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12話——ピクニックにはハプニングがつきものですか?

 良く晴れた空の下、私達はアルカン家のお屋敷から少し離れた場所にある、小高い丘を目指して歩いている。

 お屋敷から森に入って既に二、三十分歩いただろうか。舗装は流石にされてはないが、きちんと整備管理された散歩道のような道路をゆったり歩きながらここまでやって来た。

 道中は穏やかな林道が続き、木々の葉が陽の光を適度に遮ってくれていて、ゆっくり散歩するにはもってこいの場所だ。レンくんもここを良くトレーニングで走っているらしい。

 時折ワサビちゃんに良く似た精霊を見かける。気になって隣のアルクさんを見上げた。

 因みにアルクさんもレンくんも、格好自体はラフな装いだが、今日は腰に帯刀している。制服で無かったのは残念だけど、その姿がもう新鮮で素敵すぎて一人悶えたのは言うまでも無い。


「この辺の精霊は、ワサビちゃんのように赤い服の子ばかりなんですか?」

「そうだね。この領地は王国の東に位置していて、東は風の聖獣が守護していると伝わっているんだ。だから火や水、土よりも風の精霊が多く見られるよ」

「へぇー。風の聖獣っていうのは、どんな姿をしているんですか?」

「うーん。伝わっているのは狼のような体躯と言う事と、『ホルケウ』という呼称がある事くらいなんだ。実際に姿を見た者はいないんじゃないかな」

「え? そうなんですか?」

「我々の間では伝説上の獣だからね。それこそ私よりもワサビの方が詳しいと思うが」


 そう言うと、私の肩の上でジャム入りマフィンを頬張るワサビちゃんの方を見た。ほっぺがぱんぱんに膨れていて、とても喋れる状況じゃなさそうだ。


「ワサビちゃんは生まれたばかりだから、まだ会った事はないそうです。でも気配はずっと感じてる…と言ってます」


 ワサビちゃんの念話を通訳すると、アルクさんが驚いた表情で私を見てくる。


「ワサビの考えがわかるのか?」

「はい。ちゃんと聞けば伝わってきます。あ、ワサビちゃん以外の子は無理でした」


 恥ずかしがり屋さんが多くて逃げられちゃうけど、話しは出来ても念話は出来なかった。

 これが『契約者』の特権なのだろう。この能力はちょっと有り難い。


「ホルケウ様はお顔はちょっと怖いですけど、とっても強くてとってもカッコいいのです」


 マフィンを食べ終えたワサビちゃんが教えてくれる。会った事がないにも関わらず分かってしまうのは、やっぱり同じ精霊だからなのだろうか。

 異世界は不思議がいっぱいだ。



 そうしてしばらく歩くと、やがて目的地に辿り着く。

 下を見渡すと、青々と続く森の先に大きな湖が見え、湖面がキラキラと光を反射していた。


「うわぁ……キレイ——」


 私の肩にはワサビちゃんが、隣にはメアリとハンナさんが立ち、一緒になって素敵な景色に歓声を上げた。

 目印となった大きな樹の下では、アルクさんとレンくん、シェフのルファーくんが談笑している。

 ライルさんとホーンさんは、今回はお留守番となった。ライルさんが非常に残念そうにしていたので、第二回もきっと開催してあげようと思う。



 ひとしきり景色を堪能するとお腹が鳴った。私にはやっぱり花より団子らしい。

 木陰に敷物を広げると、早速皆んなで作ったお弁当を開けた。


「おぉ……」

「これは凄い! 力作だね」

「早起きして頑張りました!!」


 三段式の重箱二つ分。そこには早朝から下準備を重ね、皆んなに手伝ってもらいながら頑張って作った中身がぎゅうぎゅうに敷き詰められている。

 重箱に詰めてくれたのはハンナさんとメアリだ。私がアルクさんの書斎に呼ばれて行った後、ほぼほぼ出来上がっていた中身を二人が詰めておいてくれたのだ。

 皆んなは私が精霊の契約者である事に驚きはしたものの、王宮に連れて行かれないか、教会へ送られてしまわないかと心配してくれていたのだ。

 今まで通りに過ごせる事を伝えると、こちらが恐縮してしまう程喜んでくれた。この世界で出会う人達の人柄に恵まれているなと、有り難く思うのと同時に心がほっこりした。


「どれも初めて見るものばかりだ。色合いもとても綺麗だね」


 アルクさんが驚きの声を上げている。ひとつの器から皆で取り合うスタイルも初めてだったらしい。

 簡単に説明しながらお皿に取り分けると、興味深そうに聞きながら美味しそうに食べてくれた。

 ベーコンのサンドイッチはやっぱり人気だ。驚いたのは、意外にも梅干しのおにぎりが好評だったことだ。

 私の期待通り、ハンナさんの握り具合は絶妙で、塩加減もバッチリだった。梅干しを食べたルファーくんが酸っぱい顔をしたのを見て、どこの世界でも一緒なんだなぁと可笑しかった。

