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16話——アルクさん、大忙しで御乱心ですか。

 レンが中庭で自分の魔力と格闘していた頃、領主の書斎では書類の山と来客の多さに、部屋の主がうんざりしていた。

 旅行中で不在の父に代わって行う仕事以外に、えみやソラの件を王宮に報告するための書類を作り精査しなければならない。

 自分が休暇で帰って来ているのか仕事で帰って来ているのか、わからなくなる程だった。

 だが、事は急を要する。異世界人を保護しただけでも異例なのに、それに加えて四聖獣までもが姿を現したのである。しかも四聖獣の方から契約を持ち出して来た。断れなかったとはいえ、あちらでは少なからず問題視する声が上がるだろう。

 もう既に一領主ごときで処理出来る問題ではない。

 直ぐに報告書をまとめ、その日のうちに王宮へと早馬を走らせた。

 恐らく直ぐにでも戻って来いと返信が来る事だろう。


「あいつの事だ。今直ぐえみを連れて帰って来いなどと言うのだろうな」


 えみはもうすっかりこの屋敷の一員だ。使用人達とも打ち解けて仲良くやっているようだ。特に厨房の彼らとは意気投合して、下手をすると一日中厨房に居るという話しも聞く程だ。

 こちらの勝手な都合で王都に連れて行くというのは気が引ける。

 その時を思い、アルクはもう何度目になるかもわからない重い溜め息をつくのだった。


 ◇ ◇ ◇


「アルク様がお疲れみたいなの」


 メアリからそう聞いて心配になった。そういえば、ここのところ一緒にお茶もしていない。

 私とソラの事があってお屋敷の中も騒然としていたし、領主様のお仕事もしているアルクさんは休んでいる暇も無いのではないかと思う。

 私のせいでお仕事を増やしてしまったのなら、いてもたってもいられなくなった。

 ただ私が出来ることと言えば料理でアルクさんに精をつけてもらう事くらいだ。

 そう考えてやっぱり厨房へと足を向けるのであった。


 疲労回復に良い食事と言えば。そう聞かれて思い付くのは、精をつけるという意味でやっぱり肉だろうか。豚肉はビタミンBが豊富な筈だ。

 他にもビタミンCや鉄分、クエン酸も効果的だと思う。梅干しが良いって聞いた事ある気がするし。

 働き盛りのアルクさんにはがっつりしっかり食べてもらいたい。

 という訳で、今晩は豚丼と、豆腐パプリカブロッコリーで梅干しをドレッシングに使ったサラダ、アサリと小松菜でクラムチャウダーと、蜂蜜と生姜を使ってカップケーキを作ろうと思う。鰻とどちらにしようか迷ったけど、クセがある事を考えたら豚丼の方が食べやすいだろうと思ったのだ。

 これできっと元気も出て、疲労回復間違いなし!

 アルクさん用の特別メニューにしようと思ったのに、目敏いソラが自分もそれがいいと言い出し、結局今夜の夕食にする事になった。

 夕食の為にシェフの皆んなが揃えてくれた食材は、明日必ず使います。せっかく用意してくれていたのに、ごめんなさい。

 皆んなで手分けして調理し、尻尾がうるさいソラとワサビちゃんの分を取り分ける。今夜も書斎で食事を済ますアルクさんの分をワゴンに用意してもらうと、それを押して書斎へ向かった。



