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18話——私はどうやら厄災の前兆のようです。

 これは後から聞いた話だが、王宮へ使いを送り三日程で使者を寄越すというのは、異例中の異例なのだそうだ。

 それはそうだろう。領主様のお屋敷ですら毎日のように来客があるのだ。それが王宮ともなると、訪れる使者は王国全土からとなる為、人数も規模も領主邸の比ではない。

 寄せられたそれら報告書は順番に処理される。基本は先着順だろうが、中には緊急だったり階級によってだったりと、順番が前後する事なんて大いに考えられる。よって目を通してもらうまでに最短でも数日から数週間、なんてザラである。

 それがこの対応の速さだ。

 それにはいくつかの理由があった。


 一つに、アルクさんとフェリシモール王国第二皇子ハワード様が幼馴染であるという事。

 アーワルドさんは若い頃に王宮で騎士として勤めており、幼い頃からアルクさんも出入りしていたのだそうだ。

 アルクさんとハワード様は歳も同じで、貴族の子供たちが通うという王立の学院でも一緒だった為、今ではすっかり悪友なのだそうだ。もちろん王宮で騎士として務めているアルクさんにとっては、報告を上げなければならない上司でもある訳で。

 アルクさんがハワード様宛に直接手紙をしたためた為、この異例の速さでの使者訪問となったのである。


 そして一つに、やはり私とソラのことが挙げられる。

 異世界人が現れることが稀な上に、その異世界人が四聖獣であるホルケウと契約を交わしたのだ。しかも王宮に無断で。

 様々なイレギュラーが重なったとはいえ、これには流石にハワード様も驚いたようだ。

 精霊と契約するのでさえ、王宮魔術師が何年も掛かって行う大掛かりな一つの儀式となる。

 それが、ぽっと出の小娘が? 異世界人って敵対しないだろうね? 本当に契約者なの? しかも精霊もだなんて嘘だろ?

 という訳で、王宮上層部が天地がひっくり返ったかのような大騒ぎなのだそうだ。


 そういった事情を、今目の前に座ってこちらをガン見している使者のハインヘルトさんから聞いて、私はブルブルと体を震わせていた。

 とうとう皇子様に目をつけられてしまったようです。一庶民の私が命の危険を感じるのは無理もない話だ。



 ここはお屋敷の中でも一番大きな応接室だ。

 呼ばれているのは、領主のアーワルドさん。そして報告書を書いたアルクさんと、事の発端となった私とソラだ。私の肩の定位置にはワサビちゃんも座っている。


「ハワード様より、アルク様には早急に城へ帰城するようにと言付かっております」


 持ち上げられた眼鏡の奥で冷たそうな印象を受ける薄灰色の瞳が私へと向けられている。


「もちろんえみ様とホルケウ殿にもご同行願います」


 胸に針を刺されたように、チクチクと痛んだ。

「(ここを、離れる……)」

 ハンナさんやメアリ、それからライルさんとホーンさん、ルファーくんとお別れすると言う事だ。

 こちらの世界に来てからずっと一緒だった人たちと離れなければならないという事実に、私は動揺を隠せなかった。


「ハインヘルト、もう少し時間をくれないか」


 アルクさんが私の心情を察したように願い出てくれる。しかし、その願いは聞き入れては貰えなかった。


「そうして差し上げたいのはやまやまなのですが、残念ながら事は急を要するのです」


 不穏な台詞に、アルクさんの顔色が変わるのが分かった。彼には何かしらの心当たりがあったという事だろうか。


「どういう事ですか?」


 事情を知らない私は二人を交互に見つめる。口を開いたのはハインヘルトさんだ。


「王宮の上層部は一刻も早くえみ様とホルケウ殿が敵対しない事を確認したがっています。何せ相手は伝説の四聖獣。王宮魔術師たちが相手にしている精霊とは次元が違いますので。まず、そちらを黙らせたい」