 ワサビちゃんもお弁当を気に入ったくれたみたいで、はち切れそうなお腹を見ると心配になった程だ。マフィンも食べてる筈なんだけど、この小さな体のどこに入っていくんだろう。本当に不思議だ。



 一通り食べ終わると、一度片付けをして森の中へ木の実を採りに行くことにした。後からお茶にするため、ハンナさんとルファーくんに残ってもらい、残りのメンバーで森の奥へと進んだ。奥に進むにつれ、見える精霊の数も増えている気がする。

 しばらく歩くと、木の実が沢山なっている場所へと辿り着いた。


「うわぁ…すごい。こんなに沢山!」


 種類もいくつかありそうだ。早速背の低い木から採取していく。持ってきた手提げのかごへと次々摘んでいった。


「これはルコの実です。乾燥させると薬になります。こっちはタプの実です。果実も美味しいですが、種も食べられますよ」


 さすが自然と共に生きている精霊。

 風の精霊は特に植物の知識が豊富のようで、ワサビちゃんは何もわからない私に有り難いアドバイスを沢山くれた。

 こちらの世界の食材に関する知識は、ワサビちゃんに聞いて勉強しようかな。



 そろそろかごもいっぱいになってきた。

 やっぱりもっと大きなものにすれば良かったと思いながら、登っていた樹から降りようと、近くの枝を掴んだ時だった。

 固いはずの枝が掴んだ途端にグニャリと形を変えたのだ。嫌な予感がしたのと、ワサビちゃんが叫ぶのとが同時だった。

 枝だと思ったそれは魔物のしっぽだったのだ。長い体がゆっくり動いて持ち上がり、暗い光を宿した六つの紅い小さな目が私を捕らえていた。


「ネリージャ!!」

「何でこんなところに!?」


 その魔物はネリージャと呼ばれ、蛇のように細くて長い体をしていた。細いと言っても今登っている樹の幹くらいはありそうだ。

 体の割りに頭が小さく、目が左右に三つずつ計六つ付いている。その瞳は血を垂らしたかのように紅く、その目に睨まれると体の奥から震えが起こった。大きく裂けるように開いた口からは、鋭い牙と先端が二股に割れている細くて赤い舌が覗いている。



「えみ様、逃げて!!」


 そう叫びワサビちゃんが私の前へ飛び出した。小さな風の玉を作ると、それをネリージャへ向かって放つ。鼻先に当たったが、効果は見られなかった。


「そ、そんな……」

「ワサビちゃん!!」


 私は咄嗟にワサビちゃんを捕まえると髪の中へ隠した。

 ネリージャがゆらゆらと頭を左右に振りながら、私へ狙いを定めてくる。

「(逃げなくちゃ…——)」

 頭ではそう分かっているのに体が震えて動けない。




「えみ!!」


 下から声がしてそちらを向くと、いつ間に来てくれたのか焦りの表情で両手を広げたレンくんの姿があった。


「飛べ!!」


 彼が叫ぶのと横から私にだけ強い風が吹いたのが同時だった。


「きゃぁぁっ!!」


 体が勝手に落ちていき、受け止めてくれたレンくんと一緒に地面を転がった。

 私が起き上がった時、すでにレンくんは抜刀し臨戦体勢だった。

 視線を向けると、先程まで私がいた枝にネリージャの牙が深々と突き刺さっている。後少し遅かったら、私の体があの枝のように大穴が空いていたことだろう。顔から血の気が引き、背筋が凍った。


 ネリージャはバキバキと凄まじい音と力で、枝をへし折りながら強引に牙を引き抜くと、今度はレンくんへと狙いを定めた。

 お互いに視線を外さないまま睨み合う。

 ネリージャは大きな巨体をくねらせながら、ゆらゆらと樹から這い降りてきた。


「レンくん……」

「下がれ。ゆっくりだ」


 低く声を発しながらレンくんと少しずつ後退りしていく。そして樹の陰に私を隠すように押し込むと、自分はそこから離れて行った。


「(どうしよう……このままじゃレンくんが!)」


 そう思うのに何も出来ない。恐怖で体が動かないのだ。足が地面に張り付いたかのようにその場から動く事が出来なかった。

 レンくんが剣先をゆらゆらと動かしながらゆっくりゆっくり移動していく。ネリージャの狙いを私から自分へと向くよう誘導してくれている。お互いに睨み合いながら私から離れ距離を取ると、やがて睨み合ったまま静止した。

