19話——御子息を止めてください領主様。
アルクさんとのキス事件の後、意識を消失してそのまま眠ってしまった私は、翌日の陽が高く昇ってもなかなかベッドから起き上がれずにいた。
こんな時ですらぐっすり眠れてしまう自分の図太さに腹が立つ。そして恥ずかしい。
「どんな顔して会ったらいいか分かんないんだけど……」
誰が聞いているでもない独り言を布団に潜ってぶつぶつと呟く。
起きたらソラとワサビちゃんは居なかった。きっと今日は訓練の日なんだろう。
薄情者め! こんな時にこそ居て欲しかったのに!!
世の中のリア充達は一体どうなってるんだ!? こちとら思い出すだけで気絶出来そうですが!?
そもそもキスされて気絶ってどうなの!? 私女子として大丈夫なのか? アウトでしょうね!!
これだから未経験女は嫌なんだ、とか思われてたらどうしよう!? 絶対立ち直れませんけども。
それどころかここに居られませんけども!?
「……でも、のんびりもしていられない……」
そうだ。王都へ向かう準備もしなくてはならない。
とうとう皇子様に目をつけられてしまったのだ。どうやら直々に『来い』って言われちゃったらしいし、断ったら大変な事になりそうだし。
折角お屋敷の皆んなと仲良くなれたのに、もうお別れする事になるなんて……。
最後にきちんと挨拶してさよならも言わなくちゃ……。
そんな事を考えながらも、全然踏ん切りがつかずにぐだぐだしていると、突然扉がノックされた。
反射的に布団に潜って隠れてしまったが、誰かが入って来た気配がする。
「えみー、どうせ起きてるんでしょう? 体調はどう?」
メアリの声に安堵して布団から顔を出した。目が合うとニヤニヤしてくるが、その手にはトレイと深皿が乗っている。
それに何だかとってもいい匂いが……。
匂いに釣られてむっくり起き出す。
「もう大丈夫。心配かけてごめん」
上半身を起こすと、メアリが膝の上にトレイごと深皿を置いてくれた。湯気と共にふんわりと立ち上がってくる匂いに思わず小さくお腹が鳴る。
「ライルさんがえみにって。消化がいいようにミルク粥だってさ」
「ライルさんが?」
見た目は初めてこのお屋敷に来た時に食べたお粥もどきにそっくりだったが、香りが段違いだ。
「あと、ルファーがプリン作ったって言ってたから、元気出たら食べたらいいよ。味見したけど美味しかった」
「ルファーくんがプリンを?」
「それから、ホーンさんがパン作りに挑戦したけど、上手く膨らまないから一度教えて欲しいって言ってた」
「ホーンさんも?」
みんな、凄い。
来たばかりの頃なんて、食事は食べられればそれでいいって感じだったのに。今では皆んなが食事を楽しむ為に、美味しいものを作ろうと工夫を重ねてる。
嬉しい……。本当に嬉しくて、感極まってしまいそうだ。
ライルさんのミルク粥を口に運ぶ。ミルクの優しい甘さに、ほんのり出汁が効いていて、本当に本当に美味しい。
もう一度言うが、初めて食べたお粥もどきとは大違いだ。
思わず頬が緩んでしまって、はたから見たらだらしない顔になっている事だろう。
「何をニヤけてるんだか。いつの間にアルク様と良い仲だったワケ?」
「ぶふっ!! げほっけほっ!!」
盛大にむせ返った。
ご飯粒がそれはそれは美しく舞ったが、今のは絶対にメアリが悪い。
せっかく幸せな気分に浸っていたのに!!