 ソラはフフンと鼻を鳴らしている。まるで当然だとでも言いたげだ。


「それから、アルク様より気になる情報を頂きまして、ハワード様と共に調べたのです」

「気になる情報? それは……まさか——」


 アーワルドさんが眉を寄せる。眉間には室井さんもビックリな皺が刻まれている。


「はい。えみ様…というか、異世界からの訪問者があった時期について調べました。すると前回の訪問者が現れたのは、今から千年程前だったという事が分かったのです」

「千年前だと!? ……なんという事だ……」


 三人の男性陣の視線が私へと突き刺さる。その異様さと不穏さに狼狽えてしまった。


「何が……一体何があったのですか?」


 聞くのは怖いが聞かざるを得ない。私が使者として送られた理由がそこにあるのかもと思わずにはいられなかったからだ。

 誰もが口を閉ざす中、沈黙を破ったのはソラだった。


「魔族の王がこの世に降臨したのだ」

「え……魔、王……?」

「……そうです。異世界人が現れてすぐに、魔王が降臨しフェリシモール王国を中心に世界が混沌と混乱に陥りました。……もし、えみ様の出現が千年前と同じ意味を持つのであれば、近々魔王の誕生が危惧されます」


 重たい沈黙が部屋中を包んでいる。それが嘘や冗談、ましてや御伽話の中の話ではなく、現実に起こりうるものだという事の証明になっている。

 まさか、自分がこの世界の災厄の前兆だったなんて……

 全くもって思いもよらなかった。

 急に体が重くなったような感覚に陥り、気付けばふらりと座っているにも関わらず体がふらついてしまう。


「えみ!!」


 椅子から崩れそうになったところを、隣に座っていたアルクさんが支えてくれた。彼の大きな手がしっかりと両肩を支えてくれている。


「えみ! 大丈夫か? 直ぐ部屋へ——」

「いえ……聞きます最後まで……お願い、アルクさん」


 顔色が悪いと心配されたが、私の意思は固い。きちんと聞かなければならないと、そう思ったのだ。


「まだ確証はありません。ただ、王国辺境の村や街で、魔物の群れに襲われるという事件がここのところ相次いでいます。それが前兆なのかどうかもまだわかっていませんが、警備体制を整えると共に討伐隊の編成も早急に行わなければなりません。アルク様にもその編成に加わって欲しいと」

「……了解した」

「えみ様にもご協力頂きたいのです」

「はい……私に出来る事があるかどうかは分かりませんが」


 ハインヘルトさんは僅かに表情を動かし、最後にソラへと視線を向けた。


「ホルケウ殿。貴殿のお力もお借りしたい」


 今まで寝そべって聞いていたソラがゆっくりと立ち上がる。私の隣へやってくると、お座りの格好になった。


「ひとつ言っておくが、我は人間に関与しない。もちろん魔族に加担する事もない。契約者に害が及ぶ場合は力を行使する。が、基本的には契約者の生命を守るためだ」

「えみ様以外の命令は聞かないということですね」

「勘違いしてもらっては困る。そんな事は大前提だ。えみへの害が魔物だけとは限らぬ。えみを介し我を支配しようとする動きがあれば、魔王復活の前に王国が滅びる事になるだろう。心しておくがよい」


 私は今、事の重大さを改めて思い知る事になった。ソラの契約者になるという事の本当の意味を。

 国を滅ぼせる力を私は手にしてしまったのだ。それはこの国の人達にとって脅威でしかない。私に全くその気がなかったとしてもだ。

 体から血の気が引いていく。指先が冷えていくのをはっきりと感じ、肩が小さく震えた。


「かしこまりました」


 ハインヘルトさんが深々と頭を下げる。


「それともうひとつ。おぬしらはえみを災厄の前兆と思うておるようだが、それは違う」

「え……」


 全員の視線がソラへと集まる。ソラの言葉に一番驚いたのはきっと私だ。


「魔王復活の兆しに対し、女神が異世界人を召喚するのだ。そもそもが違う。異世界人の持つ『力』はおぬしらにとって大いなる役割を果たすことになるだろう。よって『女神の使者』と言われる」

「では、えみがいてくれれば例え魔王が復活したとしても我々に敗北はないと言うことか」


 アーワルドさんが期待を込めた眼差しをソラに向ける。が、ソラはふるりと首を振った。


「そうは言わぬ。それはおぬしら次第だからだ。ただ、えみの持つ力はそれほどの影響力を持つと言うことだ。後はぬしらで何とかするが良い。もうよいであろう。えみを休ませてやってくれ」


 立ち上がろうとする間もなく、アルクさんに抱きかかえられた。流石に疲弊しすぎて抵抗する力も無かったから、そのまま身を任せた。




 部屋の前ではハンナさんとメアリが待っていてくれた。使者が訪れ領主様と一緒に連れていかれた私を心配してくれていたのだ。

 アルクさんに抱きかかえられ、ぐったりとしている私を見るや否や慌てて駆け寄ってくる。アルクさんに事情を聞いたハンナさんが、すぐにベッドを整えてくれて、メアリが水を取りに走ってくれた。

