帰り道に見つけた片目首地蔵の話
これは僕が高校生のときに体験した。
というか、僕が招いたのかもしれない不思議な現象の話です。悔い改める気持ちで書きつづりますが、強烈に覚えていること以外は想像で補完します。加えて、実在の人物や場所・団体・組織を特定されにくくするために脚色を入れています。ご了承いただいた上でお読みください。
当時、僕は田舎の商業高校に通っていました。志望動機は、家から近いからです。
入学してすぐ、新しい環境に慣れるよりも先に、テストの嵐に振り回されました。経験したことのない新教科ばかりで、中学とレベルの違う勉強について行くのがやっとのてんてこ舞いな1年でした。
少し落ち着いた2年目にして、恐れていた事態になりました。
そう。いつのまにかクラス内のヒエラルキーが固まっていたのです。
僕の高校には3つの専門学科があり、普通科2クラス、情報処理科2クラス、商業科1クラスの5クラスあります。全5クラスのうち、僕らのいる学科は3年間クラス替えの無い商業科でした。クラス替えが無いということは、生徒の流動がない。つまり、スクールカーストの誕生です。
カースト上位は、イベントを率先して行うイケイケグループとお馴染みの運動部グループ。
カースト中位は、ガリ勉グループと文化部グループ。
カースト下位は、小規模で固められたオタクグループと数人の冴えないイジメられっ子たち。
僕はオタクグループと文化部グループを行ったり来たりしながら、家が近いことを生かしてイケイケグループを家に招いたりする、いわばコウモリみたいな奴でした。良い時は良く、悪い時はとことん悪い位置って感じです。
そんな高校生活を過ごしていたある日の帰り道。
田舎特有の古い家ばかりが建ち並ぶ、つまらない道を歩いているとき、ふと、空き地に目が行きました。
十字路のすぐ隣にあるその空き地は、僕が小さいときからずっと放置されていて、いつも地面なんて見えないほどに雑草が生い茂っていました。ついに買い手が現れたのか、もしくは管理人の気まぐれか、事情はわかりませんが、雑草が全て刈られていたのです。
鬱陶しい空き地が綺麗になっていて、爽やかな気持ちになりました。
その空き地を通り過ぎようとするとき、お地蔵様と目が合いました。道端に祀られているようなお地蔵様ではありません。お地蔵様がいたのはもっと下の方です。そのお地蔵さまは埋まっていて、地面から半分ほど顔を出していました。
草刈り中に気づくはずなのに、誰もお地蔵様を移動させていないことを不憫に思い、信心深い僕は、そのお地蔵様に向けて手を合わせました。
それからというもの、学校から帰る途中には、お地蔵様が移動されているかをチェックするようになりました。見つけたときには、特に何も考えず手を合わせて帰っていました。
再び空き地に雑草が生え始めた頃、雑草生えてるなー、と思いながら、いつものようにお地蔵様に手を合わせました。変に雑念が入ったからか、ついでにお願い事をしてみるか、と思い……
「クラスの人気者にしてください」
と、お地蔵様を拝みました。
厳しいスクールカーストの世界で、この願い事は『お金持ちになりたい』と同じレベルの絵空事です。
ただ、その日を境に、僕らのクラスは少しずつ変化しました。
今日も一番乗りで教室に入り、ホームルームが始まる前に宿題を終わらせようと思って、手を動かしていると、イケイケグループの女子が大声を上げました。
「その目どうしたのー!?」
目を合わせただけでも噂になるので、声の方を横目に見てみました。すると、割と美少女なイケイケグループの子が右目に眼帯をしていたのです。
ものもらいだそうです。
次の日には、伝染したかのように他の子も眼帯をしてきました。これは、ものもらいじゃありません。一過性のブームです。眼帯に絵を描いてたりして遊んでました。
この時ビビッときました。
志望動機は不純ながら、僕は商業科の生徒なのです。将来はいっぱしの商人になって、ビジネスでもなんでもやってやろうと張り切っていました。僕はこの学校でその予行練習をやるつもりでしたが、1年待ってもチャンスが訪れず、ずっと燻っていました。