「ちょっと汚い!! 大丈夫!?」
「メアリが、変なこと言うからでしょう!?」
流石はメイド。吹き出した米粒はあっという間に見事にキレイに片付けられた。
「だってビックリしたんだもの! アルク様って女性に物凄くモテるのに、今まで浮いた噂一つ無かったのよ? それがえみにあんな……っ!! 〜〜〜〜〜!! そりゃぁ水差しもぶちまけるわよ!!」
思い出しているのか、少々興奮気味だ。こっちは思い出すだけで気絶しそうだというのに。
「やめてよ!! 私が一番ビックリしてるんだから。もう恥ずかしくて部屋から出られないよ!!」
顔を真っ赤にして抗議すると、メアリが豪快な笑い声を上げた。
「何言ってるのよ! キス位恋人同士なら当たり前でしょう。そんな事で赤くなってたら、夫婦になった時どうするのよ」
貴女、恐ろしい事をさらっと言ってのけましたね?
アルクさんとは恋人同士でもなければ、夫婦になる予定も無いんだってば!!
そう反論したかったのに、私の言葉は新たなノックの音でしぼんでしまった。
入ってきたのはまさかのアルクさんだった。とっさにベッドへ潜り込もうとしたが、膝の上のお皿が目に入り反応が遅れてしまった。
「心配して来てみたけど、楽しそうな笑い声が聞こえてた事だし、大丈夫そうかな?」
真っ赤になって俯く私の代わりにメアリが応えてくれた。
「もー、大丈夫ですよ、アルク様。えみは今時驚く程純粋で恥ずかしがり屋さんなので、色々手加減してあげてくださいね」
そんな余計な事を言うだけ言うと、トレイを持って部屋からさっさと出て行ってしまった。
嘘でしょう!? 二人きりにしないでぇ~~~!!
私の心の叫びと悲痛な面持ちはメアリには全っ然届かなかったようだ。この薄情者!!!
代わりにアルクさんがベッドへ腰掛けてくる。
「手加減て、何の話?」
心臓がばっくんばっくんいっている。破裂しないか割と本気で心配になった。
「ななな何でもありません!!」
ポーカーフェイスは理想ですが、私には多分一生無理ですね。おおいに狼狽えてしまって、アルクさんを笑わせただけだった。
「昨日の話…かな?」
そこで声色を変えて来ますか。とんでもない策士ですね。
気絶しかけてなんとか踏み留まった。メアリとの過激な会話が多少なりとも免疫効果を発揮したようだ。身体中が熱いけど。
アルクさんに右手を掬い取られて、カチコチに固まってしまう。
「少しは意識してもらえてるみたいだな。……嬉しいよ」
少しなんてもんじゃありません!! 日常生活に支障をきたす程です!!
「せっかく元気になったところ申し訳無いけれど、王都へ戻る日が五日後に決まったんだ。その時に迎えが来るから、えみにも一緒に来てもらう事になる」
「五日後……」
とうとう此処を離れる日が決まってしまった。残された猶予は五日。
その間に覚悟を決めて、お世話になった皆んなにもちゃんとお別れしなければ。
私は一度大きく息を吐き出すと、側に座って手を握っている彼を見つめた。
「分かりました。行きます……ソラと一緒に」
私の眼差しを柔らかい微笑みと共にアルクさんが受け止めてくれている。穏やかな雰囲気をそのままに、彼が困ったように眉尻を下げる。
「そこは私と一緒に、と言って欲しいところだが……今は良しとしようか。君の賢明な決断に感謝する」
「いえ、その……私というよりか、ソラの存在が大きいと、思ったので……」
私が契約してるとはいえ、聖獣と精霊の存在は大きい。ソラが何もしないとしても、居るだけで心強いと思ってもらう事は出来るだろう。
強い味方が居てくれるとやっぱり安心するものだ。
「私がえみの事を好ましいと思うところは、そういうところなんだよ」
「え?」
「君はきちんと周りを見て、皆んなの事を考える。自分の事だけでは無くてね。怖くて、心細くて、泣いてしまうくらい不安な筈なのに、それでも君は最善を選べる。そんな君だから、私が一番側にいたいと思ったんだ」
