28話——とうとう『最悪の日』が訪れてしまったようです。
ごとごと揺れる違和感にうっすら目を開けた。
「お目覚めですね」
あてがわれていたクッションから体を起こすと、正面に座るハインヘルトさんと目が合った。
私の意識が無い間に馬車はアルカン邸を出発していたらしい。
最後の最後までなんて情けないのでしょうか……。
「すいません私……またご迷惑を——」
「気にする事はありませんよ。悪いのはどうせあいつでしょう?」
「……え?」
ポカンと呆ける私に構わず、ハインヘルトさんは尚も続けた。
「剣を握る事しか知らないせいか、女性の扱いはドがつく素人でして。許されるのは顔が良いからなんでしょう」
「……」
「会って間も無い女性にいきなり騎士の誓いとは……まさかそこまで世間知らずとは思いもしませんでしたが——」
「…………」
「それだけ本気なのだという事だけは分かってあげてください」
「………………」
なんか……ハインヘルトさん黒くないですか?
「この際ですから申し上げておきますが、彼は猫の皮を被った猛獣です。油断してると骨も残さず喰われますよ。これだけは肝に銘じておいてください」
えっ……大丈夫でしょうか? キャラ崩壊しちまってますけど。
「ああ。私とアルクとハワードは幼なじみで、古くからの友人なのです。公私は分けますが、普段は軽口を叩ける仲なのですよ」
「そうなんですね。……ビックリしました」
因みに私の心の声が丸聞こえなのにも大層驚いておりますが。
「ああ見えても、王国最年少で騎士団長にまで登り詰めた男です」
ん?
「剣を使わせたら王国でも五指に入る使い手なのですが」
んん?
「女性に対して加減を知らないのです。頭が切れるのは良いのですが、良く言えば一途、悪く言えばねちっこい」
んんん?
「大変な男に目をつけられて、これから相当にご苦労されると思いますが…………頑張ってください」
色々と突っ込みどころが満載ですねハインヘルトさん。
今の絶妙な間はどういう意味でしょうか。
そして初めて聞いたワードが沢山出て来ましたが?
もう一度最初からひとつずつご説明願えますかね?
ついでに騎士の誓いについても詳しくお願いしたいのですが!?
と、説明していただく間も無く馬車が止まったと思ったら、いきなり扉が開かれた。
そこには黒いオーラをまとったアルクさんが、ハインヘルトさんを睨み付けるように立っている。
ひぃぃぃ!!!
「おまけに超地獄耳です」
「お前がえみに余計な事を吹き込んでいる気がしたものでね!」
「私は本当の事しか言っていませんよ」
眼鏡を持ち上げながら不敵に笑うハインヘルトさん。そんな彼に黒い笑みを向けるアルクさん。
あぁ寒気が!! また目眩がぁぁぁ!!
「えみ。体調はどう? 少し休憩にするから外の空気を吸わないか?」
「はい是非」
考える間もなく即答する。
アルクさんの殺人級スマイルが、騎士服のエフェクトを纏って向けられる。もう既に幾らかのダメージを受けていた心臓が悲鳴を上げつつある。
それらに戸惑いながらも、私へと差し伸べられた手を取り、馬車の扉を潜った。
アルクさんに手を引かれるがまま外へ降り立つと、馬車を囲むように騎士の人達が馬から降りて整列している。
その物々しい雰囲気に気後れしてしまい、こっそりアルクさんの背中に隠れた。
「巫女殿はお疲れのご様子。しばし休憩とする」
「「「はっ!!」」」
……巫女?
アルクさんの張り上げた声に、若い騎士達が敬礼を返した。その統率された動きに感心してしまう。
アルクさんは私へと視線を戻すとふんわりと微笑み、おいでと手を引いてくれる。
そのギャップにもこっそり一人悶えた。
馬車から少し離れて丘を歩くと、眼下には湖が広がっている。その湖面がキラキラと輝き、時折吹き付ける風にゆらりとその様相を変えている。
「わぁ……綺麗ですね。みんなでピクニックしたのが懐かしいです」
そんなに前の事ではない筈なのに、色々あったせいか酷く懐かしく思える。
ワサビちゃんと出会い、初めて魔物の脅威を目の当たりにして、ソラと契約するきっかけになった。
こちらの世界に来て約一ヶ月半。色々と濃厚な日々を過ごして来たせいなのか、それら出来事が遠い過去のようにすら感じてしまう。
「そうだね。今度は二人きりで行こうか」
熱のこもった視線を向けられて、顔が熱い。「動かないで」と、寝ていたせいで乱れた髪を手櫛で直してくれるのには全身が沸騰した。
いつもに増して騎士服がアルクさんの魅力を三倍にも四倍にも増幅させていて直視が出来ないのだ。
そして背中にグサグサ刺さってくる複数の視線が痛い。それはそれは痛い。
「あっあの、彼らは?」
「私の部下達だよ。えみの護衛の為にハインヘルトが連れて来たんだ」
ハインヘルトさんを疑う訳では無いけれども、騎士団長というお話は本当だったのですね。
「護衛だなんてそんな……大袈裟ですよ!」
あははと笑って済ませるつもりが、アルクさんは大真面目な顔で私を見ているではありませんか。
「大袈裟なものか。えみは今や精霊と四聖獣を従える『黒の巫女』なんだよ。国王陛下からも正式な使者としてお迎えするようにとお達しが出ているし、騎士団一個隊くらいの護衛じゃ足りないくらいさ」
……何という事でしょう。
知らないところでそんなに大袈裟な話になっていたとは。皇子どころか、国王陛下の勅命ときましたか……。
でも……よくよく考えてみたらそりゃそうか。四聖獣は『女神の代弁者』と言われるくらい女神様に近い存在だ。
そのホルケウがご飯に釣られたとはいえこんな小娘の契約獣になったのだ。敵に回すよりは見方につけておきたいに決まってる。
ソラが牽制したから利用しようだなどと不届きな事を考えるお馬鹿さんはいないと信じたいが、なんだか黒い陰謀の臭いがプンプンしますね!