ついにそのチャンスが来たと思ったのです。高校生といえば、ロックバンドにハマる年頃。眼帯と言われて、連想されるのは、ビジュアル系ロックバンドでしょう。
うちの学校には軽音部がありません。だからこそ、みんながその姿に憧れていて、お披露目の機会がないからこそ、みんなも真似しやすいのでは? と思いました。
思い立ったらすぐに行動に移しました。ヘアピンを大量に購入し、セットした髪に付けまくって登校しました。みんながヘアピンを取れるように、自分の机の上に設置し、まずは中位のグループを誘って一体感を作りました。すると伝染するように上位のグループにヘアピンが行き渡り、クラスの壁を超えて派手な髪型が増えていきました。
風紀は乱れましたが、確実にビジュアル系ロックバンドブームに火がつきました。
ブームの火付け役として鼻が高かった僕ですが、残念ながら人気者にはなれませんでした。僕自身に魅力がなかったからでしょう。
それどころか、何故か、ブスないじめられっ子たちがクラスの人気者になりました。化粧をしたり、制服を改造したりと、なりふり構わずブームに乗っかっていたからかもしれません。僕もああやればよかったと後悔しています。
卒業までこの調子でやりたかったですが、早くもブームの終焉が訪れました。学年集会にて、先生たちによる生徒指導が入り、ブームの熱を強制的に冷まされたのです。
それ以降、クラス内の空気は少し良くなり、今まで複数人いたイジメられっ子もたった一人だけになりました。その子も特に酷い暴力を受けているわけでは無く、みんなから完全に無視されているだけです。彼は僕の後ろの席でしたが、ついに一度も目が合ったことはありませんでした。
生徒指導の日から徐々にヘアピンの数が減り、スポーツ大会が近づいて、坊主頭が増え始めた頃のことです。今日も帰り道にお地蔵様をチェックしようとしたら、空き地の雑草が刈られていました。しかも、お地蔵様がいるはずの場所に穴が空いているではありませんか。
ついに管理人さんが気づいたのかなと思い、お地蔵様を探してみると、穴から少し離れたところに丸っこい石が転がってました。
その丸っこい石がお地蔵様でした。
どうやら、お地蔵様は割れて首だけだったらしく、顔も半分削れていました。お地蔵様がこっちを向いていなければ、ただの石ころだと思ってずっと気づかなかったと思います。
僕はそんなお地蔵様に向かって手を合わせ、『もう一度ブームを起こしたい』とお願いしました。
忘れもしません。雨の日でした。その日の体育は、体育館でバドミントンをやることになりました。それぞれペアを作って、ラケットを取り、軽くラリーをするんです。
僕は仲のいい早川(仮)と組もうと思いましたが、高身長で性格もイケメンなテニス部の谷口(仮)に早川を取られました。
仕方なくデブな遅田(仮)と組んで、ラリーを続けていると、突然、悲鳴が上がりました。
まもなく人だかりができ、僕も人だかりの中に入りました。そして、中の様子を見てみると、谷口が片目を押さえて泣いているではありませんか。コートの向かい側では、早川が呆然と立ちすくんでいます。
泣き止まない谷口を心配して、イケイケグループの友人たちが協力し、谷口を保健室へと連れていきました。事情を聞けたのは教室に帰った後です。
バドミントンのラリーが白熱し、早川の放ったシャトルが谷口の目に当たったそうです。目から血を流していたらしく、谷口はそのまま病院へ行ったと先生は言いました。
早川は元テニス部で、身長は低いものの運動神経も良かったから、怪我させるほどの威力を出せるのも納得です。ただ、本人に聞く限り、悪気はなく、そんなに力を入れたつもりもなかったそうです。
翌日、谷口は学校に来ず、数日経って目の手術が必要との説明がありました。早川はクラスで浮き始めました。僕は早川と仲良くしていたので、同じ目に遭うんじゃないかと思うと気が気でありませんでした。
クラスの空気が悪くなっていくのを悟った僕は、なんとか盛り上げてやろうと道化役になりました。ふざけて踊るとか、そんなベタなやり方はしません。