「アルクさん……」
「私はえみだから全身全霊をかけて守り抜くと誓う。『この命に代えても』」
アルクさんは自分の右手を左胸に当て、真っ直ぐに私を見つめて言い切った。
その言葉に、仕草に、何やら並々ならぬ決意を感じる。『たまたまそうした』と言う訳ではなさそうだ。
「まぁ……まぁまぁまぁまぁ!! なんてこと!?」
興奮気味に話す声が聞こえてバッとそちらへ振り向いた。
両手で口元を覆い驚いたようにこちらを見ていたのは、アルクさんのお母さんのナシュリーさんだ。その隣にはアーワルドさんもいる。
「あなた聞きまして? アルが……アルが……プロポーズしたわ!!!」
おっと。何やら盛大に誤解されているご様子。
これはまた面倒くさ……大変な事になりそうだ。
「母上。覗きとはまた趣味が悪いですよ。父上まで」
「えみが心配で様子を見に来たんだが……ノックはしたぞ?」
「そんな事どうでもいいわ!! アル! 今のは一体どういう事なの!? ちゃんと説明してちょうだい!!」
掴み掛かる勢いで迫るナシュリーさんに、アルクさんは苦笑しながら「少し落ち着いてください」と宥めている。その間もずっと握られたままの手にギュッと力が込められると、アルクさんは再び私を見つめてくる。殺人級のスマイルが向けられる度にビクつく心臓は今日も大忙しだ。
「説明も何も、そのままの意味です」
「……っ!」
「『騎士の誓い』を立てると、そういう事で良いのだな」
「はい」
騎士の誓いってなんですか? 分からないまま話進めるの、止めてもらっていいですか?
そして心臓がもたないので、いい加減見つめるのも手を握ったままなのも勘弁してもらえないでしょうか?
第一、こんな素性も身元もハッキリしない相手に血迷っている御子息を止めなくていいんですか!?
「うむ」なんて納得してる場合じゃないですよ領主様!!
「アルにもついに春が来たのね!! 苦節二十五年……長かったぁ……。えみが私の娘になるだなんて、なんて素敵なんでしょう!!」
「いえ、えみはまだ…——」
「今夜は盛大にお祝いしなきゃだわ!!!」
「ナシュリー、少し落ち着きなさい」
「これが落ち着いてなんていられますか!! アルの一大事なのよ!?」
「母さん!!」
どうやら一番の難敵はナシュリーさんでした。
ここはどうにかアルクさんとアーワルドさんが宥めてくれたが、私が首を縦に振ろうものなら明日にでも結婚式を挙げられてしまいそうだ。
一体どうしてこうなったのか。
結局さっきの言葉の意味もちゃんと説明してもらえないまま、ナシュリーさんを半ば強引に連れ出す形でアルクさん達は出て行ってしまった。
その後も完全にベッドから起き上がるタイミングを逃した私のもとへ、ハンナさんやルファーくん、ホーンさんにライルさんまで心配して様子を見に来てくれた。
メアリがあちこちでアルクさんとの事を言い触らしたのと、ナシュリーさんが口を滑らせた事で、来た人の殆どが冷やかしだった。
領主夫妻が積極的に息子の個人情報ばら撒くってどうなの? と思ったが、ハンナさん曰く、年頃をとっくに過ぎた息子に浮いた話どころか噂も立たない事を酷く心配していたのだそうだ。特にナシュリーさんが。
だからと言って得体の知れない私なんぞにかまけている息子を放っておいていいのか? と、こっちが逆に心配になる。
そんな騒動もありながら、屋敷の皆んなと新しいレシピを試したり、ナシュリーさんとも女子会したり、ソラとワサビちゃんに新作を試食してもらったり、合間合間にハインヘルトさんから準備を急かされたりしている内に、お屋敷を離れるまであと一日となった日の午後。
アーワルドさん宛に一件の知らせが届いた。
それはアルカン領辺境の小さな村が、魔物の群れに襲われたという最悪の知らせだった。




