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14話——知らぬ間に大変な事になっておりました。

「女神様の使者……ですか?」


 ちょっと一旦落ち着こう!

 女神様の使者? 誰が? え、私? 初耳なんですけど。

 私にはホルケウさんが何の事を言っているのかさっぱりわからず、心当たりも全く無い。

 ハンナさんとメアリ、ルファーくんの頭にも『?』が見える。レンくんはいつものようにちょっと怖い無表情だ。

 驚いたのはアルクさんの反応だった。見たことのない怖い顔をしていたのだ。その事がますます不安を煽った。

 私って予期せぬ事故で死んでしまったから、それを不憫に思った女神様がこの世界で生きるチャンスをくれたのではなかったか。

 女神様からお使いを頼まれた記憶は無いのですが……。


「娘からあやつの魔力を感じる。『女神の恩恵』を受けているとみて、まず間違いない」


 女神様の魔力を感じるというのは、ワサビちゃんにも言われた。私が異世界から来た事とこちらに転生する直前に女神様に会ったから、てっきりそのせいだと思っていたけれど。


「えみ。何か女神様から預かっているものはない?」


 アルクさんに問われて思い当たるのは……


「こちらの世界へ来る時にこのポーチを貰いました」


 ピンクのポーチをアルクさんへ渡す。見た目はごく普通の一般的なものだ。

 知らない世界でも生きていけるようにと、半ば強引に貰った四○元ポーチ。それがあるおかげで、私は故郷の味を再現することが出来るのだ。

 アルクさんは興味深げにポーチを観察している。ファスナーを開けたり閉めたり、中も確認したりと、入念に調べてからそれを返してくれた。


「娘には莫大な魔力が宿っている。その女神の恩恵を介して自身の魔力を使いこなしているようだ」

「ちょ、ちょっと待ってください!! 私、魔法は使えませんでした」


 実は異世界に来たとき試してみたのだ。せっかく剣と魔法の世界にやって来たのだから、一度くらいは夢見るものでしょう?

 だけどどんなに強く念じても、それっぽい呪文を言ってみても、火の玉やビームはおろか、水一滴すら出なかった。それによって私には魔法を使う才能が無かったのだと泣く泣く諦めたのだ。