オモチャを使いました。ゴムを裏返して、ゴムが元に戻る反動で飛ばすパッチンカップというオモチャです。それを大量の仕入れて学校に持って行きました。
そして、机の上でパッチンカップをひっくり返し、おでこに当てる遊びを流行らせました。これが目に当たったとき、みんなは谷口と同じ恐怖を味わえます。いわゆる度胸試しというやつです。
以前のように、中位のグループに配るところから始め、またもやブームが起きました。
これで一体感が生まれたはいいものの、次第にエスカレートしていって、パッチンカップが教室内を飛び交うようになりました。
再び、僕はブームの火付け役となりました。だけど前回のこともあるし、きっと今回も人気者にはなれません。
僕のトーク力は微妙だし、勉強も苦手だし、今さら運動部に入る勇気もない。嗅覚だけが僕の取り柄です。それだけで人気者になれるとは思えなかった。そして、思った通り人気者にはなれなかった。すごいのは僕じゃなく、パッチンカップです。クラスの空気は和みましたが、僕を褒めてくれる人は誰もいませんでした。
ブームを起こすことはできましたが、これでは消化不良です。どうすれば、この承認欲求を満たせるのか考えましたが、どうにも考えが浮かびません。残されているのは神頼みでした。
片目生首のお地蔵様を見つけてから、僕の高校生活は良い方に向かっています。普通に考えて、お地蔵様にそんな力があるわけないし、誰に言っても信じられないことです。
でも、絶対に自分の力では無いと確信していました。
全部偶然なんです。クラスメイトが怪我をして、それを機に物を配っているだけ。そもそも、僕のプレゼンに誰も乗らなかったかもしれない。一連の出来事は、お地蔵様の力で引き起こされたとしか思えませんでした。
もし、お地蔵様にお願いして、偶然を引き寄せられるとするならば、僕は幸せになれるかもしれない。
お地蔵様の神通力に味を占めた僕は、その日の帰りにお願い事をしました。
「人気者にしてください」
次の日、早川と話していると、早川のメガネが壊れました。偶然ではありません。
やったのは僕ですから。
誰の目から見ても、事故に見えなかったと思います。
でも、本当に悪気はありませんでした。後ろに振り返ったとき、なぜかそのときだけ僕のひじが持ち上がり、裏拳で早川の顔面を殴打する形になったんです。本当です。
メガネを壊すほど強力なパンチにも関わらず、僕の手の甲には傷ひとつありませんでした。
幸い谷口ほどの大怪我には至りませんでしたが、早川のまぶたにはレンズの破片が突き刺さり、早川は早退して、そのまま病院に行きました。
その日、僕は間違いなく人気者だったでしょう。悪名ですが。
なんだかすごく怖くなり、その日の帰りにお地蔵様のところへ行きました。
全てチャラにしてもらおう。そう思って手を合わせました。
しかし、心がざわついて落ち着きません。考えた結果、この現象を終わりにするには、お地蔵様を供養するのが一番という結論に至りました。
大人になった今でも、その供養の仕方が正しかったのかわかりません。もう後戻りできませんけど、詳しい方がいれば教えてください。
僕は、片目首地蔵をそこの空き地に埋めました。
スコップなんか持ってなかったし、近くに手頃な石も無かったので、お地蔵様の首を使って穴を掘り、足で土をかけました。最後に拝んで供養完了です。
その帰り道、不思議な現象に遭いました。
信号を待っていると、トラックが2台猛スピードで走ってきます。2台とも工事に使う土砂を運んでいるみたいで、風の影響か、土煙を出していました。
その2台のトラックが目の前を通ったその時、車と車の間から、なにかが顔面に飛んできました。
思わず顔を逸らしましたが、避けきることはできず、右目に固いものが当たりました。
どこかに落ちたはずなので、何が当たったのか道路を探してみたのですが、結局何も見つかりませんでした。
その後、学校で不吉な事件が起こることは無くなり、谷口の手術も無事成功し、安寧の時期が訪れました。
でも、僕は全くハッピーじゃありませんでした。それ以降、なんのブームも起こせず、人気者になれないまま、それどころか嫌われ者として残りの高校生活を過ごしました。
