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11話——知らない間に『契約者』でした。

 私は今、アルクさんの書斎にお呼ばれしている。正確にはアルクさんのお父さんの書斎らしいのだが、今はお母さんと旅行中らしく、領主代行のお仕事をしているのだそうだ。アルクさんも休暇で帰って来ている筈なのに、帰って来てまでお仕事だなんて貴族の皆さんは大変ですね。

 なんて、呑気に思考を飛ばしている場合ではなさそうだ。

 何故なら、いつも柔らかい笑顔を浮かべているアルクさんの表情が、見た事ない程硬くて少し怖いくらいなのだ。その原因は、恐らく私の肩にお座りしている小さなお友達にありそうだ。

 私の後方、書斎の入り口前にはレンくんが立っており、私たちの様子を見守って(?)いる。


「えみ」

「はい」

「ルファーから、厨房でえみが精霊の力を使っていたと報告があったのだが、それは本当?」

「それは、えっと……」


 どう説明したものかと困っていると、肩に乗っていたワサビちゃんが私の前に飛び出した。


「違います! えみ様が命令したのではありません。ワサビが勝手に使ったのです!!」


 両手を目一杯広げて、まるで私を背中に隠してくれているようだ。

 実際は私の方が何十倍も大きいから隠れられはしないのだが、必死に庇おうと訴えてくれている姿にぐっときた。


「ワサビちゃん……」

「大丈夫。責めている訳ではないんだ。ただ事実確認をしたいだけ」


 アルクさんの視線がワサビちゃんに向けられ、再びこちらへ戻ってくる。

 彼にはワサビちゃんが見えていて、声も届いているようだ。レンくんから聞いた話によると、精霊が見える人は魔力が高い人らしいから、アルクさんも魔力を持っているという事なのだろう。

 因みにレンくんも魔力持ちで、ワサビちゃんが見えているらしい。

 ……魔力持ち希少って言ってなかった? この屋敷だけで魔力持ち密度高すぎない?


「ワサビと言うのは、その子の名前かな」

「はい。名前が無いと言っていたので、私がつけました。お友達になれればいいと思って」

「そうか」


 少しの間考えるような素振りを見せていたアルクさんが、レンくんにお茶の準備をさせるよう言い付けた。レンくんが出て行って間も無く、メアリがティーセットを乗せたワゴンを押して入って来る。

 その間もずっとワサビちゃんは私とアルクさんの間で仁王立ちしている。守ろうとしてくれているようで、思わず頬が緩んでしまう。

 メアリがお茶を淹れ、茶菓子のクッキーと共にセッティングして退出すると、アルクさんがカップを傾け「ふう」と短く息を吐き出した。

 瞳を輝かせているワサビちゃんにクッキーを渡すと、ティーカップの側にお座りして美味しそうに頬張っている。そんな姿にも思わず口角が上がってしまう。ワサビちゃんは本当に美味しそうに食べてくれる。それが本当に嬉しい。

 そんな姿にアルクさんも心を掴まれたのか、さっきまでの表情ではなく、いつもの柔らかい微笑を取り戻している。


「いきなり呼び付けて悪かった。少し混乱してしまって…」

「いえ。……あの、私がした事は何かいけなかったのでしょうか」

「いや、悪い訳ではないんだが、すまない。ちゃんと説明しておくべきだったな」


 そう謝罪の言葉を口にすると、アルクさんがこの世界について話してくれた。


 この世界は、創造神『女神ミランツェ』が作ったとされ、『女神の代弁者』と言われる四体の聖獣によって護られていると伝わっている。

 聖獣はそれぞれ火、水、風、土の魔力を持ち、その下にそれぞれの魔力に属した精霊がいるのだそうだ。

 因みに、ワサビちゃんは風の魔力を持つ精霊だ。よって彼女の上司は風の魔力を持つ聖獣ということになる。

 基本的に聖獣や精霊は人間の世界に干渉しない。人からすれば、精霊=自然界という扱いだった。


 しかし、魔力を多く保有する人間の中には、精霊の力を行使する者があった。

 精霊の力を行使するために交わされるのが『契約』ということになる。

 ただ、契約を結ぶ為には国立の魔法学校を卒業し、王宮付きの魔術師となり、修行を重ね、国王の許可を得て……と、様々な手順を踏む必要があり、普通の人間にはまず出来ない。そもそも、その契約する精霊と同等かそれ以上の魔力を保有していなければまず無理なのである。

 中には特例もあったそうだが、ここ千年程は特例を認められた形跡がないらしい。

 魔力量だけでなく、その精霊との相性も重要視され、お互いの魔力を交換するという儀式も必要だということだった。




「私が迂闊だった。えみの不思議な魔力を感じた時にきちんと話しておくべきだったな」

「あの……まだよく分かっていないのですが、私はワサビちゃんと一緒にいてはいけないということですか?」

「その逆だよ。えみ、精霊に名前をあげたね」

「はい」

「それが、精霊と契約を交わすということなんだよ」

「契約……ですか?」

「そう。『契約』だ。つまり、ワサビはえみに魔力を差し出す。えみは『ワサビ』という名を与え、条件の元その精霊の主人となる。それが一生涯続くんだ。途中で契約が破棄されたり、無効になった例は私が知る限り無い」