「何も目に見えるものだけが魔法ではない。おぬしの中で練られた魔力は、女神の恩恵を媒介にして料理となり、皆に力を与えているのだ」

「確かに……そう言われてみたら、えみの料理を食べるようになってから体の調子がいいみたい」


 ハンナさんの言葉にメアリとルファーくんも頷いた。

 レンくんも私が初めて作った料理を食べた時、体に力が漲るようだと言っていた。あれは気のせいなんかじゃなくて、実際に私の魔力がもたらした影響だったようだ。


「領主の息子とこの小僧は覚醒しつつある。その証拠に、先程我の魔力を諸に受けても正気でいられたであろう。もしそれが普通の人間だったならば平常ではいられまいよ」


 アルクさんもレンくんも絶句している。ホルケウさんはそれほどの魔力を放っていたのだ。

 メアリが無事だったのは、その時すでに気絶していてホルケウさんの魔力を正面から受けなかったからだそうだ。


「この娘には、人の中に眠る力を引き出したり、強化する魔力がある。今食べたこれにも含まれているな。おかげで我の魔力も回復した」

「じゃぁワサビとえみが契約出来たのは……」

「うむ。娘の作る料理に含まれた魔力、我らは魔素と呼ぶが、この魔素がワサビに与えられた為であろう」

「でも、儀式は? 『魔力の交換』が必要なんじゃないのか?」


 レンくんの発言で、皆んなの視線が一斉に突き刺さる。


「ええ? やぁ……そんなのしたっけ?」

「しましたよ」


 しどろもどろの私を他所に、ワサビちゃんがきっぱりと言い切った。


「へ? いつ?」

「魔素を貰ったときに。ワサビの魔素をお返ししました!」

「ええ? いつの間に……」


 その時の事を思い返してみる。

 あの時は、ワサビちゃんにマフィンをあげて、それを一瞬で食べちゃってて、物凄くビックリして……

 その後名前をつけたんだっけ。んで、よろしくねって言って、右手にチュッと——


「それです」

「え? あれが!?」


 あの、チュッが儀式だったらしい。てっきり精霊の握手のようなものだと思って気にも留めていなかった。


「では、やはり『契約』はきちんと成立していたということだな」


 合点がいったとアルクさんは納得したようだったが、当の私は話しが壮大すぎてついていけない。

 そもそもワサビちゃんともお友達になりたかっただけで、主従関係になりたかった訳ではないのだ。


「それで……女神様は結局私に何をさせるおつもりなんでしょう? 具体的に何かをしなさいと言われた記憶は無いのですが……」


 再び沈黙に包まれた。その答えを知っているのは、今ここにはホルケウさんだけだ。


「そこまでは知らん」


 キッパリと言われてもう少しでコケるところだった。私のいた世界のお約束など、ここにいる皆は知らないというのに。


「ただ、一つ気になるのは、おぬしの前にこの世界に異世界人が現れたのは、千年程前だったな」


 アルクさんがハッとしたようにホルケウさんを見た。何か心当たりがあるのだろうか。

 それにしても千年も前に私のような異世界人が来ていたとは驚きだ。アルクさんも昔過ぎてその人の事は分からないと言っていた。

 その人も地球からやってきたのだろうか。それとも、私のいた世界とも違う別世界からやって来たのだろうか。

 そしてそんな昔の話を知っているなんて、ホルケウさんは一体今いくつなのか。

 すっごく気になったけど、今は聞ける雰囲気じゃないからまた今度、機会があれば。



「ところで娘。おぬしは他にどんな料理が出来るのだ」


 突然話題が変わり、皆がポカンと呆けてホルケウさんを見た。


「えっと、色々出来ますよ。まだこっちに来て作ったことがないものも沢山ありますし、料理は好きで得意な方ですから」

「うむ。ではおぬしの作る料理を条件に、我がぬしと契約してやろう」

「へ?」


 一瞬の沈黙の後、言葉の意味を理解した全員の口から驚きの絶叫が発せられた。

 無理もない。相手はこの国で伝説とまで言われた聖獣だ。……の筈だ。


「私がホルケウさんと契約するの?」

「なんだ。不満か」


 たちまち不機嫌オーラが放たれた。危険を感じて慌てて訂正する。


「そうじゃなくて、ホルケウさんは聖獣ですよね? 人間の、しかもこんな小娘なんかと契約なんかしてしまっていいんですか!?」

「構わぬ。ぬしの寿命など百年にも満たぬであろう。たかが百年など、我にはほんの一瞬に過ぎぬ」


 いや、そう言う意味で言ったんじゃないけどね?

 それにと黄金の瞳がじっと私へ向けられる。


「ぬしの魔素が我をも癒した。理由など、それで充分であろう」


 ワサビちゃんが耳元で囁く。


「えみ様のご飯が相当気に入ったみたいですね」


 そうなの? ご飯に釣られて契約するって事? それって、なんだか狼っていうより……

「聞こえているぞ」とジロリと睨まれ、ワサビちゃんは慌てて私の後ろに隠れてしまった。

 黄金色の眼差しが今度はアルクさんに向けられる。


「領主の息子よ。この先必ず我の力が必要になる。おぬしなりに考えはあるようだが、常にこやつの側にはいられまい。その時に我が娘の側に居れば心強いであろう」

「しかし……私の一存では……」

「言っておくが我に人の都合など関係ないぞ。我が娘の契約者になるからと言って、我が人間どもに干渉する訳ではないからな」

「この国の脅威になる事はないと、そういう事でしょうか?」

「それはぬしら次第だろう」


 アルクさんの青灰色の瞳とホルケウさんの鋭い眼差しがぶつかり、その場の緊張感が跳ね上がる。私もワサビちゃんも二人を交互に眺めながらオロオロと視線を彷徨わせる事しか出来ない。