更に追い討ちをかけるように、不定期で僕の右目に不幸が襲いかかるようになりました。
風の強い日には、落ちてきた枝が目に当たり。旅行に行ったときには、温泉で転けてシャワーヘッドで目を打ったりと、まぶたには常にカサブタがありました。
大事故にはなりませんでしたが、受験シーズンに入っても不幸は続きました。勉強で夜更かしした日には、シャーペンの消しゴムの部分がまぶたを突き刺すこともあり、それまでは運が悪いだけと割り切っていましたが、いよいよ怖くなってきて、神社へ参拝に行くことにしました。
合格祈願という名目でしたが、厄を落とすという意味では同じと思い、親に頼んで神職の方に祈祷祈願をお願いしました。
片目首地蔵のせいで、神がかり的な力を信じるようになっていた僕にとっては、神職による祈祷祈願は何よりの救いでした。
その祈祷祈願が効いたのか、右目を襲う不幸がぱったりと止みました。相変わらず、クラスでの立場は最悪でしたが、みんなも他人に構うほどの余裕はなく、教室での居心地は悪くありませんでした。右目まぶたもカサブタが取れるくらいに回復して、やっと試験勉強に集中できました。
そして、いよいよ試験の日がやってきました。第一志望の大学へいざ出陣という時、バス停へ向かう途中で事件が起きました。
田舎だからか、当時、舗装の行き届いていない道路が多くあり、バス停までの道にもガタガタな歩道がありました。普段の僕なら、歩き慣れていない道もサクサク進めるのですが、緊張した状態で歩いていたせいか、何度も凹みに足を取られました。
そして、車通りが多い場所に出たときです。平面な道を行こうと思って、側溝のフタの上を歩いていたところ、急に足場が無くなり、片足が下に沈みました。
咄嗟に何かに掴まろうと思って手を伸ばした次の瞬間、その手の先に、走行中の原付バイクが迫っていたのです。一瞬のことで詳しくは覚えていませんが、後から聞いたところによると、僕が運転手の腕を掴み、自分の方へ引き寄せたそうです。
幸い、自力で立てましたが、右目から出血し、試験会場へ行くことはできませんでした。その後親が迎えに来て、病院へ連れて行ってもらったところ、右目の治療は1週間程度で済みますが、失明してもおかしくなかったと、医者に言われました。
身震いしました。終わったと思っていた片目首地蔵の呪いはまだ続いていたんです。
いよいよ危機感を持った僕は、スコップを手に取り、もう一度あの空き地へと向かいました。お祓いがダメなら、大本をどうにかするしかありません。
記憶を頼りに土を掘り、片目首地蔵を掘り出しました。
しかし、掘り出したはいいものの、思考が固まりました。なにしろ、なぜ呪いが続いているのかも、なにが原因なのかも、呪いの解き方もわかりません。謝ろうにも、お地蔵様に対して悪いことなんかしていませんし、自分に非がないのに謝るのはプライドが許せません。むしろ、お礼をもらいたいくらいです。
だから、お願い事をすることにしました。
『呪いを解いてください』と頼むのも考えましたが、そもそも、お地蔵様に呪いを掛けている自覚がなければ、お願い事は空振りに終わります。
色々と考えた結果、呪いを解くのは諦めて、『3月の宝くじで1等が僕に当たりますように』とお願いしました。
大金さえあれば、目の治療もできますし、大学に落ちても再起できます。我ながら冴えていると思いました。僕はその足で宝くじ売り場へ向かいました。
本命は落としましたが、滑り止めの大学には合格し、最後の高校生活は目の痛みを理由にサボりつつやり過ごしました。呪いのおかげか、右目には常に生傷がついていたので、親と先生を納得させるのは簡単でした。
そして、ついに宝くじの抽選日。辛かった高校3年生の冬も、これがあるから乗り切れた。朝早く起きた僕は、父よりも早く新聞を取りに行き、真っ先に宝くじ当選番号のページを開きました。
頭に片目首地蔵を浮かべると、右目の傷が疼きます。そして、震える手で十枚入り連番くじの封を切りました。
まずは一枚目。先頭のくじの番号は、なんと、なんと、なんとッ……!