「一生涯」

「そう、死ぬまでだ。既にふたりの間には契約が成立しているようだから、もう離れることは出来ないだろう」


 私は改めてワサビちゃんを見つめた。ワサビちゃんは嬉しそうにこちらを見ている。自然と頬が緩む。


「良かった。ワサビちゃんと一緒に居られるならそれでいいです。……でも、条件ってなんですか?」

「それは契約者どうしで交わすものなんだが……」

「私はえみ様のご飯が食べられれば何でもいいです」

「私はワサビちゃんとお友達でいられればそれで」


 これでいいのかな?

 お互いが納得していれば、条件が整うことになるのか。

 更に疑問点が浮かび上がる。


「でも、私は儀式なんてしていません。魔力はあるにしても、魔法なんか使えないのに、どうして契約は成立したのでしょう?」


 アルクさんがうーんと唸ってしまった。

 そこがわからないのだそうだ。

 ワサビちゃんもその辺はよくわからないらしい。

 追い討ちを掛けるかのように、レンくんが素直な疑問を口にする。


「えみは学校も行っていなければ、王宮付きの魔術師でもない。異世界から来ているからはっきりした身元もない。手続きなんかまるっとすっとばしてますけど、大丈夫なんですか?」


 アルクさんがますます頭を抱えてしまった。困った顔でこめかみをぐりぐりしている。

 これはバフ○リンもお手上げ……かな。


「もしかして何かの罪に問われますか? 知らなかったと言えば許して貰えるものなのでしょうか……」


 だんだん恐ろしくなってきた。

 勝手な事をした罪で牢獄行きになったりでもしたらどうしよう。まさか処刑なんて事、ないよね?

 アルクさんやレンくん、このお屋敷の人達にまで迷惑をかけてしまうかもしれない。


「そんな事にはさせない!」

「「え?」」


 レンくんが声を上げた事に驚いて、アルクさんと綺麗にハモってしまった。

 ワサビちゃんも意外だったのか、口の周りに食べカスをつけたまま、丸い目を更に丸くして彼を見ている。因みにクッキーは綺麗に消え去っている。

 レンくんは三人から同時に視線を貰ってバツが悪そうに頬をポリポリしている。


「いや……アルクさんがどうにかしてくれる」

「そこは私に丸投げなのか」


 アルクさんが苦笑しつつ改めて私に向き直る。


「だが、レンの言うとおり、王宮には掛け合う。幸い私には伝手もあるから、大事にはさせない。えみとワサビの事はきちんと守るから安心して」


 そう言って、いつもの暗殺級スマイルをかましてくる。私とワサビちゃんが赤面するのは不可抗力だ。


「ただひとつ約束して欲しい」


 私とワサビちゃんは姿勢を正してアルクさんを見つめた。


「えみ。君はこれから狙われる可能性が出てくる」

「え?」


 全く予想外だった言葉に絶句した。

 狙われる? 私が? ワサビちゃんとお友達になっただけなのに?


「精霊の力と言うのは、人間にとって目も眩む財宝のような物だ。それだけ大きな力を秘めている。当然それを手に入れたがる輩もいる」


 そうか……言ってしまえば私は『風を操る力』を手に入れてしまったのだ。私にその気がなくても、その力を欲しがる人に目を付けられてしまう可能性があると言う事だ。

 アルクさんの言葉に頷くしかない。


「もちろん危険が及ばないよう努力はする。が、えみにもリスクを減らす為に、敷地の外では極力精霊の力を使わないようにして欲しい」


 そして私の前、テーブルの上で正座しているワサビちゃんへと視線を移す。


「ワサビもだ。緊急時、やむを得ない場合以外は力を使わないようにして欲しい。それが今出来る最善策だ。出来る?」

「わかりました! お任せください」


 小さな体で胸を張り、瞳をキラキラと輝かせながら決意の炎を灯している。

 アルクさんにもワサビちゃんの意気込みが伝わったようで、笑みがますます深くなった。


「ひとまず話は終わりだ。私の方でも詳しく調べてみるから、今までと変わらず普段通り生活してくれて構わないよ」

「はい。ありがとうございます」

「じゃぁ、準備が出来たらピクニックに出掛けようか」

「え!? 連れて行って貰えるんですか?」


 てっきり中止かと思っていた。


「約束だったからね。それに、出掛けるのは我が家の私有地だ。あ、力は緊急時以外使わないようにして貰うけどね」


 アルクさん自身ピクニックを楽しみにしてくれていたようだ。

 ナッツのクッキーを諦めずに済みそうだし、何より朝から大変な思いをして準備したお弁当が無駄にならなくて良かったと、ワサビちゃんと二人ホッと胸を撫で下ろしたのだった。

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