 少し控え目にノックをすると、直ぐに入るよう声が掛かった。

 扉を開けてワゴンと共に入室すると、机越しにこちらを見たアルクさんが驚きの声を上げた。


「珍しいお客さんだね」

「今日は忙しいアルクさん用の特別メニューですよ」

「それは嬉しいな。とても良い匂いがすると思っていたんだ」


 そう言いながら微笑を向けてくる。疲れていてもキラッキラのアイドルもびっくりな素敵スマイルは健在のようだ。

 書斎の少し奥まったところに、こじんまりとしたテーブルと椅子が置かれている。アルクさんに言われてそちらへ食事をセットした。


「今日の食事も美味しそうだね。一人で食べるのもつまらないし、えみも一緒にどう?」

「私、ですか? でもお邪魔なのでは……」

「仕事はもう終わりにするよ。丁度キリが良いところだったし、折角の美味しいご飯はゆっくり味わって食べたいしね」


 そんな風に言われてしまっては、私に断る理由はありませんね。

 ソラとワサビちゃんの分はもう用意してきたし、もう一人分くらいなら直ぐに用意出来るだろうし。


「分かりました。直ぐに準備しますね!」


 メアリに手伝ってもらい、書斎に私の分の夕食を運ぶ。いつもよりテーブルが小さいせいで距離が近くて緊張する。

 冷め切ってしまう前に席についてもらい、一緒に食べながら軽く今夜のメニューの説明をした。


「肉をこんな風に味付けして食べるのは初めてだ。おにぎりも美味しかったけど、この丼というのも美味いな」

「この甘辛いタレがご飯によく合うんです。こっちのサラダにかかっているドレッシングに使ったのは、この間のおにぎりの具になっていた梅干しですよ」

「あっさりした具材に梅干しのドレッシングがよく合うな。このミルクベースのスープも魚介の味が出ていて美味い」

「今日はむき身を使いましたが、殻付きで作った方がもっと出汁が出て美味しいんです! アサリはパスタにしても美味しいので、今度はパスタにしますね」

「うん。楽しみだ」


 アルクさんは一つ一つを味わいながら、本当に美味しそうに食べてくれる。そんな姿を見ていたら、やっぱり自分の作った料理を誰かが喜んで食べてくれるのが、私にとっては一番嬉しい事でやりたい事なのだと思えた。

 もっともっといろんなレシピで作りたい。美味しいものがまだまだ沢山あるのだと教えてあげたい。

 その為に呼ばれたのなら、私はその役目を果たしたい。今日は改めてそう思えた一日だった。




「えみは本当に幸せそうに食事をするね」

「はい! 食べる事は私の生き甲斐ですから」


 食後のお茶を嗜みながら、カップを置いたアルクさんがサラリと髪を揺らす。

 少しクセのあるお茶に、食後のカップケーキがまた良く合う。お腹はいっぱいの筈だったが、やっぱりデザートは別腹だ。


「えみの夫になる奴が憎らしいな」

「え?」

「素直で可愛らしくて料理上手だなんて……えみを妻に出来る男は幸せだと言ったんだ」

「そんなっ……まだまだ先の話ですよ! 結婚なんて……」


 いきなり何の話ですか!? 不意討ちにも程がある。

 危うくお茶を吹き出すところだった。


「そう先でもないだろう。もう嫁いでも良い歳だろうし。えみには心に決めた男がいるのか?」

「まさか! いるわけ無いです!! 今まで彼氏どころか好きな人もいた事ないですから」


 必死に否定したものの、ここは彼氏の一人や二人は……って言っとくべきだったかな。

 張れる見栄なら張っとけば良かった?

 いや。私の場合直ぐにボロが出てしまいそうだ。やめておこう。


「そういえば歳を聞いていなかったな。レディに歳を聞くのは失礼だろうが」

「私は気にしません。今は十九歳で今年二十歳になります」

「え?」

「へ?」


 アルクさんが驚きの表情で私を凝視している。


「十九歳ですよ……?」

「まさか……十五くらいだと……」

「ええ!? そっちがまさかです!!」


 そんなに幼く見られていたとは……。

 確かに少々童顔なのは気にしていたけれども。


「因みにこちらでは何歳くらいで結婚するものなんですか?」

「女性は早い人で十五で嫁ぐ。男は十八で成人として扱われ、大体は二十歳前後で世帯を持つ者が多い」

「そうですか。随分早いんですね」


 成程。では私は完全に行き遅れ組という訳だ。


「ニホンではどうなんだ?」

「男女とも十八歳で成人とみなされます。婚姻もその歳からですね。ただ、私のいた国では女性もどんどん社会に出て働くので、最近では結婚するのが遅くなっていると聞きます。私の母は三十歳の時に私を産んでいます」

「そうなのか。ニホンの女性は働き者なのだな」

「そうかもしれませんね」

「こちらの世界では、私達は遅咲き仲間だな。不名誉な事だが」


 眉尻を下げ、困ったように微笑うアルクさんに釣られて肩を竦める。


「そうみたいですね。不本意ですが」

「遅咲き同士、仲良くしようか」

「ふふ。そうですね」


 冗談だと思って笑っていたら、アルクさんの真面目な顔がこちらを見ているではありませんか。青灰色の瞳がスッと細められ、艶っぽい声が私の名を呼ぶ。


「えっ…と……?」


 カップに添えていた戸惑う私の左手を、アルクさんの手が掬い上げるように掴まえる。

 ぎゅっと! なんと、アルクさんが私の手をぎゅっとしているのですが!?