 ベッドまで運んでくれたアルクさんは、私を縁に座らせると自分は正面に片膝をつき、向き合う位置で目線を合わせてくれている。その瞳は心配そうに揺れている。


「えみ、すまない。私がソラとの契約を薦めたばかりに、負担を掛けてしまった」

「いえ。アルクさんは最善策を考えてくれただけですから」


 そう。あの時はそうするしかなかった。伝説クラスの獣相手に拒否という選択肢はなかったし、第一決めたのは私だ。

 それに、ソラの言った通りこれからきっとソラの力が必要になる。さっきの話が本当なら尚更だ。


「私、自分がここに来た意味をずっと考えていたんです。わかって良かっ、た……」


 頬を熱いものが伝っていた。

 それをきっかけに、張り詰めていたものが一気に溢れ出てしまった。泣くつもりは無かったのに、一度零れた涙は後から後から湧き出てくる。


「ごめ、なさ……っ、そんな、つもりっ…じゃ…」

「えみ……」


 私の隣に座り直したアルクさんがそっと肩を抱き寄せてくれた。大きな左手がぎゅっと肩を抱き、力強い腕に優しく引き寄せられる。私の身体を受け止める騎士様の胸板は固く、包容力は半端ない。


「怖い思いをさせて本当にすまない。でもえみの事は私が絶対に守るから。約束する」


 こんなイケメンで素敵な騎士様にそんな風に言ってもらえるだなんて、それこそ夢のような話だ。何処か他人事のように感じながらも、完全に役得ではあったものの、やっぱり嬉しいと思わずにはいられない。

 何か言って応えなければと思ったのに、涙と嗚咽が止まらない。自分の想像以上に心のダメージが大きいようだった。

 アルクさんの右手が私の手を掴むと、自分の左胸へと押し当てた。私の掌には彼の規則正しい鼓動が伝わっている。涙でぐちゃぐちゃの顔で彼を見上げると、普段の穏やかな表情とは打って変わって真剣な眼差しがすぐ側にあった。

 ハンナさんが自分の口元を両手で覆い瞠目したままこちらを凝視していたのだが、そんな事には気付ける訳も無く。


「必ず守る。だからどうか私を信じて欲しい」

「……はぃ」


 小さく頷き、嗚咽混じりの返事を返す。

 安堵したようにふわりと崩れた彼の表情に、釣られるように肩の力が抜けた気がした。国宝級イケメンの微笑みには、微笑むだけで何故か安堵してしまうような、そんな不思議な力があるようだ。

 綺麗な青灰色に自分の顔が映るくらいに距離が近いんだなと気付いた時には、自分の唇に柔らかいものが触れていた。

 何が起こったのか分からないまま、ゆっくり離れていくアルクさんの顔を見た。

 思考が停止すること数秒。

 水差しとグラスを取りに行って戻って来たメアリが驚きのあまりそれらを床に落とし、派手な音と共に水を床にぶちまけている。


「メアリ!!」

「すっ、すみませんっっっ!!」


 ハンナさんの叱る声と、メアリの謝る声がスイッチになったかのように顔が一気に沸騰した。

 キスをされたのだと理解した途端にポスンと頭から湯気が出た。その後の事は全く覚えていない。


「え!? えみ? えみ!!」

「えみ!! しっかり!!」

「いいから! 貴女はここを片しなさい!!」

「はっ、はいっ!!」

「ハンナ! えみが——」

「大丈夫ですから、落ち着いて。そのままベッドへ寝かせてくださいな」


 その場の混乱はハンナさんが落ち着いて収めてくれたのだそうだ。



「やれやれ。……賑やかな事だな」

「えみ様は大丈夫なのでしょうか」


 少し離れたところでこちらを眺めていたソラとワサビちゃん。ワサビちゃんはソラの頭の横をオロオロと飛んでいる。


「なに。案ずる事は無い。あれはチキンなだけだ」

「チキンとは何ですか? 美味しいものですか?」

「…………そのうち分かる」


 溜め息と共に伏せて目を閉じたソラを、ワサビちゃんはしばらくの間不思議そうに眺めていたのだった。

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