上の5桁が、一等賞と同じでした。
すぐに組を確認します。組も一等賞と同じです。
まだ現物を目にしていませんが、勝利を確信しました。急にお腹が痛くなり、眩暈がして、目を擦ったら右目から出血しました。一度顔を洗い、しばらくトイレでお腹の具合を落ち着かせます。リビングに戻ったら、宝くじをテーブルの上に開きました。
テーブルに散らばった十枚の中に、一枚だけ光り輝く宝くじがありました。
1等1億5000万円。
それだけじゃありません。前後賞2500万円。前賞後賞あわせて5千万円。
計2億円。
2億円です。家族全員起こして狂喜乱舞しました。
さっそく贅沢な買い物をしたいところでしたが、宝くじに当選したことがバレて事件に巻き込まれたりしたら最悪です。そういう理由で、当選したことは親戚にも内緒にして、万が一のためにお金は分散して管理することにしました。お金があるのに大きな買い物もせず、普段通りの生活をするのは苦痛でしたが、その代わりに絶大の安心感を得ることができました。
しかし、その絶大な安心感が僕の精神を歪めてしまったのか、大学に通っても勉強に身が入らず中退。右目を気味悪がられて就活も失敗が続き。中学から仲良くしていた友達とも交友関係が悪化して、気づいたら鬱病になっていました。
その間も、ずっと呪いは続いていました。右目のまぶたは爛れ、目薬を肌身離さず持ち歩く日々。
そして、ある日のことです。鬱病の治療のために、雨の日以外は毎日散歩をしていたのですが、その日も散歩をしていると、正面から車が猛スピードで迫ってきました。
人目を避けるような散歩ルートを選んでいたため、その道はトラックがギリギリ通れるくらいの幅しかなく、車を避けようと飛び退いた拍子に、体を塀にぶつけてしまいました。そこは古い空き家で、コンクリートの塀はボロボロ。嫌な予感がして、塀から離れると、剥き出しの鉄筋がちょうど僕の右目に刺さっていました。急いで病院へ向かいましたが、手の施しようがなく、とうとう右目は塞がってしまいました。
それ以降、右目に不幸が襲いかかることは無くなりました。今は病院に通いつつ、莫大な貯金を少しずつ取り崩しながら、実家でニート生活を送っています。右目は使えなくなりましたが、そのおかげで今があると思うと幸せです。
これを読まれた皆さんも、もし、片目首地蔵を見つけたら拝んでみてください。片方の目と引き換えに、きっと幸福を得られるでしょう。
もしくは、僕が片目首地蔵を埋めた場所を探してみるというのも一つの手かもしれません。
ちなみに、片目首地蔵を埋めたところにはプロテスタント系の教会が建ちました。僕と同じように拝みたければ、教会を焼き討ちして、片目首地蔵を掘り起こしてみてはいかがでしょうか。そこまでして幸せになりたいとは思いませんが。