 これはどう言う状況ですか!? 


「今のは……冗談ですよね……?」

「冗談だと思う?」


 私の手を握るアルクさんの指先にほんの少し力がこもる。

 そんな僅かな変化にも、私の免疫皆無の心臓が今にも破裂するのではなかろうかと思うほどうるさい。

 目が……アルクさんの目が見れません……


「えみ」


 良い声で優しく囁かれ、恐る恐る顔を上げた。

 一瞬ソラの瞳かと思う程強い光を宿した視線を向けられて固まってしまう。


「もし可能性があるのなら、私を選択肢に入れて欲しい」

「ま、待ってください……ちょっと、今……混乱していて……」


 どうやらアルクさんはここのところの忙しさのせいで御乱心の御様子。

 でなければ異世界人効果? それとも女神の使者だから? 何にせよ、正常な判断能力を失っている模様だ。

 そんな考えを見透かすように、彼がフッと口元を緩める。


「肩書きなんか関係ないよ」

「!!」

「確かに我々にとって異世界からの渡り人は特別な存在だ。それは認める。でもそんな事とは関係なく、私は君に惹かれている」

「な、んで……私……」

「君がとても魅力溢れる女性だから。今はまだ精霊の力が欲しくてそう言ってると思われても仕方が無いと思う。こんなタイミングだしね。だからそうじゃないと言う事を分かって貰えるよう努力する」

「……っ」

「だからどうか数ある選択肢の一つに、私も加えて欲しい」


 彼の真剣な眼差しに戸惑いを隠せない。

 今日まで一緒に過ごしてきて、彼が肩書きで人を選ぶような人では無いと言うのは分かってる。お屋敷の人達を見ていても分かる。

 皆んなアルクさんやご両親が大好きで働いているのが普段から伝わってくるのだ。

 だからこそ私にはとんでもない優良物件すぎて、逆に気が引けてしまう。彼は貴族で、立場のある人で、本来なら私のような一般ピーポーとは関わる事の無いような人だ。彼の中に私が選択肢としてある事自体が普通はないのだ。

 私の選択肢だってそんなに無いだろうと思っているし、一つか二つあれば良い方だ。今までは一つも無かった。

 そのせいでこんな時どうしたら良いのか全っ然分からないのだ。

 とにかくパニック!!

 どうしてこんな時にソラもワサビちゃんも居ないのか!!

 兎に角、私なんぞが今直ぐ返事をするのは失礼な気がして、ここは素直に頷いておく。問題を先送りにしたとも言うが、今はそれは考えない事にしよう。


 とりあえず訳が分からないまま頷いてしまったが、私の手はまだアルクさんにぎゅっとされたままだ。

 これはいつまでこうしていれば良いのか。

 誰か助けてと思っていたら、都合よく書斎の扉がノックされた。

 離してもらえると思ったのに、そんな気配が無いままアルクさんが入室を許可してしまった。

 戸惑っているうちにノックした人物が入って来る。

 顔を覗かせたのはレンくんだ。私達を見て固まっている。

 そりゃそうでしょうね。小さなテーブルを挟んで手を取り合っているのですから。私は取ったつもりは無いけれども。


「どうした? レン。用事があったのだろう」

「え、あっ、領主様がご帰還されましたのでお知らせに……」


 要件を尋ねられて、固まっていたレンくんが思い出したかのように口を開く。アルクさんは「やっと帰って来たか」と溜め息混じりに呟くと、握ったままの私の手を引いて立ち上がる。釣られて私も腰を上げた。


「丁度良い。えみとソラを紹介するから一緒に来てくれる?」

「は、はい!」


 そう言ってようやく手を離してくれたけど、今度は腰へ軽く触れるように手を回されている。

 なんと! 人生初の男性からのエスコートです!!

 しかもご両親に紹介されるって、何だかやけに緊張してしまいますね。

 どうか精霊と聖獣の契約者になった事も、勝手に居候して厨房使っていた事も怒られませんように。


 色々と想定外の事がありすぎて、私の心には余裕なんてちっとも無い。

 だから全然気が付かなかった。レンくんがずっとこちらを見ていた事を。

 私とアルクさんを見た彼の表情の意味を推し量ることなんて、とてもじゃ無いけど出来なかったのだ。

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