 やがて表情を引き締め直したアルクさんがこちらへ視線を向けて来る。だらけていた訳ではなかったが、慌てて背筋をピンと伸ばした。


「えみ。悔しいがホルケウ殿の言う通りだ。ご厚意に甘えさせて貰うといい」


 なんだか外堀埋められた感が半端ない気がしないでもないですが。

 本当に私でいいのかとか、そんな簡単に決めて良いのかとか、漠然とした不安はあったものの、先程のネリージャのような怖い思いは確かに二度としたくないと思う。伝説の聖獣が私の料理一つでボディガードになってくれるなら、これ程心強い事はないだろう。


「分かりました」


 私が了承するとお座りの格好をしていたホルケウさんが立ち上がる。その場から離れ、周りに何もない場所へ移動し再びお座りの姿勢になった。


「では、えみ。我の正面へ来るが良い」


 言われるがままホルケウさんの前へ移動する。

 皆んなは元いた場所から私とホルケウさんを見守っている。それこそ人と聖獣の契約の瞬間など、滅多に見れるものではない。期待と不安に複雑な表情を浮かべているようだ。


「我に名を与えよ」

「え? ホルケウさんはホルケウさんでしょう?」


 そう言うと、あからさまに溜め息をつかれた。


「それは我の名ではない、呼称だ。人間共がそう呼んでいるだけのこと」

「そうなんだ」

「我に名は無い。だから主人となるおぬしが与えるのだ。主人から与えられる名で呼ぶ事で、二者間に『縛り』が生まれる。そして、魔素を交換する事でその縛りに魔力が加わり、互いの体にそれぞれの名が刻まれる。それが『契約』だ」

「へぇー……」

「分かったならさっさと名付けるが良い」

「そうだなぁ……」


 そう言われて考えてみたものの、一つしか浮かばない。彼を見た時にピンと来た名前。


「じゃぁ、ソラ。ソラはどうですか?」

「何とも頼りない名だな」

「でも私が大好きな名前です!」


 昔、おばあちゃんの家で飼っていた犬の名前だったがそれは言わない。真っ白な小型犬で人懐っこくてとても可愛い大好きな犬だった。もう歳で死んでしまったが、その子の事は今でもよく覚えている。おばあちゃんの手作りご飯が大好きでとっても食いしん坊だった。

 だが、そのことは言わない。言ったら怒りそうだもの。

 ホルケウさんがもはやご飯に釣られたワンコにしか見えないなどとは口が裂けても言わない。


「ふむ。仕方がない。それで良い」

「じゃぁ、これからよろしくね。ソラ」

「うむ。右手を出せ。手のひらを我に向けよ」


 言われた通りに右手を出すと、手のひらをソラへ向けた。私とソラを囲むように、緩やかな風がぶわりと地面から立ち上がり髪を揺らす。


「我『ソラ』は汝『えみ』と創造神ミランツェの名の下、ここに従魔契約を締結する」


 ソラが鼻先を手のひらへくっつけた。

 その瞬間、ソラと私の足元に魔法陣が現れた。赤い文字で描かれたそれが一斉に光を放つ。

 立ち上がっていた微風が瞬時に暴風へと変わり、一瞬だけ二人を包むと空へ駆け上がっていった。


 こうして私は精霊のワサビちゃんに続き、聖獣のホルケウさんもとい、ソラの『契約者』となったのだった。



 ◇ ◇ ◇


 ふた騒動あったが、ピクニックを十分堪能して屋敷へと戻る道すがら。荷物を手分けして歩き出した彼らの少し後ろで、ホルケウがアルクを呼び留めた。


「領主の息子よ」

「はい」


 他の者たちは既に少し前を歩いており、二人のやり取りに気付く者はない。


「えみがおぬしや小僧の元へ来たのは偶然ではない」

「え?」


 ホルケウの言葉に何故だかやけに不穏なものを感じた。


「それはどういう——」

「全てあやつの目論見通りと言うことだ。この先起こる事に、ぬしも小僧も無関係ではない。心しておくが良い」


 それだけ言うとホルケウはえみの側へと行ってしまった。

 予言とも取れるホルケウの発言に、アルクはしばしその場から動く事が出来ずにいた。

 これは『女神の啓示』なのか。

 一体何が起ころうとしているのか。

 一つだけ心当たりがあったのだが、まさかと即座に首を振る。今はまだ何も確信が無いだけに、アルクの中には大きな不安しかないのだった。

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