 樹からぬるりと降りて来たネリージャは、全体の体長がわからない程の大蛇だ。鎌首をもたげ、恐ろしい光を宿した瞳の全てがレンくんを獲物として捉えている事だろう。

 今にも飛び掛かって来そうな気配に、私の心臓は有り得ない速度でバクバクと鳴っている。


「(お願い誰か……レンくんを助けてください……)」


 両手を固く握り締め祈った。

 風が両者の間をざぁっと通り過ぎたその時、ついにネリージャの牙がレンくんへと襲い掛かった。

 その巨体からは信じられない程の速さと俊敏さで頭が飛んで来る。レンくんは上手く木を利用しながら横へと避けている。勢いそのままに、ネリージャの牙がレンくんの後ろにあった木の幹へ突き刺さった。レンくんがすかさずネリージャの頭に向かって剣を降り下ろしたが、それよりも早くネリージャの頭が引いて行く。

 バキバキという幹を力任せに抉り取る轟音と、抉られた事で折れながら倒れていく破壊音が辺りに響き渡っている。

 倒木が地面を揺らす音を聞く間もなく、ネリージャとレンくんの攻防が続いている。レンくんは木の隙間を縫うように移動しながら、ギリギリでネリージャの頭を交わしている。

 倒木の数が片手で足りなくなった頃、より太い樹の前でレンくんが立ち止まった。今まで動きを止めず連続して動いていたにも関わらずだ。

 それを好機と捉えたのか、ネリージャの頭がより早くレンくんに襲い掛かった。服の袖を犠牲にするくらいギリギリで避けたレンくんは、今までよりもずっと太い幹に牙が食い込んだネリージャから距離を取らず、真上に避けた。

 深々と食い込んだ牙を抜くのに、一瞬ネリージャの動きが止まる。そこを見逃さなかったレンくんの剣戟が、ついにネリージャの首元を捉えた。

 ネリージャがレンくんへ牙を向けるよりも早く、レンくんの剣がネリージャの首を落としたのだ。

 断末魔の咆哮が耳をつんざき、頭と胴体が切り離される。胴体の方がしばらくバタバタと暴れたが、やがて動かなくなった。

 レンくんは肩で息をしながらその様子を眺め、動かなくなったのを見届けてから私の方へ走って来た。


「えみ無事か!? 怪我は?」


 決着がついた事でヘナヘナと座り込んでしまった私の視界に、焦りの色が見えるレンくんの顔が映り込む。途端に涙が溢れて来た。

 怪物に邂逅した恐怖と、レンくんが襲われた恐怖と、目の当たりにした戦闘の生々しさと、無事だった安堵と。色んな感情が入り混じってしまい、もう訳が分からなくなってしまったのだ。


「もう大丈夫だ」


 そんな風に優しく言葉をかけられて、訳が分からないまま無意識に彼へ抱きついていた。


「無事で良かった……」


 レンくんの手が優しく頭をポンポンしてくれる。そんな事されたら余計に涙が止まらない。

 レンくんにしがみついてポロポロ泣いている私の肩口にいたワサビちゃんと、後ろからのアルクさんの叫び声が重なる。


「えみ様!!」

「レン!! まだだ!!」


 レンくんの肩越しにネリージャの頭と目が合った。不気味な六つの目が、仄暗い光を宿しながら間違いなくこちらへ向けられている。


「!!」


 背中に再び悪寒が走った時には、すぐ側に胴体を失ったはずのネリージャの首が迫っていた。

 メアリの叫び声が響き渡り、レンくんの腕がぎゅっと私を締め付ける。私も彼にしがみついてきつく目を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 ネリージャの牙がえみとレンに届く寸前、突如その頭をめがけて白い塊が落ちてきた。

 予想外の事にアルクは固まる。

 正直、もう駄目だと思った。ふたりの命が断たれてしまったと思ったのだ。

 が、そうでは無かった。

 寸前でネリージャの頭は踏み潰され、完全に沈黙した。同時に体の崩壊が始まり、今度こそネリージャの脅威は消えた。

 ネリージャの脅威は去ったが、恐怖が去った訳では無かった。それどころか、比べものにならない程の魔力を伴うプレッシャーが、自分たちへ向けられていたのだ。


 落ちてきた白い塊は、巨大な獣だった。体長は、ネリージャにも引けを取らないものだ。

 真っ白な体が光をキラキラと反射しながら、美しく輝いている。凄まじい魔力をぶつけてくる雄々しい狼の姿をした獣に、アルクは心当たりがあった。

 まさかという思いと、有りうるという相反する思いがアルクの中で交錯していた。


 その巨大な狼は黄金に光る瞳で目の前で縮こまっているえみをじっと見つめていた。

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