃんがこの姿になった事で、それが覆ってしまったのだ。
そりゃぁ直ぐには信じられないだろうし、隠し子と言われても仕方ないか……? 私は全然腑に落ちないけれども。
アルクさんは少し考えるような仕草を見せ、再び視線をこちらへと落とす。
「えみ。私の事を信じてくれる?」
「え? はい、もちろんです。当たり前じゃないですか」
アルクさんの固かった表情がフッと柔らかくなって、私も肩の力が抜けた。途端に心臓の音が大きくなる。
「これから一緒に軍法会議に出てもらう。ソラにもね」
「ぐっ軍法会議!? 私も行くんですか?」
予想を遥かに越えた話に血の気が引いていく。足がふらつきそうになったが、私をしっかりホールドしているアルクさんのお陰で、私の体は一ミリも揺るがない。
「そう、陛下に謁見する。国の重臣たちも揃ってる。……その場では、申し訳ないが女性の発言は陛下の許可無しでは許されないんだ。だからえみは私を信じて、私の隣で微笑んでいて欲しい」
なるほど。何もするなってことですね!
それなら大得意ですから大丈夫です!!
「出来る?」
「はい」
「出来ればポーカーフェイスが望ましいが」
「……それは自信ない…です……」
アルクさんはクスクス笑いながらホールドを解くと、そのまま手を引いてくれる。キラッキラの眩しい笑顔に、引いていた血の気が一気に戻ってきた。心臓がもつだろうかと不安になるのは仕方が無いと思う。
久しぶりの殺人級スマイルに、免疫力が下がっていた私はもうノックアウトされそうだ。
そんな私を余所に嬉しそうに手を取りエスコートしてくれるアルクさんに導かれるまま、城に来て初めてこの部屋の外に出た。
お城って無駄に広いですよね。緊張してるせいもあって余計に道のりが長く感じる。
アルクさんは時折こちらを見つめながら微笑んでくれる。それが逆に緊張を煽っている事に本人は絶対気付いていない。
ただしっかり握られた手を見ると、恥ずかしいけれど彼だけは絶対味方だからと暗に言われているようで、とても心強い。
大きな通路を右へ左へ、途中綺麗な中庭をぐるっと回るように階段を降り、巨大な肖像画や甲冑の並んだ通路をまたも右へ左へ。
皆んな良くこんな複雑な作りの内部を覚えられるよなぁと感心しながら、そろそろ椅子が恋しくなった頃、遂に大きな扉の前でアルクさんが足を止めた。
両脇に警備らしき騎士が立っている。
騎士達はアルクさんの姿を見るとシンクロしているかのように息ぴったりに敬礼した。改めてアルクさんもそう言う立場の人なのだと実感する。
「えみ。準備はいい?」
「……はい」
頷くとアルクさんは扉へ向かい、声を張り上げた。
「アルク・ローヴェン・アルカンにございます。黒の巫女殿と四聖獣ホルケウ殿をお連れ致しました」
ガコンと何かがぶつかるような音の後、観音開きの大きな扉が内側へとゆっくりゆっくり開かれていく…———
アルクさんにエスコートされて、緊張しながら会議室へと足を踏み入れた。
広い部屋の中央には大きな縦長の机が置かれ、その周りを囲むように沢山の男性が座っている。
全ての視線が一斉にこちらへ突き刺さり、足が竦みそうになるのを堪えて真っ直ぐ前を見た。
正面で半端ないオーラを放ち、柔らかい笑顔を浮かべているのがこの国の国王様なのだろう。思っていたよりもずっと若い。勝手に白髭のお爺ちゃんを想像していたけれど、もしかしたらアーワルドさんとそんなに変わらないくらいかも。
アルクさんにならって一礼した。
続いてソラが入ってくると、室内がどよめきざわついた。
いつもはご飯に釣られるワンコのようでも、荘厳でしなやかな堂々たる出で立ちで他を圧倒している姿を見ると、やっぱり四聖獣なんだなぁと思う。
これぞギャップ萌え……?
「静粛に願います」
陛下の隣で立ったまま取り仕切っているであろう初老の男性がどうやら宰相様らしい。
鋭い視線を向けられて体が縮こまってしまいそうだ。
「ホルケウ殿。そして巫女殿。わざわざご足労いただき感謝します。アルカン殿。改めてご紹介頂けますかな」
「はっ」
アルクさんは一礼し一度手を離したかと思うと、あろう事かその手を私の腰へと回してくる。体がぴったり密着した。
ん? 何これ。
「彼女はえみ・ナカザト。女神によって召喚された黒の巫女であると同時に、私の婚約者です」
………………は?
こうしてとんでもない爆弾と共に長い長い軍法会議が幕を開けたのだった。