王都怖いわ~……城行きたくね~……
「そういえばソラとワサビちゃんは?」
「人なんぞに護衛されるなど我のプライドが許さぬって。ワサビはえみの側に居たがっていたけど、結局ソラが連れて行ったよ」
ソラらしい。
それにしても『黒の巫女』とは……。
ますます噂の中の私のハードルが上がってそうだ。
どうか……どうかどうか人前に出る機会がありませんように……。
「あの……皆さんの視線が痛いです……」
「えみの美しさに見とれてるのだろう。あまりいい気はしないがね」
絶対違いますよね。
アルクさんの甘々な態度のせいだと思いますが。
あいまいに微笑んでやり過ごす。
人はこうして作り笑いを上達させてゆくのですね。
こちらの世界に来てから学ぶ事ばかりだ。
「そろそろ戻ろうか。あまり待たせるとハインヘルトがうるさいからね」
「はい」
再びアルクさんに手を引かれて馬車へと歩き出した時だった。
世界が一瞬暗転した。
ほんの一瞬の出来事で瞬きと錯覚する程だった。
正確には目の前でフラッシュをたかれたような、それが白い光ではなく真っ暗な闇で、足元から這い上がってくる悪寒ような、殺気の籠った眼差しをほんの一瞬向けられたような、そんな不確かな不快さだった。
それが恐らく世界規模で起こった。
そして直ぐに胸に響くようなドクンという脈動を感じた。
大地が、この世界自体が大きなひとつの生き物なのかと思うような、弱々しいがはっきりとしたものだった。
アルクさんと顔を見合わせる。考えている事はきっと同じだ。
とうとう生まれたのだ。
この世に。
最悪の象徴。
魔王が。
体の震えが止まらなかった。
大地の脈動を感じて思ったのは『恐怖』だった。
体がそれを拒絶しているかのように粟立つ。
最初から恐ろしいものだと知っているかのようだ。
そしてそれを感じたのは私やアルクさんだけではなかった。他の騎士の人達も御者さんも、皆んな感じたようだ。いつも表情が変わらないハインヘルトさんまで青い顔をしている。
馬達までもが怯えているのか落ち着きを失い、その場で足を踏み鳴らしたり嗎をあげたりしている。
「えみ!!」
突如呼ぶ声がして、空から白い大きな塊が落ちてきた。
「ひゃぁぁ!! ってソラ!?」
突然の事に過剰に反応してしまう自分が少し情けない。
騎士団の面々は流石に鍛えられているだけあって、こんな状況でも冷静に戦闘態勢に入っていた。
ただ現れたのがホルケウだったのが驚愕だったようで、ざわざわと驚きを隠せない様子だ。
「ソラ、今のは」
「間違いない。魔族の王が誕生したのだ。ここからは我も共に行く。えみが標的にされかねない、とにかく急いで移動するのだ」
ワサビちゃんが私の肩へと座り、直ぐに馬車へと乗り込んだ。
その周りをアルクさんと騎士団が囲み、馬車が走り出す。
いつかがとうとうやって来てしまった。未だ収まらない恐怖と震えを必死に堪える。
戦いが始まる。人対魔族の大きな戦いが。
一体どうなってしまうのか。先など全く読めはしない。
大いなる不安を抱えて、馬車は王都へと出しうる最大の速度で向かって行くのだった。
第一章 完
第一章完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
詳しくは活動報告にも書きましたが、第二章は今後投稿予定です。
第一章完結に伴い番外編もアップ予定ですので、そちらもどうぞ宜しくお願いします。




